丸菱製作所 戸松氏

今回は株式会社丸菱製作所代表取締役社長、戸松裕登氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

会社名称株式会社丸菱製作所
代表者戸松裕登
設立1952年2月26日
主な事業大型金属製品の一貫加工、技術のフリマサイト「ASNARO」の運営、
自社ブランド「トマ・オーニング」の製造販売
社員数112名(取材時)
会社所在地愛知県春日井市大手町字川内1045番地
会社HPhttps://www.marubishi-co-ltd.com/

株式会社丸菱製作所の事業内容と強みについて教えてください

弊社・丸菱製作所は、愛知県春日井市に拠点を置いています。名古屋から車で30分ほどのところです。創業から70年余り、三菱電機さんのエレベーターや工作機械向けの大型フレームの製作を中心に事業を続けてきました。

弊社の一番の特徴は、材料の切り出しから溶接・機械加工・塗装・組み立てまで、すべて社内でできる「大型構造物の一貫生産技術」です。大きなものを作るとき、工程ごとに外注せず1つの工場で完結できる――これが強みです。

手がけるのは大量生産品ではなく、「こういう案件が出てきたけど、どう作ればいいか」という特注品が中心です。お客様と一緒に設計段階から考え、形にしていくスタイルで仕事をしています。

ただ、これまでは三菱電機さんのサプライヤーとしての立場が基本でした。その場合、弊社は“エレベーターの部品を作る会社”になりますが、それはあくまで三菱電機さんの商品です。弊社自身の商品は、一貫生産できる技術力や大型品に対応できる設備そのものではないかと、あるときから考えるようになりました。

その発想を軸に、近年は取引先の幅を広げています。西は広島、東は神奈川、北は長野・北陸の企業様ともお仕事をさせていただくようになり、地域を超えた特注案件の相談が来る製造拠点へと成長してきています。

丸菱製作所が展開するプラットフォーム「ASNARO」についても教えてください

ASNARO」は、丸菱製作所の事業をさらに広げるために立ち上げたサービスです。一言で表すなら「技術を出品する、製造業のフリマサイト」です。

工場が持っている溶接・塗装・機械加工といった技術や、その月に空いている設備・人員リソースを“商品”として登録し、「今うちが手一杯なので助けてほしい」といったときに、工場同士がスポットで仕事をやり取りできる仕組みです。

実現したいことは大きく2つあります。1つ目は、工場同士が「横のつながり」でリソースをシェアし合えること。2つ目は、技術そのものに適正な価値をつけることです。

従来の製造業では、難しい加工も簡単な加工も同じ時間単価で評価されてしまうことが多くありました。お客様側が決めたルールの中で動いてきたからです。ところが展示会などで他業界のお客様に弊社の技術を見せると、「これはすごい」と納得した価格を出してくれる方がいました。つまり、技術そのものを商品として売り出せば、ちゃんと価値を認めてもらえる。そう気づいたことが「ASNARO」のもう一つの柱につながっています。

弊社だけでなく、同じ志を持つ仕事仲間・協力会社・同業者も「ASNARO」を通じて取引できる環境を整えています。「一人だけが変なことを言っている」にならないよう、みんなで一緒に市場を作っていく、という考え方です。

システム開発は、愛知県のインキュベーション施設「STATION Ai」のスタートアップと共同で進めています。ECサイト自体は技術的に短期間で作れます。難しいのはAmazonと同じで、プラットフォームとしての「価値」を育てること。今まさにその難しさに向き合っているところです。

現在は中部地方を中心に展開していますが、これには理由があります。愛知・岐阜・三重には約6,500社の町工場があり、そのうち15%(約1,000社)を超えると市場に広く普及し始めるフェーズに入ります。この1,000社という数字を、一つの節目として意識して取り組んできました。

今後は「ASNARO」を中部地方にとどまらず、全国へ広げていくお考えですか?

中部地方については、ネットワークがそろそろ自走できるフェーズに入ってきたと感じています。新たな参加者を増やすよりも、地域内の取引を活発にしていくことに力を注いでいく段階です。

一方で、関西・関東にも新たなクラスターを作ることを考えています。1〜2社が散在しているだけでは実際の取引は生まれません。例えば、ある地域に200社ほどのネットワークができて、それで初めて取引が動き出す感じです。だから地域ごとに拠点を作りながら、全国へ広げていくことが次の目標です。

Facebookがハーバード大学の学生同士のつながりから世界に広がったように、製造業の集積地として突出した中部地方から始まったこのネットワークを、関西・関東、そして全国へ展開していきたいと考えています。

経営者の方たちに向けて、丸菱製作所の取り組みについてPRすることはありますか?

「ASNARO」を「使ってください」というよりも、一緒に取り組む仲間を増やしたい。それが一番の思いです。

ものづくりの現場を回っていると、最近こんな声をよく耳にします。「息子がいないから継がせられない」ではなく、「息子には継がせたくない」という声です。この違いは大きくて、後継者がいないのではなく、この業界の将来に希望が持てなくなっている、ということなんです。

実は私自身も、もともと家業を継ぐ気はありませんでした。それでも継いだのは、父が継がせたかったからです。私自身も息子が生まれたとき、「この仕事を継がせたいと思えるか」と自問しました。今の状況のままでは、正直難しいと感じました。

その原因の一つは、私たちサプライヤーがずっと、発注元が決めたルールの中だけで動いてきたことだと思っています。自分たちの技術をきちんと評価してもらえる市場を、サプライヤー側が自分たちで作る。それができれば、事業承継にも前向きな気持ちで向き合えるはずです。

息子が将来この仕事を継ぎたいと思うかどうかはわかりません。ただ、「継がせたい」と思える業界を、みんなで作っていきたい。そのために「ASNARO」と丸菱製作所の活動があります。ぜひ注目していただけると嬉しいです。

丸菱製作所の事業と「ASNARO」の詳細についてはこちらをご覧ください。

・株式会社丸菱製作所ホームページ:https://www.marubishi-co-ltd.com
・ASNARO(アスナロ)サービスサイト:https://asnaro.co.jp/about

戸松社長は3代目とのことですが、家業を継ぐということについて、どのようにお考えですか?

私は3代目なのですが、世代によって家業への温度感がずいぶん違うなと感じています。

祖父は自分でゼロから会社を作った人間なので、仕事が人生そのものでした。父も祖父と一緒に事業を育ててきた世代です。そういう世代は会社への思い入れが強い分、兄弟間で「俺が継ぐ」と争いになることもある。

ただ私たち3代目世代の頃は、生まれたときにはすでに会社があり、ある程度の規模になっていて時代的には、ものづくりがだんだん難しくなってきた頃と重なっています。なので「兄ちゃんが継いでよ」「いや弟が継げばいい」と、誰も積極的に継ぎたがらない。それが私たちの世代の空気でした。

さらに私の子どもたちの世代になると、今度は「この業界に継がせていいものか」という話になってくる。世代が変わるごとに、家業との向き合い方が変わってきているのを感じています。

学生の頃は、やはり継ぎたくなかったですか?

はい、まったく継ぐ気はありませんでした。

姉が2人いて、末っ子の長男である私が継ぐという流れは、父の中では決まっていたと思います。ただ当の本人は、「君は跡継ぎだね」と言われるのがとにかく嫌でした。継ぐという選択が、なんとなく安易なものに見られる気がして、それも嫌だったんです。

それに父は仕事中心の人で、家にいることがほとんどありませんでした。母が姉たちに「将来の旦那さんは、接待やゴルフをしない人を選びなさい」と言っていたくらいです。その影響かどうかはわかりませんが、姉2人は今も未婚でして……(笑)。それはさておき、家業というものが家族の中でかっこいいものとして映っていなかったのは確かです。

大学は文系に進んで、歴史を勉強したり、ミュージカルに打ち込んだり。何がしたいのかよくわからないまま過ごしていましたが、「家業だけは継ぎたくない」ということだけは積極的にアピールしていた息子でした。

戸松社長の学生時代についてもう少し詳しく教えてください

大学は早稲田大学の教育学部に進みました。ただ、先生になるつもりはまったくなくて、歴史の研究をやりたいという気持ちで選んだ学部です。教育学部の中の社会科・地理歴史専修で、歴史を中心に勉強していました。

在学中には、モロッコに1年間留学してアラビア語を勉強するという、ちょっと変わった経験もしました。それからミュージカルにも打ち込んでいました。早稲田は演劇が盛んな学校で、その中でもミュージカルという少し特殊なジャンルに飛び込んで、実際に舞台にも立ちました。

当時は周りから「いったい何がしたいんだ」とよく言われていましたね(笑)。でも今思えば、ミュージカルで鍛えた度胸や表現力が、仕事でのプレゼンテーションや場を盛り上げる場面で意外と役に立っています。あの頃は先のことなんて何も考えていませんでしたが、無駄にはなっていなかったようです。

家業に入社したきっかけと、社長就任までの経歴を教えてください

実は、家業に入ることになったきっかけは、モロッコ留学中の「うっかりミス」でした。大学のプログラムではなく、自分でアラビア語学校を見つけて勝手に留学していたのですが、帰国してみると卒業に必要な単位が2単位足りなかったんです。留年が決まって実家に帰ると、それまであまり就職について口にしてこなかった父が「卒業後はどうするんだ」と言い始めました。

最初は「継ぐつもりはない」とはっきり伝えました。ただ、父の話を聞くうちに少しずつ気持ちが変わっていきました。

「経営者というのは、会社の良し悪しを自分の責任で決められる唯一の存在だ」という言葉と、もう一つ具体的な話がありました。リーマンショックで多くの会社が苦しんでいた2008〜2009年に、丸菱製作所は過去最高益を出していたと言うんです。「こんな面白い会社を他人に任せてしまうのはもったいないだろう」と言われて、なんとなくその気になってしまいました。継ぎたくなかった息子の気持ちを変えたのは、やはり父の熱量だったと思います。

ところが、いざ入社してみると現実は厳しかったです。エレベーター関連の仕事はビルの建設と連動しているため、景気の影響が遅れてやってきます。入社した2011年はちょうどその波をまともに受けて、仕事が激減していた時期でした。「騙された」と思いましたね(笑)。

しかも、留年中に会社見学に来たとき、私は舞台の都合で金髪だったんです。そこに不景気のタイミングで社長の息子が入ってきたわけですから、社員からすれば「やばいのが来た」という感じだったと思います。実際、「あいつが来てから業績が落ちた」と言われ、“疫病神”扱いされていました。

入社後はまず、父が立ち上げていた新規事業の製品開発・設計を担当しながら、ものづくりの基礎を学びました。2013年頃からは三菱電機さんの仕事にどっぷり関わるようになり、BtoB取引の進め方やお客様との付き合い方を身につけていきました。

ただ当時は、新しいことを持ち込んでは7割方失敗して現場に迷惑をかける、という日々が続きました。「ワカ(若)」と呼ばれていたはずが、いつの間にか「バカ」と言われていたくらいです。

そこで発想を変えました。「社員がやりたいけど、自分たちではできていないこと」に絞って取り組もうと。生産管理システムの整備や情報共有の仕組み作り、人事・総務まわりの改善など、地味だけど誰もやりたがらない仕事を黙々と引き受けていきました。すると少しずつ「あいつにしかできないことがある」「あの部分は任せておこう」という空気が生まれてきて、ようやく社内に居場所ができてきたのが2015〜2018年頃です。その積み重ねが実を結んで、2018年には2度目の過去最高益を達成しました。これが最初の大きな手応えでした。

「この経験があったから今の自分がいる」と感じるエピソードはありますか?

2018年までは、目の前のことに一生懸命取り組んで成果を出す、という流れでやってきました。ただ、2018年はいろんな意味で転機になった年でした。

ちょうどその頃、米中貿易摩擦が始まりました。それまで信頼していた仕事の量が「来月から半分になる」と突然告げられたんです。どれだけ頑張っても、発注元の都合でいきなり仕事が減る。「信頼しきってはいけない」という現実にぶつかりました。

父にそのことを話すと、こう言われました。「今はメーカーが主導権を持っているから、私たちは従うしかない。でもいつか、自分たちが主導権を取り戻せるタイミングが来る。それを待ち続けよう」と。この言葉が、後の「ASNARO」につながっています。

同じ2018年に、もう一つ忘れられない出来事がありました。私が子どもの頃からお付き合いのある協力会社の社長に言われた言葉です。「この設備が壊れたら、この仕事はやめようと思っている」――仕事は急に減るし、5年後にこの仕事が続いているかもわからない。そんな状況で、安い値段で特定の会社のためだけに働き続けることはできない、と言うんです。

その言葉は、うちの会社にもそのまま当てはまるものでした。「この状況を変えなければ」と強く感じました。

さらにその年、1人目の息子が生まれました。そのとき「こんな状況のまま、この子に会社を継がせていいのだろうか」という問いが頭から離れなくなりました。自分も継ぎたくなかったのに継いだのは、父が継がせたいと思ってくれていたからです。だったら自分も、息子が「継ぎたい」と思うかどうかは20年後にならないとわからないけれど、「継がせたい」と思える状況だけは作っておきたい。そう気づいたとき、初めてこの仕事が本当に自分ごとになった感覚がありました。

それまでは父の無茶振りに応えながら走ってきた感じでしたが、そこから初めて「自分がやりたいことのために何をすべきか」を自分で考えるようになりました。こうして「ASNARO」のシステムを考え始めたのが2018年で、実際に動き出したのが2019年3月のことです。

2024年に代表取締役社長に就任された経緯や状況を教えてください

社長に就任したのは2024年6月のことです。ただ、それ以前からほとんどの業務は引き継いでいたので、肩書きが変わったからといって日々の仕事が大きく変わったわけではありませんでした。給料も変わらなかったですし(笑)。

もともとは、父が75歳になる2020年頃に交代しようという話がありました。ところがちょうどコロナ禍と重なってしまいました。経営環境が読めない時期だったこともあり、金融機関との関係性なども考えると、実績のある父が引き続き表に立っていたほうがいいだろうということで、交代を先送りにしました。

そして、2024年に大きな変化がありました。会社と「ASNARO」の認知のされ方が変わってきたんです。それまでは「三菱電機さんと取引がある丸菱製作所の社長の息子がやっているサービス」という流れで知っていただくことが多かったのですが、2024年頃から「戸松裕登」や「ASNARO」の名前をきっかけに丸菱製作所を知ってもらえるケースが増えてきたのです。

それなら、これからは「戸松裕登」を前面に出して発信していくほうが伝わりやすい。そう家族で話し合い、このタイミングで正式に社長へ交代することになりました。

社長に就任してから、変わったことはありましたか?

実感としてわかりやすく変わったことがいくつかありました。

まず、外向きの変化です。「ASNARO」の営業はテレアポや直接訪問で進めてきたのですが、以前は「丸菱製作所の者ですが」と電話すると受付で切られることが多かったんです。ところが社長就任後に「代表取締役の戸松ですが」と名乗ると、「少々お待ちください」と取り次いでもらえるようになりました。肩書き一つでこんなに変わるのか、と驚きました。

また、社内でも変化がありました。それまでは、私も含めた社員の視線は父(現会長)に向けられていましたが、自分が社長になった途端、全社員の視線が私に向くようになったんです。私自身「会社を背負わなければ」という覚悟が自然と生まれてきた瞬間でした。

もう一つ、社長として取り組んだのがミッション・ビジョン・バリューの整理です。これまで丸菱製作所には、言葉として明文化された理念がありませんでした。暗黙のうちにあったのは「三菱電機さんの仕事をこなして生き残っていく」という考え方です。それ自体は間違いではありませんが、今の時代にそれだけでは人も集まらないし、経営も続かない。

そこで改めて考え直しました。私たちの強みは、大型構造物を一貫生産できる技術と、人が関わらないとできないものづくりです。その価値を武器にお客様の課題を解決し、町工場の技術が正当に評価される市場を作っていく――これを新しいビジョンに据えました。一言で言うなら、「食っていくために仕事をする」から「面白い仕事をして食っていく」への転換です。

三菱電機さんは引き続き大切なお客様ですが、依存するのではなく自立していく。「ASNARO」を通じて仲間の技術も一緒に再評価していく。そういう方向に会社を変えていこうとしています。

ただ、既存事業と「ASNARO」を同時に進めていた時期は本当にきつかったです。夜中にメールをさばいたり、すきま時間で「ASNARO」の対応をしたり。無理をしすぎて強いストレスから歯を食いしばる癖がつき、同じ歯が3回折れるという事態になりました(笑)。それくらい余裕のない時期でした。

状況が変わったのは、バックオフィスをしっかり担ってくれる右腕となるスタッフが入ってきてくれたことです。それまで自分がこなしていた総務・管理まわりを任せられるようになったことで、今のように自由に動けるようになってきました。

今後の展望について教えてください

今、日本は慢性的な人手不足の時代に入っています。働く人口が減り続ける一方で、仕事の需要はなかなか減らない。そういう状況です。

こうなると、AI化・自動化・無人化への注目が高まるのは自然な流れだと思います。ただ、私たちがその方向に進んでしまうと、これまで積み上げてきた価値が失われてしまう気がしています。私たちが得意としているのは、人が関わらないとできない仕事だからです。

以前、経済産業省は「町工場の仕事は付加価値が低い」と言っていました。規格化されておらず、規模も増やしにくく、値段も安い。だから大手に集約したほうがいい、という話です。でも町工場はずっと、大手がやりたくない仕事を引き受けてきました。大手だって、そんな仕事をまとめたくはないんです。

だから私は、「町工場の人がやるから安い」という価値基準を、「町工場の人がやるから高い」に変えていく必要があると思っています。無人化できないからこそ価値がある仕事に、きちんと値段をつけ直す。そういうものづくりの仕組みを作っていきたいです。

ただ、丸菱製作所一社だけが「値段を上げる」と言っても何も変わりません。みんなで一緒に自分たちの技術の価値を見直していくことで、初めて市場が動く。だからこそ「ASNARO」を全国に広げていきたいです。

具体的な目標としては、2025年度中に中部地方でのシェア15%を達成し、2028年度までに関西・関東に拠点を作る。そして2030年には、「ASNARO」が製造業の新しい取引の常識になっている姿を目指しています。

繰り返しになりますが、Facebookが有名大学のキャンパスから世界に広がったように、製造業の集積地である中部地方から始まったこのネットワークを、いつか日本全国へ広げていきたいと思っています。

経営者の方へおすすめの本を一冊教えてください

村上龍さんの『希望の国のエクソダス』をおすすめします。

不登校になった中学生たちが、大人が作ったルールの枠を飛び越えて、北海道に自分たちの経済共同体を作るという小説です。経営の本ではないのですが、「自分たちで経済圏を作る」という発想がずっと頭から離れませんでした。

実は「ASNARO」という名前も、この小説に登場するネットワークから取っています。メーカー側が作ったルールの中だけで動くのではなく、サプライヤー側が自分たちの経済圏を作っていく——私たちがやりたいことと重なる部分がたくさんありました。

「今の環境に何となく閉塞感を感じている」という経営者の方にこそ読んでほしい一冊です。経営書ではないからこそ、視点をガラッと変えるきっかけになると思います。

ちなみに、いつか『カンブリア宮殿』に呼ばれて著者の村上龍さんと話してみたいとずっと思っていたのですが、残念ながらついこの間、村上さんは番組を卒業されてしまいました。

『希望の国のエクソダス』村上 龍(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4163193804

投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
『社長の履歴書』編集部
企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。

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