
今回は、ゲームのテストをメインに行っているAIQVE ONE株式会社代表、山崎太郎氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
| 会社名称 | AIQVE ONE株式会社 |
| 代表者 | 山崎 太郎 |
| 設立 | 2021年2月(2018年 事業開始) |
| 主な事業 | ・AI技術や自動化を活用したソフトウェア品質保証事業 ・エンタメ/AIソリューション開発事業 ・セキュリティサービス事業 ・人材派遣事業(派13-315637) |
| 従業員数 | 314名(2026年4月時点) |
| 会社所在地 | 〒101-0061 東京都千代田区神田三崎町2-4-1 TUG-Iビル9階 |
| 会社HP | https://www.aiqveone.co.jp/ |
事業紹介をお願いします
AIQVE ONE株式会社は、AI技術を活用したソフトウェア品質保証事業、エンタメ/AIソリューション開発事業、セキュリティサービス事業を展開しています。
特に強みとしているのが、ゲーム業界で長年培ってきた品質保証(QA)の技術です。ゲーム開発は年々大規模化・複雑化しており、品質を維持するためには高度なテストや検証が欠かせません。AIや自動化技術を活用しながら、開発者の生産性を最大化する環境づくりを支援しています。
また、私たちはゲーム業界だけに技術を閉じ込めるのではなく、エンターテインメント分野で生まれた技術を、製造、建築、教育などさまざまな産業へ展開していくことを目指しています。ゲームや仮想空間で磨かれてきた技術を活用し、新しい価値を生み出していくことが私たちの役割だと考えています。
単に技術を提供するだけではなく、「エンタメ技術で未来を照らす」という考えのもと、社会全体のイノベーションに貢献できる企業を目指しています。
ここからは山崎社長ご自身のことについてお伺いします。子どもの頃、ゲームとの出会いや当時夢中になっていたことを教えてください
初めてコンピューターゲームに触れたのは、幼稚園の頃です。当時は川崎のマンションに住んでいて、同じマンションの同級生の家にパソコンがあったんです。ご両親がコンピューター関係のお仕事をされていたのかもしれません。当時は家庭にパソコンがあること自体、とても珍しかったですね。
機種はPC-8800かPC-9800か、そのあたりだったと思います。フロッピーディスクを入れて起動するタイプで、何のゲームだったかまでは覚えていませんが、それがゲームとの最初の出会いでした。
小学校に上がる前後には、ファミコンとゲームボーイがほぼ同時期に家へやってきました。ただ、家にはテレビが1台しかなく、土日のリビングは父が使っていたので、ゲームができるのは父が起きてくるまでの朝1時間ほどだけでした。早起きして遊んでいたことは、今でも鮮明に覚えています。
当時好きだったのは『ドラゴンクエスト』のようなRPGです。今と違ってセーブ機能がないので、「復活の呪文」をノートに書き写す必要がありました。ところがブラウン管テレビなので、文字がつぶれて読みづらく、正しく書き写したはずなのに間違っている、ということがよくありました。
学生時代はどのように過ごされましたか?
両親は比較的教育熱心で、小学3年生の後半から3年間、進学塾に通い、中学受験を経験しました。進学先は法政大学第二中学校です。内部進学が前提だったこともあり、受験を終えたときには燃え尽きたような感覚がありました。
振り返ると、人生で一番勉強したのは小学6年生の夏だったと思います。それ以降は「もうレールに乗ったからいいや」という感じで、勉強よりも好きなことに時間を使うようになりました。
中学生の頃は、ちょうど『新世紀エヴァンゲリオン』が流行っていて、私もどっぷりハマりました。当時は今ほどオタク文化が市民権を得ていない時代だったので、アニメが好きだというだけでオタク扱いされましたが、自分ではあまり気にしていませんでした。好きなものは好きなので。
一方で、流行っているものには何でも興味を持つタイプでもありました。小学生の頃は『キャプテン翼』に憧れてサッカー部へ入り、中学生になると『SLAM DUNK』の影響でバスケットボール部へ入部しました。ただ、運動はあまり得意ではなかったこともあり、どちらも長くは続きませんでした。
大学では工学系に進学されていますが、コンピューターへの興味はその頃から深まっていったのでしょうか?
もともと理系科目のほうが得意でしたし、幼い頃からパソコンやデジタル機器には馴染みがありました。今でいうデジタルガジェットが好きでしたね。
当時はまだ一人一台のパソコンを持つ時代ではなく、大学にコンピューター室があったので、学生みんなで50台ほどの端末を共有して使っていました。
大学時代に特に夢中になったのが、自作パソコンです。きっかけは単純で、自分のパソコンが欲しかったんです。ただ、当時のメーカー製パソコンはとんでもなく高かった。一方で、パーツを買って組み立てれば、驚くほど安く良いものが作れる時代だったんですよ。
少しずつ知識を身につけながらパーツショップへ通い、店員さんに教えてもらいながら組み立てていくうちに、どんどんハマっていきました。
秋葉原へ行くこともありましたが、自宅が横浜だったこともあり、横浜や町田のジャンク街へ足を運ぶことのほうが多かったですね。デジタルカメラやPDA(携帯情報端末)、携帯電話なども、新機種が発売されるたびに買い替えていて、アルバイト代のほとんどをそうしたデジタル機器につぎ込んでいました。
アルバイトは、高校3年間はコンビニで働き、運転免許の取得費用を貯めていました。大学生になってからは、長期休みに倉庫での仕分け作業も経験しています。今の仕事に縁があったわけではなく、家から近かったからという、とてもシンプルな理由でした。
2002年にAIQVE ONEの親会社である株式会社ベリサーブへ入社されています。当時は就職氷河期でしたが、就職活動はいかがでしたか?
正直に言うと、私は就職活動をしていないんです。
父がベリサーブ創業社長の元上司だったご縁で、子どもの頃からかわいがっていただいていました。それで、「就活したくないので入れてください」とお願いしたところ、「いいよ」と言っていただいたんです。
今振り返っても、本当に運が良かったと思います。同級生の中には大手企業へ就職した人もいましたが、正社員になれず派遣社員として働き始めた人や、家業を継いだ人も多くいました。本当に狭き門だったんです。
私自身、紹介がなければどうなっていたかわかりません。冗談半分ですが、「麻雀で食べていこうかな」と考えていたくらいです。
ベリサーブへ入社されてから、名古屋へ転勤されるまでの10年間はどのような社会人生活でしたか?
入社したベリサーブは、ソフトウェアのテスト・品質保証を専門とする会社でした。私はエンジニアとして、家電量販店へ並ぶ前のガラケーやデジタルカメラなどの製品に不具合がないかを確認する仕事を担当しました。
学生時代からデジタル機器が好きだった私にとって、発売前の製品を仕事で触れられる環境はとても魅力的でした。親の紹介で入社したことは事実ですが、仕事内容は自分の趣味にも近く、とても相性が良かったと感じています。
苦労した記憶は、正直あまりありません。もちろん大変なことはありましたが、それ以上に仕事を楽しめていました。当時は景気も回復基調にあり、仕事に困ることもほとんどありませんでした。
2012年に名古屋へ転勤し、中部地区の責任者としてお客様に相対したり、メンバーのマネジメントを任されるようになりました。翌年には副事業部長、その後は事業部長を拝命し、最終的には約200名の部下を率いる立場になりました。
責任は大きくなりましたが、その分だけ権限も与えていただけました。「自分で考えて動ける」環境だったので、さまざまな挑戦ができた10年間だったと思います。
名古屋時代には、大手完成車メーカーとの直接取引を実現されています。当時はどのように道を切り拓かれたのでしょうか?
当時、直接お取引ができていたのは部品メーカーや電装品メーカーまでで、完成車メーカーとの直接取引はありませんでした。そこで、「これからは完成車メーカーと直接仕事をする」という目標を掲げました。
ただ、どうすれば実現できるのかわからなかったので、先方の室長クラスの方にご挨拶する機会をいただいた際に、率直にお聞きしたんです。「どうすれば御社と直接お取引できますか」と。すると返ってきた答えは、とてもシンプルでした。「ナンバーワンか、オンリーワンになってください」。
規模では到底勝てません。だからこそ、勝負する範囲を狭めようと考えました。「ソフトウェア品質保証という領域で、ナンバーワンを目指します」とお伝えしたところ、その考え方を評価していただけたんです。
さらに、「出向者を出してもらえれば話は早い」というアドバイスもいただきました。当時の愛知県では、今以上に“仲間と仕事をする”という文化が根付いていました。戦国時代の嫁入りのように、人を預け合うことで信頼関係を築いていく感覚だったのだと思います。そこで、私は名古屋地区でもトップクラスの技術者2名を出向させる決断をしました。
会社の主力メンバーを送り出すことに、不安はありませんでしたか?
もちろんありました。その2人は、社内でも確実に売上と利益を生み出してくれる存在でしたから、出向させればその分だけ既存事業への影響も出ます。それでも、中途半端な人選だけはしたくありませんでした。もし手の空いている人を送り出して結果が出なければ、「やっぱり無理でしたね」で終わってしまいます。それだけは避けたかったんです。
一度きりのチャンスなら、会社として今出せる最高の人材を送り出そうと考えました。逆に、その2人でも通用しなければ、まだ会社の実力が足りなかったということです。そのときは潔く諦めようとも思っていました。
結果として、2人とも期待以上の成果を上げてくれました。そこから毎年1人ずつ出向者が増え、それに合わせて取引も拡大していきました。最終的には、誰もが知る大手メーカーとの直接取引が実現し、大きな転機になりました。
その後、2020年に東京へ戻られ、AIQVE ONEの立ち上げを任されることになります。当時はどのようなお気持ちでしたか?
当時の社長から突然呼び出されて、「君、ゲーム好きだよね。ゲーム系の会社をつくるから、やっておいで」と言われたんです。
最初は驚きました。ただ、中部地区では責任者として事業をある程度軌道に乗せることができましたし、次のステップとして、会社そのものを経営する経験をしてみたいという気持ちもありました。
私は昔から、新しいことに挑戦するのが好きなんです。0を1にするのが大好きで、1を10や100にすることもできるけれど、そこまで興味がない。ある程度完成してしまうと、次の挑戦がしたくなるタイプなんですよ。中部の事業も順調に成長していたので、「次は新しい会社をつくる側に回ろう」と自然に考えられました。
サラリーマンが会社経営を経験できる機会は決して多くありません。だからこそ、「ぜひやらせてください」と喜んで引き受けました。実際には、想像していた以上に大変でしたが。
2021年2月にAIQVE ONE株式会社を設立されました。当時はどのような状況だったのでしょうか?
AIQVE ONEは、ベリサーブとmonoAI technology株式会社による合弁会社として設立されました。母体となったのは、monoAI technologyのAIQA事業部です。もともとは2018年にモリカトロン株式会社の一部門として立ち上がった組織でした。
当時、そのQA事業は非常に厳しい状況にありました。ちょうどコロナ禍の真っ只中で、営業活動も思うようにできません。従業員は100名ほどいましたが、仕事が少なく、売上はほとんどない状態でした。固定費だけがかかり続ける状況で、正直なところ、0から会社を立ち上げるほうが、よほど楽だったと思います。
まず取り組んだのは、メンバーが持っている技術を正しく理解することでした。ゲーム業界には、他の業界にはない高度な技術が数多くあります。一方で、業界全体としては、人海戦術でプロジェクトを進める文化が根強く残っていました。アルバイトを中心に開発やテストを行うケースも多く、技術力があるにもかかわらず、その価値が十分に評価されていない。そこに、大きな課題を感じていました。
そうした状況の中で、「エンタメ技術で未来を照らす」というビジョンを掲げられた背景を教えてください
ゲーム業界で培われた技術は、ゲームだけに使われるものではないと考えていました。そこで掲げたのが、「エンタメ技術で未来を照らす」というビジョンです。ゲームで磨かれた技術を産業界へ広げ、社会全体に役立てていきたい。その考え方が会社の出発点になりました。
まず取り組んだのは、自動化や効率化、SaaSのプロダクト化です。ただ、その一方で、目の前には仕事を待っているエンジニアがいます。もちろん、多くのメンバーはゲームが好きでこの業界に入ってきています。それを理解したうえで、「ゲーム以外にも品質保証が必要な分野は数多くある」ということを伝えていきました。
親会社であるベリサーブでは、ゲーム以外の分野でエンジニアが不足しています。資格を取得してもらい、ゲーム以外の案件にも携わってもらうことで、稼働率を高めながら技術の幅も広げていきました。
その考え方に共感できず、「ゲーム以外はやりたくない」と会社を離れた社員もいましたが、そこは無理に引き止めることはしませんでした。このビジョンを実現するためには、会社として進む方向を貫くことが何より大切だと考えていたからです。
ゲーム業界の技術は、なぜ他業界にも応用できると考えられたのでしょうか?
例えば、今ではAIが社会を大きく変えていますよね。
でも、ゲーム業界から見ると、AIという考え方自体は決して新しいものではありません。将棋AIもそうですし、『ドラゴンクエスト』で仲間が勝手に戦ってくれる仕組みも、30年以上前から存在しています。ゲーム業界では、長い時間をかけて少しずつ技術を積み重ねてきました。その積み重ねが、今になって社会全体のイノベーションへとつながっているのだと思います。
私は、同じことがAI以外の技術でも起こると考えています。ゲームの中で磨かれた技術には、まだ社会へ広がっていない価値が数多くあります。それを産業界へ展開していくことが、AIQVE ONEの役割だと思っています。
事業の拡大では、M&Aも積極的に活用されています。その狙いを教えてください
一番の目的は、エンジニアの採用です。
当時は、とにかくエンジニアが不足していました。一人ずつ採用していくよりも、会社ごと仲間になっていただいたほうが、事業を大きくするスピードは圧倒的に速くなります。もちろん、売上やお客様とのつながりも一緒に引き継げるので、それも大きなメリットです。
また、機能を拡張することを目的としたM&Aも行っています。例えば2024年1月には、ツール開発を内製化するために、ある会社の受託開発部門を事業譲受しました。自社でプロダクトを開発できる体制を強化するためです。
ゲーム業界だけを見ると厳しい状況もありますが、IT業界全体ではエンジニア不足が続いています。だからこそ、ゲーム業界で培われた技術をリスキリングし、ゲーム以外の分野でも活躍できる人材へ育てていく。この考え方は、会社を立ち上げた当初から一貫して変わっていません。
今後の展望をお聞かせください
設立当初は約100名だった社員も、現在は314名になりました。東京本社に加えて、京都・大阪・札幌にもラボを構えています。
ここ数年は、とにかくエンジニアを増やすことを最優先に取り組んできました。ただ、AIの進化が想像以上のスピードで進んでいる今、「人を増やすこと」だけを目標にする時代ではなくなってきたと感じています。これからは、人でなくてもできる仕事、人を代替できる仕事は確実に増えていきます。だからこそ、私たちは「人が多い会社」ではなく、「技術で価値を生み出せる会社」を目指していかなければなりません。
その中で注力していきたいのが、「バーティカルSaaS」と呼ばれる領域です。大規模なサービスは、これから事業会社自身がAIを活用して開発できる時代になると思っています。一方で、業務の中には「この工程だけは必ず必要」という、ニッチで専門性の高い領域が数多く存在します。
私たちは、そうした課題を解決するサービスを数多く生み出していきたいと考えています。例えば、当社が提供しているSNS監視ツール「Oreo」もその一つです。SNS運用はすべての企業が行うわけではありませんが、炎上リスクを抱える企業にとっては欠かせない業務です。だからといって、自社で0からシステムを開発するほどではない。こうした「必要だけれど自社では作りづらい」領域にこそ、大きな価値があると考えています。
今後は、このようなサービスを年間10本ほど立ち上げ、その中から1〜2本、大きく成長する事業が生まれれば理想的です。社内でも、AIエージェントを活用して自分たちの業務をどう変えられるかという取り組みを進めています。AIを活用しながら、新しい価値を生み出し続けられる企業だけが、これからの時代を生き残っていけるのではないかと思っています。

最後に、経営者の方々へおすすめしたい一冊を教えてください
ハロルド・ジョージ・メイさんの『百戦錬磨 セルリアンブルーのプロ経営者』です。
マーケティングや経営、組織づくりについてとてもわかりやすく書かれていて、私自身も参考にさせていただいています。
著者は、日本コカ・コーラ副社長やタカラトミー代表取締役社長を経て、新日本プロレスリング社長兼CEOを務められた方です。既存事業をどのように立て直し、新たな成長につなげていくのか。その考え方には、会社を立ち上げ、事業を再構築してきた自分自身とも重なる部分が多くありました。経営に携わる方はもちろん、新しい挑戦を続けたいと考えている方にも、ぜひ読んでいただきたい一冊です。
『百戦錬磨 セルリアンブルーのプロ経営者』
ハロルド・ジョージ・メイ(著)/時事通信出版局/2019年12月
https://www.amazon.co.jp/dp/4788716941
投稿者プロフィール

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企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
企業出版のノウハウを活かした記事制作を行うことで、社長のブランディング、企業の信頼度向上に貢献してまいります。
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