今回は株式会社フォーカス代表、常松 憲太氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
会社名称 | 株式会社フォーカス |
代表者 | 常松 憲太 |
設立 | 2009年05月 |
主な事業 | カスタムウェアの販売・作製 |
社員数 | グループ合計:89名 業務委託契約:40名 ※2024年12月31日時点 |
会社所在地 | 〒400-0115 山梨県甲斐市篠原984-1-2F |
会社HP | コーポレートサイト:https://corp.forcus.co.jp/
サービスサイト:https://www.forcus.co.jp/ |
事業紹介をお願いします
株式会社フォーカスは2009年に創業し、ECサイト「CLAT-JAPAN(クラティージャパン)」にてTシャツやバッグを中心としたオリジナルプリントグッズの製作を展開しています。私は以前、学校向けのグッズ製作会社に勤めており、そのときからお付き合いのあった学校を中心に、創業当初の2年間はグッズ製作・販売を主に手がけていました。
一方で、会社を成長させるための新しい取り組みとして「クラスTシャツ」の販売を始めました。正直に言うと最初は夏の間の“ちょっとした小遣い稼ぎ”程度の感覚でしたが、次第に需要が増え、創業3〜4年目にはグッズ販売はすべてやめ、プリントTシャツ事業に専念する決断をしました。振り返ると、そこから約13年、この事業に本格的に取り組んできたことになります。
現在は、Tシャツだけでなくタオルやトートバッグなど、グループやチームで身につけるオリジナルグッズをECサイト上で販売しています。自社工場で生産から出荷までを一貫して行える体制を整えており、短納期で高品質な商品をお届けできることが当社の強みです。
ちなみに、社名のフォーカスは “For Customer” に由来します。お客さまに認めていただける「価値」を創ることが私たちの使命です。お客さまにとって1年に1度、もしかしたら一生に1度かもしれないカスタムウェア制作を全力でサポートすることをお約束いたします。
2024年は33億円を売り上げられていますが、日本国内でオリジナルプリントグッズを求めるお客様のうち、どのくらいの割合が御社に注文されているのでしょうか?
当社の事業は、経済産業省や税務署などで明確な業種分類がないため、市場規模を正確に把握することは難しい状況です。しかし、当社が仕入れているTシャツやバッグのメーカーは、ほぼすべてオリジナル製品を前提に展開している企業です。その原価や流通量から推測すると、市場規模はおよそ2,000億円程度だと考えています。
その中で、当社は昨年33億円、今年はおそらく40億円近くに達する見込みです。単純計算で市場全体の約2%のシェアとなります。ただし、2,000億円という数字には音楽フェスで販売されるTシャツなども含まれているため、「コミュニティを中心にオリジナルグッズを作りたい方々」という本来のターゲット市場は、約1,000億円規模と見ています。その中で30〜40億円の売上を達成していることを考えると、競合は数百社存在しますが、当社は日本国内でトップシェアを誇っていると自負しています。
フォーカスがお客様から選ばれている一番の理由は何でしょうか?
大きく2つあります。1つ目は、圧倒的な納期の速さです。Tシャツ類であれば最短で翌日出荷、タオル類では即日出荷できる商品もあります。紙の印刷分野で知られる大手プラットフォーマーでも、このスピードはなかなか実現できないのではないでしょうか。
2つ目は、デザインがなくても対応できることです。お客様にデザインソフトの使用を求めず、手描きのイメージや指示からでもデザインを一から作成します。あるお客様が「犬」とだけ紙に書いて注文された際には、コミュニケーションを取りながら犬のイラストを希望されていると理解し、ご希望の犬種のヒアリングを重ね、ゴールデンレトリバーのデフォルメイラストからTシャツを作成して納品しました。高校生がクラスTシャツを注文するときも、ほとんどが手描きのデザインです。そうした対応を続けるうちに、「プロのデザインができない人でも気軽に作れる」ことが当社の強みになりました。
私たちは、デザイン会社や広告会社のようなプロフェッショナル層ではなく、「自分たちにできるだろうか」と迷っている方々に寄り添うことで市場を広げてきました。デザインがなくても作れるのに、納期は最短翌日という点が、他社と比べても際立っていると考えています。
実際、現在の年間売上は約40億円ですが、そのうち学校からの注文は6億円程度にまで減っています。かつては学校関連だけで10億円を超えていましたが、学校行事は時期が限られるため、繁忙期と閑散期の差が大きくなり、残業が過剰になったり、逆に仕事が少なくなったりと偏りがありました。その課題を解消するため、学校以外のお客様の比率を増やしてきました。
現在では、地域の団体や企業サークル、企業単体でのユニフォーム製作、小規模ブランドを立ち上げてネット販売をする方など、顧客層が広がっています。「デザインができなくても、自分のブランドやチームグッズを作れる」「すぐに手元に届く」という体験こそ、当社が最も大切にしている価値であり、多くのお客様に支持されている理由だと考えています。
オーストラリアでの事業についても教えてください
先述したように、当社では年間の売上に大きな波があり、1月の売上は約2億円、7月には4億円を超えるなど、繁忙期と閑散期の差が約2倍に開いてしまう状況が続いていました。その結果、社員やプリント設備の稼働率が一定せず、リソースを最適に活用できないという課題がありました。
あるとき、世界地図を眺めていて「南半球のオーストラリアなら季節が逆だ」と気づき、アイデアがひらめきました。そこで社員と一緒に市場調査を行い、オーストラリアのカスタムウェア市場が日本と仕組みも商慣習もほぼ同じであることを確認。時差も1時間程度と小さいため、現地向けのウェブサイトを立ち上げて販売できると判断しました。
実際に本格スタートしたのは2024年9月で現在は1日1件ずつ注文が入るようになっています。拠点はブリスベンに置き、現地に30年以上住む日本人の方をプレジデントに迎え、事業を推進中です。
オーストラリアでも日本と同様に「デザイン不要で作成可能」「注文後すぐに納品」を強みに掲げています。最初のお客様は「本当に翌日届くのか疑ったが、試しに注文してみた」と話してくださり、期待以上のスピードに驚かれました。
どのようにしてオーストラリアでの事業を始められたのですか?
現地では、オーストラリア国内でナンバーワンと謳われるプリント会社と提携することができました。最初に話を持ちかけたときは、「デザインがない人を相手にするなんて意味が分からない」「翌日出荷なんてクレイジーだ」と驚かれましたが、私たちの事業の本質を説明すると、徐々に理解してくれました。
私たちの一番の価値は、オリジナルのウェアやグッズを作り、それを受け取った瞬間に仲間と一緒に身に着けて楽しめることです。クラスTシャツやチームTシャツを着ることで、グループの雰囲気が一気に変わり、一体感が生まれる。これは日本でもオーストラリアでも、きっとその他の国でも同じだと思います。
その話で現地のビジネスオーナーとも意気投合し、「日本にもそんな発想をする人がいるのか」と驚かれつつも、協力してもらえることになりました。こうして、オーストラリアでの事業が本格的にスタートしました。
当社の事業については、各URLをご参照ください。
コーポレートサイト:https://corp.forcus.co.jp/
サービスサイト:https://www.forcus.co.jp/
ここからは常松社長のことをお聞かせください。学生時代に打ち込んだことはありますか?
一番打ち込んだのは、高校時代のラグビー部です。私は東京都立武蔵高校に通っていたのですが、この学校は今でも大好きで、とても魅力的な校風でした。当時から非常に自由で、先生からの細かい指導はほとんどなく、「全ては自分たち次第」という環境でした。
1年生の担任の先生が最初に言った言葉が今も強烈に残っています。
「学校に来ても来なくてもどっちでもいい。ただ東大や早慶に行きたいなら自分で勉強しろ。すべてはお前らの人生だ」
この言葉で、自分の選択と行動の責任を強く意識するようになりました。
ラグビー部は都立高校の中でも強豪で、数年前には花園(全国大会)東京都予選の決勝に進んだほど。もちろん、私たちの代も東京都ベスト8に入る実力がありました。練習時間は定時制高校が併設されていた関係で毎日1時間半しかありませんでしたが、その限られた時間の中で、どうしたら強くなれるか自分たちでプログラムを考え、工夫して練習に取り組みました。
当時のラグビー部の仲間は今でも私にとって誇らしい存在です。大手企業の役員や行政の要職に就いている人も多く、今でも年に3〜4回集まっています。あのとき一生懸命に取り組んだ経験が、今の私の原点になっていると感じます。
しかしながら私は大学受験に失敗し、見かねた父に声をかけられて政治活動を手伝うことになりました。
高校時代、将来なりたい職業や人生設計のイメージはありましたか?
全くありませんでした。父が政治家でしたが、むしろ「絶対に政治家にはなりたくない」と思っていましたね。
当時、父は衆議院議員で、中選挙区制の時代だったため東京多摩地区の広い範囲が選挙区でした。町中どこへ行っても父のポスターが貼られており、通っていた都立武蔵高校の正門の目の前には社会党の武蔵野支部がありました。選挙の時期には宣伝カーもよく停まっており、「もし自分が政治家になったら、子どもはもっと嫌な思いをするだろう」と強く感じていました。
幸い、友人や先輩後輩からからかわれたり嫌な思いをさせられた経験はありませんでしたが、自分の中では常に「見られている」「何をしても注目されている」という感覚があり、どこか抑圧を感じながら過ごしていました。
さらに、苗字が「常松」という珍しい名前だったこともあり、学校でもアルバイト先でも「そういえば議員にいたよね」と言われることが多く、本人に悪意がなくても常に父と比較される感覚がありました。少年時代は、何かになりたいというよりも「父のようにはならない」という思いのほうが強かった時期でした。
結果として、自分が明確に「これになりたい」と思う職業は、フォーカスを立ち上げるまで特にありませんでした。
お父様の事務所で働かれてみて、印象と実際に違った部分はありましたか?
一番強く感じたのは、「すべては政治で決まっている」ということです。普段の生活では、政治の影響を受けているという実感はあまりありませんが、実際には社会の仕組みや変化はすべて政治によって動いていることを、現場で目の当たりにしました。
当時、私は運転手をしたり、委員会で質問があるときは役所の方々と一緒に質問ペーパーを作ったりと、幅広い仕事を経験しました。
その経験から、ニュースやマスコミで流れる政治と、実際に現場で行われている政治はまるで別物だと痛感しました。政治は表面上の出来事ではなく、日本という国を動かす根幹であり、社会の変化はまず政治から始まるのだと学んだことが、最も印象深い体験でした。
お父様の仕事ぶりを目の当たりにしても、政治の世界に進まなかったのはどのような理由からでしょうか?
はい。政治そのものには強く興味を惹かれましたが、政治と切り離せない「選挙」だけは絶対にやりたくないと思っていたからです。10億円もらってもやりたくない、というくらいの拒否感がありましたね。幼い頃から「選挙は大変で、嫌なものだ」と刷り込まれていたからだと思います。選挙では多くのものが犠牲になりますし、町中に父の名前が掲示される生活をずっと送ってきたことも影響しています。
私は子どもの頃はガキ大将タイプではありましたが、実は目立ちたがり屋ではありません。普通、ガキ大将といえば目立ちたがり屋がセットですが、私はむしろ名前や存在を知られたくないタイプでした。その影響で、最近まで会社のホームページに自分の顔写真も掲載せず、経歴を公表することも避けてきました。社員から「EC事業をやっている以上、代表として情報発信は必要だ」と強く勧められて、ようやく顔や経歴を出すようになったほどです。今でも、人前に出るのは得意ではありません。
お父様の政治活動を手伝われた後、どのようなキャリアを歩まれたのでしょうか?
25歳の頃は求人広告会社に勤務しており、後に勤めることになるアスフィール株式会社を担当していました。当時は人の入れ替わりが少ない会社だったため、社長とお会いしたのも1〜2回程度でした。
その後、求人広告会社を退職し、半年ほどフリーランスのような形で働いていたところ、アスフィールの社長から声をかけていただきました。ちょうど学校向けのグッズ事業に加え、事務用品サービス「アスクル」の代理店事業を始めるタイミングだったことから、営業担当として参加してほしいと言われ、入社を決意しました。アスクル事業を拡大する一方で、次第に学校向けグッズ制作にも深く関わるようになり、結果的に11年間勤めました。
在籍中は、卒業証書や学位記のデジタル化に注力しました。従来は地域の書道家が手書きで学生の名前を書いていましたが、オンデマンド印刷技術の登場によって短期間での対応が可能になり、業務効率化に大きく貢献しました。特に国立大学では、卒業が決まるのが3月10日前後、卒業式が3月下旬という短い期間で証書を納品する必要があり、成績や学費納入による卒業可否の変動に対応するため、大学事務との連携も密に行いました。
最後のほうはほとんど卒業証書関連の仕事に専念しており、西日本の国立大学、たとえば京都大学、大阪大学、神戸大学をはじめ、有名私立大学まで幅広く担当させていただきました。
11年間のご経験の中で、今のご自身につながっているエピソードはありますか?
具体的な仕事というよりも、今でも強く印象に残っている出来事があります。これは社員にもよく話すエピソードです。
当時、グッズ制作の仕事をしていた私は、毎年ギフトショーに足を運んでいました。ある年、ガラスのペーパーウェイトにレーザーで校舎のイラストや記念日を刻印できる新商品を見つけ、「これは記念品として面白い」と思い、同行していた社長に提案しました。しかし、その場で「こんなものやっても意味がない」と即座に否定されてしまったのです。
翌年、再びギフトショーに行くと、その社長が同じ商品を手に取り、「常松、すごいものを見つけたぞ!」と言うのです。私は笑いながら「それ、去年私が提案した商品ですよ」と伝えました。すると社長は真剣な顔になり、こう言いました。
「ふざけるな。俺は今、本気でこれをやろうと思っている。お前は去年、俺に否定されたらあっさり諦めただろう。本当にやりたいなら、俺に反対されようが誰に反対されようがやるべきだ。お前は去年、その情熱がなかっただけだ。」
当時は理不尽だと思いましたが、この言葉が私のビジネスの原点になりました。クラスTシャツ事業への参入も、プリント方法の刷新も、トートバッグやタオルへの展開も、周囲から「今さら何を」と言われましたが、そのたびにこのエピソードを思い出し、「やり切る覚悟」を持って挑戦してきました。
私にとってこの経験は、「自分が本当に情熱を持てることなら、反対されてもやり抜くべきだ」という経営の指針となっています。
経営者としてお仕事をされてきた中で、大変だったことや予想外だったことはありましたか?
創業して最初の1年が、私にとって最も衝撃的でした。前職では営業マンとして実績を出していましたし、正直「自分はできる」と思っていました。ところが、いざ会社を立ち上げてみると、フォーカスという会社が存在しようとしまいと、世の中は何も困らない。自分のビジネスも、自分自身も、いてもいなくても変わらない。その事実を痛感しました。
それまで「自分が食べていければいい」と思って始めた事業でしたが、創業1年目でその考え方が大きく変わりました。もし世の中にとって必要とされない会社なら、続ける意味がない。だからこそ、「誰かの役に立ち、社会的意義のある事業をやる会社にしなければならない」と心から思うようになりました。
この経験は、私にとって大きなパラダイムシフトで事業の存在価値を問い直し、「お客様や社会から必要とされる会社であり続ける」という現在の経営方針の原点になっています。
私は決して、最初から大きな志を持って起業したわけではありません。むしろ、この仕事を通じて経営者として成長させてもらったのだと思います。普通の社員が1年目は1年目であるように、経営者も1年生は1年生です。経営者だから偉いわけでも、万能なわけでもありません。
人に協力していただくためには、まず「自分にはできないことがたくさんある」と認める必要があります。営業マン時代の私は、「何を売っても売れるし、自分はトップになれる」という根拠のない自信だけで生きていましたが、それは創業1年目に見事に打ち砕かれました。
その経験があるからこそ、今も「自分はまだ成長できる」と思えますし、成長するためには新しいことに挑戦し続けなければならないと考えています。自分で自分の背中を押し、意図的に新しい取り組みに挑戦することで、成長を止めないようにしているのです。これが今の私の成長の原動力になっています。
「フォーカスという会社が存在しようとしまいと、世の中は何も困らない」と感じられた理由は、前職の看板がない状態で営業を始めたことで、お客様や取引先の反応が変わり、対応を変えざるを得なかったという認識で合っていますか?
はい、その通りだと思います。最大の違いはやはり信用の有無です。前職の看板があるときは掛け取引や信頼ベースのやり取りが成立していましたが、独立して会社を立ち上げた当初は「掛けにしない、全部キャッシュで」というように、取引先の反応は冷たく、信用がゼロであることを毎日のように突きつけられました。
販売面では、幸いにも以前の顧客の中に「お前以外には頼まない」と言ってくださる方も数社いましたが、それは例外的な存在です。新たに顧客を開拓しようとしてもなかなか門戸が開かれず、取引先や金融機関からも信用がないという壁に直面しました。要するに、自分が独立して一人で立ったとき、その存在は社会的にはゼロに等しく、そこから信頼を築き直す必要があった。それが創業初期に最も大きく感じた課題でした。
今後の事業展開について教えてください
まず、国内事業については、今後3〜4年のうちに売上規模を100億円程度まで伸ばしたいと考えています。ただし、日本では人口減少が進んでおり、特に今年度あたりからは労働人口の減少が顕著になると見られます。労働人口が減るということは、給与所得者が減り、結果として国内経済の縮小が本格化するシグナルになると考えています。
AIを中心としたイノベーションが進んでいるため、短期的に急激な収縮が起きるわけではありませんが、20〜30年という長いスパンで見れば、日本経済は一度縮小局面に入ることは避けられないでしょう。そのため、今後の成長フィールドは日本国内にとどまらず、海外にビジネスを展開することで事業成長を図っていく方針です。
さらに、来期は18名の新卒採用を予定しており、そのうち13名は外国籍または外国にルーツを持つ学生です。国籍は中国、韓国、ウズベキスタン、フランスなど多様で、出身大学もオーストラリア、イギリス、中国、日本(京都大学や大学院卒業者を含む)と幅広い顔ぶれです。彼らは日本を好きでいてくれると同時に、「早く世界でビジネスをしたい」という強い気持ちを持っています。これは2〜3年目の若手社員も同じで、彼らに夢や希望を提示するなら、やはり次は世界へ挑戦するしかありません。幸い、当社のビジネスモデルは世界共通で通用します。より多くの人に喜ばれる商品やサービスを提供できれば、日本でも海外でも必ず受け入れられるはずです。10年、20年後には「フォーカスは日本発祥らしいよ」と言われるような企業になりたいと考えています。日本人社員も外国人社員も、自分の母国だけでなく世界中に飛び出して活躍できる企業にしたいです。
人が集まる場所には、必ずポジティブな空気や時間が生まれます。私たちが扱うTシャツやグッズは、そうした「集う価値」を高める役割を持っています。戦争や紛争の多くは、負の感情や満たされない思いから生じますが、コミュニティが満たされ、喜びが共有されれば、人は他者を傷つけようという気持ちを持ちにくくなるはずです。
私たちの仕事がどこまで貢献できるかは分かりませんが、10人、20人で同じTシャツを着た瞬間に必ず盛り上がる。その光景を信じ、社員にも信じてほしいと思います。お客様から毎日のように届く喜びの声が、その証拠です。この喜びを世界中に広げる——そんなシンプルな目標を胸に、若い世代とともに成長していきたいと考えています。
他の経営者におすすめする書籍を教えてください
おすすめは、早稲田大学ビジネススクール教授・入山章栄さんの著書『世界標準の経営理論』です。約800ページに及ぶ分厚い白表紙の本ですが、当社では新入社員から経営陣まで全員がバイブルとして読んでいます。
この本には、今の日本企業に必要なエッセンスが非常に多く書かれています。もし全員がしっかりと学べば、日本は人口が減少しても、労働人口が減っても、世界で勝負できる力を十分に発揮できるはずです。日本人には本来そうした素養があると私は信じています。
私自身も、まだすべてを理解できているわけではありませんが、毎日のようにページを開きながら学び続けています。経営者の方々にもぜひ手に取っていただきたい一冊です。
ぜひご一読ください。
『世界標準の経営理論』入山 章栄 (著) |
投稿者プロフィール

-
企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
企業出版のノウハウを活かした記事制作を行うことで、社長のブランディング、企業の信頼度向上に貢献してまいります。
最新の投稿
仕事10/03/2025株式会社ビーエムシー代表 青山 徹氏
仕事10/03/2025株式会社フォーカス代表 常松 憲太氏
仕事10/02/2025株式会社INREVO代表 南 晴仁氏
仕事10/02/2025WAIコンサルティング合同会社代表 谷古宇 啓之氏