
今回はアルファルマ株式会社代表、佐藤 拓司氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
| 会社名称 | アルファルマ株式会社 |
| 代表者 | 佐藤 拓司 |
| 設立 | 2013年12月 |
| 主な事業 | 調剤薬局の運営/在宅調剤・訪問服薬管理/居宅介護支援事業所の運営 |
| 会社所在地 | 熊本県熊本市南区御幸笛田2-15-43 |
| 会社HP | http://www.alpharma.co.jp/ |
事業紹介をお願いします
熊本市を中心に、共生薬局という調剤薬局を経営しています。設立は2013年12月で、現在は共生薬局グループとして薬局14店舗と居宅介護支援事業所2店舗を運営しています。
一般的に調剤薬局といえば処方箋を扱う場所というイメージが強いと思いますが、私たちの強みは、そこから一歩踏み込んだ在宅医療です。老人ホームや高齢者施設、独居の患者様のご自宅に薬剤師が訪問し、お薬を管理してセットし、服薬状況まで確認しています。
単に薬をお渡しして終わりにはせず、患者様の生活背景を知り、生活に溶け込みながら仕事をする。それが私たちのスタイルで、そこに力を入れて取り組んでいます。
通常の調剤薬局とは異なる役割を持つ店舗もあるそうですね
在宅医療だけを担う専門拠点です。一般的な調剤薬局は病院やクリニックの隣にありますが、在宅調剤センター南店の隣にはどちらもありません。
在宅調剤センター南店をつくる前は、共生薬局の1号店や2号店で在宅医療を続けていました。外来の患者様への業務をこなしながら、お薬を届けるサービスも並行して回していたわけです。やがて対応する患者様の数が増え、ひとまとめにする拠点が必要になりました。処方箋薬は薬剤師が配達しなければならない決まりがあるので、薬剤師が店舗の出入りを繰り返します。その動きを普通の調剤薬局で支えるのは、もう難しくなっていました。
イメージとしては宅配便の物流センターに近いと思います。処方箋がファックスなどでセンターに集まり、そこで調剤し、営業車でご自宅や老人ホームへ配達していく。思い切ってつくったこの形は全国的にも珍しく、熊本では初のスタイルです。
情報発信はどのようにされていますか?
主にInstagramを活用していて、私個人のアカウントと、共生薬局のアカウントの2つがあります。
個人のほうは講演やセミナーの活動が中心です。講演の動画を切り抜いて発信したり、自分で書いている詩を経営者に向けたメッセージとして届けたりしています。
共生薬局のアカウントで発信しているのは、働く人の人柄や雰囲気が伝わる投稿です。レクリエーションや社員旅行、日々の仕事の風景といった日常を載せています。患者様は高齢の方が多く、SNSをご覧になる方ばかりではありませんから、Instagramは学生さんや薬剤師の方々に向けて採用の入り口として発信を続けています。
佐藤拓司社長のInstagram:https://www.instagram.com/takuji_satooo/
共生薬局のInstagram:https://www.instagram.com/kyousei.pharmacy.recruit/
ここからは佐藤社長ご自身のことをお聞かせください。学生時代に打ち込んだことを教えてください
打ち込んだことを一つ挙げるなら、新宿の歌舞伎町でホストとして働いたことです。部活動やサークルに励むような、模範的な学生ではありませんでした。
熊本の高校を卒業後、一浪して東京の大学に入りましたが、実家に経済的な余裕はなく、仕送りは一切もらいませんでした。学費は奨学金でまかない、生活費は自分で稼ぐしかない中で行き着いた先が歌舞伎町です。ホストは仕事として選んだというより生きるための手段でしたが、学生時代に一番打ち込んだことなのは間違いないです。お金を稼ぐことに時間を注ぎすぎて大学は1年間留年しました。
当時は遠回りをしているとしか思えませんでしたが、今振り返るとホストの仕事で身についたものは大きいと思えます。人の話を聞くこと、相手の表情や気持ちを汲み取ること、自分とは異なる価値観の人と関係を築くことは、今は患者様との会話の質、社員とのコミュニケーション、店舗展開に必要な営業やドクターとの話し合いなどに活きています。夜の世界は確かに独特ですが、結局はどれも人と人の仕事です。人と違う経験をしてきたからこそ、熊本で16店舗まで広げられたのだと思っています。
薬学部に進もうと決めたのは、いつ頃だったのでしょうか?
高校3年生のときですが、薬剤師になりたいという夢や希望があったわけではありません。それなりの進学校に通っていたので、医学部や歯学部を受験する生徒が多い環境でした。自分も同じ方向を考えたのですが、成績の面からも医学部受験は厳しく、担任の勧めもあって薬学部に落ち着いたんです。
東京の大学を選んだ理由は、熊本を出たいという一心です。ちょうど両親が不仲で離婚した時期と重なっていました。熊本を出れば世界が変わるのではないかと思ったんです。飛び出した、という表現が近いですね。たぶん、自分の世界を変えたかったのだと思います。
ホストクラブで働こうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
きっかけは、コンビニに置いてあった無料の求人誌です。「誰でも稼げる月収50万円、初心者大歓迎!」と書いてありました。生活費と学費を自分で稼ぐ必要があったので、ここに行けば50万円が稼げるのだと思い、清水の舞台から飛び降りる覚悟で飛び込みました。
もちろん、最初のアルバイトがホストだったというわけではありません。それまでにファストフード店、珈琲ショップ、パチンコ店の朝の清掃、治験、家庭教師、福引き、工事現場の交通整備と、あらゆるアルバイトをやりました。当時の時給は900円や850円という時代でしたから、大きなお金を稼ぐのは難しく、学生なので時間も限られていました。メディアも今ほどなく、ホストクラブが何をする場所かさえわかっていませんでしたが、月50万円もらえるなら学費が払えるという、その一点だけを見ていました。
イケメン風だから歌舞伎町に行った、と思われることもありますが、そうではありません。生活費と、未来への投資のためです。他に稼ぐ方法が当時の自分には思いつかず、いろいろやった結果そこに流れ着いた、という表現が正しいと思います。
ホストとして働いたのは22歳から23歳の1年間。がっつり稼げたわけでも、人気があったわけでもなく、最初はマクドナルドで働いていたほうがよかったのではないかというレベルでした。それでも毎日通ったのは、あの世界はアルバイトではないからです。休みは日曜日だけ。夕方7時前後に山手線で歌舞伎町へ向かい、店が動き出すのは深夜近く。それまでは自分で街に立ち、お客様に声をかけて掴まなければなりません。いわゆるキャッチですが、声をかけている時間に時給は発生しません。自分でお客様を掴まない限り、売上も上がらなければ給料も入らない。打ち込むしかありませんでした。
大学を辞めようと思ったことはなかったのでしょうか?
1年生の頃から何度も思っていましたよ(笑)。
それでも辞めなかったのは、学費を奨学金で払っていたからです。母も離婚して生活が大変な中、頑張って援助してくれました。ここで辞めて中途半端になってはいけない、母を悲しませるわけにはいかないと考えていました。親への感謝があったからこそ、踏ん張れたのだと思います。
一浪し、大学で留年し、そのうえ卒業後の国家試験にも落ちて、人より3年遅れました。2度目の国家試験受験のときは、今年も落ちたら一生歌舞伎町で働こうと決めていたんです。実際、自己採点では3点ほど足りず、歌舞伎町に戻る身支度も始めていました。ところが、結果を見たら合格していたんです。予想外の合格だったので、何十年も経つのに受かった実感がいまだになく、国家試験に落ちる夢を今でも見ます。歌舞伎町に行かなきゃ、と焦る夢です。
余談ですが、その年の国家試験には「不適切問題」と言われる問題があったんだと思います。不適切問題があるとその問題は全員が正解扱いになるので、それでギリギリ合格点数に届いたんじゃないかなと思っています。それでも、合格は合格。夜の世界ではなく、薬剤師としての人生が始まりました。
薬剤師になられてから起業するまでの経歴を教えてください
最初に就職したのは静岡県にある漢方薬局です。大学時代に一番興味を持てたのが漢方でした。処方箋ではなく、自分の判断でその患者様にとって良い漢方を提供できる。商売にも近い世界で、これは面白いと思って門を叩きました。
就職した漢方薬局は、漢方を煎じる釜がありました。粉でお渡しするのではなく、生薬をグラムで量って釜に入れ、液体になったものを1パックずつに詰めて販売していたんです。まずはその調製から始まり、やがてダイエットやアトピーのご相談を受け、健康食品や漢方薬をご提案する接客も担当するようになりました。
その後、熊本に戻って調剤薬局のチェーン店に転職しました。熊本で起業しようと考えていたものの、高校卒業と同時に上京していたので、土地勘も人脈もありません。まずは就職して、地域の雰囲気や、どこに店をつくればいいのかを掴もうと考えました。熊本の漢方薬局に転職することも考えましたが、いずれ辞めて独立すればライバルになってしまうので、それは失礼だろうと思い、調剤薬局を選びました。
起業したいという想いは、いつ頃からお持ちだったのですか?
歌舞伎町で働いていた学生時代からです。
一浪したうえに大学でも留年していますから、在学中から周りに遅れているという自覚がありました。当時の私は劣等感の塊で、この遅れをどうすれば埋め、追い越せるのかということばかり考えていました。
書籍を読んだり、薬学や漢方の勉強をする中で、追い越すのではなく、人と違う生き方をしようと考えるようになりました。そして気づいたのが、この世界は雇う側と雇われる側に二極化しているということです。雇われる側ではなく雇う側に立てば、劣等感を克服できるかもしれない。かなりアバウトですが、学生時代からその方向を向いていました。
最初の起業は、どのような事業だったのでしょうか?
漢方茶やハーブティの小売業です。2011年11月11日に会社をつくりました。1が並ぶ日にナンバーワンを取るのだと。振り返るとアホですよね(笑)。
30歳までに社長になりたいという漠然とした目標もありました。ただ、30歳の時点では人脈もコネも資金もなく、2年遅れて32歳の年に起業しました。
結果は、1年で事業を畳みました。会社という箱をつくり、コンテンツを用意しても、実力や信用や社会性が伴っていなければ事業は続きません。人間として未熟でしたし、そんなに甘い世界ではなかったということです。ただ、もし最初の会社が順調にいっていたら、今も漢方の世界にいたと思うので、うまくいかなかったことも必要な経験だったんだろうなと思いますね。
アルファルマ株式会社を設立された経緯を教えてください
2013年12月に会社を設立し、共生薬局の1号店は翌2014年2月にオープンしました。会社を先につくった形です。
1号店は自分でゼロから立ち上げたわけではありません。ある会社の社長さんから、調剤薬局の社長が跡継ぎを探しているという紹介をいただきました。平たく言えばM&Aです。後継者がいないので佐藤さんどうですか、佐藤さんならきっとうまくいくと思いますよと、期待をかけていただいた。そのご縁を大切にしてきた結果が今です。
アルファルマの設立は、自分の願望や夢を叶えるための起業だった1回目とは気持ちの置き所が全く違いました。紹介してくださった社長さんへの感謝と恩が大部分を占めていたので、自分がどうしたいかではなく、せっかくチャンスをいただいたのだから、この1店舗をしっかり守り、売上を伸ばしていこうと強く思っていました。
漢方への未練もありませんでした。漢方か処方箋薬かという差はあっても、患者様に貢献する、健康を提供するという点では等しく同じ世界です。むしろ、しっかりやらなければ、会社を大きくしなければという思いのほうが強かった。1回失敗していますから、まずは調剤薬局で基盤を築いていこうと決意を固めた時期でもありました。
この経験があったから今の自分がいる、と思う経験はありますか?
困難を乗り越えたというより、困難が私を経営者に育ててくれたという感覚があります。なので、困難は決して悪いことではないと思っています。諦めなければ強くなれますし、どん底を味わった人ほど、人の弱さや痛み、温もりを知ることができます。
そのうえで大きいのは、やはり歌舞伎町での経験ですね。人は正しいことを言われただけでは動きませんし、正論だけでは届きません。まず相手を知り、耳を傾け、信頼関係をつくる。そこで初めて、伝えたいメッセージが届きます。この考え方は患者様に対しても社員に対しても大切にしていて、経営に活きていると思います。
もう一つは、失敗そのものです。1回目の起業で失敗し、アルファルマをつくってからも2号店を撤退させています。でも、おかげでどうしてうまくいかないのかが、だんだん自分の中でわかっていきました。知識や技術があれば会社がうまくいくわけではありません。専門家として優秀であることと、店舗を展開する力、社員をまとめる力は全くの別物だということを学びました。会社を大きくするには、地域の皆様の役に立つものを提供しなければなりません。巡り巡ったご縁を大切にした人が、結果的にうまくいく。実体験からそう感じています。
16店舗まで広がるまでの道のりを、時系列で教えてください
2014年に共生薬局1号店をつくり、翌2015年に2店舗目を出店しましたが、この店は撤退しています。同じ年に健康をテーマにしたカフェもつくっており、こちらも現在は閉鎖しました。
そこから数年が空きます。2016年には熊本地震があり、地元の神社も私の家も崩れました。震災で崩れた鳥居がいつまで経っても復旧されないので、本社のある御幸笛田の氏神様である笛田神社に、2020年4月、鳥居を寄贈させていただきました。
店舗が一気に増えていくのは2020年からです。あらためて2店舗目をつくり、そこから花立店、城南店、南高江店と続きます。2021年には薬局とは別に居宅介護支援事業所を立ち上げ、2022年には、それまで各店で分散して担っていた在宅をひとまとめにする在宅調剤センター南店を開設しました。2023年に書籍を出版し、2024年、2025年と出店が続いて、本部も移転しています。5年で社員は9倍、店舗は8倍になりました。
2020年からの拡大は、コロナ禍と重なっていますが、影響はなかったんでしょうか?
コロナ禍の影響はもちろんありました。世の中の調剤薬局は来店率が大きく減ったんです。薬局に行くと病気をもらうかもしれない、という空気になりましたから。
ただ、当社はご自宅や施設へお薬を届けることのほうが多かったので、来店してもらう必要がなかったんです。「共生薬局なら薬を届けてくれる、薬局に行かなくていい」というニーズが伸び、在宅医療がコロナ禍でさらに広がっていきました。
一方で、業界全体は厳しくなります。それまでお付き合いのあった先輩方の薬局から、このままでは立ち行かない、薬局を譲りたいから引き受けてくれないか、と声をかけていただきました。2020年に増えた店舗は、すべて買い取りです。正直に言えば、その当時、店舗を増やすつもりはありませんでした。でも、目の前で困っている経営者がいて、自分なら潰さずに済むかもしれないと思えた。だから買い取りました。
5年で社員が9倍という急拡大には、戸惑いもあったのではないでしょうか?
3人で薬局をスタートし、2020年に店舗が増え始めた頃も10人規模でしたから、5年で90人ほどになったことへの戸惑いはありました。
それまではベンチャー企業のような距離感で、私が旗を振って、行こうぜ、やっていこうぜという感じで動けたんです。ところが展開していくと、新しいスタッフがどんどん増えていきます。面接も採用も教育も、自分一人では到底できなくなりました。そこで組織づくりへと舵を切りました。
これも体験から学んだことですが、会社はステージによってやることが全く違います。創業のとき、そこから伸ばすとき、さらに伸ばすとき、安定してきたとき。組織のあり方も、構えも、心の持ち方も変わる。体感としてそう思います。
会社を大きくしていこうと決心したのは、どのような思いからだったのでしょうか?
店舗が増えて会社が大きくなるにつれて、自分がやりたくてやっているわけではなくなっていきました。誰かの期待を背負い、その期待を裏切らないようにコツコツと続けていた感覚です。
2021年頃に6店舗ほどになると、熊本でもそれなりにブランド力が出てきて、2024年頃からはM&Aではなく新規出店が中心になりました。病院から近くに薬局を出店してくれないかとお話をいただいたり、共生薬局はどんどん店舗増えてるもんね、と知っていただけたり。
そこで感じたのは、経営は自分が成功するためのものではないということです。理想とする地域を、理想とする熊本市をつくるための手段だと思っています。健康のインフラを熊本につくり、安心して安全に暮らせる街をつくりたい。お薬だけに頼らない健康も含めて、その存在価値をアルファルマで高められたら、経営者として本望です。
今後の展望を教えてください
店舗数や売上を増やすことが目的ではありませんし、「何店舗出店を目指したい」といった目標もありません。
そもそもこの業界は、自分が出店したいから出店できるというものではないんです。住宅地に突然調剤薬局を出しても患者様は来ませんし、病院の横に勝手に店舗を作ったら怒られます。ですので、誰かからいただいたお話や、この人の期待に応えたいという気持ちが、いつも前提にあります。
大切なのは、年齢を重ねても安心して生活できる仕組みをつくることです。超高齢社会はこれから本格化していきます。薬局は意外と盲点で、1店舗あたり1000人から2000人の患者様がいらっしゃいますから、グループ全体では何万人という規模です。薬の専門家としてだけでなく、医療と介護が連携していくことで、地域と医療機関、地域と介護、地域と健康をつなぐハブになれるのではないか。薬局を通じて、身近な人たちにとっての心のオアシス、健康のオアシスとなる相談拠点をつくりたいと考えています。
おかげさまでドミナントで展開できていますので、このブランドを活かしていきます。共に生きる。共生薬局という名前に掲げた思いは、そこにあります。社員を通して、自分を通して、社会が豊かになる。そんな世界をつくれたらと思っています。
経営者としては、まだ10年と少しです。それでも思うのは、経営とはお金を稼ぐためのものではないということ。自分が理想とする医療や地域の姿を実現するための手段ですから、そのために店舗展開も必要ですし、認知されることも必要になる。ブランディングの会社が世の中にある理由もわかります。総合的な視点で、世の中が健康になっていけばいい。それが当社の願いです。
最後に、おすすめの1冊を教えてください
松下幸之助さんの『道をひらく』です。
私の名前は拓司で、開拓の拓を使っています。同じ字を使っているわけではありませんが、道をひらくという言葉には縁を感じてきました。
生き方の話であり、失敗からの再起の話でもある。そこに共鳴させていただきました。ベタではありますが、経営者の方にはこの1冊を挙げたいです。
投稿者プロフィール

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企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
企業出版のノウハウを活かした記事制作を行うことで、社長のブランディング、企業の信頼度向上に貢献してまいります。
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