MINORI Group Holdings株式会社 駕屋氏

今回はMINORI Group Holdings株式会社代表取締役社長、駕屋貴治氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

会社名称MINORI Group Holdings株式会社
代表者駕屋貴治
設立2025年4月1日
主な事業株式会社ゆたか(放課後等デイサービス4拠点、障害児専用ショートステイ2拠点、高齢介護ショート1拠点)、株式会社プレジール(児童発達支援1拠点、放課後デイサービス3拠点)、安芸販売株式会社(消耗品販売事業、不動産事業「よつば不動産」、工務店事業「よつば工務店」)、一般社団法人ライフ(ひきこもり支援、ボクシングジム運営、農業、グループホーム1拠点)
社員数150名(取材時)
会社所在地      広島県広島市安佐南区八木7-6-9
会社HPhttps://minoriholdings.jp/

御社の事業内容と、他社との違いや強みについて教えてください

グループのメインは障害福祉事業です。障害を持つ子供たちが放課後に通うデイサービスを中心に、障害児専用のショートステイ施設、高齢者の介護施設なども運営しています。

さらに不動産・建築事業、障害者向けのグループホームや直接雇用による就労支援も手がけており、現在は広島県内に12拠点あります。

強みとして真っ先に挙げたいのが、「職員ファースト」という考え方です。職員が気持ちよく働ける環境を整えることが、サービスの質を高め、利用者さんに選ばれる会社につながると考えています。

その一環として、設備投資にはかなり力を入れています。病院の跡地やビルを丸ごと購入して自社施設にしているため、広いスペースや駐車場をしっかり確保でき、職員も子供たちも窮屈さを感じずに過ごせます。さらに自社の公園を3か所、農園を2か所作りました。

障害を持つ子供たちが一般の公園で遊ぶと、どうしても周囲に気を遣う場面が出てきます。でも自社の公園なら、職員は余計な心配をせずに子供たちの支援に集中できる。公園にはトイレやレストハウス、クールダウン室なども整備しました。総投資額は数千万円規模になりましたが、子供たちが生き生きと遊ぶ姿を見ると、やって良かったと思っています。

こうした取り組みの結果、職員の定着率がとても高くなりました。創業から13年、初期メンバーがほぼそのまま残っています。福祉業界は職員の入れ替わりが激しいことで知られていますが、当社ではメンバーが安定しているからこそ、支援の質を継続して高められています。

採用でも好循環が生まれています。職員が職員を紹介する「リファーラル採用」が、直近3年で約50件・150名にのぼります。紹介で入ってきた方は職場文化になじみやすく、定着率も高い。加えて、当社に惹かれて転職を希望する即戦力の人材も増えており、優秀な中堅層が外から入ってきてくれるようになっています。

好業績で生まれた利益は福利厚生や設備投資に還元する。それがまた職場環境を良くし、人が集まってくる。こうした好循環が、当社の根幹にある仕組みです。

不動産事業では、他社が敬遠しがちな物件を積極的に引き受けてきました。その物件を利用し、例えば虐待などで自宅に帰れない子供や保護者が避難できる住まいとして提供したり、病院実習で遠方に行かなければならない専門学校生の宿泊場所として月1万円で貸し出したりしています。直接の利益にはなりませんが、そうした積み重ねが信頼につながり、ケアマネージャーさんや学校からの紹介が増え、本業の取引にも結びついてきています。

「上流の蛇口を持つ」というのが、不動産事業の基本的な考え方です。仲介業者を介さずエンドユーザーと直接つながることで、広告費をかけずに信頼を積み上げてきました。本業でしっかり収益を上げているからこそ、社会的に意味のある場所には惜しまずリソースを使う。それが当社のスタンスです。

弊社の事業の詳細についてはこちらをご覧ください。
https://minoriholdings.jp

「社長の履歴書」の読者には経営者の方も多くいらっしゃいます。同じ経営者として、伝えておきたいことはありますか?

「やる前から無理だと言うな」――これが、周りの経営者によく言っていることです。

業界の常識や先入観って、思っている以上に視野を狭めるんですよね。当社は福祉から始まった不動産屋なので、最初から「なぜみんな同じやり方をするんだろう?」という疑問がありました。同じ土俵で戦えば、資金力のある大手には勝てない。無理に追いかければどこかで歪みが出て、結局お客様のためにもならない。

僕はずっと、道徳と経済は両輪だと思っています。「道徳のない経済は犯罪だが、経済のない道徳は寝言だ」という言葉を聞いて、すごく腑に落ちました。きれいごとだけでは人を助けられない。ちゃんと儲けるから、恩返しができる。だからこそ、しっかり稼ぐことを大切にしています。

では、中小企業はどう生き残るか。僕が答えだと思っているのは、「地域の小さなお困りごとを解決すること」です。以前、お墓参りで立ち寄った大きなお寺の住職さんが、「小さなお困りごとを一つひとつ解決していったら、気づけば大きくなっていた」とおっしゃっていて、本当にそうだなと。当社もまさにそうでした。最初は利益にならないことばかりでしたが、それが積み重なって今の商売につながっています。

「そんなことで本当に商売になるの?」と思う方も多いと思います。でも、考えているだけではわかりません。やってみて初めてわかる。だからまず、小さな一歩を踏み出してみてほしいのです。社会貢献でも地域貢献でも、小さなことで構いません。

もう一つ、特に若い経営者に伝えたいのが「時差」の話です。善いことをしても、すぐには返ってきません。5年、10年というスパンで、じわじわと返ってくるものです。それを「あの人は運がいい」と言う人もいますが、僕は運じゃないと思っています。人柄や思いを持ってやり続けてきた結果が、時間差で戻ってきているだけです。だから、続けることが何より大事。

当社が「組織がまとまっている」と言っていただけるのも、最初からそういう文化を大切にしてきたからです。もっとも、最初は理想だけで突っ走って、ひどい目にも遭いましたけどね(笑)。

ここからは駕屋社長ご自身のことについてお伺いします。社会人になる前、学生時代に熱中していたことや一生懸命取り組んでいたことはありますか?

正直に言うと、これといったものはないんですよ。部活は嫌いで、みんなでわちゃわちゃするのも苦手。家でひたすらテレビゲームをしているような学生でした。

ただ、アルバイトだけはとにかくやっていましたね。肉屋、スーパー、引っ越し、コンサートの警備員、交通量調査……声がかかったものは何でも受けて、いろんなバイトをかけもちしていました。

理由はシンプルで、家があまり裕福ではなかったので、お小遣いがもらえなかったんです。ゲームのソフトも服も、全部自分で稼いで買うしかなかった。だから高校生の頃からずっと、学校とアルバイトの往復でした。

正直、大人になるのが嫌でしたね。「社会人になったら毎日働くのか」と思っていました。なりたい職業も特になかったんですが、唯一「やってみたい」と思っていたのが設計の仕事でした。

ただ、設計会社への就職はなかなか難しくて、頭のいい人でないと採ってもらえない。そこで思いついたのが、アルバイトから入り込む作戦です。ちょうど日本最大級の設計会社・パシフィックコンサルタンツの中国支社でアルバイトを募集していたので、そこに応募しました。

配属されたのはクセの強い上司のもとでしたが(笑)、僕の取り柄は「とにかく一生懸命やること」だけだったので、時間も曜日も内容も関係なく、ひたすら働きました。いろんなバイト先でも「社員にならないか」と声をかけてもらっていたんですが、ここでもついにその言葉をもらったときは、「来た!」と思いましたね。こうして念願の設計会社で正社員になることができました。

設計会社での勤務を経て、現在のMINORI Group Holdings株式会社を立ち上げるまでの経緯を教えてください

設計会社で正社員になったはいいものの、ビルの中にこもりっきりで昼も夜もわからないような毎日でした。終電で帰る生活が続いて、「これを一生やるのか」と、だんだん疑問を感じるようになっていったんです。

仕事の内容も、砂防ダムの設計をひたすら繰り返すような感じで、マンネリを感じていました。「もっと外に出て、自分でコントロールできる仕事がしたい」という気持ちが強くなっていった時期です。

そんなある日、コンビニで立ち読みをしている友人に偶然会いまして。「何してるの?」と聞いたら、介護タクシーの仕事をしていると言うんです。なんか楽しそうだなと思って。ちょうどそのときは29歳だったので、「1年やってダメだったらまた転職すればいい」と思い切って福祉の世界に飛び込みました。

介護タクシーに特別な思い入れがあったわけではないんですよ。とにかく外に出て働きたかった。おじいちゃん、おばあちゃんが好きだったこともあって、介護タクシーに決めました。働いた分だけ収入になる、自分でコントロールできる仕事をしたかったんだと思います。

いざ始めてみると、一生懸命やるのが性分なので、ヘルパーや施設勤務も経験しながらどんどん吸収していって、気づけば所属する会社の役員になっていました。

ただ、役員になった頃から、会社の方針と自分の考え方のズレが大きくなっていきました。僕はずっと「職員ファースト」を大切にしたかったのですが、その部分で当時の社長の方針とは合わないところがあって、社内がギクシャクしていったんです。

このままではまずいと思い、思い切って社長に直談判しました。「私が社長をやりましょうか?」と。今思えばずいぶん大胆な発言ですよね(笑)。その社長には「乗っ取る気か?」と言われてしまったので、「そんな気は全くないので、では辞めます」ということになり、2013年に独立して「株式会社ゆたか」を立ち上げました。

「職員ファーストを絶対に貫いてみせる」という思いだけで始めた会社です。当時は経営のことなどよくわからず、理想だけで突っ走っていましたが、それが今のMINORI Group Holdingsの原点になっています。

株式会社ゆたかを立ち上げて以降、どのような苦労がありましたか?また、それをどう乗り越えられたのでしょうか

夢と希望を持って独立したはいいものの、現実はそんなに甘くなかったですね。知名度がないので売上が全然立たなくて、みるみるうちにお金がなくなっていきました。銀行から借りても追いつかず、毎月お金が溶けていくような状態が続きました。

それでも必死に売上を追いかけて、なんとか少しずつ上向いてきました。「よし、ここから」と思って設備投資にも踏み切ったんですが、そこに西日本豪雨災害が直撃したんです。3〜4か月間、収入がほぼゼロになりました。設備投資をしていたので銀行にも頼れず、カードローンも使い果たして、家賃も払えない、ご飯も食べられない状態に。家にまで取り立てが来るようになって、本当にしんどかったですね。

もう会社を畳もうかと思っていたときに、古くからいてくれた従業員3人が、個人で合わせて800万円を持ってきてくれたんです。親から借りてきた、自分でカードローンを組んできたと言って。「この会社は絶対に良くなる。社長なら大丈夫」と。根拠を聞いてもやっぱり「社長なら大丈夫」の一点張りで(笑)。それで、もう一度踏ん張ることができました。

そして、気持ちを立て直した頃に出会ったのが、Amazon創業者ジェフ・ベゾスの言葉です。「うまくいかない理由は全部あなた自身にある。あなたはもうその理由を知っているはずだ。ただ見ないようにして、心の奥にしまい込んでいるだけだ。その箱を開ける勇気を持ちなさい。答えはそこにある」という内容でした。

これがズバッと刺さりました。「自分に足りないものは何か」と考えたときに、気づいたんです。療育を提供している会社の社長なのに、療育について全然勉強していなかった、と。ラーメン屋の社長がラーメンにこだわりがなければ売れないのと同じですよね。

そこから、倒産しそうな状況の中で、療育について必死に勉強しました。感覚統合や神経学、心理学、保育論や脳機能など、ありとあらゆる本を買い込んで部屋にこもって読み始めました。職員からは「社長、気でも狂ったんじゃないか」と思われていたようですが(笑)。その知識をもとに、自分なりに研修資料を作って職員に教えていったら、これが思いのほか効果的だったんです。

専門家ではなく素人の僕が教えるので、逆に内容がシンプルでわかりやすかったんだと思います。「この子が暴れるのはこういう理由だから」「この支援にはこういう意味がある」と伝えていくうちに、職員みんなが仕事の意味を理解して、同じ方向を向いて動けるようになっていきました。職員が元気になると、子供たちも「また来たい」と言ってくれるようになって、口コミで利用者さんも増えていきました。

この経験から学んだのは、「自分が見ないようにしていること、つまりブラックボックスの中にこそ答えがある」ということです。僕の場合は勉強がそれでしたが、誰にでも「わかっているけどやっていない」ことがあると思うんですよね。その箱を開ける勇気を持つことが、壁を突破する一番の近道だと今も思っています。

今後、会社としてやっていきたいこと、駕屋社長ご自身が目指していることを教えてください

まず事業としては、しっかり規模を拡大していきたいですね。今は売上が6〜7億円規模ですが、これが20億、30億、50億となっていけば、できることの選択肢がぐっと広がります。規模が大きくなるほど、やりたいことが実現しやすくなると思っています。

では、その先に何をやりたいかというと、地域貢献・社会貢献です。特に子供たちにフォーカスしていきたい。子供たちが将来に夢や希望を持てるような教育や環境を作っていきたいんです。

僕は日本という国が大好きで、この治安の良さや豊かな文化をちゃんと守っていきたいという思いがあります。極端な話をすると、広島の山がすべてメガソーラーにされてしまうくらいなら山を全部買います! というくらいの気持ちです。それほど、地域の風土や自然を大切に思っています。

具体的にやりたいことはいくつかあって、地元の音楽団がいつでも練習できるようなコンサートホールを作りたいとか、農家さんを支援して一緒に農業の出口を考えたいとか、学校に行って子供たちに将来の話をしたいとか。小さなことから一つひとつ積み上げていきたいと思っています。

また、福祉の現場にいると「人間みな平等」と言うだけでは限界があると痛感するんですよね。だから、障害のある子供たちにも、修学旅行、恋愛、受験、アルバイト――そういった青春の「当たり前」に近い体験ができる選択肢を作っていきたい。これを僕らは「文化形成」と呼んでいて、障害児福祉の大きな目標として掲げています。

根底にあるのは、「日本が好き、守っていきたい」というシンプルな思いです。未来を担う若い子たちが苦労しないように、大人にできることがあるはずだと思っています。当社には不動産もあるし、タダ同然で引き取った物件だってある。そういったものを若い世代のために使っていくのが、大人としての役割じゃないかと思っています。

最後に、経営者の方におすすめしたい本があればぜひ教えてください

二宮翁夜話』ですね。これは僕のバイブルと言ってもいいくらいの一冊です。

二宮尊徳といえば薪を背負って本を読む銅像のイメージが強いと思いますが、実は江戸時代に各地の財政再建を手がけた、いわばコンサルタントのような人物です。この本はその教えをまとめたもので、とにかく随所で怒っているんですよ(笑)。「部下が言うことを聞かないんですがどうすればいいですか」と相談されると、「お前、昨日酔っぱらって道端で寝てたじゃないか。そんなやつの言うことを誰が聞くんだ」と一喝する。読んでいると、自分が怒られているような気持ちになります。

社長になると、怒ってくれる人がいなくなるんですよね。だからこそ、この本を読んで自分を戒めるようにしています。

特に参考になったのが「中庸」と「分度・推譲」という2つの考え方です。

「中庸」というのは、やりすぎでもなく、やらなさすぎでもない、ちょうどいいバランスを保つことです。経営者って白黒つけたくなりがちなんですが、大勢の職員と向き合っていると、正論だけでは通らない場面がたくさんあります。そういうときに「中庸」という視点がすごく役に立つんです。

「分度・推譲」というのは、自分の収入や時間の範囲内で暮らして、余ったものを自分の将来や人のために使いなさいという教えです。面白いのが「率で守れ」という考え方で、収入が増えればその分使っていい、ただし割合を守れと言うんです。これは経営にも直結していて、人件費率や家賃比率など、会社が大きくなっても率でコントロールすることの大切さを教えてくれます。

また、「推譲」には「自譲」と「他譲」の2種類があります。「自譲」は将来の自分に譲ること――勉強する、資格を取る、本を読むといったことです。「他譲」は人に譲ること――経験を語る、相談にのるといったことも含まれます。人のために何かをしているつもりが、結局は自分のためになっている。この本にはそういう気づきがたくさん詰まっています。

経営者の方にはぜひ読んでほしい一冊です。本の中で怒られながら、自分を見つめ直してみてください。

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『社長の履歴書』編集部
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企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。

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