
今回は株式会社大賀薬局代表取締役社長、大賀崇浩氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
| 会社名称 | 株式会社大賀薬局 |
| 代表者 | 大賀崇浩 |
| 設立 | 1949年11月1日 |
| 主な事業 | 医薬品・化粧品・化粧雑貨・生活雑貨小売、処方せん調剤 |
| 社員数 | 1,434名(令和7年10月1日時点) |
| 会社所在地 | 福岡県福岡市博多区博多駅前3-9-1 大賀博多駅前ビル3F |
| 会社HP | https://www.ohga-ph.com/ |
大賀薬局の事業内容と、他社にはない強みを教えてください
メインは調剤薬局事業で、福岡・九州を中心に現在121店舗を展開しています。ドラッグストアや化粧品の取り扱いもしていて、そこから派生して動物の調剤薬局や動物病院の経営、飲食業なども手がけています。昨年10月には持株会社としてオーガホールディングスを設立して、各事業会社をその傘下に置く体制に変わりました。
もともと私が父から引き継いだのは大賀薬局という薬局で、創業は1902年、今年で124年目になります。
他社との違いでいうと、まず薬剤師の数ですね。全社員の4割以上が薬剤師で、九州全体で約600名が在籍しています。九州の調剤薬局の中では規模ナンバーワンで、これは私が社長になってからの約6年で達成したことです。採用力も強みで、九州の大学の薬学部の卒業生は毎年700〜800名いるんですが、そのうち、約6割にあたる450名以上がエントリーし、そこから毎年30~40名が新卒で入社してくれています。
もう一つ大きいのが、SNSと「薬剤戦師 オーガマン」の存在です。自社のキャラクターIPを持っている薬局というのは他にほとんどないですし、YouTubeの再生数でいえば、全国展開する大手チェーンと比べても、うちのほうが100倍以上再生されていると思います。社長がヒーローに変身して地域を回る薬局、というのはさすがに他にはないですよね。
あとは、新規事業をいくつも立ち上げているので、若い薬剤師が事業会社の経営に携わったり、専門分野に特化した働き方をしたりと、「処方箋通りに薬を調剤する薬剤師」という従来の枠を超えた働き方ができるのも、当社ならではの部分かなと思っています。
当社の事業の詳細についてはこちらをご覧ください。
https://www.ohga-ph.com
・大賀薬局公式X:https://x.com/ohga_pharmacy
・大賀薬局チャンネル:https://www.youtube.com/@ohgayakkyoku
・公式Instagram:https://www.instagram.com/ohga_official/
・公式TikTok:https://www.tiktok.com/@ohga_official
・薬剤戦師オーガマン公式X:https://x.com/ohga_pharmacy
ここからは大賀社長ご自身のことについてお伺いします。学生時代に打ち込んでいたことを教えてください
ずっと野球をやっていました。中学・高校・大学と続けて、社会人になってからも軟式のクラブチームで3年ほどやっていたので、野球漬けの時期が長かったですね。勉強はあまり得意じゃなかったです(笑)。
チームとしては、中学・高校と公式戦1勝もできないような状況で。進学校だったこともあって、未経験者ばかりの寄せ集めみたいなチームだったんです。高校では部員が少なくて、10数名でやり続けていました。
ポジションはショートがメインで、中学から一般推薦で高校に進んで、高校1年生の秋からずっとレギュラーで試合に出ていました。ただ、強く感じたのは「1人の力じゃどうにもならない」ということ。チームとして勝てない中で、自分でスカウト活動みたいなこともやっていました。経験者に声をかけて回ったり、他の部活から引き抜いたり(笑)。何人かは入ってきてくれましたが、やっぱり強豪校にはなかなか勝てなかったですね。
それでも続けていたのは、単純に野球が好きだったから。チームとしては勝てなくても、野球って毎試合4打席くらいあるので、個人として活躍できる場面があるんです。そこがモチベーションになっていた気がします。
高校卒業のタイミングで、監督から大学への野球推薦の話をもらったこともありました。ただ、怪我のリスクや自分の実力への不安もあって、最終的には一般入試で進学することにしました。
学生の頃から、家業を継ぐという意識はありましたか?
中学・高校の途中くらいまでは、なんとなく継ぐんだろうなとは思っていました。父が社長で、その前は祖父がやっていた会社ですし、自分が長男なので。ただ、ある出来事をきっかけに、その気持ちがすっと消えたんです。
高校で文理選択をするとき、薬局を継ぐなら薬学部かなと思って理系を選びました。でも、大学の志望を考え始めた頃に母親に相談したら、「あんた、薬学部とか絶対向いてないでしょ」って言われて(笑)。
言われてみれば、白衣を着て研究している自分も、薬剤師として働いている自分も、まったく想像できなかった。てっきり「継がないといけない」と言われると思っていたので、正直拍子抜けしましたね。そこで「薬剤師にならなくていい=大賀薬局を継がなくていいんだ」と気づいて、高校3年生から文系に切り替えました。
もともと経営学や経済など、ビジネスやお金に関わる分野に興味があったので、文系のほうが自分には合っていると思って。そのまま東京理科大学の経営学部に進みました。
うちの両親は基本的に放任で、それまで事業を継ぐことについて真剣に話し合ったことが一度もなかったんです。だから当時は「長男だけど、別に継がなくてもいいんだ」と、割と素直にそう思っていました。
大学卒業後から大賀薬局に入社されるまでの経緯を教えてください
大学でも野球を続けていました。東京理科大学はそこまで野球の強い大学ではなかったんですが、その時はたまたまいい選手が集まって、在学中はかなり強いチームになっていたんです。弱小チームで育ってきた自分からすると、強い仲間が揃えばちゃんと勝てるんだなと、改めて実感しましたね。
就職活動はちょうど就職氷河期の時期で、100社受けても内定が取れるかどうかという厳しい時代でした。家業のことは親から何も言われていなかったので、自分で一から業界を調べて、商社・コンサル・広告代理店あたりに絞って就職活動をスタートしました。
最終的に入社したのは三谷商事という商社です。決め手は会社説明会での出来事でした。現場のエース社員たちが話をしてくれる説明会で、ある社員の方の話がとにかく面白くて、気づいたらずっとそこのブースにいたんです。そしたらその方に声をかけてもらって、そのままエース社員たちと一緒に、説明会の打ち上げに混ぜてもらうことに。そうして「この人たちと働きたい」と思ったのが、入社を決めたきっかけでした。
三谷商事では埼玉、仙台と転勤しながら3年ほど働きました。ところがちょうど北海道への異動の話が出てきたタイミングで、父から初めて「大賀薬局に戻ってきてくれ」と言われたんです。それまで一度もそんな話はなかったので、正直「だったら、早く言ってよ」という気持ちでした(笑)。
その頃、大学の先輩にも将来の話を相談していました。「事業家になりたい」という話をしたら、「100年近く続く薬局の後継者なんだから、その基盤を活かして自分のやりたいことをやればいいじゃないか」と言われて、それが妙に腑に落ちて。よし、福岡に戻ろうと決めました。お世話になった方には本当に申し訳なかったんですが、三谷商事を退職して大賀薬局に入社しました。
若手時代の経験で、今の経営に活きていると感じたことはありますか?
三谷商事は、今考えるとかなりハードな職場でしたね。夜中の1時まで働くのは当たり前で、3日間会社に泊まりっぱなしなんてこともありました。ただ、そういう環境を経験しておくと、たいていのことは「これくらい大丈夫」と思えるようになるので、ある意味では鍛えてもらいましたね。
仕事は建設資材の卸で、最初は何も教えてもらえないまま飛び込み営業からのスタートでした。新規の取引先を自分で獲得するまでは現場を卒業させてもらえなかったので、作業着のままあちこち飛び込んでいました。おかげで、知らない人に自分から声をかけることへの抵抗はまったくなくなりましたね。
早い段階で転勤も経験したので、新しい環境への適応力もそこで身についたと思います。仙台ではライバル企業の買収案件もあって、買収先の営業課長として入るなど、マネジメントの経験も積めました。
薬局の社長は薬剤師出身の方が多いので、私みたいにゴリゴリの営業経験を持っている人はほとんどいないと思います。薬剤師としての現場感覚という点では敵わない部分もありますが、一般のお客さんの目線で薬局を見られるのは自分ならではの強みだと感じています。そういう、他の薬局の社長にはない経験ができたことが、今の経営に一番活きているんじゃないかと思いますね。
大賀薬局に入社してから、代表取締役社長に就任するまでの経緯を教えてください
入社してまず配属されたのはドラッグストア事業部で、天神地下街店での現場勤務からスタートしました。その後、飯塚のお店で1年半ほど店長を経験して、接客や売り場づくりを一通り学びました。
入社から約3年で、ドラッグストア事業部の常務取締役兼事業責任者を任されることになりました。当時の事業部長が定年のタイミングで、現場からの推薦もあって抜擢していただいた形です。店舗の改装や販促の見直しなど、マーケティング全般を担って、少しずつ数字が上向いてきた頃、今度は調剤薬局事業部のほうで問題が起きました。
上司のハラスメントが原因で薬剤師が大量に退職してしまったんです。当時、約60店舗・薬剤師250人ほどの規模で、そのうち50人近くが辞めるという状況でした。そこでドラッグストア事業部長から調剤薬局事業部長に異動になり、このままでは負のスパイラルに陥ると思って、とにかく採用に奔走しました。大学や薬剤師予備校へ自ら足を運び、積極的に営業活動を行った結果、その年だけで約80人を採用しました。
その後、問題を起こした事業部長を取り立てた当時の副社長が責任を取って退かれたことで、私が副社長に就任することになりました。
ただ、副社長の時期が一番しんどかったですね。父が社長で、意見が違っていても父の指示を社内に浸透させなければいけない。ストレスで蕁麻疹が出るほどで、体を壊しかけました。そのうちに「自分がトップに立たないとこの会社は変えられない」と思うようになって、どうすれば早く社長になれるかを真剣に考え始めました。
母や妹から父に働きかけてもらったり、取締役の役職定年制度を提案して通したりと、いろんな手を使いました。最終的な決め手は、メインバンクの支店長が父に「元気なうちに事業承継をされたほうがいい」と背中を押してくれたことでした。それで父もようやく決断してくれて、35歳でなんとか社長になることができました。
代表取締役社長に就任後、どのような苦労がありましたか?
社長になってまず感じたのは、「このままでは会社が終わる」という危機感でした。だからこそ「薬剤戦師 オーガマン」というヒーローに変身して会社を変えるという構想を打ち出したんですが、当時の取締役たちにはまったく理解してもらえなかったですね。感覚だけで反対する人ばかりで、「否定するなら市場規模くらい調べてから言ってくれ」と思っていました。
それで、トップから血を入れ替えるしかないと決めました。取締役や部長クラスの一人ひとりと面談して、それぞれにミッションを伝え、1〜2年かけて1人を除いて他の全取締役に退任してもらいました。「独裁者」と呼ばれましたし、父に泣きついた役員もいました。血の入れ替えなんて好きな仕事ではなかったですが、会社を変えるためには必要なことでした。
組織の若返りがようやく進んできたタイミングで、コロナ禍が直撃しました。売上が急落して、キャッシュがみるみる減っていく。そんな中で銀行の対応にも苦しめられました。100年以上の付き合いで、一度も返済を滞らせたことがないのに、担保を求めてきたり融資を渋ったりされて。まさに「半沢直樹の世界だな」と思いましたよ(笑)。ただ、いずれ似たような経験はしていたはずなので、30代のうちにそれが経験できたのはよかったと今では思っています。
ヒーローマーケティングの構想自体は、社長になる前からずっと温めていました。子どもの頃から特撮ヒーローが大好きで、30代の頃に医療系ヒーローが活躍する仮面ライダーの作品を観て「薬剤師のヒーローをつくれないか」と思いついたんです。調べてみたら世界中どこにも薬剤師のヒーローは存在していませんでした。「これはいける」と確信し「薬剤戦師 オーガマン」を誕生させました。
ただ、副社長の立場では確実に却下されると思っていたので、社長になるまでずっと温め続けていました。こだわったのは、ヒーローの活動を収益に結びつけてCSRだけで終わらせないこと。業績が厳しくなったときに真っ先に切られないよう、オーガマンの武器(アイテム)である「やくいく手帳(おくすり手帳)」に広告枠を設けてBtoBで収益化する仕組みを最初から組み込みました。社会的な価値と経済的な価値を両立させること、それが活動を続けるための絶対条件だと考えていたんです。
今後の展望について教えてください
私たちが掲げているビジョンは大きく2つあります。1つは、ヘルスケアの垂直統合モデルをつくって、国民1人あたりの医療費を下げること。もう1つは、人間・動物・環境を一体的に守る「ワンヘルス・リーディングカンパニー」になることです。
ホールディングス化した理由も、このビジョンと関係しています。一番の理由は、「面白いと思える会社かどうか」を大事にしたかったからです。面白い場所には人が集まる。今は多様な人材が入ってきているので、薬局という枠を超えて、ヘルスケアの垂直統合モデルを実現できる企業に育てていきたいと考えています。現在は77期ですが、83期にはグループ全体で売上1,000億円を目標に掲げています。
ヒーローマーケティングについては、「薬剤戦師 オーガマン」を含む九州の実在企業ヒーローが集結する連合「ドゲンジャーズ」というのがあって、その「ドゲンジャーズ」が中国・台湾・韓国あたりでも人気が出てきています。キャラクターの可愛さに惹かれて福岡まで遊びに来てくれる海外のファンも出てきました。今後はこうしたローカルヒーローを軸にしたマーケティングを全国に広げつつ、インバウンドも含めて海外展開も仕掛けていきたいです。
また先ほども言いましたが、ホールディングス化することで面白い人材が集まり、事業会社の社長になれるチャンスが増えて、薬局に新卒で入った若手が30代で事業会社の社長を任されるようなケースも生まれています。薬剤師からそうしたキャリアを積めることは、他の薬局にはない差別化のポイントだと思っています。各事業をそれぞれの社長に任せることで、私自身はグループ全体のビジョンに集中できる環境をつくりたいですね。
現在、事業会社は医療法人を含めて13法人あります。動物の健康については、2年半前に動物の調剤薬局を新規事業として立ち上げ、そこから動物病院の経営にも広がりました。「大賀ペットクリニック」という事業です。ペットの薬は人間の薬と7割ほど共通しているので、薬剤師が入ることでシナジーが生まれますし、飼い主に対しても人間と同等レベルの安心・安全な医療を提供できると考えています。健康に関する環境については、「ドゲンジャーズ」の啓発活動や、企業向けに始めた健康診断の研修などを通じて取り組んでいます。
また、ヘルスケアの垂直統合モデルについては、未病予防と早期発見こそが日本の医療費を下げる鍵だと思っています。ただ、今の医療制度は病気が重症化するほど医療機関の収益になる構造になっていて、なかなか変えにくい。私は医療法人を義理の父から引き継いだので、そこで健康診断施設をつくり、特定保健指導や早期発見、二次検診への橋渡しまでを薬局の店舗網と連携させて、医療費を実際に下げる仕組みをつくろうとしています。1人あたりの医療費を10万円・20万円でも下げられれば、その一部をインセンティブとして受け取れるような新しい医療制度のモデルをつくれないかと考えています。
そのために、まずは実績をしっかり出して発信していくことが大事だと思っています。医療系インフルエンサー専門のタレント事務所「オーガスター」も立ち上げて、医療系の発信力を持つ人材の育成にも取り組んでいます。未病予防や早期発見にインセンティブが働く仕組みを、私たちから発信して、社会全体の流れとして広げていきたいですね。
経営者の方に向けて、メッセージをお願いします
メッセージとしては、「やりたいことは全部やれ」ということですかね。やり抜くことが大事だと思うんです。私もオーガマンを始めた当初は、批判ばかりでした。でも7年やり続けてきて、今では「オーガマンがあってよかった」と言われるようになりましたし、大きな投資もしてきましたが、それが社会や地域の役に立って、しっかり収益にもつながるところまで見せられたと思います。やりたいことを諦めずにやり抜くこと、それが一番大切だと思いますね。
テクニック的な話をするなら、「他の人がやらないことをやれ」ということです。同じ業種・業態の中で経営者として上位3位以内に入るのは、正直すごく難しいと思うんです。例えば薬局だけでも全国に6万件以上あって、薬局を営む会社も2万社くらいあります。その中で上位3位に入るのは相当ハードルが高い。私自身、そんなに優秀な人間ではないので、そこを目指すのは違うなと思いました。
そうではなく、何かと何かを「かけ合わせる」という発想のほうが、多くの人には合っていると思います。私の場合は、薬局とヒーローをかけ合わせました。実際、薬局とヒーローを組み合わせた会社は世界に存在していなかったんです。これがイノベーションの本質だと思っていて、誰もが優秀なわけではない中で、こういうかけ合わせの発想のほうをおすすめしたいですね。
それから、自分の利益だけでなく、社会や地域に役立つことを常に考えてほしいと思います。最初は自分の欲のためでも構わないと思うんですが、最終的には地域に目を向けていったほうが、長く続くんじゃないかと思います。一時的にうまくいく人はいますが、長く一線で活躍している経営者は、必ずそういう気持ちを持っています。企業は人や社会の役に立ってこそ存在する、それが本来の姿だと思いますね。
最後に、経営者におすすめの本をご紹介ください
せっかくの機会なので、2024年に出版した私の著書『町の薬局を県内最大手に導いた ヒーローマーケティング』をご紹介させてください。
タイトルからマーケティングの本だと思われがちなんですが、読んでくれた方からは「これは組織改革の本だね」とよく言われるんです。確かに、ヒーローというコンテンツで人を集めるという意味ではマーケティングの本でもあります。でも、それ以上に大きかったのは、社長自らがヒーローになったことで、社員の中に「そんなこともやっていいんだ」という空気が生まれて、組織がどんどん活性化していったことなんです。今では私が会社に週1回くらいしか顔を出さなくても、勝手に会社が成長していくような状態になっています。
ただ、書いていた当時は「組織改革」だなんて全然意識していませんでした。
正直なところ、世の中にはヒーローを作りたいと思っている人がたくさんいるはずだと考えて、私たちがそのお手伝いをするビジネスにつなげたいという思いもありました。実際、出版後にはかなりの数のお問い合わせをいただいて、新しい仕事にもつながっています。そういう意味では、出版した価値は十分にあったと思っています。一方で、経営やビジネススクールの先生方からは組織論として読まれることが多くて、そこは自分でも意外な発見でした。
振り返ってみると、確かに事業承継をしてヒーローマーケティングを進めていく過程で、組織も大きく変わっていったと感じます。社長になった当初は、社内に重鎮と呼ばれる人たちが大勢いて、理解されない、やりたいことができない、そんな環境でストレスばかりでした。そこから考えると、今は随分と自分のやりたいことができる状況になったなと思います。その突破口の一つが、社長自身がヒーローに変身することだったのかなと、今振り返るとそう思います。とはいえ、当時は純粋にヒーローになりたかっただけで、何か狙ってやったわけではないんです。誰もやったことのないことを、やり抜いた結果がこうなった、というだけで。
ですので、経営者の方には、ヒーローを使った集客や販促のテクニック論としてだけでなく、組織改革の物語としても読んでいただけたら嬉しいです。当社が変わっていった温度感のようなものを感じてもらえたらと思います。特に響くのは、私と同じように事業承継をされた方、これからされる方じゃないかと思います。父親との確執というのは、多くの後継者が経験することだと思うので。自分のやりたいことをできるようになった今では「社長になった35歳の頃より、44歳の今のほうが若返っている」とよく言われます(笑)。
『町の薬局を県内最大手に導いた ヒーローマーケティング』大賀 崇浩(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4344948483
投稿者プロフィール

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企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
企業出版のノウハウを活かした記事制作を行うことで、社長のブランディング、企業の信頼度向上に貢献してまいります。
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