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エヌ・キューブ・エンタテインメント株式会社代表 名城文夫氏

 

今回はエヌ・キューブ・エンタテインメント株式会社代表、名城文夫氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

 

 

 

会社名称 エヌ・キューブ・エンタテインメント株式会社
代表者 名城文夫
設立 2002年
主な事業 アーティストの育成・マネジメント事業

レコード製作 音楽・映像ソフトの企画、宣伝、販売

社員数 3名
会社所在地 沖縄県那覇市首里/東京都池尻大橋
会社HP https://www.n-3.co.jp/

 

 

 

事業内容を教えてください

弊社ではアーティストの発掘、育成プロデュースやライブ制作、マネジメント全域を行なっております。沖縄出身、沖縄にゆかりのあるアーティストが輝けるようサポートしております。

 

 

学生時代に熱中したことはありますか?

アメフトを1年、レスリングを2年していましたが、1番続いたのは陸上です。小学校から大学2年の途中までとにかく走ることに打ち込んでいました。元々走るのが好きで小学3年生の頃には既に20キロほど走っていましたね。高校2年生でアメリカに留学した際は、400メートル・800メートルを走っていました。大学は全米でも陸上の中距離がトップクラスの学校で、なんとか入部出来たものの怪我のため途中で退部となりました。先輩のジャマイカの選手は在学中にオリンピックでメダルを取っていたり、同級生の中にはジュニアの世界記録を持っている選手とかが居て一緒に同じチームで陸上に打ち込めたのは良い刺激になりました。

 

アメリカ留学のきっかけについて教えてください

父の仕事の関係で小学校6年生から中学1年生までアメリカで暮らしていました。

帰国後は英語が得意科目になり、担任の勧めもあり高校1年の時留学試験を受け合格し、1年間アメリカで勉強し帰国しました。しかし日本の当時の年功序列、学閥、派閥主義のシステム及び沖縄差別が有る中での自分の将来のキャリアの天井がなんとなく分かってしまい、せっかくなら差別もあるが、より実力主義、青天井のアメリカンドリームの下チャレンジしたいと思って、アメリカの高校に編入し大学・大学院をアメリカで過ごしました。

大学の専攻は当初はコンピューター工学をやっていましたが性に合わず、アメリカのホストファミリーの父親の勧めもあり(銀行の副頭取)、ビジネススクールに入り直しました。

 

大学院卒業後は投資銀行に入社されましたが、何か理由はあったのでしょうか?

大学院ではMBAのコースを1年で終わらせて、2年目はフルタイムでアメリカの大手企業でインターンをしていました。インターン先の社長から「うちでも雇えるが、君のバックグラウンドならこれからは金融にいった方が良いよ」とアドバイスをされた時に、ちょうどNYの投資銀行、バンカートラスト銀行から面接に来てほしいと連絡がありました。

バンカートラストの新卒入社は狭き門で、私は同級生の助けをかりつつ準備をして面接に挑み、日本人として及びそこの大学院で初めて新卒での内定を得ることができました。ちなみに今でも面接のことはよく覚えています。休憩時間なく9時間ぶっ通しで面接があり、1時間ごとに人数が減っていくので、精神的にも体力的にも大変でしたね。

当時の金融業界は尊敬できる人が多く、働き甲斐のある環境でした。

 

金融業界で何か苦労したことはありますか?

金融業界で25年ほど働く中で、「デリバティブ」部門の0からの立ち上げに携わりました。今では主力商品ですが、当時は賛否両論あり、悪魔の商品だと言われることもありました。当時は自分が作った無形商材が人を不幸にしているのではないかと悩みました。また33歳の時過労とストレスで倒れて6回ほど救急車で搬送され2年程療養していました。

例えば、包丁で優れたシェフは美味しい料理を作ることもできますが、人を刺すような犯罪に使われることもあります。同じく金融商品、特に『デリバティブ』は切れ味が鋭いので正しい目的で使えば非常に便利です。ただし間違えた意図で使われると同じく被害者を産みます。それは商品が悪いのではなく、悪意を持って間違えた使い方をする人間が悪いのだと気がついた時に気が楽になりました。

今ではデリバティブは金融にとって無くてはならないお米のような存在になっているので0から商品開発に関われた事は誇りに感じます。この経験から自分はゼロから何かを作っている事が好きだと感じました。

 

大変な状況から仕事復帰を果たすためにどんなことを考えていましたか?

当時は医者から『心身症のデパート』と言われるくらい状況が悪く、鬱病、自律神経失調症、燃え尽き症候群、パニック障害等を同時に併発しており、2年程度引きこもりの状態でした。仕事に復帰した当初は飛行機にも1人で乗れない状況でした。

交通事故に遭った方の中には体が不自由になってしまう方もいますし、障害があっても立派に働いている人がいます。「自分は心身の病で多少後遺症が残っているが他の障がい者同様上手に付き合いながら仕事はできる」と思い、心身症と付き合いながら仕事に復帰していきました。当初は安定剤を握って営業をしている時もありましたが色々な人々の協力もあり次第に元の仕事に慣れていき、復帰して4年くらいで元の仕事量がこなせるようになり、7年目くらいに飛行機に一人で乗れるようになりました。

 

独立のきっかけについて教えてください

元々10代はバンドをやっておりプロを目指していましたが、アメリカ留学を機に一旦自然消滅しました。元々金融業界に入ったのも、不純な動機ですが、35歳くらいまでに一気に稼いで後は好きな音楽をやると言う目標もあったからです。

30代後半ぐらいで仕事の傍ら音楽活動を再開して大手事務所からもスカウトされましたが、米系の投資銀行の在日代表になり自分のチームを立ち上げたばかりで自分がアーティストになるには時期を逸してしまったと思いました。音楽の関わり方も色々ある中で、発掘、育成、プロデュース業の方に専念しようと思い自分のボイトレの先生や知り合いのプロデューサーに依頼して発掘を始めましたが、中々簡単には発掘できず「私の娘を育成プロデュースするのが一番良いのでは?」という話になり、7年ほど自分の娘のプロデュースと育成を行い大学在学中にSONY MUSIC RECORDS から晴れてメジャーデビューして現在もアーティスト活動をしています。

他にも3組のアーティストをプロデュースし、全員がメジャーデビューしています。現在はAnlyと言うメジャーアーティストのプロデュース、マネジメントを中心にやっています。

 

独立されてから苦労されたことはありますか?

新規事業だったので分からないことが多かったですね。1番の失敗は発掘した全てのアーティストがほぼ同時期にメジャーデビューしてしまったので、私一人では回らなくなったことです。

マネジャーを雇いたいと思っていても新人に対してベテランのマネジャーを採用できるわけもなく、試行錯誤が続いてしまいました。また音楽業界は後追いで売上が入ってくるので一気に複数のアーティストがメジャーデビューして手元のキャッシュフローが回らなくなることもありました。音楽バブルが弾けた後だったので、売上も減少傾向で業界は過渡期に入り、ビジネスのやり方も年々変わってきているのでその変化に対応する事も大変でした。

現在も激しい変化の途中です。コロナ禍でこの2年半はアーティストにとっても事務所にとっても一番苦しい時期でしたが少し明かるい兆しが見えてきたと思います。

 

どのように立て直しを図ったのでしょうか?

自分のキャパシティを越える業務拡大は無理だと確信しました。昔のようにアーティストが1曲当てればそのまま食える時代ではないので、数を打つのではなく、一人のアーティストに資源を集中させ、時間をかけて深掘りしてアーティストをブランディングしてコアファンを増やし、長く活躍できるように戦略を変えました。大手とは考え方が違うと思いますが、個人事務所なので抱えきれなくならないように目の届く範囲でのマネジメントを心掛けました。

 

 

注目のアーティストを教えてください!

Anly(アンリィ)をご紹介したいと思います。

沖縄県伊江島出身のシンガーソングライターで幼少期から父親の影響でギターを始めました。英語詞、日本語詞、様々なジャンルの音を楽曲の随所に感じさせるミックス感覚が素晴らしく、ループ・ペダルを駆使したソロ・ライブ、バンド編成ライブ、アコースティック・ギター弾き語りなど、様々なスタイルを持っておりそのライブパフォーマンスの評価は国内海外問わず高くライブを観て初めて凄さが分かるアーティストだと思います。

最近では人気アニメ「NARUTO-ナルト- 疾風伝」のオープニングテーマ曲の『カラノココロ』がTikTokでバズっていて関連動画が2億回再生に達していてBillboardにランクインしました。その他にもラグビーのリーグワン決勝、国立競技場での国家斉唱を任され、2022年10月12日に4枚目のアルバム『QUARTER』が発売予定で10月22日よりアルバムツアー「Anly”Loop Around the World”~Track4/QUARTER~」がスタートいたします。

 

Anlyさんオフィシャルサイトはこちら→http://www.anly-singer.com/

 

今後の展望を教えてください

グローバルに活躍するアーティストを育てていきたいです。日本語が普及しなくても、グローバルで活躍できるアーティストは必ず出てきます。私がアメリカに滞在していたとき、「上を向いて歩こう」がラジオから流れてきて、アメリカで人気がありました。日本語がわからない人にもいい曲は響くんだと実感しました。私は日本人アーティストでもグローバルで活躍できることを証明していきたいです。

 

経営者におすすめする本はありますか?

ウェイン・W・ダイアーさん著書の「自分のための人生 (知的生きかた文庫) 」です。

よく成功した人を「あの人はラッキーだった」という人がいます。しかし人生にラッキーは無いと思っています。チャンスは平等にみんなの前を歩いていると思います。目を見開いていないと気がつかないでしょう。気がついても、そのチャンスをモノにできるかどうかはその人が常日頃努力を怠らないで準備していたかどうか次第です。また自分一人で出来ることは限られているので、ウィンウィンな関係を築いて色々な人々を巻き込んで協力してもらいチームを築くことも大切だと思います。常に準備万端の状態でアンテナをしっかり張って、研ぎ澄まされた自分でいたいですね。

 

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投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
『社長の履歴書』編集部
新入社員を含めたフレッシュなメンバーを中心に、出版サポートの傍らインタビューを行っております!

就活生に近い目線を持ちつつ様々な業種の方との交流を活かし、「社長に聞きたい」ポイントを深掘りしていきます。

代表者様のキャリアを通して、組織の魅力が伝わる記事を発信していけるよう、これからも一生懸命運営してまいります!