
今回は株式会社ディライト代表、高橋 亮氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
| 会社名称 | 株式会社ディライト |
| 代表者 | 高橋 亮 |
| 設立 | 2007年10月 |
| 主な事業 | 葬儀・お墓業界向けの人材支援(人材派遣・人材紹介) 集客支援(ウェブマーケティング・口コミサイト運営) |
| 会社所在地 | 東京都新宿区新宿1-36-12 サンカテリーナ2F |
| 会社HP | https://delight.co.jp/ |
最初に事業紹介をお願いします
当社の事業の中核にあるのは、葬儀業界の「人の困った」と「集客の困った」を解決することです。いずれもBtoB、葬祭事業者さんに向けた支援ですね。最近は、隣接するお墓業界も同じような課題を抱えているので、お墓業界向けの人材支援・集客支援にも事業を広げています。
「人の困った」というのは、人材派遣や人材紹介、それからBPO(業務請負)といった領域です。最近はそこに、人ではなくAIで解決するという発想も加わってきました。AIの導入支援や、その一歩手前にある社内のDX化の支援にも取り組んでいます。
「集客の困った」については、葬儀社さんやお墓の事業者さんが、消費者に直接アプローチする手段をなかなか持っていないという課題があります。そこで当社では、お葬式版・お墓版の食べログのようなサイト「葬儀の口コミ」「お墓の口コミ」を運営し、消費者との最初の接点をつくっています。あわせて、各事業者さんのウェブサイト運営やSNS運営、LINEの導入支援、Googleビジネスプロフィールの運用サポートなど、ウェブマーケティング全般を支援しています。
当社の強みは、まさにこの「狭い業界に絞っている」ことだと思っています。一つの業界に専門特化しているからこそ、その業界に最適化した支援ができる。しかも「人の困った」と「集客の困った」は表裏一体で、集客がうまくいけば今度は人が足りなくなる。その両面を、私たちはまとめてお引き受けできるんです。実際、ウェブマーケティングの支援から、折込チラシや屋外看板といったアナログ領域まで任せていただけるようになり、少しずつ事業が広がっています。狭い業界だからこそ、ここまで一気通貫で支えられる。そこが当社の強みだと思っています。
ここからは高橋社長ご自身についてお聞きします。学生時代に打ち込んだことはありますか?
打ち込んだのは、スポーツと勉強です。小学校は野球、中学校は2年生までサッカー、3年生からは猛勉強。高校ではハンドボールに打ち込み、その部活を引退してからはまた勉強。何もせずに過ごす時間はほとんどありませんでした。
一つの競技を続けず、いろいろなスポーツをやってきたのには理由があります。小学校の頃は、地域のスポーツといえば野球しかありませんでした。当たり前のように少年野球に入り、プロ野球選手を夢見る、よくいる野球少年でした。中学校でも当然、野球を続けるものだと思っていました。ところが進学した中学校に野球部がなく、続けるならクラブチームに入る必要があったんです。ただ、そのクラブチームは軟式ではなく硬式野球で、体が小さかった私は「肘を壊すから」と親に止められてしまいました。
泣く泣く野球を諦めた私は、中学校にあったサッカー部に入りました。やってみると、サッカーも本気でやれば本当に面白い。種目が何であれ、本気でやれば面白いものだと、このとき気づきました。
サッカーの楽しさに目覚めた私は、高校でもそのままサッカーを続けようと思っていました。でも進んだ高校はサッカー部が弱く、ハンドボール部がちょうど前年にインターハイへ出場していました。そこで軸を変えて考えたんです。種目で選ぶならサッカーです。ただ、本気で打ち込んで上を目指せるかという軸で考えると、その高校で一番強いのはハンドボール部でした。やってきた競技ではなく、上に行ける競技を選んだわけです。
進んだのは公立の進学校で、推薦で選手を集める私立の強豪校に、未経験者も交えて練習量で挑んでいくような環境でした。とにかく練習を重ねる。それしかありませんでしたね。
進学校で部活にも打ち込まれて、勉強との両立は大変だったのではないですか?
実は、両立していたわけではないんです。打ち込んだ時期が、きれいに分かれていました。
中学校はサッカーを引退してから猛勉強したタイプで、中学2年生の終わりでは偏差値50ほど。そこから1年集中して、偏差値67〜68の高校に入りました。ところが高校に入ると、今度は部活しかやらない。中学校は成績で学年3位で卒業したのに、高校は下から3番目での卒業でした。それで1年浪人して、大学に入ったんです。
経営者になりたいという考えは、子どもの頃からありましたか?
高校生の頃には、なんとなく2つの道が見えていました。1つは経営者の道、もう1つはエリート銀行員の道。つまり、エリートサラリーマンか、社長か、という2択ですね。
当時もてはやされていたのはエリートサラリーマンのほうでした。特に私たちの世代では、エリート銀行員は花形の職業です。ただ、人にあれこれ命令されて動くよりも、小さくてもいいから自分で会社を経営するほうが、責任はあっても楽しいだろうな、と感じていました。
これはスポーツの話にも通じるのですが、業種は何でもいい。とにかく自分で会社をやるというのは面白いんじゃないか。そんな思いが、ぼんやりと2つの選択肢として見えていた感じですね。
大学は経営学部に進まれたものの、すぐに中退されたそうですね
大学を辞めた理由は、主に2つあります。
1つは、目標を見失ってしまったこと。小学校から大学に入るまでは、常に目の前に目標があって、それに向かって打ち込めていました。ところが大学に入った瞬間、その目標が一気に曖昧になってしまったんです。
もう1つは、学びたいことややりたいことが、その大学では見つからなかったこと。実際に入ってみて、「こんなところか」と感じてしまいました。ここで4年間を過ごした人たちが、エリート銀行員になっていく。そう思うと、ひどくつまらなく思えたんです。私は性格的にガツガツやるのが好きで、大学もそういう場所だと思っていました。ところが周りは、みんな遊びに来ているような雰囲気で、大学生活に魅力を感じられずに退学しました。
退学した瞬間に、エリートサラリーマンの道は消えました。残ったのは、もう1つの道である社長。これが将来の選択肢になった、という感じですね。
中退された当時、経営者になるためのビジョンはどう描いていましたか?
正直、はっきり描けていたわけではありません。燃え尽き症候群に近かったのかもしれません。半年ほど田舎にこもって、ひたすら本を読んでいました。母方の祖母が山奥で農家をやっていて、使っていない小屋があったんです。そこで暮らしながら、本ばかり読む日々を過ごしました。
そうしているうちに、悩んでいても仕方ない、一歩踏み出すしかないと思うようになりました。東京に戻って、いずれ自分で会社をつくることを前提に、どんな業界でもいいからとにかく仕事を始めようと行動に移りました。そうして入ったのが、葬儀業界だったんです。
葬儀業界で起業しようと決めたきっかけを教えてください
最初に飛び込んだのは葬儀業界の人材派遣会社で、アルバイトとしての入社でした。その会社の社長さん自身がまだ若く、20代後半から30歳くらい。自分はベンチャー企業だ、という気概のある方でした。
友人の紹介だったのですが、面接の時点から「会社を作りたい、独立したいんです」とはっきり伝えていました。それを承知のうえで採用していただいたんです。だからアルバイトをしながらも、頭にあるのは「会社を作るぞ」ということ。お金も貯めなければいけないし、何をやるかも考えないといけない。仲間も作らないといけない。そうして1年半ほど働いてから、最初の起業に踏み切りました。3人の共同出資・共同経営の会社です。
その会社は、どのような事業内容だったのでしょうか?
葬儀業界の人材派遣会社です。もともとアルバイトをしていた会社で知り合った人と立ち上げました。当然、元いた会社とは競合になるので、最初はエリアをずらして始めたのですが、その後、双方とも事業を拡大していったので、結局はバッティングしてライバル関係になりました。
「この経験があったから今の自分がいる」と感じる出来事はありますか?
2つあります。
1つは、共同経営の難しさを身をもって知ったことです。21歳のとき、3人の共同出資・共同経営でスタートしました。うまくいけばよかったのですが、会社を作って1か月後には大喧嘩になってしまって。仲間内でやるのは、なかなか難しいものだと痛感しました。私のやり方がよくなかったのかもしれませんし、組み合わせの問題もあったとは思います。ただ、この経験はずっと記憶に残っていて、次の会社は100パーセント自分の出資でやろうと強く思いました。この決意が、のちにディライトを一人で立ち上げる決断につながりました。あまり明るい話ではないですが、資本の理論を強く感じた出来事でしたね。
もう1つは、深く考えずに入った葬儀業界が、実はとてもいい業界だったということです。これもスポーツと同じで、どんな種目でも本気でやれば面白い。やればやるだけ面白くなっていきました。しかも、周りから「いい業界に入ったね」と何度も声をかけられたんです。自分ではそれほど自覚がありませんでした。ただ、考えてみれば、高齢化が進んで亡くなる方は今後どんどん増えていく。日本が縮小していく中で、数少ない右肩上がりの市場です。みんなそこを捉えて、いい業界だと言ってくれていたんですね。
加えて、業界の中のプレイヤー自体も高齢化が進んでいたり、職種柄、優秀な人が入ってきにくかったりする。そう考えると、たしかにそうだなと腑に落ちました。これもスポーツに通じます。野球やサッカーのようなメジャー競技では、私程度ではたかが知れている。でもハンドボールというマイナー競技だったからこそ、そこそこ上に行けた。それと同じで、花形の業界に行っても通用しないけれど、不人気でマイナーな業界だからこそ、いいポジションに行けるのではないか。かっこよく言えばブルーオーシャンですね。ニッチな業界でナンバーワンを目指す。そういう戦略が取れる業界だったんです。
共同経営の会社を離れ、ご自身で立ち上げたのが株式会社ディライトですよね。何を主軸に始めたのですか?
最初は、やはり葬儀業界の人材派遣です。役員、取締役が辞めて競合を作るという、競業避止の問題もありました。そこは創業時、相当に気を遣いました。
「やりたいこと」「できること」「やるべきこと」とよく言いますよね。私の場合、まずやるべきことは、飯を食うこと。家族もいましたから。では自分にできることは何かといえば、葬儀業界の人材派遣でした。だから、まずは稼ぐためにできることから始めて、それを基盤にやりたいことへ広げていく。これは創業当初から考えていたことです。
おかげさまで今は、やりたいことを広げられるだけのお金や人、会社としての信用がついてきました。最近ようやく、やりたいことができるフェーズに入ってきた、という感じですね。
広げていく事業の中に、特定のエピソードから立ち上がったサービスはありますか?
基本的な発想は2つあります。
1つは、外から持ち込む発想です。いわゆるタイムマシン経営ですね。アメリカで広がったものが日本に遅れて入ってくる、とよく言われますが、日本の中でも葬儀業界はさらに遅れている。だから、一般企業や先端的な企業で広がったものは、いずれ葬儀業界にも来るだろう。そう見立てて先回りするわけです。
もう1つは、内側のニーズから立ち上げる発想です。お付き合いのあるお客さまの声を聞いていると、こういうニーズが出てきた、今後も増えそうだ、という手応えが生まれてくる。その内側のニーズと、先ほどの外からの発想が合わさって、少しずつ事業が立ち上がっていきます。
その代表が「葬儀の口コミ」です。お葬式をウェブで探す人なんていないでしょう、という時代から始めました。でも、今後は確実にそういう人が増えていくと見ていたんです。飲食店を探すときに食べログやぐるなびがあると便利で、だから一気に広がった。同じことがお葬式でも起きるよね、というので立ち上げたのが「葬儀の口コミ」ですね。
『ディライト』という社名に込めた想いを教えてください
仕事とは何かを突き詰めて考えると、対極にあるのは趣味や遊びです。辞書で対義語を引いても、趣味や遊びが出てきます。趣味や遊びは、自分のために、自分がやりたいことをすること。では仕事は何かといえば、他人のために、他人がしてほしいことをすることだ、と。
人はまず、自分がどうありたいか、どうなりたいかがあって、それを実現するために何をするかを考えます。そのとき行き着くのが、他人のために、他人がしてほしいことをするということ。それをやればやるだけ、対価としてお金もいただけるし、「ありがとう」と言ってもらえて自分の存在意義にもなる。だから、自分が喜びたいなら他人を喜ばせる。他人が喜べば自分も喜ぶ。これは表裏一体なんです。利己を突き詰めると、利他になる。
ただ、周りを見渡すと、嫌々仕事をしている人がたくさんいます。嫌々やっていれば、当然相手も大して喜ばせられない。結果として、感謝の言葉も対価も入ってこない。そういう悪循環に陥っている人をたくさん見てきました。
当社はそういう会社にはしたくない。自分の喜びのために他人を喜ばせ、他人を喜ばせれば自分も喜ぶ。それがきちんとイコールでつながって、グッドスパイラルになるチームにしたい。だから「喜ばせ、喜ぶ」という意味を込めて、ディライトという社名にしたんです。
株式会社ディライトについての詳細はこちらをご覧ください。
https://delight.co.jp/company
経営者として仕事をする中で、どのような苦労がありましたか?
大変だと感じたことは、実はそれほど多くないんです。ただ、あえて挙げるなら、葬儀業界ならではの難しさがありました。
先ほどお話ししたとおり、古くて高齢化が進んだ業界です。ということは、年齢層の高い方が意思決定の力を持っている。私たちは創業時で30歳と若く、「こういうのがいい」「ああいうのがいい」とどんどん打ち出していく。ところが、BtoBのお客様側は高齢の方が多く、考え方も古い。皆さんおっしゃるのは、「いずれそうなるのは頭ではわかっているけれど、別に今じゃないよね」と。その古い体質を変えていくのに、とにかく時間とエネルギーがかかりました。
転機になったのは、やはりコロナです。世の中のいろいろなものが一気にガラッと変わりましたよね。それと同時に、ちょうど団塊の世代の方々が、これを機に一斉に退場していった。経営層が30歳ほど若返って、40代・50代の経営者がぐっと増えてきたんです。すると、私たちの提案に対しても「いいね」と積極的に受け入れてもらえるようになりました。受け手の年齢層や考え方が変わったことで、私たちのやりたいこととお客様が求めることが、加速度的に噛み合うようになってきた。そういう感じですね。
今後の展望を教えてください
2つの側面があります。1つはエリアの展開、もう1つは事業の深掘りです。
エリアについては、特に「人の困った」は物理的な距離が関わるので、今はまだ1都3県が中心です。これを全国の主要都市へ広げていきたい。これが「面」の展開です。
もう1つは「深さ」の展開です。今やっている事業の隣には、まだ世の中にないけれど、提供すると次のニーズが見えてくる、という連鎖があります。それを提供すると、さらに次のニーズが見えてくる。そうやって、どんどん深掘りしていく。面と深さ、両方でまだまだできることがあると思っています。そして、それを次の世代に託したい。今の20代、30代前半の社員たちが、自分たちで事業を立ち上げていく。そんなふうに、連続的に事業が生まれていく会社にしていきたいですね。
ビジョンとしては「世界中ディライト」を掲げていて、これは3段階で考えています。第1段階は、私たちが直接提供するサービス、つまりクライアントが世界中に広がること。今はようやく全国にお客様ができてきた段階で、特にウェブ系は場所を選ばないので「日本中ディライト」にはなってきました。ただ海外にはまだ進出していないので、ここを広げるのが第1段階です。
第2段階は、社会貢献活動を世界に広げること。創業以来ずっと、売上の1パーセントを社会貢献に充てていて、今は海外に学校を作ったりしています。こうした活動を世界中に広げていく。
第3段階は、「人を喜ばせること、楽しませることが自分の喜びになる」という考え方が世界に広がれば、世界平和につながるよね、というものです。これは私たちがどうこうできるものではありません。ただ、第2段階を進めることで、少しずつでも第3段階につながる発信や影響が生まれればいい。それくらいの気持ちですね。
そうした事業の担い手として、どんな方と一緒に働きたいですか?
社風としては、かなり自由で、暴れられる環境だと思います。ただし、そこには自律が前提として必要です。
当社では「自立・自律・自責」と言っています。自分で立つ、自分を律する、そして自分事として責任を持つ。この3つを「自由」の定義にしているんです。この3つがそろっていれば、自由に働ける環境だと思います。そういう考え方の人と、ぜひ一緒に仕事をしていきたいですね。
最後に、おすすめの本を教えてください
ナシーム・ニコラス・タレブの『反脆弱性』ですね。
世の中の常識を覆すというか、常識の向こう側にあるものが見えてくる。読むと、確実に考え方のパラダイムシフトが起きる。そういう一冊です。
『反脆弱性[上]――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方』ナシーム・ニコラス・タレブ(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4478023212
『反脆弱性[下]――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方』ナシーム・ニコラス・タレブ(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4478023220
投稿者プロフィール

-
企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
企業出版のノウハウを活かした記事制作を行うことで、社長のブランディング、企業の信頼度向上に貢献してまいります。
最新の投稿
仕事07/07/2026株式会社ディライト代表 高橋 亮氏
仕事07/02/2026株式会社クランピーリアルエステート代表 大江 剛氏
仕事07/01/2026株式会社ストリーム代表取締役社長 市村 智樹氏
仕事06/29/2026株式会社三香堂代表 佐々木 基之氏

