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株式会社デリシャスフロム北海道代表 前田伸一氏

今回は株式会社デリシャスフロム北海道代表、前田伸一氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!

 

 

会社名称 株式会社デリシャスフロム北海道
代表者 前田伸一
設立 2014年8月
主な事業 ジンジャービアの醸造・販売
社員数 9名(取材時)
会社所在地 〒044-0082 北海道虻田郡倶知安町岩尾別44−55
会社HP https://hakkoginger.theshop.jp/

 

 

事業内容についてご紹介をお願いします

2014年、飲食店経営を主軸に株式会社デリシャスフロム北海道は創業しました。

2020年より清涼飲料水製造、焼き菓子製造に着手し、現在は有機素材にこだわり、生姜、レモン、唐辛子を蝦夷山桜酵母で発酵させたノンアルコールのジンジャービアを製造しています。
また、ジンジャービアの製造時に出るレモンの皮や生姜の絞り殻を有効活用し、発酵レモンシロップや発酵ジンジャーパウダーに加工し地元産の米粉や発酵バター、てんさい糖に、これらを練り込み、グルテンフリーの焼き菓子をとして、全国に販売・発送しています。

さらに、昨年12月には「発酵」をテーマにしたセントラルキッチン「ハッコウキッチン桑園」を札幌に設立しました。さまざまな北海道野菜を使用した塩麹ペーストや、有機スパイスを使った発酵キーマカレーなどを製造し、自社販売だけでなく、私がコンサルティングするレストランでも提供されています。

 

今後も新しいビジネスを計画しているのでしょうか?

「世界のどこにもない、北海道でしか作れないもの」をテーマに、2023年6月より酒類製造・販売事業、9月からはミネラルウォーター工場の稼働が始まります。
酒類事業の第1作目となる商品はジン、「SPEAKEZ AQUAVIT≒GIN」。地元(北海道倶知安町)の特産品の馬鈴薯「北あかり」と米を使用した焼酎を作り、そこにアイヌ民族が古来から食料や薬として利用してきたシケレペ(エゾミカン)やエント(ナギナタコウジュ)を入れて蒸溜し、唯一無二のジンを作り2023年6月10日(世界ジンの日)に販売開始しました。
私たちが手掛けるジンジャービアと割るカクテル「ジンバック」は是非試していただきたいです。
またミネラルウォーター事業では、特殊なフィルターを採用した「非加熱」の商品を開発。スパークリングウォーターとしての展開も予定しています。

 

学生時代に熱中したことを教えてください

幼少期から12歳まで柔道をやっていました。小学校後半から社会人になるまではバスケットボールに打ち込み、中学高校ではキャプテン、中学校では北海道選抜に選ばれたりなど、毎日バスケに没頭していました。

 

色々打ち込まれていたのですね。他にもありますか?

料理も昔から好きで、チームメイトを家に招待し、料理を振る舞うようになったのはその頃からですね。
また、高校生活ではバンド活動も開始。最後の1年間は、300人収容のライブハウスのチケットが完売するようになり、そこそこ人気があったと思います。でもプロへの道はそんなに甘くなかったです。

 

それから社会人ではどのようなことをされていたのでしょうか?

東京でプログラマーとして就職しましたが、いつからか「24歳で海外で起業!」という目標を掲げていたので、「日本人といえばお寿司」という安易な考えから、昼間はプログラマー、夜はバンド活動、週末は寿司屋でアルバイトという3足草鞋の生活を送っていました。軽い気持ちで始めた寿司でしたが、職人さんの所作、奥深さにどんど ん引き込まれ、社会人1年後には銀座のお寿司屋さんに就職していました。

 

そこから起業はどのようにされるのでしょうか?

お寿司修行も志半ば、あっという間に24歳になってしまいました。

当時、私はまだまだ一番下っ端で、半人前の私が海外で起業することに周囲は完全に否定的でしたが、全員の反対を押し切り、 オーストラリアに渡りました。
まだまだ未熟だった私は、大都市ではなく、日本食屋のない田舎のビーチリゾートを選び起業。周りと比べられることなく「地域唯一の日本食店」として注目を浴び、成功することができました。
技術を教えてくれる師匠もいない中での修行はなかなか大変なものでした。時間とお金の限り食べ歩き、料理本を買い漁り、youtubeを見たり、休みの日を利用して知り合いのお店で料理を勉強させてもらいました。努力は実り、渡豪して5年目にレストランアワードで国内1位に選ばれ、ようやく有名店の仲間入りを果たしました。

 

海外で起業が成功したのに、どうして日本に戻ってきて再度起業したのでしょうか?

東日本大震災の影響が大きかったかもしれません。あの時、多くの方は「日本はこれで終わった」と感じたのではないでしょうか。私もその一人でした。

しかし、震災から半年後に訪れた日本で見たものは、やる気と情熱に満ち溢れ、以前よりもエネルギーと活気を感じさせる人々でした。

それを機に「私もこの一員になりたい。日本の役に立ちたい」と思うようになり、帰国を決意しました。そして、地元北海道で、料理の知識と経験、英語とコミニュケーション能力を最大に活かすことのできる「ニセコ」を選びました。

 

日本で起業してから大変だったことはありますか?

一番大変だったのはローンが組めなかったことですね。12年間も海外にいたので、金融機関に全く信用がなく、唯一作ることのできたクレジットカードも限度額が3万円でした。その後、地元有力者の方の協力で無事借りることはできましたが、最初は本当に焦りましたね。

また、人材の確保も大変でした。最初の数年は世界中から元同僚や元スタッフが駆けつけてくれ、なんとか乗り切ることができていましたが、3年が過ぎたころから私の人材バンクも底をつき、本当のリクルートの難しさを痛感することになりました。

 

どのように乗り越えたのでしょうか?

海外在住の友人の協力を得て、世界中から人材を集めるための仕組みを構築しました。Facebookを利用し求人(募集〜選定〜面接まで)を各国で行い、さらにビザ取得サポートもできる体制を整えました。オーストラリア在住時代の友人のおかげで、優秀な人材を確保することができました。

 

今後の展望を教えてください

最初に掲げた「世界のどこにものない、北海道でしか作れないもの」をテーマにこれからも商品開発や事業展開をしていく傍ら、新しい働き方の実現も目指しています。
当社では、誰もが自由で働きやすい職場環境づくりを目指し、「自由型出勤」を実践。業務ごとにタスクを分け、出勤や退勤の日程や時間、タスクを各自が自分で決めることができるようにしました。日時やタスクを自分で選ぶことで、責任感も生まれ、業務効率も上がります。
また、キッズルームを作り、子連れ出勤を可能にしました。運動会や参観日、結婚式など大切な日を逃すことなく、家族との時間を大切にしながら、「自分の人生を自分でデザインする」ことを実現できる会社を目指しています。

 

経営者におすすめの本はありますか?

20歳の頃に読んだ『働くということ』(日本経済新聞)にはこう書かれていました。「男は退職すると一人孤独になる」。バリバリ働き、夢を叶え、一流の男になれば幸せ、と思っていた自分には衝撃でした。確かに、男性の交友関係の多くが「ビジネスフレンド」であり、仕事人という肩書きがなくなってしまた瞬間、その関係も終わるのかもしれない。急に恐ろしくなりました。それからの私の人生設計は、家族、友人、パートナーとの関係作りが主軸となり、仕事のやり方、作り方も変わっていきました。今は素晴らしい妻や家族、友人に支えられています

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投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
『社長の履歴書』編集部
新入社員を含めたフレッシュなメンバーを中心に、出版サポートの傍らインタビューを行っております!

就活生に近い目線を持ちつつ様々な業種の方との交流を活かし、「社長に聞きたい」ポイントを深掘りしていきます。

代表者様のキャリアを通して、組織の魅力が伝わる記事を発信していけるよう、これからも一生懸命運営してまいります!