株式会社NEXT ONE 斉藤氏

今回は株式会社NEXT ONE代表取締役、斉藤 徹氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

会社名称株式会社NEXT ONE
代表者斉藤 徹
設立2007年6月14日
主な事業コンシューマープラットフォーム事業/スマート農園型障害者雇用支援事業
会社所在地東京都渋谷区渋谷3-3-5 NBF渋谷イースト3F
会社HPhttps://nx1.co.jp/

事業紹介をお願いします

現在は大きく2つの事業を柱に展開しています。1つはコンシューマープラットフォーム事業で、電力やウォーターサーバーなどの生活インフラを一般消費者の方に提供しています。電力は自社ブランド「新日本エネルギー」として全国展開しており、現在は約7万5000世帯のお客様にご利用いただいています。

もう1つは、一昨年から立ち上げた農園型の障害者雇用支援事業「めぐるファーム」です。神奈川県川崎市の新百合ヶ丘に約1000坪の冷暖房完備のスマート農園を構え、障害をお持ちの方々が日々お野菜を栽培しています。この2軸が、今の当社の事業の柱ですね。

電力事業を自社サービスとして展開されている背景を教えてください

当社はもともと起業したときはフレッツADSLからフレッツ光に切り替えるNTTの代理店からスタートし、その後インターネット回線へと、フロー型の代理店ビジネスを中心に事業を広げてきました。ただ、固定費はどんどん上がっていくのに対し、売上は翌月になれば一度ゼロにリセットされてしまう。契約が取れなかったら0。フロー型を続けるのは毎月恐怖との戦いだなと感じていました。そこで2010年に始めたのが、ストック型のウォーターサーバー事業です。4年目あたりからストックが積み上がって黒字化し、ストック型の強さを身をもって理解できました。

ただ、ウォーターサーバーは依然として他社商材を扱う代理店ビジネスです。社員が自分たちの商品として誇りを持てる事業をつくりたい。その思いが次第に強くなっていき、2016年の電力小売全面自由化をきっかけに、2019年に自社サービス「新日本エネルギー」を立ち上げました。

もう一つの事業「めぐるファーム」についても、もう少し詳しく教えてください

めぐるファームは、日本の社会課題に正面から向き合う事業として立ち上げました。

今、日本では、障害者手帳をお持ちの方が1000万人を超えています。一方で、企業に求められる法定雇用率は段階的に引き上げられている状況です。ただ、現場の実情を見ると、企業側も雇用した障害者の方にどんな仕事を任せればいいのかわからないまま形だけの雇用になっているケースもあると聞きます。

めぐるファームでは、シングルタスクからマルチタスクへ段階的にステップアップできるプログラムを組み、ご本人が成長を実感しながら働ける環境を整えています。自社の福利厚生などを通じて収益を社員の働きがいや事業環境の向上に還元していく。当事者の成長と、企業の法定雇用率の達成と、日本の社会課題の解決を、まとめて横串で刺せる事業として展開しています。

ここからは斉藤社長ご自身のことをお聞かせください。学生時代に打ち込んだことはありますか?

これがなかなか難しい質問でして、正直、当時の自分はどれも中途半端だったなと思ってしまうんですよ。

小学校・中学校では野球をやっていました。中学では学校の部活ではなく、外部のクラブチームに入ったのですが、当時の身長が150cmしかなくて。そのチームはセレクションがあるくらい強豪で、結局1年で辞めてしまいました。その後は中学の陸上部で、走り高跳び・100メートル・砲丸投げの3種競技に取り組みました。中学3年の地区大会で優勝して、高校から推薦の話もいただいたのですが、結局そちらにも進まず、陸上もそのまま辞めてしまっています。高校時代は極真空手を習っていました。体を鍛えるのが好きで始めたもので、今でもトレーニングは続けています。運動はやっぱりすごくいいですよね。

こうして並べてみると、いろいろやってはきたものの、これに打ち込んだと胸を張れるものはなくて。本当に中途半端だったというのが正直なところです。

高校卒業後はどのような進路を選ばれたのでしょうか?

高校卒業後は進学するかどうかを迷い、2年ほど浪人のような時期を過ごしました。進路に迷っている間は本腰を入れて勉強もできず、結果的に21歳になる年に就職を決意して、社会人としてのキャリアをスタートしています。

当時は起業や独立など、まったく考えたことがありませんでした。私は3人兄弟の末っ子で、兄と姉とは3歳ずつ離れていたので、自分が中学生のときに兄が大学生、自分が高校生のときに姉が社会人、というような環境でした。親もごく普通のサラリーマンで、親戚にも起業している人はおらず、そもそも起業という選択肢自体が頭の中になかったんです。一方で、普通に大学を出て普通に社会人になることが、本当に自分にとって意味のある時間の使い方なのか。そこは冷静に分析し続けていました。結局、答えが出ないまま動けず、見ているだけの状態だったというのが当時の自分です。

新卒で入社した会社で、仕事への向き合い方はどう変わっていきましたか?

最初に入社したのは外資系の通信関連サービス会社でした。社長がカナダ人で、若い社員が多くて雰囲気が楽しそうだなというくらいの感覚で、求人で見つけて入った会社です。

ところが入社してみたら配属が営業だったんですよ。営業職に就くつもりはなかったので、最初は自分には向いていない、辞めたいと毎日思いながら過ごしていました。それでも続けようと決めたのは、ここで言い訳をして辞めたら次の場所でもまた何か理由をつけて辞めるだろうな、と思ったからです。違う問題が出てきても、結局その壁の高さは変わらない。自分自身が逃げないということをやらないといけないんだろうな、と。そう考えたんです。

途中からは、丁寧に指導してくださっていた女性の上司に結果で恩返しをしたいという気持ちでスイッチが入りました。そこからトップセールスになり、最年少で支店長を任せていただきました。ただ、トップセールスになってからも辞めたいなという気持ちはずっと変わらずありました。営業に向いてないなと思いながら営業をやっていた、というのが本当のところです。

そのときに気づいたのが、仕事は向き不向きではなく、慣れるものなんだということでした。やりたいかとか、できるかではなくて、やらなければいけないことを選んでいくのが人生なんだなと。それと、過去に積み上げてきた経験が大きくなるほど、未来を諦めることでそれまでの実績が無駄になってしまう。そう考えると、続けるという選択以外なかったんですよね。

独立や起業を意識し始めたきっかけと、起業に至る経緯を教えてください

独立は、支店長としてマネジメントや支店経営に携わるようになってから、ぼんやりと考え始めました。22~23歳の頃で、当時の支店は全国でもトップクラスの成績を出していました。

私自身は本当に平凡な家庭で生まれた人間で、自分が変われるなんて思ってもいませんでした。それが営業を続ける中で、自分の人生って短期間でもこんなに変わるんだなと強く実感したんです。変われるかどうかがわからない人は、そもそも変わりたいとすら思えない。私はそういう人生を歩んできたので、同じような人は世の中にたくさんいるはずだと感じました。事業を通じて、当社に入ってよかったと言ってもらえる人を、一人でも多く増やしていきたい。そう考えたことが、経営者を意識した最初のきっかけでした。

起業のタイミングについては、少し変わった経緯があります。前職で札幌支店の立ち上げを任せていただいて、面接からトレーニング、セールスからマネジメントまですべてに携わりました。その後、東京に戻って起業しようかと考えていたのですが、メンバーから、自分たちを置いて社長だけ東京に戻って起業するのは違うんじゃないですか、という話が出てきまして。確かにそうだなと。そこで、まずは札幌で起業して、うまくいったらみんなで東京に行こう、という話に切り替えました。2007年6月に札幌で起業して、翌2008年4月にメンバー全員で東京に出てきています。最初の事業は当時始まったばかりのフレッツ光への切り替え提案を、NTTの業務委託として行うところからのスタートでした。

社会人時代に経験したお仕事の中で「この経験が今に活きている」と感じるものはありますか?

前職の社長がカナダ人で、本社はイギリスでした。研修でイギリスとオーストラリアに行かせていただく機会が何度かあり、そもそも海外に出たこと自体が初めてだった私にとって、建物の造りからカルチャーまで、すべてが衝撃的でした。

中でも一番大きかったのは、日本人はどうしても小さくまとまって、はみ出ないように生きてしまうところがあるけれど、別にそうじゃなくていいんだと気づけたことです。自分の人生は自分が考えた通りになる、ということが腹落ちした瞬間でもありました。

起業など考えてもいなかった自分が、24歳で何の躊躇もなく起業に踏み切れたのはまさにこの時期の経験のおかげだと思っています。あの数年間で、自分の思考力はかなり変わったんじゃないかなと思いますね。

起業されてから、大学院に進学されたそうですね

30歳のときに、グロービス経営大学院に進学しました。それまで手探りで進めてきた経営を、一度体系的に学び直したい。そう考えての決断です。ちょうどウォーターサーバー事業が黒字化したことで、自分自身に時間とお金を投じられる環境がようやく整ってきたタイミングでもありました。ただ、仕事を続けながらの3年間は本当に過酷で、今も当時を思い出すと、20代の苦労がかすんでしまうほどです。学生時代に打ち込んだものを問われると胸を張れるものは思い浮かびませんが、人生で本気で打ち込んだものを挙げるなら、間違いなくこの3年間ですね。

卒業時に整理した、自分なりの事業選定の軸が4つあります。市場規模が大きいこと、市場成長性が見込めること、代理店ではなく自社サービスであること、そしてストック型であること。手探りで進めてきた経営にこのフレームが入ったことで、次にどこへ踏み出すべきかが明確になりました。最初にお話しした新日本エネルギーは、まさにこの4軸に合致する事業として立ち上げたものです。私の出発点だったマイライン制度と構造がそっくりで、その意味でも電力との相性は良いと感じました。

もう1つ、3年間身を粉にしてやりきった経験そのものも、大きな財産になりました。自分への自信は、結局どれだけ行動できたか、どれだけ自分の時間を費やせたかで決まる。そう実感した3年間でした。

経営者として、もっとも苦労されたエピソードを教えてください

2021年1月、新日本エネルギーの仕入れ価格高騰による経営危機ですね。当社は電力の小売事業者として、仕入れた電力をお客様に販売するビジネスを行っています。当時、その仕入れをすべてJEPX(日本卸電力取引所)という、価格変動のある市場から調達していました。ところがコロナ禍による需給バランスの崩れで、市場価格が一気に高騰してしまったんです。

売価はお客様との契約で決まっているので動かせない。仕入れだけが急上昇する。結果として、たった1ヶ月で14年間積み上げてきた約5億円の純資産が吹き飛び、債務超過に転落しました。毎日3000万円ずつキャッシュアウトしていく状態で、当時の売上が10数億円ですから、本当に会社が潰れるかもしれないと思っていました。高騰自体は1ヶ月ほどで収まりましたが、残ったのは借金だけで、しかも次にいつ同じことが起こってもおかしくない状況でした。

そこからどのように立て直しをされたのでしょうか?

あのとき、多くの社員が会社に残ってくれたんです。同じ状況で実際に倒産した電力会社もある中で、当社の社員は一人も辞めなかった。会社を潰したくないと泣いてくれる社員もいましたし、自分たちにできることを必死に考えて行動してくれている社員もたくさんいました。私自身、嵐のように一瞬で積み上がった債務がどうしても受け入れられなかったのですが、残ってくれる社員のためにも、もう一度頑張ろうと思えたんです。

そのとき気づかされたのは、それまでの私は社員のことを100%は信用できていなかったということでした。社員は何かあれば辞められるけれど、自分はずっとやり続けなければいけない。心のどこかで、そう思っていたんです。でも結果は逆でした。私が決めた事業を社員たちが必死に支え続けてくれて、その売上が借金を返してくれた。社員に対する見方が180度変わった瞬間でした。同時に、自分自身についても見方が変わりました。それまでの私は、自分の能力で起業して、自分の力で会社をここまで育ててきたつもりでいたんです。でも、いざ会社が傾いたときに救ってくれたのは社員たちだった。自分の能力で起業し、自分の能力で経営してきたという認識そのものが、結局は勘違いだったんだなと気づかされました。これは経営者として、私の中で大きな転機になりました。

以降は、それまで自分が意思決定してきたことを現場に任せて、私自身は承認側に回るスタイルに切り替えました。社員のことを100%信じられるようになったからこそ可能になった変化です。結果として、それ以降に会社は急成長し、現在は売上100億円規模まで来ています。

「めぐるファーム」を始められた背景にも、その経験があったのでしょうか?

そうですね。経営危機を通じて、「事業を継続すること」や「社会に必要とされる会社であり続ける」ということの重要性を感じました。潰れてもおかしくなかった会社が、いろんな人に支えられて生き残れた。これは本当に当たり前のことじゃないよなと、今も経営しながら噛みしめています。

今年(2026年で)44歳になりますが、経営者として残りの人生をどう使うかを考えるようになりました。残り半分のあるかないかわからない時間で、少しでも社会や人を支えていける会社でありたい、自分でありたい。そう考えたとき、日本の社会課題を一つひとつピックアップしていきました。地方の過疎化、少子高齢化、障害者雇用、食料自給率、労働人口の不足。これらに横串を刺せる事業として行き着いたのが、農園型の障害者雇用支援事業「めぐるファーム」です。

今後の展望を教えてください

これまで助けてもらってきた立場から、今度は当社が社会や人を支える側に回れる会社になっていきたい。これが、今会社として向かっている方向です。

また現在は、千葉大学様、ジャパンプランツテクノロジーズ様と共同で、高単価イチゴの生産技術確立に向けた研究も進めています。障害者雇用を単なるコストではなく、設計次第で価値を生み出す事業にできるのではないか。その仮説を、現場で実証していきたいと考えています。

コンシューマープラットフォーム事業もめぐるファームも、形は違えど社会を支える事業です。この2つをさらに育てつつ、利益の担保と社会課題の解決という2軸が重なる新しい領域にも挑んでいきたい。当社が社会を支える存在として確かに立てるよう、歩みを進めていきたいと思っています。

経営する上で大切にされている考え方を教えてください

企業として、まずはちゃんと利益を担保することが大前提です。それがあって初めて、事業の継続性に責任を持てます。働いてくれたことに対して対価をきちんとお支払いするのは経営者の責任ですから、ここは外せないところですね。

事業を選ぶときに、私がよく使う例えがあります。どんなにいい生け簀でも、魚がいなければプロの釣り師が来ても大きな成果は出せない。逆に、魚がたくさんいる生け簀なら経験の浅い人でも釣ることができる。だから、経営で最も大切なのは、釣り方を考える前に、生け簀を間違えないことだと思っています。だから私は事業を選ぶ際、市場規模と市場成長性を最も重視しています。

魚のいない場所で勝負すると、結局は社員が疲弊してしまうんです。だから市場の規模と成長性は妥協できません。先ほど大学院の話で4軸を挙げましたが、あれを経営判断のたびに立ち戻る場所にしているのは、結局のところ、社員が安心して、誇りを持って働き続けられる会社であり続けるためなんです。明日潰れるかもしれないと不安を抱えさせて働かせるわけにはいきませんから、ここは結構大事にしていますね。

最後に、おすすめの一冊を教えてください

見城徹さんの著書『読書という荒野』です。見城さんは私が一番お世話になっている方で、これまで本当に多くの時間と真心をいただいてきました。当社の特別顧問にもご就任いただいている方です。

ちょうど私の父親に近い世代の方なので、時代背景としては戦前・戦後、学生運動や左翼活動家といった、今私たちが生きている時代とは異なる文脈が登場します。読み解くのは少し難易度が高いかもしれません。

ただ、自分がどう生きるか、何のために本を読むのかを正面から問いかけてくる一冊で、私自身がとても大きな影響を受けた本です。経営者のみなさんには、ぜひ一度手に取っていただきたい一冊ですね。

『読書という荒野』見城 徹(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4344033051

投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
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