今回は常陸放送設備株式会社代表、田村 弘氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
会社名称 | 常陸放送設備株式会社 |
代表者 | 田村 弘 |
設立 | 平成16年6月 |
主な事業 | 電力エンジニアリング事業
通信エンジニアリング事業 省エネルギー事業 電気工事技術者向け教育事業 ケアリーバサポート |
社員数 | 32名(取材時) |
会社所在地 | 東京都足立区小台2-43-3
茨城県日立市日高町1-9-15 |
会社HP | http://denki.pro |
事業内容を教えてください
常陸放送設備株式会社では、一般建設業のうち、電気工事業、電気通信工事業、消防施設工事業、管工事業を営んでおります。
また、新規事業として、茨城県北初の技能教習所の開設、および里子支援事業、小規模事業所管理システムの製品化を目指しています。
当社の経営理念は「次世代への贈り物を創造する」です。
東日本大震災で被災し、自分の街が崩壊したことがきっかけでこのように考えるようになりました。同級生や同級生の子どもも亡くなってしまい、人間いつ死ぬか分からないことを実感したからこそ、自分のやってきたことを次世代に引き継ぎたいと考え、様々な事業を展開しています。
例えば、コロナ禍では会社の1階の倉庫を自らの手で改装し薬局をつくり、現在は薬局をたたみ事務所にして、2階に里子支援施設を作っています。地域の子供たちに電気やプログラミングを教えられるよう準備しています。
また、個人的にはラジオ局の創設や選挙活動を通じて地域の声を発信し、地域の課題解決にも積極的に関わっています。事業面では資金調達や不動産リノベーション、技能講習所の設立など多岐にわたり、地域のニーズに応える活動を続けています。
これからも、地域の未来を支えられるよう、地域と共に歩む姿勢を持ちながら日々邁進していきます。
どうして薬局と里子支援を始めたのでしょうか?
まず薬局についてですが、高齢化や後継者不足によって地域の薬屋がなくなったタイミングで新型コロナウイルスが拡大してしまったからです。「誰かが何かをしなければ」と自分の会社の1階を改装して、薬局をオープンしました。
自分で薬の販売免許を取って、薬剤師さんにもパートで来てもらったのですが、その方が3人の里子を育てている方でした。里親は養子とは異なり、親権は実親に残ったまま18歳まで育てる制度です。里子の子たちは必ずしも良い未来へとすすむわけではなく、中には悪事に手を染めてしまう子もいます。里子の子たちの持つ課題を知ったことから、将来の選択肢を広げられるよう、電気の基礎やプログラミングを教え、「世の中にはこんな仕事があるよ」と伝えられるようにしたいと思いました。
そして子どもたちに夢を持ってほしいと考え、里子の子だけでなく、大人のせいで生きづらさを抱えている子どもたちを支援する取り組みに注力してまいります。
常陸放送設備では、どのような方を採用されているのですか?
運転免許を持っていれば未経験の方の採用もしています。一緒に仕事を楽しんで考えてもらえる方を採用していきたいですね!
当社には70歳を超えて活躍してくれている従業員もいますし、都内と変わらない給与設定で、年間休日日数が130日以上あります。
ただ会社の待遇を良くすると、待遇主眼で入社する方が現れます。待遇重視だとどうしても自分本位な部分が目立ってしまうため、社内環境の維持が難しくなります。会社として社員にやりがいを求めてもらいたいという気持ちや継続性を考えると、ときには支障となることがありました。
待遇はもちろんですが、それ以外の会社としての魅力を向上させて、会社の意識と社員の意識がお互いに高めあう環境にするため邁進しています。
茨城県日立市には、水平線が見渡せる海原とツーリングができる山々、穏やかな気候という宝物があります。
自然豊かな日立市で、一緒に人間的な成長をしながら、各種電気工事に取り組む方を求めています。
当社の仕事にご興味のある方はぜひ下記よりご連絡ください!
https://denki.pro/recruit/?r=home
ここからは田村社長のことをお聞かせください。学生時代はどのようにお過ごしでしたか?
中学時代はバスケット、高専時代はラグビーをやっていました。OBとは現在も交流しています。
また、電気オタクでしたね。私が高専に入学した1992年はCDプレイヤーが売れ始めた時代でした。それまでカセットプレイヤーで音楽を聴いていたので、音の精度が各段に良くなりとても驚きました。寮生活だったのですが、テレビがなかったため、ラジオを楽しんでいました。
新卒ではどちらに入社されましたか?
日立電線株式会社に入社しました。電力系の仕事だったことと、電気のことを1から10までやってる会社だったので興味を持ちました。27万5千ボルトから6万6千ボルトまでの地中配線を扱い、北海道から沖縄まで、全国の現場に行きました。起業してからも各地の電力計測工事の依頼をいただき、47都道府県すべてで施工しています。
また印象的だったのが、江戸川区で出張があり、同じホテルの同じ部屋に2年間住んでいたことです。ホテルマンの皆さんも仲良くしてくれて、楽しく生活をしていました。
仕事内容も、27万ボルトの電線工事と規模も大きく、グループで仕事ができたので、良い経験ができました。
そうなんですね!どうして順風満帆なサラリーマン生活をやめて起業に至ったのでしょうか?
日立市にラジオ局を創りたいと思ったことがきっかけです。
当時、茨城県にはラジオがなかったのですが、丁度地域ごとのラジオ局を作れる制度ができたと聞きました。そこで会社にラジオ局設立を提案しましたが、何度も却下されてしまいました。
それでも開局を諦めきれずに市内で活動を続けていたところ、 2003年春、茨城県北地区で72年に⼀度の⾦砂⼤⽥楽が催され、地域の⽅々と⼀緒にイベントFMを5⽇間開催することができました。
イベントFMで地域情報の必要性を再認識し、イベントFM終了後に会社を退職。市議選に「ラジオ局を創りたい」とポスターを作成し⽴候補したもののあえなく落選してしまいました。
退職後は旧勤務先の上⻑などから仕事をいただき、ぎりぎり⾷べ繋ぎ、2004年に資本⾦1円での起業制度が交付されてすぐに1円会社を設⽴しました。
その後、2009年に市内の商店街と協同組合を設⽴して、2010年に「FMひたち」を開局し、理事⻑として運営に携わりました。現在は日立市内のケーブルテレビの会社が引き受けてくれて運営してくださっています。
その後、2011年の⼤震災を経て、ご縁の中で社員が増え、旧勤務先の⼯場内作業を常時引き受けることになりま した。
「日立市にラジオ局を創る」と言って飛び出したにも関わらず、日立電線時代の先輩方や上司が、気にかけてくださり、関係を続けてくださったことで、今の会社の状況があると思います。当時お世話になっていた上司や先輩方が会社の解散を機に技術と仕事を抱えたままの状態で加わっていただき、38名構成の会社になりました。
旧勤務先で「ラジオを創りたい」という想いから動き出し⾶び出しましたが、現在、当時の先輩や上 司と再び合流し、そして新しい仲間が増えつつ、皆で⼀緒に仕事に取り組んでいる状況です。
出馬されたときのエピソードを教えてください
会社を辞めた後、地元の人からの提案で、市として放送局を作ってみてはと言われ、市議選に立候補しました。ポスター作成や掲示板設置を自ら行い選挙活動をしていましたが、日立は細長い形状で、南北に26キロあります。そこをバイクで訪れて、ひたすら回っていましたが、結果はいわずもがな落選しました。日立市は24年間市長選がないため、変革が行われていません。私は新しいアイデアを持ち込んで、街をもっと皆で創ってみたいと考えているので、今後もチャンスがあれば出馬したいです。
文字通り1円で起業されたとのことですが、スタート時はどのような環境だったのでしょうか?
最初は事務所を構えるにもどうすればよいか判らず、近所の不動産店に行き、自分の状況を話したところ、廃業した長屋の古店舗を使わないかと提案いただき、玄関扉が壊れて、青いブリキ板で囲ってある物件を借りました。
もう他に借りるような人はいないから好きに改造していいと言われ、床も水廻りも造作したのですが、不動産店にも驚かれ、喜んでもらえました。
そのせいか、その後取り壊しになるたびに同じ不動産店から安くていいからと古い物件を提示していただき、そのたびに水廻りや居室を修繕して喜んでもらっています。
そして、これまでは電気工事がメインの仕事だったのでリフォームはあまり分かっていませんでしたが、これを機に建築士の資格取得を目指して今は東京建築カレッジという職業能力開発短期大学校に通って勉強しています。
起業してから大変だったことはありますか?
東日本大震災までは無借金経営をしてきましたが、震災後は民間の動きが止まり、工事が全てなくなってしまったことが大変でした。被災地の状況から日本の回復が不透明であると感じましたし、給料支払いを優先して思い切って初の借入をしましたね。
借り入れをきっかけに銀行や地域の企業などにも相談に乗っていただき、社会全体で復興していこうと考えるようになりました。
今後の展望を教えてください
冒頭にもお話しましたが、経営理念を「次世代への贈り物を創造する」としています。次の世代の人たちが、生まれてきてよかったと思えるような社会を創造したいです。
そして、今働いてくれている30代、20代のスタッフに会社を継いでいけるようになりたいですね。
会社だけでなく、地域が発展するように技能講習施設を運営していきたいです。茨城県は工業都市にも関わらずインフラの技能を教える施設が当社しかありません。もっと若い子供時代に向けても職業体験を通じて電気に興味をもってくれるきっかけをつくる機会を提供していきたいです。
電気以外にも、ショベルカーやクレーン車を体験できたり、キッザニアのように大人も楽しめる施設を考案したいとも考えています。再来年には、再び日立市長選への立候補を予定しています。会社の事業も、社会制度の改革を進めていけるよう精進します。
おすすめの書籍を教えてください
『池袋北口職人大学』がおすすめです。
現在リスキリングで毎週金曜土曜に通学している学校のノンフィクション物語です。
私は阪神大震災、中越地震、東日本大震災、広島岡山豪雨の現地を訪れてきましたが、昨年1月の能登地震をきっかけに震災時の応急作業や、仮設住宅、解体工事などに少しでも多く携わればと考え、入学を決めました。
いまは2年目で、クラスは14人、年齢層は50代から10代まで、みんな家族のように仲が良いです。
来年の今頃はそれぞれの仕事に戻るのが寂しいねと、残りの時間を大事に過ごしています。
気になった方はぜひご覧ください!
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企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
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