今回は合同会社big up 焼き鳥 敷嶌代表、上荒磯裕志氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
会社名称 | 合同会社big up |
代表者 | 上荒磯裕志 |
設立 | 合同会社big up:設立2016年、商号変更2019年
焼き鳥 敷嶌 :2024年 |
主な事業 | 焼き鳥 敷嶌 の運営
伝統芸能の周知や地方創生などに携わるなどの事業の展開 |
社員数 | 1名(取材時) |
会社所在地 | 合同会社big up:〒104-0061東京都中央区銀座4丁目14番7号
焼き鳥 敷嶌 :〒160-0008 東京都新宿区四谷三栄町3−9 |
会社HP | https://tabelog.com/tokyo/A1309/A130902/13296939/ |
事業内容を教えてください
合同会社big upのメイン事業は四谷にあるテイクアウト専門店「焼き鳥 敷嶌」の経営です。専用の自動串焼き機を使い、オーダー後に1本1本その場で焼き上げ、出来立ての温かい状態で串焼きを提供しています。厳選した国産の食品を使用することにこだわっており、富山県産の醤油をベースに作ったタレや鹿児島県徳之島産の塩、その他地鶏、和牛、羊肉のメニューも提供しています。
当社は創業当時から伝統芸能に関わる普及活動や地方創生、街おこしに尽力してきました。
これらの事業は、いわば黒子として動き成功へと導く仕事でしたが、コロナ禍を経て、これまで関わってきた地方自治体や関係者の想いと、まだ知られていない食材、商品を1つのカタチにして世の中に発信したいと思い、飲食業を始めました。日本の良さを焼き鳥という商品を通じて発信していこうと、店名も「日本」を意味する「敷嶌」と名付けています。
焼き鳥 敷嶌の詳しい情報は下記よりご確認ください
食べログ→https://tabelog.com/tokyo/A1309/A130902/13296939/
Instagram→https://www.instagram.com/shikishima_yotsuya/
なぜ日本の良さを1つのカタチで発信する手段に焼き鳥を選ばれたのでしょうか?
横須賀の老舗焼き鳥屋の経営者 故 小金肇氏 (https://donzoko-ceo.com/chuko/)との出会いがきっかけです。
小金社長は生前、自動串焼き機を開発されました。
なぜ開発に着手したかというと、近年、年金や預貯金だけで老後を生き抜くことが難しく、定年後も働き続ける必要があること、加えて自分で事業を持つ必要性が高い時代となったからです。
焼き鳥はとても奥が深く、一人前の職人を育てるまでに十数年と長い年月がかかります。しかし小金社長は「誰もが職人と同じ品質で焼き鳥を焼ける串焼き機をつくり世の中に普及させれば、自分の店を持つハードルが低くなり、老後に不安を抱える方へ希望を提供できるかもしれない」と考えました。
私はその想いに強く共感し、この機械を世の中に普及させる仕事を一緒にしてきましたが、道半ばで社長が亡くなられました。その時、ここで諦めることはしたくないと思い、社長の意志を引き継いで四谷に焼き鳥屋をオープンしました。小金社長と一緒に仕事をしていたときのように、店頭に立って焼き鳥をつくり、日々お客様と接しています。
学生時代の思い出を教えてください
大学は全国でも珍しい観光学部に入学しました。地理学の研究ゼミに所属し、中でも都市観光が私のテーマでした。私の生まれは東京なのですが、小学校2年生のときに両親の実家である鹿児島に引っ越しました。山間の1学年1クラスしかない小学校に転校し、大きな衝撃を受けました。都会と地方に差があることを子どもながらに初めて実感しました。
大学に入るまで鹿児島で暮らしたことでこの土地に愛着が芽生えましたが、その一方で、地方と東京の差をより強く感じるようになり「鹿児島をより良くしたい」という気持ちを持ち始めました。鹿児島をもっと元気にできることはないかと思い、大学生になった頃から地方と都会を繋げる活動を始め、応援してくれる大人の方に様々なことを教えていただきました。
具体的にどのようなことを教わったのでしょうか?
色々ありますが、「様々な経験をしなさい」とよく言われていましたね。もちろん素直にアドバイスを聞き様々なチャレンジをしましたが、特にアルバイトは10社以上経験しました。宅配業者の配送センターや大手アパレルショップの店員、焼肉屋、フグ屋、レンタカーなど様々な業種、業態で働きました。
就職活動ではどのようなことをされていましたか?
就職氷河期真っ只中での就活で非常に大変でした。当時、社長になりたいという目標は特になく、国づくりや街づくりに興味があり、インフラ、土木関連事業、建設関係、物流、エネルギー関係を中心にOB訪問やエントリーをしていました。
最終的にエネルギー関係の大手に内定をいただき、新卒で入社しました。
その後、起業されるまでにどのような仕事を経験されましたか?
金融や保険関係の仕事をしていました。
社会人として働く中で、仲間と大きな目標に対して頑張ること、1人では無理でも仲間と力を合わせることで規模感の大きな仕事をやり遂げることができたのは、大きな成功体験だと感じています。
起業するきっかけについて教えてください
シンプルに、自分で決めたゴールに向かって真っすぐに進みたいと思ったからです。
いくら成果を出せる良いチームであっても、全員が常に同じゴールに向かっているとは限りません。仲間と仕事をする楽しさ、やりがいはもちろんありますが、自分が強く実現したいことが思い浮かんだ時、「これだけは自分でやり遂げよう」と考えて独立を決心し起業しました。
これまでどのように事業を展開されてきましたか?
起業当初は大学生の頃から思い描いていた、日本をより良い国にする仕事をしようと、地方創生に関わる事業を本格的に始めました。
最初は都内で行う地方都市とのコラボフェアに多く携わったのですが、これらの仕事はボランティア的な要素が大きく、やりがいや達成感を得る喜びはあるものの、採算度外視なケースがほとんどで、事業としてマネタイズすることが難しい状態でした。
周りに同じような仕事をしている人もいなかったので、どうすればビジネスとして発展させることができるのか、課題を感じていました。
地方創生事業で収益を出すのは厳しいのでしょうか?
そうですね。地方創生事業は継続性、持続性を保つことが容易ではなく、収益化が特に難しい事業ではないかと思います。だからこそ、何かしら形として実績を残さなければ世間に認めてもらえないので、ボランティアにならず売上がつくれる方法を持つことにこだわり続けました。
また、独立してからは自分自身で発信することの重要性も感じました。黒子として働くことも必要な仕事ですが、やはり日本をより良い国にするためには、自分が表に立ち想いを伝えることで前に進むことができることも多くあります。自分の核を持って表現していくことが大切だと実感しました。
今後の展望を教えてください
これまで多くの困難がありましたが、人に恵まれ様々な方が支えてくださったこと、日本を盛り上げていきたい気持ちを強くもっていたからこそ、諦めずになんとか乗り越えることができました。
今後も世界と日本を繋げるツールの食材を探して、日本の良さを世界に発信し、地方創生に注力したいです。また、伝統文化の普及をはじめ、先人たちの知恵を未来に繋げていく活動や、地方と都会、日本全国を繋ぐ活動をしていきたいと考えています。特に串焼き機は今後海外に販路を見出したいです。
そして、これらを実現するためにも、まずは焼き鳥 敷嶌をしっかりと経営していきます。
お近くにいらした際は、ぜひお立ち寄りください。
経営者におすすめの本はありますか?
稲盛和夫さんの著書『生き方』です。
稲盛さんの教えのように、生きていくことに対する使命を追うことが私の原動力になっています。
経営者として経済、キャッシュフロー、儲けは大切ですが、その裏には理念・使命が重要になります。生まれてきた意味は何か、自分自身に問い続け日々邁進しています。
気になった方はぜひ読んでみてください!
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投稿者プロフィール
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新入社員を含めたフレッシュなメンバーを中心に、出版サポートの傍らインタビューを行っております!
就活生に近い目線を持ちつつ様々な業種の方との交流を活かし、「社長に聞きたい」ポイントを深掘りしていきます。
代表者様のキャリアを通して、組織の魅力が伝わる記事を発信していけるよう、これからも一生懸命運営してまいります!
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