今回は株式会社ネクストインターナショナル代表、髙旗泰寿氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
会社名称 | 株式会社ネクストインターナショナル |
代表者 | 髙旗泰寿 |
設立 | 平成11年2月 |
主な事業 | 輸入品全般・ギフト・景品・家電・総合ベンチャービジネス |
社員数 | 10名(取材時) |
会社所在地 | 〒369-1872 埼玉県秩父市上影森824-2 |
会社HP | http://nx-inter.com/ |
事業内容を教えてください
株式会社ネクストインターナショナルはノベルティグッズの卸を行っています。企業様のノベルティ景品や商品を輸入しており、主なお客様は広告代理店です。他には新型コロナウイルスの拡大で除菌グッズを輸入して薬局やホームセンターに卸していました。グループ全体では建築や飲食業務も行っています。
株式会社ネクストインターナショナルの強みを教えてください
当社の強みは、日本最安値で商品を仕入れていることと、手に入りにくいものでも調達できる体制があることです。
まず、日本最安値での商品を仕入れについてですが、例えば一般の小売店ですと、アルコール検知器は大体3000円ほどで売られていますが、当社では590円で販売しています。またボールペンは1本9円~販売しており、年間2,000万本輸入しているので日本人の6人に1人は当社のボールペンをどこかでもらっていると思います。
ボールペン以外にも様々な商品を販売しておりますので、雑誌の付録やホテルの備品などで当社の製品を使われている方は多くいらっしゃると思います。
また、大型注文だけでなく、1本からでも購入することができるのも当社の特徴の一つです。
その他の強みとしては、中々手に入りにくいものを販売することができる体制を整えていることでしょうか。
具体的な例を挙げると、新型コロナウイルスが始まった頃、マスクや除菌系グッズが手に入りにくい時期がありましたが、当社ではそれらを輸入し、必要としているところへ届けることができました。
最近力をいれている商品はありますか?
最近始めたのがオーダーメードウエディングドレスが9800円~できるものです。ドレスと合わせて、持ち出し0円で結婚式から新婚旅行が可能なプランも作りました。
なぜこのプランを作ったかというと、お金がなくて結婚式を諦める人がいない世の中にしていきたいと考えたからです。
最近は結婚式を上げたくても費用が高くて諦めてしまう人が多いと聞きます。私は折角の晴れの日をお金を理由に諦めてほしくないと思い、結婚式+新婚旅行にかかる全ての費用を60万円(ゲストの会費1万円×60名)で叶えられるプランを作りました。
このプランでは、新郎新婦の負担だけでなく、ご祝儀の負担も減らすことで、ゲストも負担なく楽しむことができます。
昔は自宅で結婚式していましたが、バブル頃からホテルなどで行う盛大な結婚式が流行り出し、現在ではそれが主流となっています。お金がないから結婚できないのは日本だけですよね。当社のプランを広めて、日本の結婚式を変えていきたいです。
ノベルティの仕事の面白さはなんでしょうか?
当社の社員は自分の仕事の成果物が手の届くところに並ぶことが、やりがいになっていると言っています。例えばコンビニの雑誌に自分が担当した景品が入っているので、モチベーションに繋がりやすいですよね。また景品や商品によってはプレミアが付くものがあります。アーティストのCDの付録や野球団のグッズがフリマアプリでとんでもない高額で売られているのを見ると自分達が行っている商売は面白いな、と思います。
学生時代に熱中したことはなんですか?
バックパッカーとして海外を巡っていました。1983年ごろに中国、モロッコやエジプトなどの北アフリカ、アメリカ、ヨーロッパを友人と2人で旅しました。当時はインターネットもない時代で、連絡がどこにも取れない状態です。例えば中国から電話かけるとしても、半日待って電話かける時代でした。バックパッカーは一泊1500円ほどのユースホテルやYMCAに泊まって情報交換をしていました。道中、日本人として初めてルクセンブルクで日本食のレストランをオープンする方に出会い、映画「カサブランカ」の舞台になったモロッコにあるバーを紹介されて実際に行きました。出会った人の紹介やおすすめを聞きながらの旅はとても思い出に残っています。当時は情報が少ないので着いた国の通貨が何かも知らないですし、クレジットカードも日本人で持っている人はいない時代でしたね。今よりも危ないことが多い時代にバックパッカーをしたので、精神的にも体力的にも鍛えられました。
事業を始めたきっかけについて教えてください
嘘偽りなく申しますと、お金が欲しかったからです。学生時代は親からの5万円の仕送りと自分のアルバイト代5万円でなんとかやりくりしていましたが、それでも生活が厳しかったのでパーティービジネスを始めました。それが以外にも儲かり、自分のアイデアを実現させて、収益化させる経験を積みました。
大学3年時に起業し、大学を卒業後はどこにも就職せず社長業をしています。実を言うと、アルバイトの面接以外に履歴書を書いたことがないんですよね・・・。
ビジネスの才能を学生時代からお持ちだったんですね。具体的に学生時代はどのようなビジネスをされていたのでしょうか?
起業する前に学生を集めたパーティーでお金を稼いでいました。「マハラジャ六本木」というディスコでイベントをそのお店の営業時間外に開催して約80万円ほど利益を出しました。居酒屋でもバイトをしていましたが、当時の時給が600円だったので1ヶ月居酒屋で働いてもパーティーの方が圧倒的に稼げていましたね。 そのパーティーで景品やノベルティグッズを作っていたのが今の会社の前身です。
他にはバスを貸し切ってスキーツアーを作って、安く販売していました。初心者が始めやすいようにホテルやスキー道具のレンタル代を抑えていました。安い代わりに現地で一人5000円のパーティーを開催したり、スキー教室をしたりして利益を出していました。
お金を貯めて21歳で起業し、初年度は居酒屋、次の年に貿易業を開始しました。その後に建築・不動産と規模を拡大して現在は11社あります。
経営をしてきて今までで一番大変だったことはなんですか?
一番苦労したことは中国でのビジネスです。1985年に中国に現地法人を設立して、日本向けに全ての商品を検品する工場を作りました。しかし、現地の担当者がお金を使い込みしていたり、持ち逃げしたりと色々な事件はありましたね。ですが、もう40年以上中国人と付き合っているので、中国人の考え方がわかってきました。
中国人は怒る時は怒り、笑う時は笑う、とてもストレートな性格です。また、中国人は「できない」と言うのが恥ずかしいと感じる国民性です。
そのため、依頼をしたときの日程が実際は無理でもそう言わずに「できる、問題ない」と言い、結果的に納期を過ぎてしまうことがあります。
貿易の仕事をして分かったことは、現地の国民性を大切にした仕事の進め方を理解することが成功の鍵であるということです。特に中国は広いので北京の人、広州の人、上海の人、福建省の人では性格や顔が変わります。日本でも沖縄の人と北海道の人では性格や顔が違いますよね。現地の考え方や文化を重んじることが、良いビジネスに繋がります。
困難はどうやって乗り越えてきたんですか?
ポジティブな性格が大切だと思います。社長業は裏切りや予期せぬことが必ず起きるので、ネガティブでは乗り越えられません。特に創業社長はポジティブな人が多いと思います。
今後の展望を教えてください
これまで全社黒字なので、これからも継続して黒字が作れる会社であり続けてていきたいです。基本的に固定費をかけずに無理せず経営していることもあり、おかげさまで創業以来黒字が続いています。
現在11社中8社は無借金で手堅いビジネスをしているので新しい領域にもチャレンジしたいです。今はなんでもかんでも私がやっていますが、これからは次世代が活躍できるビジネスをやっていきたいです。また、私はあと3年で60歳になるので、そろそろ第一線から離れて全体を見れるようになっていきたいです。
経営者におすすめする本はありますか?
経営の本などはあまり読みませんが、基本的に歴史書を読みます。
最近『Alevel』に関東地区の優良企業として掲載されました。よかったら読んでみてください。
投稿者プロフィール
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新入社員を含めたフレッシュなメンバーを中心に、出版サポートの傍らインタビューを行っております!
就活生に近い目線を持ちつつ様々な業種の方との交流を活かし、「社長に聞きたい」ポイントを深掘りしていきます。
代表者様のキャリアを通して、組織の魅力が伝わる記事を発信していけるよう、これからも一生懸命運営してまいります!
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