株式会社クリエイティブハウスキューズ 西村氏

今回は株式会社クリエイティブハウスキューズ代表、西村 哲矢氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

会社名称株式会社クリエイティブハウスキューズ
代表者西村 哲矢
設立1990年10月
主な事業広告・販促物の企画制作(カタログ、Webサイト、動画など)
ボードゲームの企画・制作・販売(Q's games)
会社所在地東京都中央区日本橋小網町18-6 日本橋白馬ビル3階
会社HPhttps://www.cqs.co.jp/

事業紹介をお願いします

広告をはじめとするデザインの制作会社です。大手企業を中心に、BtoB企業がビジネスパートナーに向けて使うプレゼン資料やカタログ、Webサイト、動画などを手がけています。

強みは、提案型であることです。「簡単に相談を投げかけたら形にしてくれる会社」だと思っていただけるとわかりやすいかと思います(笑)。「こういうことしたいんだけど、どうしたらいいかな」という漠然としたご相談から始まるご依頼がほとんどなんですよ。企画から一緒に考え、印刷物なら印刷まで、Webならサイトの公開まで、動画なら会場で流れるところまでお付き合いします。お取引が20年、25年と続いているお客様が多いのも、このスタイルを評価していただいているからだと思います。

もう一つの柱が、ボードゲーム事業「Q’s games」です。当初は一般のお客様向けのゲームを作っていました。これまでに16作品ほどを世に送り出し、現在はBtoB向けのゲームのご依頼もいただいています。既存のお客様からのご相談もあれば、ビジネスコンサルタントの方から、セミナーで使うゲームやご自身の考え方に合ったゲームを作れないかとオーダーをいただくこともあります。ルールや駆け引きを設計し、プレイ時間や人数を決めながら、半年ほどかけて一つのゲームに仕上げていく仕事です。

ボードゲームを手がけるようになったのはなぜですか?

きっかけは、数年前に体調を崩したことでした。働きすぎがたたって休養をとっていたとき、趣味で作ったボードゲームが「意外と面白いんじゃないの」という話になり、そのまま事業化してしまったんです。

実はゲーム事業には、本業の弱点を補う役割もあります。制作会社は、手がけた仕事を実績としてWebなどで公開しにくいんです。どこに仕事を依頼しているかがわかってしまうと、クライアントにとっては情報管理の面で困りますから。当社のお客様も、いわば秘密の外注先として当社を使ってくださる方が多いです。そうなると実績を表に出せないので、認知度はずっと口コミ頼みでした。

ところが、ボードゲームはネットや報道で取り上げられやすく、社名が表に出ていきます。お客様との交流に使ったり、こんなゲームを作っているんですよとお話ししたりすると、インパクトがあって名前を覚えていただける。会社を知ってもらううえで、ゲームはすごく役に立っています。

手応えを感じられるまでには、どんな道のりがありましたか?

ゲーム事業を本格的に始めたのは2023年ですが、最初の2年間は地獄でした。どう売ればいいのかもわからない。自分のゲームが本当に面白いのか、手前味噌なのではないかという悩みもありました。

そこで、居酒屋などにゲームを持っていき、お客さんに声をかけて遊んでもらうことにしたんです。とはいえ、作った本人を前にしたら嘘でも面白いと言うじゃないですか。リアルな意見を聞きたかったので「知り合いがくれたんだけど」と言いながらゲームを出していました。遊んでもらうと盛り上がるケースが多かったので、意外といけるのかなと思えるようになっていって。今はゲームづくりにはかなり自信があります。

『出禁』というゲームを作ったときは、新宿や上野の居酒屋を回ってさまざまな人に遊んでもらいました。面白かったからと、その場で買っていただけることもあってうれしかったですね。それと、こちらが宣伝したわけでもないまったく知らないお店に『出禁』が置いてあって「これ知ってますか?」と店員さんに言われたことがあったんです。これには本当に驚きました。そうした出来事が、最近はちらほら出始めています。

ゲーム事業では、どのような広がりを目指しているのでしょうか?

一番実現したかったのは、当社のゲームを他のメーカーに代わりに売ってもらう、いわゆるパブリッシングです。事業を始めたときから、その可能性があることはわかっていました。

他にも狙いはいくつかありました。一つは、一般のお客様向けのゲームをヒットさせることです。現在はAmazonでの販売がメインですが、家電量販店でも一部の商品を取り扱っていただいていますし、ゲームカフェに置いていただけることもあります。ただ、ヒットするかどうかは運や人脈にも左右されるので、狙って当てるのはなかなか難しい。正直なところ、一番望みの薄い目標ですね。その他に、先ほどお話しした既存のお客様への宣伝効果と、BtoB向けのゲームづくりも狙いとしていました。

本命のパブリッシングは、最近ようやく形になってきました。私が最初に作った『どっと・ゾンビ』を、韓国の有名なボードゲームメーカーさんが気に入ってくださったんです。今は世界での販売権をお渡しして、当社はロイヤリティをいただく形になっています。印刷からプロモーション、営業まですべて先方が担ってくださるので、当社には一銭も費用がかかっていません。本当に感謝しかないです。他にも、アメリカからもデジタル化したいというお話をいただきました。私は英語が堪能ではないので、ChatGPTを使いながら拙い英語でやりとりしましたね(笑)。自分の作ったゲームを、世界の知らない国の子どもが遊んでくれていると思うととてもうれしいです。

Q’s gamesの作品は、右記のサイトでご覧いただけます。→https://www.cqs.co.jp/games/

ここからは西村社長ご自身のことをお聞かせください。学生時代に打ち込んだことはありますか?

打ち込んだのは格闘技です。始めたきっかけは、小学校低学年の頃にいじめられっ子だった時期があったことでした。当時の私はあまり人と話さず、人見知りも激しくて、「これちょうだい」と言われると断れない子どもでした。給食のデザートを取られたり、冗談で靴を隠されたりするのが、自分の中では本当に嫌だったんです。

そんなとき、父から格闘技を勧められて、その手があったかと思いました。近所……といっても歩いて30分ほどかかるのですが、養神館の道場があり、合気道を習い始めたんです。当時は塩田剛三先生がいらして、子どもにも時々指導してくださいました。小柄なのにものすごく強く、神様のような方だったのを今でも覚えています。実際に通ってみると稽古が楽しくて、小学校が終わるとそのまま道着を持って道場へ行き、1時間ちょっと稽古をして、夕方6時頃に帰る毎日でした。そのうちに、からかわれることもなくなりましたね。

高校には合気道部がなかったので、似たようなものだろうと思って柔道部に入りました。母が講道館柔道をやっていたことも影響しています。受け身など合気道と通じるところもあり、強くはなかったものの意外と続きました。試合で勝ちたい、インターハイに出たいという夢はなく、あくまで護身術として身につけたいという気持ちでした。ちなみに高校の頃は、グレていたわけではないのですが、大人ぶりたくて歌舞伎町に出入りしていたこともあります(笑)。

格闘技を続けてきて、一番役に立っているのは、人に対して怒らなくてよくなったことです。合気道は、相手にやり返すための技術ではなく、相手の力を吸収する技術です。対人関係でのかわし方や、相手への合わせ方は、格闘技で学ばせてもらいました。

子どもの頃は、どんな将来を思い描いていましたか?

なりたかったのは、まさに今の仕事です。その夢に大きな影響を与えたのも、父でした。

父は出版の仕事をしていたのですが、本人はもともと広告の仕事をやりたかったようです。出版の仕事の中で数回だけ広告に携わったことがあり、そのときの面白さがずっと心に残っていたのだと思います。

そんな父と、小学生の頃からよく一緒に映画を観ていました。テレビの洋画劇場を毎日のように夜更かしして観ていたんです。ビデオもDVDもない時代ですから、テレビで放送される映画を観るしかありません。アクションでもホラーでも恋愛ものでも、ジャンルを問わず観ていたので、観た映画は何千本にもなると思います。

映画を観ていると、合間にテレビCMが流れますよね。このCM面白いよね、と父に話を振られるうちに、私も広告っていいなと思い込むようになっていきました。今思えば、父にうまく誘導されていたのかもしれません。

小学校の中学年頃には、どういう仕事かもよくわからないまま、CMのようなものを作る仕事がしたいと考えていました。その夢はずっと変わらず、中学校では美術部に入り、美術の道に進むことも早くから決めていました。絵を描くのは好きでしたが、やりたかったのは絵を描くことそのものより、アイデアを出して、多くの人に見てもらえるものを作ることでした。それなら絵画より商業美術だろうと考え、高校の頃には、企業の広告を作るデザイナーになりたいと思っていました。

その当時から、経営者になりたいという考えもあったのでしょうか?

実は、社長になることしか考えていませんでした。

理由はシンプルで、自分がやりたいことをやりたかったからです。たとえアホなことでも、自分のアイデアで形にしたい。派閥で潰されたりするのは嫌な性分なんです。

だから、大企業には入らないと決めていました。何千人、何万人もいる会社で社長になるのは、やっぱり難しいですから。そんな弱気でどうするんだと言われそうですが、正直なところそう考えていましたね。

では社長になるにはどうしたらいいのかと考えた結果、小さな会社に入って社長を目指そうと考えました。19歳で入った今の会社は、当時は社長含めて社員が3人。ここなら社長になれる可能性があると思いました。

入社されてからは、どのようなお仕事をされてきたのですか?

入社した当時は、全員がデザイナーの小さな会社で、他にはアルバイトが何人かいました。当時から企業のデザインを手がけていて、仕事の内容は現在と変わりません。

少人数の会社でしたから、仕事は徹底的に叩き込まれました。最初の10年ほどは徹夜続きで、家に帰れない日も珍しくありませんでした。ただ、人数が少ない分、売上がそのまま給料に反映されます。やればやっただけ返ってくる、完全な出来高でした。しんどかったですが、やりがいはありましたね。だからこそ、他の会社に移ろうと思ったことはほとんどありません。

働く中で特に印象に残っているのは、先輩社員が早い段階で辞めてしまったことです。当時、社長も先輩も30代で、私はまだ10代でした。先輩が抜けたことで、私はすぐに社長の次の立場になり、事実上、会社を動かしていく役目を担うことになったんです。社員として入ってくるのは20歳そこそこの若手ばかりで、あとはアルバイトの学生たちです。25歳ぐらいの頃には、年上のデザイナーに仕事をお願いしたり、経験のない若手に教えたりしながら、営業も人事も制作も総務もすべて担っていました。

当時の社長を「師匠」と呼ばれているそうですね

入社したときの社長、のちに私が跡を継ぐことになる先代が、私の師匠です。

先代は、社長と呼ばれるのが嫌いな人でした。名前で呼んでほしいと言われていましたし、会社というより、クリエイターが集まった場のような雰囲気だったんです。ですから、上司や社長という感覚はなくて、やっぱり師匠なんですよね。映画によく、達人のおじいさんが出てくるじゃないですか。まさにあんな存在で、何をやってもダメ出しばかりされていました。

師匠に出会っていなければ、今のように広告の仕事をしていなかったと思います。それから、お客様の中にいた優秀なコピーライターやカメラマンの方々にも、大きな影響を受けました。そうした方々から刺激をもらいながら、クリエイティブの仕事を続けてこられたんです。

そこから、どのような経緯で社長に就任されたのでしょうか?

社長に就いたのは10年ほど前です。先代が高齢になり、病気で倒れたことをきっかけに私が引き継ぐことになりました。現在は、10人ほどの社員とともに仕事をしています。

振り返ると、アルバイトとして2年、正社員として7年ほど働き、そのあと取締役を15年ほど務めてからの就任でした。社長になることしか考えていなかった割に、取締役の期間はずいぶん長かったと思います。それでも、若いうちから社長にならないほうがいいと考えていた私にとっては一番いいタイミングでした。

というのも、20代、30代の頃の私には、経営者の視点が見えていませんでした。師匠が下す判断の意味が、よくわかっていなかったんです。あとになって、あれは必要な判断だったんだと気づかされる。そのたびに、あのときの自分にはあの判断はできなかったと思い知らされました。

取締役として事実上ほぼ社長と同じ仕事をしていたので、周りの会社の方から、西村さんはもう社長みたいなものじゃないですかと言われることもありました。ただ、自分の中では、先代からまだ盗みきれていないものがあると感じていたんです。

実際に社長になってみて、どのような苦労がありましたか?

社長になった途端、視界が180度変わりました。

社長は孤立しがちだと、世の中ではよく言われますよね。正直、私はその意味がよくわかっていませんでした。取締役の時点で対外的な交渉も社員の教育もほぼ担っていたので、社長になってもやることは変わらないだろうと考えていたんです。ところが、いざ社長になってみると、自分の会社は本当にこれでいいのかと、とても不安になりました。

取締役の頃は、うちの会社は最高だと思っていたんです。サボる社員は一人もいませんし、みんなそれなりに能力があって、クライアントからの評判も悪くありませんでした。順風満帆に見えていたので、先代が「不安だ」と言っているのを聞いても、臆病なだけではないかと思っていたくらいです。

ところが社長になると、会社のことがすべて客観的に見えるようになりました。他社の方やさまざまな業界の方と交流するようになり、クライアント側でも役職の高い方と話す機会が増えたことも大きかったと思います。業界の先行きが危ういことを、肌で感じるようになったんです。

今のビジネスは、あと数年は続いても、その先がない。違うところに自分たちのポジションを置かなければ、いずれ仕事がなくなるだろう。そんな不安が急にわかるようになりました。頼まれた仕事をこなしていくだけではダメなのだと、社長になって初めて気づいたんです。見えていなかったものは、社長になったからこそ見えるようになったのだと思います。

その不安と、どのように向き合ってこられたのでしょうか?

社員には、あえて不安を口にしないようにしています。みんなには、今の仕事をしっかりやってもらう。そのうえで私自身は、違うビジネスの可能性や会社の将来のあり方を探り、テストとして自分でやってみる。そうやって、役割をはっきり分けているんです。

強く意識しているのは、社員にできることを自分がやってはいけないということです。自分のほうが早いから、上手だからと手を出してしまうと、社員の成長の機会を奪い、会社がどんどん属人的になっていきます。実際、現在抱えている課題も、属人的になってしまった結果なんです。だから、少し背伸びをさせてでも、自分がやらなくていい仕事は社員に任せる。そのうえで、社内の誰も考えないような新しいことに自分が取り組むと決めています。

ボードゲーム事業は、まさにその一つです。私にとっては完全にノアの箱舟ですね。いずれ来る大きな変化に備えて、今のうちに用意しておく船のようなものです。社員が10人いたら10人とも「そんなことをやる必要があるのか」と言うでしょう。お客様からの仕事は全然減っていないじゃないか、と。

それでも、AIが登場し、クライアントが社内で制作するようになった今、この状態は長く続かないと考えています。極端に言えば、デザインの仕事は1パーセントしか残らないと思っているんです。人がやっている部分の多くは、AIに置き換えられていくでしょう。当社でもAIを使っていて便利だと感じますが、便利だと笑っている場合ではありません。

AIの時代に、人にしかできないことは何だとお考えですか?

AIは、恐れるものでも崇めるものでもなく、パートナーとして使っていくものだと考えています。任せられるところは、全部AIにやらせればいい。それでも、人がやらなければならない1パーセントは必ず残ります。AIには、人のような感覚や感性がありません。例えばブラックジョークのように、悪口なのか褒めているのかわからない曖昧なところは、まだ苦手なんです。

ゲームは、まさにその曖昧な間合いで楽しませるものです。勝ち負けよりも、思わずくすっとしてしまう瞬間や、誰かがごまかそうとしている表情の面白さで盛り上がる。こればかりはAIにはできません。だからこそゲーム事業は、長ければ10年先に実を結べばいいと考えて始めました。

ゲームづくりでは、米光一成さんとの出会いも大きかったそうですね

広告の世界での師匠が先代だとすれば、ボードゲームで大きかったのは、米光一成先生との出会いです。ボードゲームの世界では知らない人がいないほどのゲーム作家で、コンピュータゲーム『ぷよぷよ』を手がけた方でもあります。ボードゲームでは、累計135万部を超えるベストセラー『はぁって言うゲーム』でも知られる方です。

その米光さんが、たまたま当社の社員の知り合いだったんです。一緒に食事をする機会があり、私の作ったゲームを批評していただいたところ、「なかなか面白いんじゃない」と言ってくださいました。正直に言うと、その言葉が事業化の大きな後押しになりました(笑)。

その後、米光さんとはアドバイザー契約を結びました。当社が作るゲームを遊んで批評していただき、バグや、世の中に似たゲームがあれば教えていただく。アイデアは出さないという条件の契約です。そのときにいただいた指摘は、今も私のゲームづくりの考え方の中に生きています。私は勝手に、米光さんの弟子だと思っているんですよ。

今後の展望を教えてください

本業では、AIに負けない制作会社をつくることが大きな目標です。企業のAI化や内製化が進み、物価が上がり、外国人も増えていく中で、デザインのあり方そのものが変わろうとしています。その変化に合わせて、新しい人材の採用や社内教育の見直しを進めているところです。

ゲーム事業でも本業でも、売れても売れなくてもいいからあなたと仕事をしたい、と言い合えるパートナーを増やしていきたいですね。本業のクライアントとは、すでにそういう関係になりつつあります。お客様というより友人に近くて、これを売るにはどうしたらいいかと、ホワイトボードを使って真剣に話し合うんです。たまにはお酒を飲みながら話すこともありますね。堅苦しく外注として仕事をするより、面白いことを一緒にやろうという関係を大事にしています。

ボードゲーム事業を始めて、人との向き合い方に変化はありましたか?

実は、ボードゲーム事業を始めてから、人を動かすとはどういうことかがようやくわかったんです。50歳にもなって今更と思われるかもしれませんが、以前の私は、人が進むべきレールを敷くことがディレクションだと思っていました。大きな意味では間違っていないのかもしれませんが、本当の意味でのディレクションは、人が動きたくなるような道をつくることだったんです。自分が引っ張っていくことではありませんでした。

そのことに気づかせてくれたのは、先ほどお話しした海外からの連絡です。私のことをまったく知らない外国の方が、あなたのゲームをデジタル化してもいいか、世界で売ってもいいかとメールをくれるわけです。相手には、私に忖度する理由がありません。何十万、何百万円もかけてゲームを印刷して、世界で営業しようというのですから、本当に気に入っていなければ到底やらない話です。可能性が見えたら、人は自分から動き出すんですね。

外部のスタッフとの関係も同じです。30代、40代の頃は、便利だから、安いからという理由でお願いしていた時期も正直ありました。現在はポリシーの合う人と仕事をしていて、西村さんはこういうのが好きなんでしょう、と頼んでいない提案まで出してくれます。こちらが想像もしていなかったものが出てきて、驚かされることもあるんです。私の考え方を理解した人が、それを感じ取って動いてくれる。そうしたマインドのリレーこそが、本当の意味で人を動かすということなのだと、この年になってよくわかりました。

人とのつながりや縁を、とても大切にされているのですね

昔の人は、感謝をして生きなさいとよく言いますよね。若い頃は綺麗事に聞こえていました。でも50歳を過ぎると、その気持ちがわかるんです。面倒な仕事を頼んでくる人にも、喜んでくれるお客様にも、今は感謝しかありません。

ゲームも、売れたときより、面白いと言って遊んでくれている姿を見たときのほうがありがたい気持ちになります。正直なところ、儲けようという考えはあまりないんです。それでも結果的に、なぜかお金は入ってくる。昔の人が言っていたのはこういうことだったのかと、最近ようやくわかりました。

自分が面白いと思うものには、よほど世の中からずれていない限り、共感してくれる人がいます。結果はきっとついてくるはずです。あとは、共感してくれる人に出会うまで、人に会い続けられるかどうかだと思っています。

記事を読まれている経営者の方々に、伝えたいことはありますか?

広告もゲームも、私が掲げているのは、人と人の間にあるコミュニケーションを盛り上げるというコンセプトです。

広告やゲームは作品と言われることがありますが、私には作品を作っているという感覚はあまりありません。広告は、売りたい人と買いたい人の間にある媒体で、いわばハブのような存在です。だから、売りたい人と買いたい人が盛り上がってくれるツールであればいいと思っています。ゲームも同じで、ゲーム自体が主役になるのではなく、遊ぶ人同士のコミュニケーションが円滑になること、楽しい時間が生まれることを目的にしています。俺のゲームすごいだろう、と言うクリエイターにはなりたくないんです。

それよりも、自分の作ったゲームのおかげで、この2人が盛り上がった、話が楽しかったと言ってもらえることに意味があると思っています。「作品ではなくて、その作った作品によって生まれる良い時間を売りたい」というのが、私のコンセプトです。

現在多くの企業が、一度は安かろう悪かろうの方向に進み、差別化できなくなったところで、自分たちはどういう企業になればいいのかを考え始めているように感じます。自分たちらしさを形にしたい、アイデンティティを一緒に作ってほしいというときにこそ、ゲーム的な考え方が必要になるはずです。

ですから、この記事で「誰か儲かる話をください」と呼びかけるつもりはありません。何をするにしても、面白いことが一番大事です。この考え方に共感してくださる社員やお客様と、一緒に面白いことをしていきたいですね。

西村社長ご自身の今後の展望はいかがでしょうか?

小さな話ですが、まずは健康管理です。私はもともと健康管理がずさんで、今年(2026年)に入ってからずっと体調が悪く、とうとう倒れてしまいました。当時は体重が88キロあって、少し歩くだけで息が上がるような状態でした。血糖値も血圧も尿酸値も高く、一気に症状として出てしまったんだと思います。さすがにまずいと思って治療を始めたところ、3~4か月で72キロまで落ちました。今は一日に最低1万歩は歩くようにしています。

体が動くようになったことで、また格闘技をやりたいと思い始めました。社会人になってからも何度か道場に通ったのですが、仕事が忙しくなると足が遠のき、幽霊部員になってはやめてしまうことの繰り返しで、ここ20年ほどは格闘技もスポーツもまったくしていませんでした。これまで続けてきた柔道も合気道も組み技なので、今度は打撃系も身につけてみたいんです。気に入っている中国拳法の同好会が週1回ほど稽古をしているようなので、無理のない範囲で通ってみるつもりです。

最後に、おすすめの一冊を教えてください

深澤哲洋さんの『新時代のリーダーに必要な12のチカラ』です。強く影響を受けた本というより、個人的にいいなと思っている一冊です。

実は、著者の深澤さんは私の知り合いで、イベント会社の社長をされています。友人の宣伝のつもりはないのですが、同じ経営者として読んだときに、自分もこう考えていたと共感するところが本当に多くて。リーダーに必要な素質を、キャラクター力など12の項目に分けて書いていて、説教じみたところがなく、とても読みやすい本です。

深澤さんご自身も、偉ぶるところがなく、知識も豊富な方です。仲間でありながらリスペクトしている社長の一人ですね。

『新時代のリーダーに必要な12のチカラ』深澤哲洋(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4344945824

その深澤さんとは、インターネットラジオ局fm GIGで「おじ3のTRY!TRY!TRY!」という番組を一緒に担当しています。メンバーは私と深澤さん、そしてfm GIG渋谷ステーションの局長である天野さんの3人で、それぞれ会社を経営するおじさん3人がアホな話をする番組です。3人のつてで、芸能人や文化人、音楽家の方など、意外と豪華なゲストにも出ていただいています。数回に1回はゲストが来てくださるので、ゲスト目当てに聴いてくださる方もいるようです。毎週金曜の夜に配信していますので、よろしければこちらもぜひお聴きください。

インターネットラジオは右記のURLから視聴できます。→https://www.fm-gig.net

投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
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企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。

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