今回は株式会社MIYOSHI代表、佐藤英吉氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
会社名称 | 株式会社MIYOSHI |
代表者 | 佐藤英吉 |
設立 | 昭和63年10月 |
主な事業 | ・現場監視カメラ開発とレンタル ・電子機器製造(EMS) ・LED照明の販売・施工 ・その他、製品開発 |
社員数 | 11名(取材時) |
会社所在地 | 埼玉県入間郡三芳町上富1916-10 |
会社HP | https://3yoshi.jp/ |
事業内容を教えてください
当社はG-camという現場監視カメラの開発・製造・レンタルが主な事業で、全国で7000台程レンタルされて稼働しています。G-camは建設現場の防犯対策をはじめ、安全管理や進捗管理に使われており、その他イベントなどで活用されています。他にはLED照明の販売・施工や組み立て製造を行っています。
何かPRしたいことはありますか?
G-camはおかげさまで多くの方にご支持いただいており、現在も売り上げが伸びている製品です。少数精鋭のスタッフで運営していますが、採用も積極的に行っていますので興味がある方は是非ご応募ください。特に探究心旺盛の方を募集しています!
また9月18日から弊社のCMがテレビ地上波とゴルフネットワークで放映されています。
https://www.youtube.com/watch?v=njbviR-Hewg
CMには、プロゴルファーの藤田寛之さんを起用しています。藤田寛之プロは、ツアーで18勝されただけでなく、54歳の今でも探究心を持って物事を追求していく姿勢が当社の理念と一致すると思い、依頼しました。
これからも社員共々、日々研鑽を重ね、探究心を持って仕事と向き合っていきたいです。
学生時代の思い出を教えてください
私はあまり勉強ができる生徒ではなかったのですが、中高大の10年間、バスケットボールに打ち込みました。部長に抜擢されたことで、組織の運営や団結、成長についてはそこで学びましたね。
大学時代に創立者から「抵抗せよ、そこに勝利が光る」という言葉をいただきました。当時はその意味を深く理解できていませんでしたが、今でも心に残っており、現状に甘んじることなく真理を求め続ける姿勢を大切にしています。
また、学生時代は、クラブ活動に取り組む傍ら、自分は何のために生きてゆくのかを問い続ける日々でした。あらゆる意義を問うことを重んじる学校で青春時代を過ごしたため、その後の人生においても困難に直面する度「何のため」との問いに立ち返るようになりました。自分自身の経験から中学・高校時代の教育は極めて重要だと認識するようになり、教育機関に寄付できるような人間になりたいと思ったことが寄付活動の原点です。
大学卒業後の進路はどのように考えていたのでしょうか?
父が会社を経営していましたが、その会社を継ぐ意志は特にありませんでした。会社が儲かっている時は良い家に住み、経済状況が厳しくなったら借家に引っ越していたので、「経営って大変なんだな」と肌で感じていました。
大学卒業後はどのような仕事をされていたのでしょうか?
卒業後は丸井に就職し、3年半の間、婦人バッグ売り場への配属に始まり、メンズシューズのバイヤーを経て靴の企画に従事しました。売り場と本社の両方を経験できたのはとても良かったです。実力主義の会社だったので、人事評価の制度はかなりしっかりしていましたね。とても細かい評価をいただけたことが自己研鑽にもつながり、今の会社でも役立っています。当時の人事評価の書類は今でも大切に保管しています。
その後、離職し父の会社に入社しましたが、2001年の夏、会社が3億7000万円の負債を抱えて倒産してしまいました。1社だけの下請けの会社で、大元の会社から契約を切られたのが倒産の原因でした。その際、手のひらを返したようにお金や仕事で繋がっていた人たちが離れていきましたが、私のことを支えてくれた真の友人の存在が心の支えになりました。
お父様の会社が倒産した後はどうされたのでしょうか?
安定を求めるのであれば他の企業に勤めた方が良かったと思いますが、現在の株式会社MIYOSHIを立ち上げました。中高時代に得た原点に立ち返り、いつか私も素晴らしい哲学を継承する母校に寄付したいと考えるようになりました。将来継続的な寄付をすることを考えると、サラリーマンの給与では到底足りないので、自分で事業を起こし、しっかり儲けて寄付できる人材になろうと決意したことが起業のきっかけです。最初は電子機器製造EMS事業で、とにかくお客さんをたくさん持つことや多品種を扱うことを意識していました。他社との差別化のため、苦肉の策で「すぐにやる」ことを心がけて必死で営業をしました。その甲斐あって初年度から売り上げを伸ばし、毎年取引者数を増やし続けました。
起業されてから大変だったことを教えてください
私は21年間経営してきて、2度赤字を出したことがあります。大きな仕事をいただき黒字になった直後に仕事がゼロになることもあります。業績が良くても次の仕事が入ってくるかは分かりません。業績が悪いとスタッフは不安になりこの会社にいたいけど・・・」と言って去ってしまいます。そんなスタッフの姿を見るのが一番つらかったですね。
どのように乗り越えたのでしょうか?
下請け製造工賃仕事では限界値があり、自社製品や自社技術がなければ生き残れないと思い始めました。そこから自社製品を開発・生産する挑戦をしていきました。例えば、コンバートEVというエンジンの車を電気自動車に改造する事業やプリンター、LED照明などの商品開発を行いました。今の主力事業であるG-camは、他社から困りごとを聞き、現場に根ざした監視カメラの開発をしようと生まれたものです。
他にも会社でチャレンジされていることはありますか?
スタッフのモチベーションを上げるため自己評価と相対評価を行い、その結果が毎月の給与に反映されるという仕組みを作りました。毎月管理職で評価会議を行い、社内の調整確認をしています。15年ほど前から取り入れた人事システムですが、プロセスと結果の評価のバランスをどうするのかなど未だ課題があり、延々と話し合いが続いていくと思います。しかし、この評価システムのおかげで管理職、社員が一緒の目標に向かうという「経営マインドの共有をする」ことができるようになりました。
貴社ならではの取り組みですね!
そうですね、スタッフには自由かつ一生懸命に仕事をしてほしいと思っています。 出勤時は朝礼の開始時刻に皆が集まり、帰る時間はバラバラで、午後休んだり午前休んだりと自由にやっています。他にもスマホ手当1万円や家族手当、家族旅行プレゼントなどの福利厚生も充実しています。ただその分、脳みそをたくさん使う仕事なので、全力で仕事をしたい人にとっては面白い会社だと思います。
今後の展望を教えてください
私は起業してやっと給与がもらえるようになった頃から少額の寄付を始めました。そして現在は寄付総額が2億円を超え、これからも平和・教育・福祉・文化・スポーツの5項目への寄付に取り組んでいきたいです。我々が頑張って利益を出し、寄付をすることが社会貢献に繋がっているという意識を社員一人一人が持っていることは非常に喜ばしいことです。
「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」という経営理念を日本中に広げていきたいです。
そして寄付だけでなく、起業家教育にも携わらせてもらっています。中学生と一緒に次世代のサービスを一緒に考える授業を行っており、起業に興味のある子供には、事業で儲けた先でどんなことをしたいのかを考えるように伝えています。お金を自分のためだけでなく、人や社会のために循環させることが重要なので、今後も会社を起こすこと、仕事をすることの本質をしっかりと伝えていきたいです。
他の経営者におすすめの書籍はありますか?
石塚しのぶさん著書の『ザッポスの奇跡(改訂版)~アマゾンが屈した史上最強の新経営戦略~』です。ザッポスではスタッフを大事にし、お客さんにどこまで寄り添えるかを徹底的に考えています。MIYOSHIのオフィスでは2000万円程かけて休憩室を大改装しました。高性能のマッサージチェアや休憩時にゆっくりと語らえる木を基調とした空間を設けてスタッフがリラックスできる環境を整えています。これは、ザッポスに学んだことです。本年より、MIYOSHI行動指針を設けました。「全人類の幸福と平和を目指し、人のために火をともす」行動に徹する。というものです。常に全人類の幸福と平和を主軸としながら仕事に向き合うことで、ブレない経営ができると思っています。
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投稿者プロフィール
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新入社員を含めたフレッシュなメンバーを中心に、出版サポートの傍らインタビューを行っております!
就活生に近い目線を持ちつつ様々な業種の方との交流を活かし、「社長に聞きたい」ポイントを深掘りしていきます。
代表者様のキャリアを通して、組織の魅力が伝わる記事を発信していけるよう、これからも一生懸命運営してまいります!
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