ライジングブル 藤村氏

今回はライジングブル投資顧問株式会社、藤村 哲也氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

会社名称ライジングブル投資顧問株式会社
代表者藤村 哲也
設立2003年6月
主な事業個人投資家向けの投資助言サービス(日本株・米国株・中国株)
会社所在地東京都中央区日本橋箱崎町1-5 ハニー箱崎ビル2F
会社HPhttps://www.risingbull.co.jp/

事業紹介をお願いします

個人投資家向けに株式投資の助言を行う投資顧問会社です。2003年の設立から20年あまりにわたって事業を続けてきました。

株式投資に関する情報は、無料のものを含めて世の中に数多く流通しています。ただし有料で個別の助言を行うには投資顧問契約を結ぶことが法律上の要件となっており、ファイナンシャルプランナーであっても個別銘柄の売買にまで踏み込んだ助言はできません。「この銘柄を100株、今のタイミングで買う」「今のタイミングで売る」という具体的な判断をお伝えできるのは、投資顧問契約があって初めて成り立つ領域です。当社はその登録に基づいて事業を行っており、個人投資家が実際に資産を動かす場面に直接関与できる立場にあります。

御社ならではの特徴や強みを教えてください

継続的に伴走する点に尽きます。

お客様が投資に充てる金額は30万円から500万円、何千万円、と大きな幅がありますが、これを一人ひとりの事情に合わせて個別に設計していくと、手数料が高額にならざるを得ません。そこで当社は金額を標準化し、30万円コース、100万円コース、300万円コースといった単位に区切ったうえで、その資金を運用していくためのサポートを長期にわたって提供する形をとりました。

伴走という言葉を使うのは、買った時点で助言が終わってしまえば資産形成にはつながらないと考えているからです。どの銘柄が有望かという情報自体は、さまざまな媒体から手に入ります。ところが株価は日々変動し、購入した途端にお客様の資産が増減を始めます。価値が動く商品の扱いは、固定金利の商品に慣れた方ほど難しく感じられるものです。日本株だけでも約3,900の銘柄があり(2026年3月時点)、そのすべてが3か月後には異なる動きを見せています。買った後にどう判断するかを支え続けなければ、支援として成立しません。1年、2年、3年、5年と長期的に関わり続け、お客様とWin-Winの関係を築く姿勢こそが、当社の最も大きな特徴だと考えています。

サービス内容について:https://www.risingbull.co.jp/top-2/service/

ここからは藤村社長ご自身のことをお聞かせください。学生時代に打ち込んだことはありますか?

高校時代は弓道に打ち込み、大学に入ってからも2年目までは続けていましたが、そのうちに関心は雑誌づくりへ移っていきました。友人を中心に広告研究会のようなサークルを数名で立ち上げ、キャンパスで配布するミニコミ誌を制作するようになったんです。

もっとも、実際に手を焼いたのは制作よりも資金集めのほうでした。横浜の街を歩いて喫茶店などを一軒ずつ訪ね、広告の出稿をお願いするところから始まります。広告主に3000円から5000円の広告料をいただき、その収入で印刷した雑誌を大学構内で無料配布するという仕組みでした。今でいうフリーペーパーに近い形を、当時手探りで試していたことになります。

1980年代ですから、学生でこうした活動をしている例は多くありませんでした。売上そのものは限られていたものの、広告主を回って資金を集め、紙面をつくり、配布するまでの一連を自分たちだけで回していたことになります。

学業には、どのように向き合われていましたか?

時間の多くはサークルやアルバイトの活動に費やしていたので、大学3年までは勉強にまったく身が入っていませんでした。

転機になったのは、このままでは卒業も危ういという自覚でした。雑誌づくりや広告集め、アルバイトに使ってきた時間を、ここからは学業に使ったほうがいい。そう考えて、当時流行していたダブルスクールという形をとり、専門学校に通いながら公認会計士の勉強を始めました。大学の単位を取ることと、資格の勉強を並行して進める日々でしたね。

実際に取り組んでみると、大学で学ぶ内容は社会に出てから必要になるものだと実感しました。会計や経営、経済の基礎をこの時期に学べたことは、後に経営そのものへ関心を向ける入口にもなっています。

経営者になりたいという考えは子どもの頃からありましたか?

学生の頃はまったくありませんでしたね。サラリーマンとして働くものだと考えていましたし、実際に10年ほど勤めています。証券会社に入社したことにも、特別な志があったわけではありません。

ただ、学生時代に公認会計士を目指した時期を通じて、企業や経営そのものへの関心は多少なりとも芽生えていました。こういう道もあるのかもしれないと意識し始めた程度ではありますが、後年の独立につながる芽は、この頃にあったのだと思います。

社会人時代のご経歴とお仕事の内容について教えてください

証券会社での10年あまりは、前半と後半で性格の異なる仕事に携わりました。前半は株式の営業、いわゆる証券営業を担当し、後半はアナリストとして企業取材にあたっています。期間としてはおおむね半々になります。

営業は個人のお客様と直接向き合う仕事であり、アナリストは企業を分析して営業に情報を届ける仕事ですから、立場も内容も大きく異なります。共通していたのは、どちらの時期も相場の大きな変動のただ中にあったことでした。

その中で、印象に残っている出来事はありますか?

入社と同時に経験したバブル崩壊です。

内定が決まった時点は絶頂期にあたりましたが、入社してすぐに湾岸戦争が起こり、そこから相場は下落を続けました。営業として訪問するお客様は、すでに株式で大きな損失を抱えた方ばかりです。上がる見込みを語りにくい局面で、新人として個人投資家と向き合うところから社会人生活が始まりました。この時期の経験が、その後の仕事の見方を決定づけています。

独立を意識されるようになったのは、どのような経緯があったのでしょうか?

証券会社は手数料商売です。お客様が損失を出していても利益を上げていても、売買が動けば手数料は入ります。したがって会社の利益とお客様の利益は、構造として相反しやすい関係にあります。

当時の業界では、まとまった資金を短期間で増やしたいというご相談に対して、手元の資金を大きく上回る規模の信用取引を組むといった対応が、決して珍しくありませんでした。数か月のうちに資金の大半が失われる一方で、手数料だけは積み上がり、証券会社には収益が残る。お客様だけが痛手を負う結果になります。

こうした構造を繰り返し目の当たりにしたことが、独立を考える出発点になっています。会社とお客様の利益が相反するのではなく、双方が利益を得られる関係を築きたい。当時の証券会社の仕組みでそれを実現するのは難しく、投資顧問という形であれば可能だという見通しが、その後の判断を支えました。

転職ではなく独立という形を選ばれたのはなぜでしょうか?

直接のきっかけは、希望退職の募集が重なったことです。当時は金融機関の再編が相次ぎ、北海道拓殖銀行の破綻や大型合併が続く中で、2002年から2003年にかけては各社が希望退職を募集していました。応募すれば退職金が上乗せされますが、その時期を過ぎれば通常の条件に戻ります。応募するかどうかは相当に悩んだ末の判断でした。

最終的に手を挙げ、まとまった元手を得たことで、その資金を使って事業を始める道を選びました。組織は大きくなるほど上位の役職者が増え、合併によって規模はさらに拡大し、意思決定の手続きも煩雑になっていきます。小さな組織であれば自分の裁量で動けますし、考えたことをそのまま形にできる。この自由さを求めた面も、独立を後押ししました。

起業されて最初の頃は、いかがでしたか?

最も苦労したのは、組織を動かすことでした。個人で事業を行う段階は、実質的に個人事業主と変わりません。そこから複数の人間がそれぞれの役割を担い、組織として回っていく段階へ移るまでには大きな隔たりがあります。この移行こそが、経営者として一番の難所でした。

実際、私がつくった組織はリーマンショックの時期を経て、一旦瓦解しました。同時に、収益の面でも限界が見えていました。当時は月額3000円の会費で一律にアドバイスを行うサービスを行っていましたが、この価格帯ではどれだけ会員を集めても会社に利益が残りません。利他的な仕事を志していても、お客様だけが利益を得て会社が立ち行かない状態が続けば、事業そのものが行き詰まります。会員数を積み上げても状況は変わらず、組織運営と収益モデルの両面で追い込まれるところまで行きました。

その経験は、今にどうつながっていますか?

自分ひとりですべてを担うことはできないと認識したことが、最大の転換でした。

すべてを抱え込もうとすれば手が回らなくなり、その結果として他者を信用できなくなってさらに自分で抱えてしまうという悪循環に陥ります。この状態では組織が機能しません。自分の手が届かない領域は人に任せ、その判断を信頼して委ねる。考え方をしっかりと切り替えたことが、その後の立て直しを支えました。仕組みを整えたうえで任せられる形にするという発想は、今も経営の中心に置いています。

事業の転換期になった出来事を教えてください

上位コースを設けたことが、事業の形を変えました。

このコースへ進んでいただくには、基本コースを一定期間ご継続いただいたうえで、当社のサービスを通じて実際に成果を体験されているかどうかを確認する段階を設けています。お客様ご自身の体験を、上位コースの前提条件に据えたわけです。

こうした条件を置いたのは、理解が十分でない段階の方に高額な商品を提供すれば、関係がいずれ崩れてしまうと考えたからです。土台ができた方だけが次に進める。この順序を守ったことで、自らの意思で上位コースを選ぶお客様が着実に増え、現在の事業基盤が固まりました。

投資顧問という仕事は、世の中でどのように受け止められていると感じていますか?

まだまだ理解されにくい仕事だと感じています。仕事を離れた場で、自分の業務について話題にすることはあまりありません。投資顧問という業態は、ある程度学んだうえでなければ腑に落ちない領域だからです。

もっとも、状況は変わりつつあります。高校では金融教育が始まりました。以前は制度として存在しなかったものが、中学・高校の段階から学ぶ形へと変わっています。日本銀行の役割や、金利が上昇すると何が起きるのかといった内容を、経済の授業で扱うようになりました。

問題は、今の大人が金融の教育を受けていないことです。知識がないために詐欺の被害に遭う例も後を絶ちません。お金の話題は長くタブー視され、口にしにくい空気がありました。そこから生じている問題も少なくないと感じています。中学・高校の段階できちんと学ぶ流れができたことは、確実な前進だと見ています。

とはいえ、大人が学び直そうとしたときの入口は、現在も整っていません。硬い話題になりがちで、多くの方が身構えてしまう。この入口をどうつくるかが、業界に残された課題だと考えています。

今後の展望について教えてください

短期的には、種を撒く作業を地道に続けていきます。

弊社のLINE公式アカウントの友だち登録者数は74,000人を超えました(2026年7月時点)。Instagramも昨年から始めてフォロワーが少しずつ伸びており、ブログの読者も増えています。YouTubeのチャンネル登録者数も、これから伸ばしていく方針です。撒いた種がすぐに実を結ぶとは限りませんが、撒いておけば後になって育つ余地が生まれます。手をつけずに置くより、まず試すという姿勢を大切にしています。

商品ラインナップの拡充も並行して進めています。100万円の資金をどう運用するかというニーズは大きく、30万円から育てたいという方も少なくありません。金額帯ごとに商品を揃えることで、それぞれのご事情に応えられる体制が整ってきました。

そしてもう一つ、先ほど申し上げた入口をつくる試みとして、資産運用をテーマにしたゲームに取り組んでいます。

そのゲームは、どのようなものになるのでしょうか?

Web上で遊べる形を想定しており、スマートフォンで気軽に触れていただけるものを考えています。

投資顧問のサービスは、体験しなければ実感が湧きにくい性質を持っています。ところが実際に体験したことのある方は多くありません。自分なりに取り組んでいるがうまくいかない、NISAだけでなく個別株でも成果を出したい。そうした思いを抱える方が数多くいるにもかかわらず、投資顧問に相談するという選択肢には結びついていないのが現状です。

法律の問題であれば弁護士、税務の相談であれば税理士という認知は社会に定着していますが、株式投資の相談についてはその結びつきが確立されていません。証券会社に対する警戒感を持つ方もいますし、実際の資金を投じるとなれば二の足を踏むのも当然でしょう。

その点、ゲームであれば資金は動かず、疑似体験だけを得られます。リーマンショックを追体験することは現実には不可能ですが、ゲーム上でなら、暴落が起きた局面でどう判断するかという設問を組み立てられます。題材にも事欠きません。実体験に代わる手段としてゲームは有効だと考えていますが、こうした仕組みは現時点で世の中に存在していません。だからこそ、自分たちで用意する意味があると見ています。この設計については特許の取得も進めており、投資教育の仕組みそのものを知的財産として形にしていく方針です。

長期的には、どのようなことを目指されていますか?

資産運用業という産業そのものを社会に定着させることに少しでも貢献できることが長期の目標です。

これまで金融は銀行業、証券業、保険業を中心に語られ、資産運用業の認知は限られていました。それが2026年4月に投資信託と投資顧問の2つの業界団体が統合し、資産運用業協会が発足しています。従来の3本柱に4本目が加わったことは、この産業が広く認知されていく段階に入った証だと受け止めています。

課題は、資産運用に対価を支払うという発想がまだ根づいていない点にあります。自分で行うものだという意識が長く強かったためです。貯蓄から投資へという掛け声は長く繰り返されながら、実際にはなかなか進みませんでした。証券や銀行、保険に委ねれば、どうしても自社商品の販売が優先されやすい構造があったからです。ここにきて新NISAによって、ようやく動き始めた段階だと見ています。

運用に対してフィーを支払い、その成果を求める関係であれば、提供する側と受け取る側の利害は一致します。成果が上がるなら任せたい、助言を受けたいという需要は、現在極めて強くなっています。証券会社時代に痛感した相反する構造が業界全体として解かれていく流れにあると感じており、そこに少しでも貢献したいと考えています。

最後に、おすすめの1冊を教えてください

木下勝寿さんの『ファンダメンタルズ×テクニカルマーケティング Webマーケティングの成果を最大化する83の方法』です。

著者の木下さんは、株式投資でいうファンダメンタルズとテクニカルという考え方を、そのままWebマーケティングに持ち込んでいます。企業の実力をどう見るかという長期の視点と、今何が起きているかという短期の視点。その両方を組み合わせる姿勢は、私が投資助言で大切にしている考え方とも重なります。加えて当社は現在、LINEやブログ、動画といった発信に力を入れている時期でもあり、実務の手引きとしても学ぶところの多い一冊です。

『ファンダメンタルズ×テクニカルマーケティング Webマーケティングの成果を最大化する83の方法』木下 勝寿(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4408650048

投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
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企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。

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