
今回は越野建設株式会社代表、越野 充博氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
| 会社名称 | 越野建設株式会社 |
| 代表者 | 越野 充博 |
| 設立 | 1964年(昭和39年)8月 ※創業1912年(明治45年) |
| 主な事業 | 総合建設業 不動産賃貸仲介業 |
| 会社所在地 | 東京都北区王子4-22-9 |
| 会社HP | https://www.e-koshino.co.jp/ |
事業紹介をお願いします
越野建設株式会社は、地域に根ざした形で営業を続けている総合建設業者です。いわゆる地場ゼネコンですね。創業から数えると114年になります。明治45年の創業から一貫して、この東京都北区に本社を置いて事業を継続してきました。
王子という場所は、明治の初めに渋沢栄一翁が製紙の会社と工場をつくられたところです。後の王子製紙ですね。そこから製紙に関連する企業など、当時としては最先端の大規模な工場が各所にでき、明治から大正、昭和にかけて、一大工業地帯を形成していました。工場があれば設備投資が必要になります。建屋はもちろん機械の基礎や外構といった工事が当然生まれる。そのニーズに応えるべく生まれた業者の一つが、私どもです。
戦前はそうした施設の工事が中心でしたが、戦後はかつて軍の施設だったところが公共の建物や住宅に変わっていきます。北区でも学校建設など公共事業が大量に発注されるようになりました。弊社はこのような官公庁需要に加えて、高度成長とともに増えた民間のお客様の需要にも対応してきました。
仕事もお取引先も、時代の変遷とともに変わってきました。ただ、110年あまりの間、私どものあるべき姿は一貫しています。
現在の事業には、どのように事業の軸を移されたのでしょうか?
大きな転機はバブル崩壊です。それまで大切にしてきた官公庁市場の競争が激化し、大正・昭和の戦後以来続いてきた大規模な工場や金融機関が、一斉に発注を減らしていきました。今まで培ってきた技術を生かして、どうしたら生き残りを図れるのか。いろいろ考える中で行き着いたのが、地域性を踏まえた住宅系の需要でした。
ただ、発注者はこれまでのような企業や公的な大きな団体ではありません。それまで個人住宅としてお使いになっていた土地を建て替えて、賃貸部分をつくる。私どもはこれを「収入付き住宅」と名付けることにしました。土地に稼いでもらいながら生活を安定させ、次のステップにつなげていく。そういう方々が新しいお客様になるのではないかと考えました。
それはすなわち、地域を相手に、地域を大切にしながら仕事を展開していくということです。私たちのコア技術である鉄筋コンクリート(RC)賃貸マンションの建築受注をめざし、今まで以上に地域に根差してやっていく。ちょうど創業88年にあたる頃に、こうした発想へ至りました。そこで「Vaige®(ヴェージュ)」というブランドを立ち上げて、「収入付き住宅」の企画プロジェクトをスタートしました。
そこから「音楽マンション®」が生まれたのですね
RC賃貸マンション事業を続ける中で、お客様のニーズや受注戦略の面からも差別化の必要性を強く感じるようになりました。もちろん品質の良いものをつくる、長年の経験値に基づいてしっかりとした設計をしていく。ただ、それだけではなかなか個性のある商品として認めてもらえない場面もありました。
いろいろ模索してたどり着いたのが音楽家、音楽愛好家のためのマンションでした。遮音性、防音性を高めて、室内で音楽の演奏や鑑賞を楽しむことができる。そのコンセプトで生まれたオリジナルブランドがRC防音賃貸マンション「音楽マンション®」です。おかげさまで、計画中のものまで含めると供給数70棟に至るところまで来ました。当面はここに力を入れて、深掘りしながら事業の柱としてやっていきます。あわせて、総合建設業としての歩みも確かなものにしていきたい。政府の積極財政が呼び水になっているのかここのところ、古くからのお客様の設備投資が復活してきたり、金融機関店舗の建て替えなどの動きも見えています。
「音楽マンション®」とは:https://www.e-koshino.co.jp/results/music.html
貴社の強みを教えてください
音楽マンション®を中心とした、企画、設計、施工からメンテナンス、入居管理までの一気通貫の体制ですね。
先ほど発注者の話をしましたが、お客様のカテゴリーが変わってきました。かつては法人、つまりBtoBのお客様がメインでしたが、今はかなりCに近いB、すなわち個人のお客様に近い方が増えています。
そうなると、お客様の期待を超えていくために必要なことも変わります。相続に対するアドバイス、そもそもその事業をやっていいのかどうかという市場環境の調査。そういったことをしっかり行ってから事業に着手してきました。設計と施工はもともと得意としてきたところですが、建てた後も管理をして、入居が順調にいくようお手伝いをするところまで事業を広げることができました。
入居者の方へのサービスにも力を入れていらっしゃるそうですね
発注者の方へのサービスだけでなく、入居者の方へのサービスも私どもが手がけています。
一つは「音楽マンション倶楽部」です。入居してくださっている皆さんとのリレーションを保ち続けるための組織で、入居者プレゼントのような企画も定期的にやっています。入居者には音楽家や音楽大学の学生さんも2~3割いらっしゃいます。そういう方が活躍できるように、音楽の人材派遣の会社と連携して情報が届くようにする。入居者の方のコミュニケーションにも、私どもがコミットしていく形ですね。
もう一つは情報発信のお手伝いです。渋谷クロスFMで「音楽マンションプレゼンツ Life with Music」という番組を制作・運営し、だいたい半年ごとに編成を変えていきます。その度に入居者の方へお声がけをして、コンサート情報やご自身の活動について発信されませんかと投げかけているんです。
大変手前味噌ですけれども、建設会社自らがここまで自分たちの建てた賃貸マンションにコミットし続ける例は、私の知る限りあまりないのではないかと思います。
「音楽マンション倶楽部」HP:https://ongaku-mansion.com/
ここからは越野社長ご自身のことについて伺います。学生時代に夢中になったことはありますか?
野球ですね。夢中になって、かつ、きちんと取り組んだことというと、これに尽きます。
60年前、まだリトルリーグが始まったかどうかという時代でした。その代わり、男の子はキャッチボールをするのが当たり前で、空き地もいくらでもありました。小学校の頃は空き地でみんなで野球をして、中学と高校は学校の部活動に入って取り組みました。弱い学校でしたが、甲子園を見果てぬ夢に見ながら打ち込んでいましたね。
大学時代は母校の野球部の監督を務めました。日夜後輩の指導にあたり、大会ではそれなりに好成績も上げました。私の学生時代は野球につきますね。あとは仲間とお酒を飲んで寝ていただけですね。昼寝をして過ごしてました(笑)。
野球の経験で、今も大切にされていることはありますか?
「チーム」で成果を上げていくということですね。今でも大切にしている思いです。
個人スポーツはすべてが自分に降りかかってくる代わりに、自分がしっかりやれば成果も全部独り占めできます。一方でチームスポーツは、自分のミスを誰かがカバーしてくれることもあるし、誰かのミスを自分やみんなでカバーすることもあります。つまり、総合的な力で成果を上げていくことができます。どちらもスポーツの魅力ですし、人生にとって大切なことだと思いますが、私はチームスポーツで学べたことがいくつもありました。
もう一つは監督の経験です。チームのメンバー一人ひとりを観察し、チームとしてどこに弱みがあり、どこに強みがあるのかを分析する。強みをどう活かして、弱みをどうカバーしていくのか。野球が好きなことと上手なことは違いますから、必ずしも上手ではない子も入部してきます。そういう子をレギュラーで使っていくときにどうすればいいのかなど、ずいぶん工夫しました。
何よりも、強豪校と言われるところにどうやったら勝てるのかという工夫ですね。今年も3回戦まで行けたねと喜ぶのではなく、その先の強いチームに勝つにはどうしたらいいのか。逆に、勝てる試合を取りこぼさないためにはどうするのか。いろいろな方の知恵を借りて工夫しました。
きちんとした準備と工夫をすれば実際に勝てるという成功体験は、私自身にそのまま残りました。もちろん監督としての経験が経営にストレートに生きているわけではありません。それでも、経営者として取り組んできたことのバックボーンにはなっています。ファイトを持って、どんなに強そうな相手にもちゃんと勝つつもりで立ち向かう。ただ大きな声を出して汗水垂らすだけでなく、勝つための戦略もしっかり考えていく。その両方があって成果が生まれます。若い学生時代にそれを経験できたことが、その後の経営の支えになっていますね。
将来的に会社を継ぐという意識は、子どもの頃からありましたか?
ありました。2代目の社長を務めていた祖父が亡くなったのが、私が小学生の頃でした。当時はお葬式の規模も大きくて、そこには建築の、当時の言葉で言えば下請けさん、職人さんの親方たちがみんな来る。その人たちが私を4代目として扱うんですよね。子どもですから、そんなものなのかな、ということが刷り込まれていった気がします。
従業員の人たちにも、一緒に野球をやったりして可愛がってもらいました。そういった環境だったので、跡を継ぐのは自分なのかなという感覚はずっとありましたね。
その一方で、父は私が越野建設に入社する選択をするまで、継げとは一言も言いませんでした。
お父様から受けた影響で、印象に残っていることはありますか?
何事につけて、あまり直接言わない人でしたが、自然に伝わってくるものはありました。父が何か一つのテーマについて語るとき、本人は自然に語っているのですが、当然、経営者目線になっているわけです。
よく覚えているのは雪の話です。子どもの頃、私は雪が降ると嬉しかったんです。雪合戦ができる、雪だるまが作れると喜んでいたら、父にお小言を言われまして。「お前、建築屋の息子が雪降って喜んでどうすんだ」と。建築屋にとってみたら、雪が降ると片付けが大変で、コストもかかる。雪は絶対に降らないでほしいものなんです。当時はなんでだろうと思ったりもしましたが、すごく記憶に残っていますね。
当時はメールやSNSもなかったので、風が吹いたり大雨になったりすると、父は各所へ電話で確認をしていました。そういう姿をずっと見ていたわけです。経営者の息子ですから、食べるに困らない生活はさせてもらっていました。ただ、そのバックボーンには父の努力がある。子どもにそういう姿を見せるという意識は父にはなかったと思いますが、きちんと仕事をしているということが自然に見えていました。
新卒で入社されてから、社長就任までの経緯を教えてください
大学を出てすぐに父の会社へ入社しました。その後、父が病気で他界したので、跡を継いだ形です。入社からちょうど10年のタイミングでした。
父が亡くなる3年半前に最初のがんが見つかり、そのときに私が常務取締役として役員になりました。従業員の皆さんは、私が会社に入った瞬間からいずれ私が跡を継ぐんだろうということは感じていたと思います。ただ、名実ともに後継が示されたのは、この役員就任のタイミングだったと思います。
そこからは、業務全般を理解して仕事を承継していくこと、経営者としての職務を継承していくための準備を進めました。加えて、株主としての相続をしっかりやっていくことも重要な要素になります。父からは特に後者について、引き継ぐ者はしっかり考えなければいけないと言われていたので、私が税理士さんなどと打ち合わせをして、勉強しながら父にどうだろうと相談する形でコミュニケーションを重ねていきました。
お父様と過ごされた最後の半年について教えてください
病気になってから父は午前中に治療を受けていたので、私が車を運転して病院まで連れていっていました。片道45分くらいかかったので、亡くなるまでの最後の半年間は、その車の中でいろいろな話をしましたね。今になって、これを話した、あれを話したとはあまり出てこないのですが、非常に濃密な時間でした。
印象的だったやりとりは、父が生きているという前提で、先のある長期の仕事の計画を話したら叱られたことです。「そんなに楽観的な情報で計画をするな」と。はっきりとは言われませんでしたが、いつまでも父がいる前提で話す私に一人でやっていく意識を持ってほしかったんでしょうね。私は元気づけるつもりで先の話をしたのですが、真っ向から否定されてしまいました。
経営者として先行きを見ていくときは、よりシビアに、ある種保守的に、厳しく見ていくべきだという父の考え方は、仕事ぶりや語りに聞いたりする中でも受け取ってはいました。でも、病院への送迎の時間は、そういった父の考え方を改めて感じることができる貴重な機会でしたね。あのときの父の言葉は今も私の中に根付いています。
跡を継がれた後、苦労されたことはありましたか?
苦労したという感覚は、正直に言って全くないですね。社業を進めるために自分が必要だと思うことを、その時々で懸命にやってきただけです。
まず、私が社長になったときに、役員も社員も、誰も辞めていないんです。先代社長の長男というだけの若造が社長になったという状況を、それまで父を支えてくれてきた皆さんが引き続き支えてくれたんです。入社から10年間一緒に働いてはきましたが、就任当初は皆さんどう思っているんだろうと不安な気持ちもありました。それを皆さん力強く支えてくれた。これはもう、ものすごい後ろ盾になりました。
とはいえ綺麗事ばかりではなく、皆プロフェッショナルですから、対立も軋轢もあります。そこで私が取り組んだのは、一人ひとりの話をよく聞いて落としどころを探ることでした。今でこそ商工会議所など外の仕事が多いのですが、当時は外の仕事をほとんどせず、ずっと会社にいましたね。朝から入れ替わり立ち替わりいらっしゃる役員や部長のご高説を賜るのが、ある種の仕事でした。皆さんも「なんとかちゃんとやってもらいたい」と思ってくれているからこそ、こうしてもらわなきゃダメだ、という話も出てくる。自分の考えや小賢しいことは一切挟まずに、しっかりと話を聞く。その作業が5年ほど必要だったと思います。
そこからどのように事業改革を進められたのでしょうか
社内の体制もそれなりに落ち着いて、なんとか形になってきたところで、次の課題が見えてきました。私たちの仕事は受注がなくては始まりません。バブル崩壊以降、それまでの仕事が先細りになっている状況が続いていたので、新たな分野をつくっていくプロセスを、社長就任から5年ほど経ってスタートさせました。
方法としては、フェーズごとに外部のコンサルタントの方に入っていただきました。まず会社全体について、役員も交えて議論をする。地域重視、ターゲットは民間だよね、という方向性が決まったら、次は営業専門のコンサルタントの方に来ていただく。さらに、特定のお客様が決まればいいというだけでなく、マーケティングをどうするのかという話になれば、マーケティングの専門の方にも来ていただく。そうやって段階を踏みながら、自社の強みを生かしてお客様に受け入れていただくための形をつくってきました。それが、まさに今日に至っています。
「この経験が今の事業に生きている」と思う経験を教えてください
突出してこの人ということはないのですが、父が亡くなった後に気にかけてくださった方々の存在は、本当に大きいですね。
お得意様である上場会社の会長や社長、地元の信用金庫の理事長、地域の先輩たち。父が亡くなった後、それぞれが父親代わりのような形で気にかけてくださいました。仕事をくださるとか、細かく面倒を見てくださるということばかりではありません。見守っていただいているというか、本当にたくさんの方が気にかけてくださったなと感じています。先ほど申し上げた社内の役員たちも同じです。それが本当にありがたかったですね。
若造の私が気にかけていただけたのは、父が良い生き方をしてくれたからだと思います。皆さん、あなたの親父には世話になったからね、とおっしゃるんです。ベテラン社員も先代に育ててもらったという思いを持ってくださっているし、お得意先も、お前の親父はきちっと真面目にファイトを持ってやってたぞ、と評価してくださる。その方たちが、お前もそうなるようにちゃんとやれ、という叱咤激励も含めて声をかけてくださいました。30代、40代くらいまでは本当に皆さんに支えていただきました。最近は歳を重ねてようやく、お前もだいぶちゃんとしてきたな、と言っていただけるようになった感じでしょうか。そうだと良いのですが。
こういう、「地域やお得意様に育ててもらった」という話は、インタビュー記事などで読んでも正直つまらないなと思っていたんですよ。実際はそんなことないだろう、本気で思って言っているわけじゃないだろう、と考えていました。でも今日に至ると、本気でそう思うものなんですよね。支えてもらえなかったら、くじけたことがいっぱいあったと思います。苦労に感じなかったのは、苦労を忘れられるような恵まれた環境の中にいたからだと思います。
今後の展望について教えてください
全体の流れとして、BtoBからBtoCへという方向性は今後も変わらないと思います。
ただ、お客様の先のお客様がわかっていなければ、目の前のお客様のニーズを先取りすることもできません。相手が法人であっても、その先にいるお客様まで意識していくことが大切だと考えています。期待を超える仕事は、そこからしか生まれないんです。
そして、一生懸命やっているということ、ちゃんとノウハウがあるということをお知らせしていかないと、仕事には繋がりません。そのために、マーケティングが重要になります。広報の延長線上にマーケティングがあるのではなく、会社全体がマーケティングを意識して動く。そういう会社でなければいけないと思っています。その一つのツールとして、AIをはじめとする技術革新を取り入れていくことも、備えとして必要だと考えています。
音楽マンション®については、どのように広げていかれますか?
音楽マンション®は現在弊社の柱なので、しっかり深掘りしていきます。
賃貸マンション事業については、20年~30年程度を見通してネガティブな要素が2つあります。1つが日本の人口が減るのではないかということ。これについては、東京圏および大都市圏についてはそれほど極端な減少はみられないと考えています。もう1つが、金利が上がり建築費も上がっていく中で採算が取れるのかということです。採算のほうは、家賃が並行して上がっていけば基本的には回ります。ただ、家賃の上がり方にはばらつきがある。そこをどう読むかですね。
これまで地域中心にやってきましたし、地元北区も引き続き発展しているのでまだまだマーケットとして見ていますが、問題は、さらにその先です。どこへ足場をつくっていくのかは、やはり考えていく必要があるでしょう。
素材についても同じです。「Vaige®(ヴェージュ)」というブランドを立ち上げるとき、何を拠り所にするかで行き着いたのが、明治、大正からやってきた鉄筋コンクリートでした。弊社が大切にしてきたコア技術をもう一度磨き上げて、新しい商品に使っていく。そう規定して、やってきました。ただ、居住空間をしっかり考えてきたこの20数年を生かすとすれば、素材を鉄筋コンクリートだけにこだわっていていいのか。たとえば木造とのハイブリッドといったことも、今後は研究の対象になってくるのではないかと考えています。
いずれにしても、音楽マンション®は建物としても機能としても長期にわたり高い資産価値を提供するものでなくてはならないと考えています。
社風として大切にされていることはありますか?
ありがたいことに、社外の方から「越野建設さんの社員は真面目ですよね」と言っていただくことが多いです。社員だけじゃなくて社長が真面目だからですよ、と言いたいところですが、そこはぐっと飲み込んでおきます(笑)。
私たちの仕事は、一件一件、目の前のお客様から信頼をいただくところから始まります。お客様は、まだ目に見えてもいない、図面にもなっていない物件に対して発注を決めてくださる。建物ができあがるのは、発注した後です。
社員だった頃、諸先輩方からは「だから信頼が大切なんだ」と教わってきました。その通りだと思います。ただ、大切だとわかっていることと、どうやって信頼を得るのかは別の問題です。短い時間で信頼をいただくには、どうすればいいのか。そこで効いてくるのが、日頃から真面目な会社だと思っていただけるかどうかなのではないかと考えています。
真面目な会社だという評判は、売りにはならないかもしれません。それでも、ふと気がついたときに真面目だよねと思っていただけるだけの土台は、しっかり培い続けるべきだろうと思っています。
最後に、おすすめの本を教えてください
繰り返し読んでいるのは『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』です。大東亜戦争で、日本の陸軍、海軍がいかに敗れたかを書いた本です。折に触れて開いていますね。
もう一冊お勧めさせていただきたいのが野口誠一さんの『こんな社長が会社をつぶす!』という書籍です。中小企業の倒産事例を扱った本で、倒産させてしまった会社の社長が自ら書いたものです。倒産がお得意先や取引先、社員の皆さんにどれほど甚大な被害を与えるかが書かれています。
この本は、良きにつけ悪しきにつけ、私のバックボーンになっています。企業家と言われる人たちは、リスクを取り、事業を大きくしていかれます。成功されている方は立派な経営者だと思います。ただ、私にはそこまでの能力はないと思っていますし、自分自身の責任を考えたとき、何のために事業をより大きく拡大するのかといつも自問自答してきました。もちろん、私は会社を継いでいるからそういう考え方になるのだとも思います。全くのゼロからの起業だったら、そんなことを言っていてはそもそも始まりませんから。そこは立場によって感じ方や考え方が異なるのだろうと思いますが、経営者として、自分の見栄や夢だけを追いかけて本当にいいのだろうかと何度も考えさせてくれる本ですね。
『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』戸部良一 他(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4122018331
『こんな社長が会社をつぶす!』野口 誠一(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/453403511X
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企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
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