
今回は有限会社フロム・サーティ代表、池崎晴美氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
| 会社名称 | 有限会社フロム・サーティ |
| 代表者 | 池崎晴美 |
| 設立 | 1994年6月 |
| 主な事業 | 話し方・コーチング研修・講演 各種セレモニー司会 各種イベント司会 |
| 資本金 | 1000万円 |
| 会社所在地 | 愛知県名古屋市 |
| 会社HP | https://hi-from30.com/ |
まずは有限会社フロム・サーティの事業について教えてください
フロム・サーティでは、企業研修や講演会を中心に、話し方とコーチングを融合させた独自メソッド「ハッピートーク」を提供しています。また、私自身は執筆活動も行っていて、これまでに複数の書籍を出版してきました。
ハッピートークとは、言葉を通して人生を豊かにするというコンセプトで開発したメソッドです。言葉と脳には密接な関係があり、良い言葉を使うためのちょっとしたプチトレーニングを実践することで、前向きなマインドを育むことができます。
受講者の方からは「もっと早く知りたかった」「子どもの頃に受けていたらよかった」という声をよくいただきます。また、一般社団法人では小学校への出前授業も行っています。子どもたちにもハッピートークを伝えることで、早い段階から言葉の力、コミュニケーションの大切さを知ってもらいたいと考えています。
ハッピートークの最大の強みは、オリジナル性の高さです。コーチングだけを教える講師、話し方だけを教える講師は世の中にたくさんいますが、この2つを融合させたメソッドは他にはありません。
話し方のスキルで「どう伝えるか」を学び、コーチングで「何を伝えるか」「どう考えるか」を学ぶ。この両輪があることで、表面的なテクニックだけでなく、本質的なコミュニケーション力の向上を支援することができます。
ハッピートークを軸にされているとのことですが、実際の事業内容をもう少し詳しく教えてください
企業研修や講演会では、ビジネスパーソンを中心に、コミュニケーション改善、チームビルディング、リーダーシップ育成などのテーマで研修を提供しています。企業の周年記念講演会や、建築関係の安全大会など、さまざまな場でお話しする機会をいただいています。
企業研修ではお客様の課題に合わせて内容をカスタマイズしています。例えば、コミュニケーションを良くしたいという企業様がいらっしゃった場合、「どの階層の人たちに向けてか」「具体的にどんな課題があるのか」をお伺いしながら、ハッピートークの内容を使いつつ、コーチング、ウェルビーイングなど幅広い要素を組み合わせていきます。
ハッピートークという1つの柱はありますが、それだけではなく、時代のニーズに合わせて常にカスタマイズしながら展開しているのが現在の形です。コーチングはもっと広い概念ですし、今はウェルビーイングなどさまざまな考え方がありますので、やはり1つのメソッドだけでは仕事として成り立たないんです。
講演会の場合は、私ができることを伝えればいいのですが、企業研修となると、企業様が求めている内容に応えていく必要があります。その柔軟性も当社の強みだと考えています。
そうした事業を通じて、お客様のどのような課題を解決されているのでしょうか?
コミュニケーションは企業の永遠の課題です。営業とかお話しに行くときに、「コミュニケーションでお困りのことはないですか」と聞くと、必ずたくさん出てくるんです。
例えば、「会議中誰も意見を言ってくれない」とか、「隣の人が仕事で忙しそうでも何も声をかけない」とか、いろいろ出てきます。
それに対してできることは、やはり自分に不満がなければ人に優しくできるし、自分の思っていることも言ってみようと思えるので、まずは自分が前向きになることなんです。
ハッピートークでは、まず自分が前向きになることで、人に優しくできたり、自分の思いを言えるようになったりすると伝えています。言葉を変えることで、個人が変わり、組織が変わり、社会が変わる。そんな変化を、企業研修や講演会を通じて実現していくことが、私たちの使命だと考えています。
受講された方々には、実際にどんな変化や効果が出ていますか?
ハッピートークの効果を示す印象的なエピソードがあります。スタッフの一人が、中学1年生の息子さんに実践してくれた事例です。
彼女は私から「言葉を変えると、次の日が変わるよ」という話を聞いて、寝る前に「今日何かいいことあった?」「明日もきっといいことがあるよ」と息子さんに伝え始めたそうです。それまで息子さんは、朝なかなか起きなかったり眠りが浅かったり、「今日は学校に行きたくない」という日も結構多かったそうなんですが、寝る前の一言を始めてから「今日こんな楽しいことあったよ」と自ら話し、朝も自分で起きてくるようになったと言います。1ヶ月継続して、大きな変化を感じているそうです。
自分が発する言葉ひとつが大きなエネルギーになる、と彼女は感じたそうです。楽しいことを見つけに行こうとする姿勢が、子どもにも自分にも生まれてくる。1日10秒のハッピートレーニングですが、子どもは吸収力が高いので変化が早く、続けたら自分自身も確実に変わると実感しているそうです。「一言変えてみる」っていうだけでこんなに違う。言葉が変わったら見え方も変わってくる、という現象を起こすのがハッピートークの本質なんです。
ハッピートークの詳細はぜひこちらからご覧ください。
ここからは池崎社長ご自身のことを教えてください。どのような子ども時代を過ごされましたか?
子どもの頃の記憶は、あまりないんです。落ち込んだことも、とても楽しかったことも、あまり記憶になくて、本当に平凡な子ども時代でした。ただ、性格としては人見知りでおとなしい子どもでしたね。
そんな私にとって、子ども時代で最も印象的だったのは、実家が営んでいた電気屋さんでの父親の姿です。父はよく「自分は子どもの頃から、電化製品とか、テレビとか、いろいろなものを分解して組み立てるのが好きで、電気屋さんになりたいと思っていたんだよ」と話してくれました。その話を何度も聞いているうちに、私の中で「夢は叶うもの」という確信が生まれました。
父は「夢」という言葉は使っていませんでしたが、子どもの頃から電気屋になりたいと思っていて、実際になった本人がここにいる。もう、何の迷いもなく、夢は叶うと思っていたんです。これが私の人生観の基礎になりました。
そんな私が持った夢は、ラジオのパーソナリティになることでした。きっかけは祖母の一言です。「孫の1人ぐらいテレビやラジオに出ないかな」と言っていたんです。私は本当に家族に影響されやすい子どもだったと思います。
何の迷いもなく夢は叶うと思い込んでいて、実際に20歳くらいでラジオのパーソナリティになりました。今思えば夢が小さすぎるんですけど、東京の局アナになりたいとかではなく、ただ「ラジオのパーソナリティになりたい」だったので、結構早く叶ってしまったんですよね。
夢を追いかける中でどのように成長されていきましたか?
実は、10代の頃、ラジオのパーソナリティとは別にもう一つ夢がありました。海外で仕事をしてみたいという夢です。海外でバリバリ仕事をしたいと思って、高校卒業後は英語の専門学校に行きました。でも、1年で辞めてしまいました。全然勉強しなくて、英語が喋れるようになるまで続かなかったんです。
さてどうしようかなと思ったときに、「そういえば、私はラジオのパーソナリティになりたいという夢があったんだ」と思い出したんです。それでアナウンススクールに通い始めました。人見知りで人前で話すのが苦手だったんですが、授業で発声練習や朗読、パントマイムなどをやっているうちに人前でも話せるようになりました。話す技術が蓄積されていくんですよ。コツコツやれば誰でも話せるようになる、声が出るようになる。そうするとだんだん楽しくなってくるんです。
とはいえ、技術的には話せるようになっても性格としてはずっとおとなしいままでした。でも、それでもいいんだということを、後々コーチングを学ぶ中で理解していくことになります。
アナウンススクールを卒業された後は、どのような道を歩まれたのでしょうか?
アナウンススクールを卒業した後は、スクールの卒業生が多く所属するタレント事務所に所属しました。名古屋のタレント事務所で、就職ではなく所属という形です。仕事があればいただけるし、なければないという世界でした。
安定した収入ではなかったので、当時はいろいろなアルバイトをしていました。その中で一番面白かったのが、劇場でのアルバイトです。いろいろなお芝居も見られて本当に楽しかったです。それと、タウン誌で取材をして記事を書くという仕事もしていました。今は廃刊になってしまったのですが、そのタウン誌ではコラムも担当していて、これが私の執筆活動の原点ですね。
結婚・出産という転機を迎えて、キャリアはどう変化しましたか?
タレント事務所には2年ほど所属していたのですが、23歳で結婚し、子どもも2人生まれて、バリバリ働けないという状態になり退所しました。
1人目の子育てをしている中で、ありがたいことに結婚式の司会の仕事をする機会に恵まれました。家から徒歩5分ぐらいのところに結婚式場があって、「結婚式の司会をやらせてもらえないですか」と問い合わせたら、なんとやらせてもらえることになったんです。結婚式場での司会は、司会が必要な日を教えてもらって、できる日だけ勤務すればOKという形で、オーディションという競争もない穏やかな仕事でした。この転換は、子育てをしながら働く上でとてもありがたいものでした。
他に、起業後も長く続いた仕事としてケーブルテレビでの仕事があります。これもまた家の近くに、という話になるのですが、近くにケーブルテレビ局があって、そこの局とご縁ができてお仕事をいただいていました。
起業のきっかけを教えてください
2人目を妊娠したときに、司会の仕事をしていた結婚式場から、私のように司会の仕事をしてくれる人を紹介してほしいと言われたことをきっかけに、司会者の紹介がどんどん増えていきました。紹介してほしいという相談を受けて、紹介して、紹介料をいただいて、という中で、知り合いの会計士さんから「そろそろ会社にしたほうがいいですよ」と言われたんです。
そうして1994年、29歳で会社を設立しました。それまでは受け身だったんですが、起業してからは積極的に営業に行ったり、自分から動くようになりました。会社という形にしたことで、何か自分の中でスイッチが入ったような感覚がありました。
とはいえ、事業がすぐに拡大したわけではありません。最初の10年間は、結婚式やイベントの司会、ケーブルテレビのキャスターといったアナウンサーとしての仕事を軸に事業を展開していました。そこから次第に、今のハッピートークへと事業の中心が移っていくことになります。
振り返ってみると、独立したかった、経営者になりたかったというより、ご縁が繋がって起業したという感じなんです。だから、「いつ頃経営者になりたいと考えたのか」と聞かれると、正直なところ「考えたことがなかった」というのが答えです。でも、会社にしてみたら楽しくて、どんどんやりたいことが増えていった。それが私の起業ストーリーです。
司会業から、現在のハッピートークへと事業の中心が移ったきっかけは何だったのでしょうか?
起業当初から10年間は、結婚式の披露宴MC、ケーブルテレビのキャスター、イベント司会などの請負業を中心に活動していました。私自身もその仕事をしていましたし、弊社に所属しているフリーアナウンサーの方々が結婚式の司会をしたり、ケーブルテレビで仕事をしたりという形でした。
しかし、40代に差しかかった頃、「この仕事は一体いつまでできるんだろう」と、不安を感じるようになりました。ふと、結婚式の司会は若い女性のほうがいいのかな、と思ったんです。有名な方は別として、キャスターもレポーターも、一般的には若い人が多い時代でした。同世代の仲間や、弊社に所属しているフリーアナウンサーたちのことも考えて、私だけではなく、みんなのためにも違う仕事を何か考えたほうがいいなと思ったんです。
そんなとき、たまたま知り合いが講師をやっているという話を聞いて、知人の紹介で体験会に参加しました。
当時、私は講師というとマナー講師しか知らなかったんです。世の中にはマナー講師しかいないと思っていたぐらいでした。でも実際に体験会に行ったら全然違って、コーチングという心理学的なものだったので、とても面白いと思いました。コーチングだったら楽しそうだから受講してみよう!と思って、司会の仲間も何人か誘って、一緒に受講することにしました。
これがハッピートーク誕生のきっかけとなり、また私の人生を大きく変えるきっかけにもなりました。コーチングを学ぶ中で、「夢は大きいほうがいい」というのを学び、私の夢はどんどん大きくなって、本当に面白い人生になったんです。子どもの頃があまりにも平凡すぎて何もなかったので、余計にそう感じます。
それと、コーチングを学んだときに、自分のやりたいことを棚卸しする時間があって、「そういえば、アメリカで仕事したいと思ってたんだ」と思い出しました。英語への挑戦は挫折しましたが、その経験が後にアメリカで仕事をする夢を別の形で叶えるきっかけにもなりました。人生は本当に繋がっているんですね。
独自メソッドのハッピートークはどのように誕生したのですか?
コーチングを学んだ後、NHK文化センターに企画を持ち込みました。その際、コーチングと話し方、2つの企画書を持っていったんです。一度は担当者の方から「コーチングも話し方も両方、先生が何人もいるから、もうこれ以上講座を増やすことはできないんですよ」と断りのお返事をいただいたんですが、その後すぐに電話をいただいたんです。なんと「コーチングと話し方をミックスした講座を開くことはできますか?」という逆提案のお電話でした。
それで、コーチングと話し方をミックスした、前向きになって自分の夢を叶えるようなクラスを始めることになりました。最初から全くオリジナルな内容でのスタートです。これがハッピートーク誕生の瞬間でした。
コーチングだけで講師をやっている人は世の中にごまんといます。そこで差別化を図るために、コーチングと話し方をミックスさせた講座を考えたわけですが、それが先方からの提案という形で実現したんです。レッドオーシャンとレッドオーシャンをかけ合わせてブルーオーシャンを見つけたような形ですね。
ここまで順調に展開されてきたように見えますが、過去に失敗の経験などはありましたか?
失敗のエピソードもあります。36歳のとき、セレクトショップの経営に挑戦しました。アメリカに買い付けに行く形のお店です。海外で仕事をしたいと思っていた私にはとても楽しい仕事で、3ヶ月に1回ニューヨークに買い付けに行く生活をしていました。ニューヨークの街を颯爽と歩いていた時間は、本当に楽しかったですね。
でも、仕入れは楽しいけど、売るのは苦手でした。今みたいにインターネットがなかった時代なので実店舗が必要で、子育てもあるし、結婚式の司会もやっていたので、だんだん疲れてきてしまって。2、3年でやめました。目的が違ったんです。「私がアメリカに行きたい」で始めた事業だったから、洋服屋をやりたいとか、みんなを綺麗にしたいといった熱量が足りなかったんですよね。結構お金を使ってしまったなと反省しました。でも、この経験があったからこそ、後にコーチングで夢を棚卸ししたときに、「アメリカで仕事をする」という本当の夢に気づくことができたんだと思います。
ニューヨークでのセレクトショップのお話がありましたが、その後アメリカでのお仕事も実現されたとお聞きしています。詳しく聞かせていただけますか?
英語ができなくてもアメリカでできる仕事は何かと考えたとき、「ハッピートークを海外にいる日本人に伝えよう」と思ったんです。とはいえ、当時はまだzoomなどもなく、適切な方法が見つかりませんでした。
でも、アメリカに行きたいということを忘れないように1ドル札を財布に入れたんです。そしたらお財布を開けるたびに1ドル札が見えて、「あ、私、アメリカに行きたいんだった」って思い出せるかなと思って。実際、「私、アメリカでハッピートークやってみたいんだよね」って多くの人に伝えていたようで、ある日紹介者が出てきたんです。
そこからはロサンゼルスで講演会をやったり、現地の日本人向けのラジオ局のオーナーさんとご縁があって、ラジオ番組を3ヶ月間ぐらい担当させてもらったりしました。日本でラジオを録音して送る形で、ラジオパーソナリティをアメリカでも経験できたんです。子どもの頃の私に言うなら、「もっと大きく世界に羽ばたきな」という感じですね。
経営者としてここまで歩んでこられた中で、どのような苦労がありましたか?
経営者として一番大変だったのは、従業員の入れ替わりです。
私は会社を大きくしたいわけではなくて、女性たちが輝く仕事をするということを大切にしてきました。小さい会社なので、少数精鋭でやる必要があり、特に事務仕事が課題でした。人数が少ないとその人だけが把握している仕事というのがどうしても生まれてしまって、その人が辞めると、社内でその仕事を理解している人が誰もいない状態になるわけです。この繰り返しが本当に辛かったです。
もう少し会社を大きくしたいとか、そういう気持ちでやっていればもっと人員を増やすことができたんですけど、それよりは、みんなが楽しみながらやりたいという思いが強かったんです。会社を大きくすることよりも、関わってくれる人たちが幸せに働けることを優先してきた結果、少数精鋭にならざるを得ず、そのことが従業員の入れ替わりの影響を大きくしていました。
従業員の入れ替わりという課題を、どうやって乗り越えてこられたのでしょうか?
実は、この悩みは時代の変化によって解決しました。今はとても仕事がしやすい状況になっています。働き方が変わって、スポットで仕事が頼めるようになったこと、これが大きな転換点でした。
1人の人にすべてを任せるのではなく、それぞれの専門性を持った人にスポットで依頼できる。これによって、1人が辞めてもゼロからやり直しにならない仕組みができました。少数精鋭であることは変わりませんが、その「少数」の定義が変わったんですね。正社員やパートという固定的な雇用形態ではなく、必要な時に必要なスキルを持った人に依頼できる。これが現代の少数精鋭の形だと思います。
みんなが楽しみながら働ける環境を大切にしたいという思いは変えずに、時代に合った働き方を取り入れる。形は柔軟に、本質は変えない。この両立が、苦労を乗り越える鍵だったと思います。
60歳でアフリカのサバンナマラソン230キロに挑戦されたと伺いました。きっかけを教えてください
最初のきっかけは、女性経営者仲間の影響でした。「10キロ走れる体になると、判断力がつくよ」と、マラソンを始める方が周りに多くいたんですね。それで私も真似をして走り始めました。
そこから少しずつ距離を伸ばしていく中で、もう一つ大きな思いが重なってきます。出前授業で小中学校に伺うと、先生方から「今の子どもたちは失敗を恐れて挑戦しない」という声をよく聞くようになったんです。
子どもたちは「失敗したくない」「私には無理」と、一歩を踏み出せずにいる。「言葉を変えれば人生は変わる」と私が伝えるだけでは、心に届かない場面が増えてきたんですね。
それなら、自分が挑戦する姿を見せようと思ったんです。スキルだけ伝えても、実体験がなければ薄くなってしまう。「言葉の力でここまでチャレンジできた」と、自分の体で示したいと思いました。
そして2024年9月、60歳でアフリカのサバンナマラソン230キロに挑戦することになったんです。
そんな大きな大会への準備はどのように進めたのですか?
きっかけは、一緒に行く仲間が「申し込んだよ」と教えてくれたことでした。1人は普段から砂漠を走るような強靭な男性、もう1人は20歳も年下で、体を動かすインストラクターさんです。私とは全くレベルの違う2人でした。
その2人が申し込んだと聞いて、思わず私も申し込んでしまったんですね。今思うと意味のわからない行動です。10月に申し込んで、翌年9月が大会本番。準備期間はおよそ1年でした。
申し込んだ直後は「どうしよう、どうしよう」と慌てるばかり。冬場はほとんど練習できませんでした。本格的に動き始めたのは、ちょうど2月頃からです。
毎週、岐阜の山に通って練習しました。1回の練習で20キロほど走ります。大会が近づいてくると、本番と同じ10キロほどの荷物を背負って走るようにしました。
5日間で230キロ、しかも10キロ以上の荷物を背負ってフルマラソン以上の距離を毎日走る。本当に大変な準備期間でしたね。
実際に走ってみて、いかがでしたか?
走る前は不安もありました。でも、一歩を踏み出してみると、本当にたくさんの応援をいただけたんです。
私が「サバンナに行きます」と前向きに発信していると、周りの人もどんどん前向きになってくれるんですよ。応援してくれる方が増えると、その力をまた自分の中に取り込んで、走る力に変えていける。
サバンナの大自然の中で自分の限界に挑戦することで、これまで見えなかったものが見え、感じられなかったことを感じられるようになりました。「自分を信じる力」が強くなっていくのを実感したんです。
走り終えたとき、これこそが究極のハッピートークだと感じました。前向きな言葉を自分にかけ続けることで、こんな大きなチャレンジまでできる。それを自分の体で証明できた経験でした。
この挑戦から得た学びは、現在の活動にどう活きていますか?
サバンナマラソンを通じて得た学びは、大きく5つあります。挑戦は自分を強くすること、仲間と助け合う大切さ、自分のペースで進むこと、困難を乗り越える力が未来をつくること、そして感謝の気持ちが自分を成長させること。この5つです。
今は、この体験をそのまま講演会でお伝えしています。子どもたちはもちろん、大人向けの講演会でも反響は大きいですね。
特に印象的なのは、子どもたちの反応です。「アフリカで230キロ走れたよ」と話すと、目を輝かせて聞いてくれます。失敗を恐れていた子が「自分も何かやってみたい」と話してくれる場面もありました。
何歳になっても人は変われる。前向きな言葉が、人生を切り拓く力になる。その証明を、これからも自分自身の人生で示していきたいと考えています。
サバンナマラソンの挑戦からも次のステージが見えてきそうですが、今後の展望について教えてください
今後の展望として、ハッピートークを多くの人に届けるために、講演会を増やしていく活動に力を入れています。ハッピートークは言葉を使う人すべてが対象なので、どんな方法で伝えていくのがいいだろうかと常々考えています。一時はターゲットを女性に絞ってみようかなども考えたんですが、今はビジネスをする皆さんに届けられたらと思っています。コミュニケーションは本当に企業の永遠の課題で、答えがない部分ではあるので、ビジネスパーソンに伝えていけたら嬉しいです。
今後も、企業研修や講演会を通じて、ハッピートークを広めていきたいと考えています。一人ひとりが言葉を変えることで、組織が変わり、社会が変わる。そんな大きな流れを作っていけたら、これほど嬉しいことはありません。
最後に、おすすめの本を教えてください
2冊あります。
1冊目は、佐藤富雄先生の『自分を変える魔法の口ぐせ 夢がかなう言葉の法則』です。
これは、ハッピートークができあがった原点となった本なんです。すごく古い本で、私の持っている本もボロボロになってしまいました。
この本のすごいところは、読んだら読み終わっただけで前向きになっちゃうんです。言葉を変えれば脳も変わると。まさしくハッピートークの考え方の基礎になっています。言葉と脳の関係についてわかりやすく書かれていて、読むだけで「私もできる」って思えるんです。もし手に入るのであれば、ぜひ経営者の方々に読んでいただきたい一冊です。
2冊目は、前野隆司先生の『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』です。武蔵野大学のウェルビーイング学部の教授をされている前野先生の本です。
この本には、前向きに生きるためにはこういうことをすればいいんだよ、というヒントがいっぱい載っています。日本人は、DNA的に危機管理能力が高いので、心配ばかりしてしまうそうなんです。心配性で、起こりもしないことを心配してしまう。でも、前向きに幸せに毎日を過ごすには、脳の働きを理解すればいいんです。「自分は心配性なのではなく、危機管理能力が高すぎるだけ」と知るだけで、それほど嫌な思いをしなくて済みます。「そうか、じゃあ前向きな部分を多くしよう」というように思えるんですね。
この本のタイトルにもあるように、「幸せはコントロールできる」んです。幸せになる方法がいっぱい載っているので、この本を読むと「私にもできるわ」ということがたくさん感じられます。
経営者として、従業員の幸せ、お客様の幸せ、そして自分自身の幸せを考える上で、とても参考になる一冊だと思っています。
『自分を変える魔法の口ぐせ 夢がかなう言葉の法則』佐藤 富雄(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4761260777
『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』前野 隆司(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4062882388/
投稿者プロフィール

-
企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
企業出版のノウハウを活かした記事制作を行うことで、社長のブランディング、企業の信頼度向上に貢献してまいります。
最新の投稿
仕事05/21/2026有限会社フロム・サーティ代表 池崎 晴美氏
仕事05/19/2026一般社団法人ALA日本セルフチューニング協会代表理事/ALA美脚学校主宰 神谷 かのみ氏
仕事05/13/2026株式会社丸菱製作所代表取締役社長 戸松 裕登氏
仕事05/08/2026MRT株式会社代表取締役社長 小川 智也氏

