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株式会社IECs代表 舟生侑未氏

今回は株式会社IECs代表、舟生侑未氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。ぜひご覧ください!

 

株式会社IECs 会社概要

会社名称 株式会社IECs(アイイーシーエス)
代表者 舟生 侑未(ふにう ゆみ)
設立 2002年5月
主な事業 ○国際イベントのプロジェクトマネージメント
・外資系企業各種セミナー/パーティ/イベント
・国際コンベンション
・国際スポーツイベント

○プロジェクトマネージメント
・コンサルティング
・プロジェクト推進における各種コンサルティング
・グローバル対応可能な各種企業、人材の紹介など

○コーチング
・眠れる才能の発掘ならびにプロデュース
・国際ビジネスで活躍する人材育成
・国際ビジネスで有効なコミュニケーション能力の育成/開発

社員数 0名(取材時)
(プロジェクト毎に業務委託契約での組織編成をしているため、社員数は0となります。また今後も社員を取る予定はありません。)
会社所在地 〒158-0083 東京都 世田谷区 奥沢 5-20-14
会社HP https://www.iecs.co.jp/

 

 

事業内容を教えてください

現在は、国際プロジェクトのマネージメントとコーチングビジネスの2本立てで行っています。

例えば、国際プロジェクトでは、サミットや国連防災会議。オリンピックでは自転車競技のスポーツマネージャーやホスピタリティラウンジのプロダクションに携わりました。

コーチングビジネスでは、現在、フランスで活躍しているある日本人バイオリニストのメンタルトレーニングや企業関連では、エグゼクティブコーチングや才能発掘コーチングなどをしています。

 

学生時代打ち込んだことはありますか?

なぜか、中学に入る前から、英語を勉強するのが楽しみでした。

実際は、中学での英語の成績はそれほどでもなかったのですが、それでも、いつか英語を使って仕事をしたいと思っていました。
そして、高校時代に交換留学までしたのですが、予備校の時に出会った現在東洋大学哲学科の教授をされている河本英夫先生に心理学を薦められ、受験先を語学系から心理学系に変更し、そのまま大学ではどっぷり心理学を勉強することになりました。

また、そのまま、大学院に行くことも考えていましたが、家族に負担をかけられないと、4年生のゴールデンウィーク明けから就職活動をし、就職することにしました。
今の学生さんからしたら、考えられないですよね、それで就職できたなんて…(笑)

 

就職してからどのようなお仕事をされてきましたか

最初に勤めたのが、現パーソルテンプスタッフ株式会社の前身であるテンプスタッフ株式会社です。苦手なシステムと向き合う毎日。ここで大型汎用機のシステムを覚えたことが、後の独立後、私に食べていく糧を与えてくれるのですが、システムより英語を使いたい!という思いが沸き起こり、英語の翻訳会社に転職しました。

システムが嫌だと言いながら、その翻訳会社の社長は、Adobeの製品パッケージやMac OSの翻訳などを手掛けており、また、早期にDTP(Desktop Publishing)を導入していたなど、ここでさらに現在のITに関する知識と、英文法に関する教育を受けました。

ただ、DTPを使った翻訳は、長時間、画面に向かっている作業となり、目を酷使したことで、退職。少し休みを取った後、転職雑誌「とらばーゆ」に載っていた「山本寛斎事務所 イベントスタッフ募集」という掲載を見て、応募。奇跡的に受かり、海外イベント担当として勤務することになりました。

皆さんもご存じのように、山本寛斎さんは奇想天外な方です。そして、既成概念を壊すということをモットーとされており、ここで精神的な部分を、本当に鍛えられました。

今、海外の方々と一緒に仕事をしていても、「大概のことは大丈夫」と思えるのは、この時の経験があるからだと思います。

何しろ、入った時がベトナムでのイベントのアシスタント。なんと、その1年後にはインドのイベントの担当者となっていましたから。

そこでは、本当にすごい経験をさせていただいたのですが、もっと外の世界を見てみたいと強く思うようになり、退職することにしました。普通の人では考えられないかも知れませんが、次の就職先を決める前に辞めてしまった結果、十数社を面談したものの、全てNG。転職先が決まらず困っていたところに、以前、寛斎さんのイベントでご一緒した方から「アルバイトだけれど、知人の会社で、人がいなくて困っているから、どう?」と声をかけてもらい、バイトとして働くことになりました。

そこでやらされたのが、IT関係の展示会の商品説明用台本書き。

台本なんて見たこともない私に「これと同じような感じでいいから」と、他の台本を渡され、社長は打ち合わせに行ってしまう…。

途方に暮れたものの、何とかしなければと必死で書きました。ここで、テンプスタッフや翻訳会社で得たITの知識が活き、何もわからないまま必死で作った台本が皆さんに高評価をいただき、ITブームの波にのって、台本書きとして食べていくようになっていました。

そんな中、そのバイト先を紹介してくれた方が「僕も独立するので、舟生さんも独立しようよ!」と言われたことがきっかけで、本格的に独立をすることになりました。

 

そこから法人を立ち上げたのですか?

そうですね。厳密に言うと、最初の5年は個人事業主。その後、法人という感じです。

姉が税理士、母が税理士事務所に勤めていたこともあって、二人の力を借りながら法人化しました。

イベント業界に入ったものの、男性陣による競争が厳しく、そこに切り込んでいくのは女性一人では辛いなと考え、「英語を使えば、このおじさんたちと闘わなくて済むか(笑)」と思い、業務内容を英語に特化していくことにしました。

実は、その切り替えの途中で、受注していたイベントへの未払いが発生してしまい、これは本当に辛かったですね。当時はまだ30歳そこそこ。3000万の金額が支払われない…。しかも、その頃は、イベント業界では、小切手で支払いが行われるという時代だったので、手元に現金がない。自分のお金を入れても、協力会社さんに支払わなければならない期日までにお金が足りない…。本当にどうしようかと思いましたが、運よく一社だけ、支払いを待ってくれる会社があったので、なんとか乗り切ることができました。ただ、この件で、会社の現金も尽きていたので、イベントの丸受けは難しく、どうしようかと悩んでいた時に出会ったのが、スポーツイベントの「招聘業務」です。

どんな仕事かと言うと、旅行会社さんと連携して、来日するためにビザが必要な国のスポーツ連盟と連絡をとり、必要な書類を作成する業務です。

自分で言うのも変ですが、運がよかったのは、この仕事を通じて、英語を使う量が増えたということです。更に、そのタイミングで、寛斎さんのイベントで知り合ったアジアのメンバーから連絡が入り、仕事を受けられるようになったことです。

約20年前の日本は、まだアジアの人たちに対する警戒心が強く、国内でイベントを請け負う人たちがほとんどいませんでした。それが追い風となり、日本でアジアからの発注を受けてくれる人ということで、彼らの間で、私の名前が口コミで広がり、会社が軌道に乗りました。

結果、コロナ前の売上を見ると、私の会社の9割が海外からの受注となっています。

なお、現在は、イベントの現場はやり切った、悔いなし!と感じているため、国際プロジェクトに関しては、業務内容をマネージメントやチーム編成、スタッフィング、プロジェクトの推進といったコンサル的業務にシフトし、その一方で、10年前から勉強しているコーチングを使って、人材育成に力を入れているところです。

 

起業して大変だったことはありますか?

先ほどお話ししたイベントの未払いも大変でしたが、新型コロナウイルス拡大も会社の大きな壁になっています。宣言が出たあの時は、私のクライアントの9割が海外のお客様なので、「あれ、今日から私は失業者?(笑)」と、ちょっと絶望的になりましたが、今は、「これは神様がくれた大切な休養時間」と感謝して、自分のために時間を使っています。

よく考えてみたら、30歳で起業してから1度もきちんと休んだことがなかった!と気が付いたので(笑)。仕事が楽しすぎてワーカホリックになっていたんですね。コロナが始まった時、今、その頃を振り返ると、体の限界値にもきていたので、今はこの時間に感謝です。

最近、ようやく充電が終わったかな…?という手触り感を得始めているので、「私ができるのは何?私の強みはどこ?」と、この先20年を見据えて考えているところです。

できれば、この先の20年は、人の中に眠る得意分野を発見し、そこを伸ばしていく人材育成ができればと思っています。なぜなら、自分自身の得意分野を知ることは、未来を明るく生きることにつながっていくと思っていますので。

 

舟生さんが落ち込んだ時はどうしていますか?

「感謝をすること」って言いたいのですが、落ち込んでいる時って、そうはいかないですよね?
なので、「今、こんな風に辛い出来事が起きているけれど、これらは全て自分磨きのために起きている出来事なんだ。」と考えるようにしています。

そして、それが「そうだな…」って自分の中に落とし込めた時、いろいろな物事に感謝の気持ちが芽生えて…。その感覚が出てきたら、それを瞬時に捕まえます。なぜなら、この感覚は、あっという間に消えてしまうからです。

捕まえて、自分の中に取り込む。そうすると、いろいろなことが「あぁ、そうか…」って思えるようになってきます。そうすると、土俵際での踏ん張りが、知らないうちに変わってくるんですね。
それが、きっと私の落ち込んだ時の処方箋だと思います。

 

大切にしていることはありますか?

感謝の気持ちを忘れないようにすることですね。自分の気分が落ちているときは、なかなか感謝できないものです。この前友人と、「感謝はするものではなく、感謝は内から芽生えてくるものだよね」という話をしていました。意識的に感謝をしても、それは感謝ではない。なぜなら、それは感謝をすることで得られるリターンを期待している思いがちらほら見え隠れしているからです。

純粋な感謝とは、自分が愛されていること、恵まれていること、今ここにいることのありがたさを感じ取る心のことです。そのことを忘れないようにしたいと思っています。

 

座右の銘を教えてください

先ほどの話にも通じますが、「過去の自分に感謝」です。今ここに存在しているのは、過去の自分が頑張ったからです。例えば、友人から批判的に「あなたがいたから、私はこうなってしまった」と言われたらショックですよね。だけど、多くの人は「過去の私が至らなかったから、こうなってしまった」と自分自身を追い詰めます。

ですが、こう思うのです。どんな自分でも、過去の私があったから、今、ここにいる。生きていられること自体が、奇跡だとしたら、まずは過去の自分に感謝。そして、今の自分は、未来の自分が感謝してくれるように頑張ろう、と心がける。常にそれを忘れてはいけないと思っています。

 

今後のご展望はありますか?

はい、2つの方向で考えています。

1つ目は、国際プロジェクトなどにおいて、私の得意分野であるマネージメント能力を活かしたマネージメントコンサルティング、特にその中でもスタッフィングなどチーム編成に関するアドバイスなどをしていきたいと思っています。

また、2つ目の展望につながるのですが、そういうコンサルを通じて、日本のメンタリティを持ちながら、海外で活躍できる人を育てたいということ。一人一人の中にある才能を発掘し、活き活きと、ビジネスとプライベートにフィットするコーチングですね。

 

経営者におすすめする本はありますか?

中村天風さんの「運命を開く」です。

私の中で上手く言語化できない精神的な世界を、中村さんの本を読むことで言語化でき、あぁ、そう言うことかと自分の中に落とし込むことができるからです。

到達すべきところ。私にはまだそれがつかみ切れていないですし、一生を通じてもつかめないかもしれません。ですが、この本を読むことで、自分の中を整理することができ、人としてどう生きるべきかと言うことを知ることができます。

人生の道標として、今後、何度も読み返すことになるのではないかと思っています。

『運命を拓く』 中村天風(著)

日露戦争に諜報員として満州の野で死線をかいくぐり、奔馬性結核で死に魅入られ、東西の哲学者、宗教家を訪ねても得られなかった、人生の意味。失意の果てに旅先で偶然に会ったヒマラヤのヨガの聖者に導かれ、遂に得た、「積極的人生」の教え。幾多の人々を生き生きと活かした、哲人天風が説く感動の教え。

哲人天風が説く積極的人生のすすめ
諜報員として死線をかいくぐり、病魔に魅入られた人生からの脱出

日露戦争に諜報員として満州の野で死線をかいくぐり、奔馬性結核で死に魅入られ、東西の哲学者、宗教家を訪ねても得られなかった、人生の意味。失意の果てに旅先で偶然に会ったヒマラヤのヨガの聖者に導かれ、遂に得た、「積極的人生」の教え。幾多の人々を生き生きと活かした、哲人天風が説く感動の教え。

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https://www.amazon.co.jp/dp/4062637391/

 

投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
『社長の履歴書』編集部
新入社員を含めたフレッシュなメンバーを中心に、出版サポートの傍らインタビューを行っております!

就活生に近い目線を持ちつつ様々な業種の方との交流を活かし、「社長に聞きたい」ポイントを深掘りしていきます。

代表者様のキャリアを通して、組織の魅力が伝わる記事を発信していけるよう、これからも一生懸命運営してまいります!