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アルゼンチンタンゴダンサー・女優 夏美れい氏

今回はアルゼンチンタンゴダンサー・女優 夏美れい氏にお話を伺ってきました。

シャンパーニュデイ企画の一つ「シャンパーニュで乾杯!プロジェクト」のミューズを務める夏美氏を深掘りした「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

 

 

企画名 シャンパーニュで乾杯!プロジェクト
ミューズ 夏美れい
CHAMPAGNEDAY 毎年10月第4週金曜日(2022年は10月28日)
企画HP https://sss-yokohama.com/contents/31505/

 

 

現在のお仕事について教えてください

表現者、パフォーマーとして、そしてシュヴァリエとしての活動が私のライフワークです。

アルゼンチンタンゴダンサーや女優としてのお仕事はコロナ禍で大打撃を受けました。しかし、以前と変わらず踊りの楽しさを伝え、観てくださった方の明日への活力となることを願ってパフォーマンスを行っています。踊りだけでなく、演劇でも同じように熱意を持って活動しています。

 

また、シュヴァリエとしての活動もライフワークの1つになりつつあります。

詳しくはこの後お話しさせていただきますが、結婚を機に、大学時代から学んでいたフランス語をブラッシュアップしたことで、フランス大使公邸等で行われるシャンパーニュイベント等の司会やシャンパーニュのナビゲーター的な仕事もするようになりました。

その後、元々のシャンパーニュ好きが加味され、光栄なことに2019年にシュヴァリエを叙任致しました。これがきっかけとなり、今回のシャンパーニュデイ企画の一つ「シャンパーニュで乾杯!プロジェクト」のミューズを務めることに繋がっています。

 

学生時代からの経歴について教えてください

大学時代、スカウトでモデルプロダクションに所属し、華やかな仕事をするようになりました。

勉強も好きでしたが、どこか自分の居場所が見つからずにいる私に、その頃社交ダンスに夢中になっていた母が言った「音感とリズム感があるのだからダンスをやってみては?」の一言が、私の人生の大きな転機となります。

なぜ母がその言葉を発したのか? を説明するにあたり、どうしても私の幼少時代を語る必要があります。
幼稚園からヤマハ音楽教室ジュニア専門コースで、ソルフェージュや作曲・編曲等について学び、楽器はピアノを中心にエレクトーンやシンセサイザー、ティンパニ等、そして小中学校ではブラスバンド部でアルトホルンとサクソフォンを担当と、まさに音楽漬けの幼少時代でした。
とはいえ私はお喋りで、個人レッスンでは「今日のレッスンは1時間中50分は話してた」とよく母に呆れられましたけれど…笑

話が逸れましたが、私は特に作曲が得意で、専門コースでは必須だったJOC(ジュニアオリジナルコンサート)への出場では毎年成績が良く全国大会にも選ばれ、その後は当然ながら音高音大へ進み将来は音楽家になるだろう、というレールに乗っていました。

ところが、大きな怪我が原因で一年間ピアノが弾けなくなってしまいました。

ピアノを再開した後、思うように動かない指にすっかり自信を無くした私は、第一線で活躍する道からは外れたな、と子どもながらに思いました。

その後も高校の合唱コンクール(合唱コンクールで有名な高校でした)の為の曲を作ったりと作曲は続けていたものの、完全に趣味の世界となっていました。しかし、この時期までのクラシックピアノの経験が、私の人生の“核”となったことは間違いありません。そこで冒頭の母の言葉に繋がります。

ヨーロッパ社交界に憧れる私に社交ダンスのスタンダード部門(ワルツ等)を習わせようと、母は私をダンス教室へ連れていきました。

ところが私の目を奪ったのはその隣で踊っているラテンダンスでした。本能的にそれに反応したのだと思います。

それまで一度も踊りを習ったことの無かった私が、“意外と踊れる”ことに私自身が1番驚きました。それからの私は社交ダンスのラテン、サルサ、サンバと中南米の踊りを次々に習い、夢中になって踊り、世界大会やショーに出るようになりました。ダンスの衣装にもお金が掛かるので、モデルの仕事は続けていましたね。

実はこの間、私は人並みに就職活動をします。母がキャリアウーマンになることを私に望んでいましたし、私自身もそれも格好いいなと思っていたからです。

就職氷河期でしたが、私は興味のない会社に入るのは会社に対して失礼だと思い、かねてより憧れていた2社だけ受けたところ、内1社に就職が決まりました。フランスの企業で、その年の採用は1名でした。
大学の単位を3年で取り終え、一年間はヨーロッパ留学をして、帰国したら仕事しようと思っていたのですが、内定先の企業より出来るだけ早く入って下さいとの連絡が来て、私は大学4年の時期に、所謂試用期間として3ヶ月働きます。

そこでまさかの頓挫をします。合わなかった、と言ってしまえば簡単ですが、お恥ずかしいことに、人生でこんなに辛い経験をしたことがなかったのです。実際の仕事場は、苦手なことが全て詰まっている場所でした。
結局就職せずに元の世界へ戻りました。

20代後半の頃、当時所属していた事務所と関連のある芸能プロダクションへ移籍します。「芝居に興味があるか?」と聞かれ、「はい」と答えました。表現することが好きだったので自然とやってみようと思いました。そこから一年、演劇のレッスンと並行し、ここで何と日本舞踊を始めます。なぜかというと、偶々縁があって移ったプロダクションの社長が、「日本舞踊が踊れない女優は日本の女優ではない」と言う考え方だったからです。

そしてテレビ時代劇でデビューをし、その後は舞台を中心に時代劇・現代劇・ミュージカルと女優の仕事が中心となります。

ですが、私の踊りへの情熱は尽きることはありませんでした。

 

アルゼンチンタンゴダンサーとして活動することになった経緯について教えてください

明治座「黒革の手帖」への出演を機にアルゼンチンタンゴをスタートしました。

女優の仕事が楽しかったのでプロになる気はなかったのですが、当時タンゴ界でプロを育てるコースを主催していた先生から「週三回、世界チャンピオン及びそのレベルのダンサーが教える一年間のコースでやってみないか?」と声がかかりました。

実はこのオファーにはかなり迷いました。

理由としては、私はこれまでほとんどのラテンダンスを踊ってきてタンゴにも興味はあったものの、大人の踊りと言うイメージがあったので、アルゼンチンタンゴは40を過ぎてやろう! と決めていたからです。それでもやはり血が騒ぎコースへ入りました。

1年後、卒業した私に、アジアチャンピオンの男性とショーに出演する話が舞い込んできました。既に別ジャンルながらも場数を踏んで来た私に躊躇はありませんでした。ただ、相手も最初はお試しのつもりだったと思いますし、女優として舞台には時々出演し続けていたのですが、気がついたら肩書がアルゼンチンタンゴダンサーになっていました。

 

夏美様の人生で結婚も大きな転機の1つだったとお伺いしています。ぜひエピソードをお聞かせください!

今年(2022年4月)で結婚10周年を迎えました。

アルゼンチンタンゴをメインに活動する中、同じく“踊り”に並々ならぬ情熱を持つ夫に出会い、結婚をします。職業ではありませんが、3度の世界大会(アジア代表として)への出場経験を持つ正真正銘の“ダンサー”でした。私の仕事への理解もそこから来ています。

フランス国籍の夫との結婚は、仕事の一環で日本でフランス料理の普及に尽力してきた父と、パン作りの名人で20年近くフランス料理のレストランを切り盛りしてきた母を持つ私にとっては、ごくごく自然なことだったように思います。ですが、私がもし音楽の道へ進み、ダンサーにならなければ、出逢う事もなかったと思うと、運命ってとても不思議ですね。

結婚後は家庭を第一に考え、タンゴを踊りながら夫のサポートを楽しんでいました。

そんなある日、私がアルゼンチンタンゴを踊っている姿を見たフランス人の映画監督から出演依頼が届きました。

「いつかフランス語で芝居をしてみたい」と時々夫に語っていた私にとって、早過ぎるくらいのタイミングでした。

これを機に、同監督の2本のショートムービーと、此方は小さな役ながら現在公開を控えている1本のロングムービーに出演し、内一本の短編映画はパリのムービーアワードでグランプリを受賞することも出来ました。

2018年に、パリで1年を通して開催された「ジャポニスム2018」ではファッションショーの中で日本舞踊を披露する機会に恵まれました。
国際結婚をしたことで“日本人の誇り”を海外に対してもっと発信したいと思うようになっていたので、パリで、フランスの家族の前で踊れたと言うことがとても嬉しかったです。

実は、私の日本舞踊名は“花柳みれいゆ”ですが、名取名をつけるにあたり、私の芸名である“れい“を使うことは決めていたものの、“師匠のお名前から1文字以上を頂く”という決まりがあるため、組み合わせは無数にあり悩んでいました。

そんな時に、夫がMireille(みれいゆ)というフランス人女性の名前がある。先生の“み”と“ゆ”を頂けばフランス人にも覚えやすい名前になると。また、それならば漢字は何にしようと考える私に、平仮名は日本固有のもの、ひらがな表記がいい、と提案をしてくれました。

こうして私の日本舞踊名は生まれました。結果、先生のお名前に私の名前が挟まれ、“先生に守られている”お名前となったのも何かの巡り合わせかと思います。

結婚してフランスとの縁がより強くなっている気が致します。
2つの文化の中で生きるのは新たな気づきも多く、なかなか楽しいものですよ♡

 

今までで一番印象に残っているお仕事について教えてください

役者としての初舞台ですね。

名古屋の御園座で、忠臣蔵のお話で私は腰元の役を演じました。一年前までレースクイーンやキャンペーンガールの仕事をしながらラテンダンスに夢中になっていた私が、着物に身を包み時代劇を演じているとは、自分の人生ながら面白いな、と何となくシュールな気持ちになったのを覚えています。

 

そのお仕事をして気づいたこと、学んだことなどはありますか?

幼稚園児の頃、母がバレエを習わせたくてバレエ教室へ連れていくと向かいのピアノ教室にしか興味を示さず、そこから私は音楽の道へと進みました。

高校生の頃、母が自身の着物を着せたくて茶道教室へ通わせますが、行ってきま〜す!と出て行き、お稽古が嫌で嫌で公園でお菓子を食べて帰る日々。

大学生の頃、ヨーロッパ社交界に憧れる私に社交ダンスのスタンダード部門(ワルツ等)を習いに行かせ、国際的なキャリアウーマンになることを望んだつもりが、ラテンダンサーに。

ことごとく母の期待を裏切ってきた私が、時代劇を演じる為に習得した日本舞踊で、ようやく着物を着る機会を得るようになりました。少しは母を喜ばせられたかな(笑)と思った瞬間でした。

かたや父はどうだったかと言うと、Que Será, Será(ケセラセラ)が信条の人で、今でもそうですが、いつどんな時も“あるがまま”を受け入れて、後押しと言いますか一緒に楽しんでくれていたように思います。

日本舞踊に興味があったかと言うと無かったと思います。ただ、「ラテンダンスは踊れるのに日本舞踊が踊れない」という現実がダンサーとして悔しかったのでしょう。

その後、名取を取り今も舞台で踊っていますが、意地で続けて来た様な気が致します。

現在、私はフリーで活動していますが、日本舞踊は当時ご紹介いただいた師匠にそのまま習っております。今年で17年になりますが、生来のサボり癖が時々でて、正味は5年くらいかもしれません。

先生御免なさい(笑)…

それでもやはり“継続は力なり”で、来年、思い入れのある国立劇場の建て替え前にももう一度舞台に立つ予定がございますが、少しは気持ち良く踊れる瞬間が出て来たかな♪と感じてはいます。

話を戻しますと、何か”日本人ならではの表現を持ちたい“という意識が芽生えたのもこの初舞台がきっかけでした。

 

踊りを通して学んだことはありますか?

タンゴ界で有名な巨匠に「日本舞踊とアルゼンチンタンゴ」は似ていると言われたことがあります。最初はその言葉の意味がわかりませんでしたが、長年踊っているうちに、「静の中に動があり、動の中に静がある」という、身体の動きと表現の関係性に共通点があることに気がつきました。
また、ペアダンスは結婚に通ずると感じています。なぜなら、リフトなど、一人では絶対にできないことを、相手と呼吸を合わすことで可能にするからです。
感覚的な話になってしまいますが、踊っているときは万物と繋がっている感覚や何にも縛られない自由な感覚を得ることができます。
ぜひみなさんも興味のある踊りに挑戦してみてください!

お仕事をする上での信念を教えてください

「心で踊る」「心で演じる」内側から湧き上がる感情で表現をすることです。あとは「一期一会」、その時その瞬間そこに居る人が再び同じ条件で集まることはありません。ですから「場」全体の調和・ハーモニーを心と体で奏でるべく神経を研ぎ澄まします。
踊りは抽象的なものであり、人間誰しもある喜怒哀楽を表現しているからこそ響くものがあると思っています。ステージを観て下さった方の、またこの記事を読んで下さった方の人生の一部と私の人生の一部が何かしらでリンクし、素敵な化学反応が起これば表現者としてこんなに嬉しい事はありません。

 

シャンパーニュについて教えてください

フランス・シャンパーニュ地方の特定の地域、特定のブドウ品種を使った「メトード・シャンプノワーズ」(シャンパーニュ製法)と呼ばれる伝統的な製法により作られた発泡性ワインをシャンパーニュといいます。それ以外の発泡性ワインを、シャンパーニュと呼ぶことは出来ません。
シャンパーニュには、エチケットとして必ず”Champagne”と表記することが義務付けられており、ラベルの下部には必ずシャンパーニュ委員会が交付した業者登録番号が記されています。

また、シャンパーニュはお祝い事にとっておきのお酒です。私自身も結婚記念日や誕生日などのお祝いには必ずシャンパーニュを開けます。ボトルを開け、グラスに注ぎ、大切な人達と幸せな時間を共有しているときがとっても幸せです。もちろん、人生の節目だけでなく、日常であった幸せな出来事や、自分へのご褒美などでもシャンパーニュを飲んでください!

そして、フランスでは乾杯を Santé !(サンテ)、正式には À votre santé ! (ア ヴォートル サンテ)と言い、「あなたの健康のために」という意味があります。グラスを合わせる際は、ぜひお相手の目を見て笑顔で乾杯してくださると嬉しいです。

 

シャンパーニュ騎士団シュヴァリエとしてどのようなご活動をされていらっしゃいますか?

シュヴァリエ叙任とは、シャンパーニュの普及や発展に寄与した活動を表彰するために、シャンパーニュ騎士団が認定するものです。

当然ながらその後も騎士団が掲げている活動、「シャンパーニュの付加価値を高める目的と、シャンパーニュの持つ独自性を広く知らしめること」をサポートし、シャンパーニュの魅力を多くの人々に伝えてゆく使命があります。

シャンパーニュ委員会は、原産地統制名称の国際的保護=「シャンパーニュ産 スパークリングワインだけがシャンパーニュ」をミッションとしていますが、「シャンパーニュとは何か?」を正しく伝えることも我々の任務であると思っています。
決まった活動がある訳ではないので活動内容は様々ですが、私は、まずはシンプルにシャンパーニュの美味しさ、そしてそれを飲むひと時の幸福感を味わって頂くきっかけ作りに注力しています。

 

シャンパーニュデイについて教えてください

毎年10月第 4 週金曜日の#CHAMPAGNEDAY (今年は 10 月 28 日(金))は、もともとはカリフォルニア在住のブロガーでワインセミナー講師「クリス・オゲンフュス氏」により発案されました。

数年前よりシャンパーニュ委員会が公式イベント化し、世界中で年々参加者が増え、いまでは#CHAMPAGNEDAY はシャンパーニュ 愛好家のための世界共通イベントとなっています。

今回シャンパーニュデイを盛り上げる企画の1つとして立ち上げられた「シャンパーニュで乾杯!プロジェクト」ですが、多くの素敵な企業様から応援を頂いております。
日頃からシャンパーニュを愛飲していらっしゃる方も、今回もしこの記事で初めて聞いた! と言う方も、ぜひお気軽に乾杯写真をご投稿頂き、素敵な賞品をゲットして頂きたいと思います♡

「シャンパーニュで乾杯!コンテスト」概要<応募要項>はこちら↓↓

https://sss-yokohama.com/contents/31505/

 

読者へのメッセージ

どこでどうなって今此処に居るんだっけ? というくらい私自身の人生も色々ありました。

それでも振り返ってみれば、まさにスティーブ・ジョブス氏の有名な言葉「Connecting The Dots(点と点をつなぐ)」全ては運命的に繋がっていると感じます。将来のことをあれこれ考えるよりも、今やりたいことに全力を傾けることで未来が作られていくと信じています。

人との出会いを大切にすることで、出会いが出会いを生み、乾杯がまた新たな乾杯を呼び込む、そんな風に思います。

今後のご展望を教えてください

特にフランス映画に興味がありますし、ご縁に恵まれた仕事は一生懸命取り組ませて頂きつつも、ベースとしてはライブでのパフォーマンスにやはり重きを置いていきたいという思いがあり、既に私の持ち味であるタンゴと日舞を掛け合わせたステージは実施してきていますが、他にも他ジャンル(私のジャンル以外の)とのコラボ企画もあるので楽しみにしていて頂ければ幸いです。
また、今後は出演のみならず、企画・構成・演出や振付等、総合的に創作活動をして行きたいと思っており、夢は膨らむばかりです。

そのうち、また曲作りもしてステージに取り入れたいな、などという野望もあります。実は夫もピアノを弾くので、コロナ禍に連弾の曲を作り(完成していませんが)2人で弾いたのも楽しかったので、これはプライベートな会で近々披露してみようかな♪と思っています

 

経営者におすすめする書籍

Eckhart Tolle氏の『The Power of Now 』です。日本語版も出ていますが英語で読める方は著者の伝えたいことがダイレクトに伝わるので原文をお勧めします。
最後に“何者でもない自分”が残り身体がすっと軽くなります。踊っている時は“今”しかありません。また、シャンパーニュで乾杯!をする瞬間も“今”に集中する幸福感に包まれます。経営者の皆様は物質的な成功を求められるからこそ読んで頂きたい1冊です(どういうスタンスでそれを追求するかのヒントがあります)。果てしない“自由”をきっと皆さまにも体感頂けると信じています。

Eckhart Tolle is emerging as one of today’s most inspiring teachers. In The Power of Now, already a word-of-mouth bestseller in Canada, the author describes his transition from despair to self-realization soon after his 29th birthday. Tolle took another ten years to understand this transformation, during which time he evolved a philosophy that has parallels in Buddhism, relaxation techniques, and meditation theory but is also eminently practical. In The Power of Now he shows readers how to recognize themselves as the creators of their own pain, and how to have a pain-free existence by living fully in the present. Accessing the deepest self, the true self, can be learned, he says, by freeing ourselves from the conflicting, unreasonable demands of the mind and living present, fully, and intensely, in the Now.

【AmazonURL】

https://www.amazon.co.jp/dp/1577311523/

投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
『社長の履歴書』編集部
新入社員を含めたフレッシュなメンバーを中心に、出版サポートの傍らインタビューを行っております!

就活生に近い目線を持ちつつ様々な業種の方との交流を活かし、「社長に聞きたい」ポイントを深掘りしていきます。

代表者様のキャリアを通して、組織の魅力が伝わる記事を発信していけるよう、これからも一生懸命運営してまいります!