今回は株式会社イベント・トゥエンティ・ワン代表取締役、中野愛一郎氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。ぜひご覧ください!
株式会社イベント・トゥエンティ・ワン 会社概要
会社名称 | 株式会社イベント・トゥエンティ・ワン |
代表者 | 中野 愛一郎(なかの あいいちろう) |
設立 | 1991年4月25日 |
主な事業 | ハッピークリエイト業
(イベント用品レンタル、イベント会場の設営・装飾・施工、イベント企画・運営・手配、看板制作及び販売 ノベルティ及びイベント用品販売、デザイン、日本商品の海外販売、WEB広告代理店業務) |
社員数 | 175名(取材時) |
会社所在地 | 〒639-0236 奈良県香芝市磯壁2丁目1073−1 |
会社HP | https://event21.co.jp/ |
まずは御社の事業内容について教えてください
株式会社イベント・トゥエンティ・ワンは、イベントに関わる企画・運営・物品レンタル・会場設営・デザインや制作などを手掛けています。
何かに特化するというより、様々な問い合わせ内容に応じて柔軟に引き受けていたら、なんでもできるようになった会社です。 webでの情報発信力の強さを活かし、幅広く事業を行っています。
当社のHPは私が作りました。今はwebマーケティング部の社員達が作ってくれていますが、今でもディレクションには関わっています。
私はイベントのプロでありながらwebにも精通しており、さらに仕事にかける想いはMAXなので、webからご依頼いただいたお客様とは100%のマッチング率で全力でお力になって差し上げることができています。
webで他社様と比較した際に、当社のHPにはパッションや情報量、色んなものが伝わりやすく掲載されていると思います。お客様からしたら分かりやすいですし、高いクオリティーであることを理解していただけると思います。ですので今ではマーケットからの支持が得られ、業界日本一を自負するほどのたくさんの問い合わせをいただいております。
サービスを提供しているお客様はどのような方が多いのでしょうか?
日本だけに限らず、海外にも事業展開しております。さらに法人や個人など問いませんので、いわば『全ての方がサービス提供の対象者様』ということになります。
人間誰しもイベントの大小関わらず、人生で何回かはイベントの主催者になるものです。そういう意味では、全ての人々がお客様であると言えます。
学生時代のお話から、会社を運営して現在に至るまでの経歴をお聞かせください
父親は弊社の創業者で、全く儲かっていない会社だったのですが16年経営していました。そんな父親のギリギリの経営状況を見ていたので、絶対に継ぎたくないと思っていました。
私は大学を中退して旅人になり、35カ国回りました。後々はNYに住みたいという思いがあり、お金を貯めていました。そんなある時、父親が突然がんになってしまったんです。余命1ヶ月半と言われました。
その後病床で、「会社を継いでくれないか」と言われたんです。たとえ儲かっていなくても、この会社は親父の人生そのものだということはわかっていました。私が「継ぎたくない」と拒否することで、父の人生を否定したくないと、その時に強く思ったんです。
世界のど真ん中に行く! という自分自身の夢もありましたし、奈良の小さい会社で人生終えたくない、どうせだったら会社を大きくしたい…という気持ちもありました。悩んだ結果、どっちも達成してやろう! と思ったんです。それが26歳の時ですね。病室で「俺がこの会社をめっちゃ大きくして、NY支店を作ってやる」と、宣言しました。そんな流れで、旅人だったのが一転、潰れかけの会社を継ぐことになりました。
父の時もイベント関係の仕事をしていましたが、社長が自分になって『イベント』の定義を再定義しました。人と人が繋がり、絆を深める場が『イベント』だろうと思った時に、『人生の全部がイベント』だと思いましたね。たとえばこのインタビューも、イベントの一つだと言えるでしょう。そう考えたら、仕事の幅が無限に広がりました。
文字通り死ぬほど働いた結果、社長就任後1年目にして過去最高の利益を出すことができました。そこから16年経ち、今では175人の社員を抱える企業にまで成長しました。
35カ国回った経験が、会社の理念である『you happy, we happy!』の根本に活かされています。
企業体として社会に関わるということは、ものすごく力を持つことです。それは多くの人を、より良く変えていけますし、個人ではできないことも企業という形でならできるんです。
これまでで、苦労したことは何ですか?
通常、起業する人は前職で経験を積んで自信を持って起業したりします。親などから仕事を継いだ人は、ある程度しっかりした会社があって、先代がフォローしながら準備段階を経て社長に就任するものです。ただ僕の場合、経験も先代(=教えてくれる人)も準備期間もなかったので、とても苦労しました。
電話対応の仕方から始まり、営業や仕事内容も覚え、財務・労務の勉強や、webの勉強…全部一気にやりましたから。年間で5回倒れました。古くからのスタッフには無視されている状況でしたし(笑)。 一番キツいパターンでスタートしたと思っています。
でも「会社を絶対に大きくして、最強に良い会社にする!」「NYに行くんだ!」という気持ちでがむしゃらにやってきた結果、去年の11月に2億円の本社を建てることができるまでになりました。コロナ禍で多くの企業がダメージを受けている中で、一番ダメージを受けそうなイベント会社が…ですよ?
全部が0から、むしろマイナスから始めて、何回もやり切ってきましたし、着実に経営してきたことの成果が出たと思っています。ピンチになればなるほどワクワクする性格ですし、逆境に強いタイプなんですよ、私。
その大変な苦労を乗り越えられた要因は何でしょうか?
自分の『逆境に対する強さ』ですかね。
たとえコロナ禍であっても、ただ下を向いて立ち止まっていることはしない。いち早く動くことが重要だと思います。
確かにコロナでできなくなったことも増えましたが、新たにできることも増えました。
そういう節目の時に、「じゃあ、こういうふうにやるぞ!」となるような発想の転換が習慣化されているところがありますね。苦労経験を乗り越えてきたからこそ、他の人々に希望やヒントを与えられるんじゃないかと思っています。
そういう経験もあって今では、経営者団体に呼ばれて、定期的に講演もしていますよ。
最後に、今後のご展望や夢を教えてください
会社を継いだ当初は、リーダーシップ重視の組織から始まりましたが、6年くらい前からは「文化を大事にして、みんなで和気あいあい、切磋琢磨でやっていこう」という風潮で仕事をしてきました。
コロナ禍の影響を経て、今はまた新しい段階になっています。
具体的には、社員の主体性が今まで以上に求められるフェーズになっていると思っています。そうすることで社員みんなが成長もできるし、楽しいんですよ。自分で発案したことが採用されたりって、一番面白い部分じゃないですか?
その権限を僕が持っていても仕方ないので、社員に渡していこうというのが今の段階。理念やコアバリュー軸で、みんなが一生懸命、他人事ではなく自分事に考えて、経営に関わるようなスタンスで良い会社を作っていく。
そういう社員の主体性を伸ばしたり、自立を促したりするところを強めていきたいと思っています。
展望としては、多くのグループ展開を考えています。弊社の社員であれば、グループ会社の社長になるチャンスもあります。私は2030年までに社長を10人作ると宣言しています。
その言葉通り順調に、今まで3人社長を作りました。社長になれば年収1000万は超えるので、夢があるじゃないですか? もっと社会に貢献したいと思う社員に対してはバックアップするので、社長になって活躍して欲しいと思います。
また、地方を活性化させたい、サービスの質を上げたい、とも思っています。社会に必要な企業が、後継者不足やコロナ禍などで消えていこうとしています。
そこで弊社が一緒になることで、地域の雇用を守ったり、貢献したいと思っています。そしてサービスの質も、もっともっと上げていきたいと思っています。
中野さんが経営者におすすめする本を教えていただきました!
『ザッポスの奇跡 The Zappos Miracles―アマゾンが屈したザッポスの新流通戦略とは』 石塚しのぶ(著)
ザッポスは、アメリカで超有名な第一位のオンラインの靴ショップ。 Amazon URL: |
投稿者プロフィール
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新入社員を含めたフレッシュなメンバーを中心に、出版サポートの傍らインタビューを行っております!
就活生に近い目線を持ちつつ様々な業種の方との交流を活かし、「社長に聞きたい」ポイントを深掘りしていきます。
代表者様のキャリアを通して、組織の魅力が伝わる記事を発信していけるよう、これからも一生懸命運営してまいります!
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