
今回は株式会社三恒代表取締役社長、三上正剛氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
| 会社名称 | 株式会社三恒 |
| 代表者 | 三上正剛 |
| 設立 | 1972年3月1日 |
| 主な事業 | 水産物の製造及び販売 |
| 社員数 | 40名(取材当時) |
| 会社所在地 | 大阪府大阪市福島区野田1-1-86 大阪市中央卸売市場内 |
| 会社HP | https://www.santune.co.jp/ |
御社の事業内容と、他社にはない強みについて教えてください
弊社は、大阪市福島区にある大阪市中央卸売市場本場というところで、水産物の卸売を行っています。取り扱う商品はいろいろありますが、特に得意なのが「塩干物(えんかんぶつ)」と呼ばれる分野です。塩鮭や干物、たらこ、明太子、塩数の子、みりん干しといった、塩や乾燥で加工した昔ながらの商品です。
ただ最近は、取引先の数がどんどん減ってきています。これは業界全体の傾向でもあって、チェーン展開で店舗数自体は増えているのに、お客さんの数は減っているんです。しかも大きな取引先は自分たちでセンターを持つようになって、中央市場を通さないケースも増えてきました。実際、私たちがいる大阪市中央卸売市場本場の水産部門も、現在は120社くらいしか残っていません。30年前は約400社あったので、毎年10社ずつくらい減ってきている計算になります。
そんな中で弊社の強みになっているのが、大手商社が扱いにくいような商品を得意としていることです。相場が読みにくく、価格や量が安定しないものを全国から集め、常に用意しています。「市場に来てもらえれば、お得なものがありますよ」という状態を作っておく、というイメージです。
業界全体としては、注文を受けてからメーカーに発注する、いわゆる「受注発注型」が増えてきています。でも弊社は、自分たちでリスクを取って先に買い付けてから売る、という昔ながらのやり方を続けています。在庫を抱えるリスクはありますが、その分安く仕入れられたり、珍しいものを扱えたりするので、それが強みになっています。
また、業界の中では従業員や営業のメンバーが比較的若いことも特徴です。平均で10歳くらい若いんじゃないかと思います。私自身、28歳で会社を継いで、現在53歳になりましたが、その頃から働いてくれているメンバーも含めて今は40歳前後の世代が一番バリバリ働いてくれています。
市場ならではの強みを挙げるなら、スピード感です。例えばその日の昼に獲れた魚が、夜中には中央市場に届きます。それが翌朝7~8時くらいには、もう用途ごとにきれいに仕分けされている。鮮魚は値段の変動が激しく、今日と明日で値段が大きく変わってしまうような扱いづらい商品なんですが、それを無駄なく、ほぼロスゼロで流通させる仕組みが中央市場にはあります。相場が読みにくくて、いつ獲れるかもわからないものを扱う上で、このスピード感こそが市場の一番の強みだと思っています。
「社長の履歴者」の読者でもある経営者の方に向けて、何かアピールしたいことがあれば教えてください
弊社の場合、売上の比重で言うとBtoBがメインで、だいたい85~90%くらいを占めています。最近はBtoCの通販部門も伸びてきていますが、基本的には卸売会社という位置づけです。
業界全体の流れとして、市場まで買いに来るお客さんは年々減ってきています。そんな中で弊社が一番力を入れているのは、「また買いに来たくなる理由をどうつくるか」ということです。ありがたいことに、弊社はお客さんが増えているほうなんです。やっぱり、いつ行っても同じものしか置いていないお店には、足が向かなくなってオンラインで済ませちゃいますよね。逆に「何か面白いものがあるかも」と思えるお店なら、ちょっと行ってみようかなと思うものです。これは人間関係でも同じだと思っていて、そのための情報収集にはかなり力を入れています。他社が面倒だと思ってやりたがらないことを率先してやる。配達もきちんと行う。そうした積み重ねが信頼につながっているのだと思います。
流通業界全体で共通している悩みとして、現場の人手不足や、お客さんが魚の食べ方を知らないという課題があります。これに対して弊社が力を入れてきたのが、スーパーに納品するときにポップを作って商品と一緒に渡すことです。シズル感のある写真と商品名、価格、食べ方、産地までを1枚にまとめたポップで、ここ5年くらいかなり力を入れてきました。最近はAIでも作れるようになってきていますが、まだちょっと「AIっぽさ」が残っている印象です。
このポップ作りが得意になった背景には、通販事業で培ったノウハウが関係しています。通販では、サムネイル画像、つまり最初に出てくる1枚目の画像をどう見せるかがすごく大事で、「これ買いたいな」と思ってもらえるかどうかが決まります。そこを通販チームがずっと研究してきたことが、ポップ作りにもつながっていったんです。シズル感のある写真、商品名、価格、食べ方、産地がひと目でわかるポップがあれば、お客さんは「こう料理すればいいんだ」「この値段ならいいな」と判断しやすくなります。BtoCをやってきたからこそ身についたノウハウが、結果的にBtoBでも役立っているわけです。
スーパーへの納品では、こうしたポップを無料で商品にお付けするだけでなく、納品価格を提案するときに粗利率まで含めて、最初からこちらで提示しています。そして、商品にバーコードを付けて、スーパー側が登録するだけでそのまま店頭に並べられる状態にしています。そういう、ちょっと手間のかかる部分を先にこちらでやっておく、というサービスです。
ただ、市場の本当の面白さは、やっぱり「相対(あいたい)取引」にあると思っています。一般的な商談は見積もりを出して交渉して…という流れになりますが、中央市場では実際に物を見て、その場で値段を決めて買う。良いものと悪いものをその場で見極めて、スピード感を持って商売を決める。これが市場の醍醐味なんです。
そこで大事なのは、買いに来てくれたバイヤーさんに「これなら売れそうだ」と思ってもらうことです。例えば1個500円相当の商品でも、普通に値付けすれば800円くらいになってしまうものを、「これ全部まとめて400円でどうですか?」と提案すると、相手の発想が変わるんです。「じゃあ店頭に山積みにして、500円の目玉商品として売ってみよう」とアイデアが広がっていく。普通なら1個しか売れないものが、その瞬間から10個単位で動くようになる。そういうふうに、相手の「今日やってみよう」という気持ちを引き出すのが、仲卸の役目だと思っています。
結局、弊社の仕事は「元気を与える仕事」なんだと思っています。取引先にも、その先にいる生活者の皆さんにも、美味しいものを食べて笑顔になっていただく。それが弊社の仕事のベースにあって、毎日その積み重ねを続けています。
弊社の事業の詳細についてはこちらをご覧ください。
https://www.santune.co.jp/works
ここからは三上社長ご自身のことについてお聞かせください。社会人になる前、学生時代に打ち込んだことはありますか?
僕は割と不器用なタイプで、あれもこれもできる人間ではなかったので、小学校から中学校まではずっと野球をやっていました。ほぼ毎日野球漬けの日々でしたね。
ただ中学校に入ったタイミングで、一度心臓の病気になったんです。生死をさまようような状態で、医師からは「もう半年もたないかもしれない」と母に告げられたそうです。
そんなこともあって、野球はもう難しいだろうということになり、一度は野球を諦めて高校に進学しました。でも、やっぱり野球がやりたくなって、進学した高校にあったソフトボール部に入りました。そこから高校、大学、社会人と、40歳までソフトボールを続けることになります。小学2年生から40歳まで、野球、そしてそれに近いソフトボールを続けてきたという感じです。
ずっと団体競技をやってきたので、自然と「全体最適」を考える癖がついたと思います。自分だけ活躍しても、チームが勝てるわけじゃないですから。最初はピッチャーをやっていましたが、途中からキャッチャーを任されるようになりました。キャッチャーって、他の守備の人たちとは違い、逆を向いてグラウンド全体を見てプレーする唯一のポジションなんです。だから「どう動いてもらえばチームが勝てるか」を常に考えるようになりました。これは今の経営にもかなり役立っていると感じます。
体力がついたのはもちろんですが、それ以上に「自分の活躍より、チーム全体のパフォーマンスを上げることが大事だ」という考え方を学べたことが、団体スポーツをやってきて一番よかったことかなと思います。
勉強はあまりしていなくて、スポーツ推薦で大学へ進学したくらいですが、この経験は今でも仕事をする上で大きなベースになっています。
2001年に代表取締役に就任されていますが、それまでのご経歴と、社長になる前にやってきたお仕事について教えてください
大学卒業後は、広告代理店で3年ほど販売促進の仕事をしました。上場企業専属の代理店のような会社だったのですが、そこでセールスプロモーションを学べたことが、後の仕事にもプラスになったと思います。
入社して2年ほど経った頃、父が癌だとわかりました。もうステージ4くらいで、「1年もたないかもしれない」と言われるような状態でした。そこから1年弱くらいかけて広告代理店の仕事を引き継ぎ、25歳のときに三恒へ入社しました。父の体調のこともあって「帰ってきてくれないか」と言われたのがきっかけです。
ただ、小学校の頃から会社の手伝いには行っていたので、いつかは三恒に戻るつもりでした。広告代理店も、最初からそんなに長くいる気はなくて。もともと社長業をやりたい気持ちがあったので、タイミングが重なって戻ることになりました。
25歳で入社し、28歳のときに父が他界。そのタイミングで代表に就任しました。現在53歳なので、代表になってもう25年くらいになります。
会社へ戻ってきた当時は従業員も10人に満たないくらいの規模で、最初は何でも自分でやっていました。市場の仕事って、朝はまず荷物積みなんです。買い出しに来た魚屋さんの車に、売った商品を積み込む。それが終わったら、ずっと魚を切る仕事です。味噌漬けにしたり切り身にしたり。そんな仕事を2年半から3年くらい、ひたすら続けていました。まさに下積みですね。一番しんどい仕事ですが、みんなが嫌がる仕事だからこそ需要があるとも思っていました。
当時は本当にハードで、仕事は夜中の2時、3時から始まり、お昼頃まで続きます。ある程度わかっているつもりでしたが、実際にやると想像以上でした。
それと、入社してすごく驚いたのが市場の雰囲気です。広告代理店のときはコンプライアンスもしっかりしたクリーンな環境でしたが、市場に来たらまるで別世界で。2000年頃はまだ市場流通が中心だったこともあり、当時はそこら中で喧嘩もしてましたし、その分活気もすごかったです。
正直、当時は市場で働いていることを人に言うのが嫌だった時期もありました。環境の荒々しさもあって、「市場で働いています」と言うことに抵抗があったんです。そこはかなり苦しかったですね。
そんな日々を過ごしているうちに、2年くらい経った頃には自分もその雰囲気に染まっていく感覚がありました。仕事が一段落したらお酒を飲む、みたいな空気が当たり前になっていって。26、27歳くらいの頃は、「このまま自分はどうなっていくんだろう」という悩みを抱えていた時期でもあります。仕事自体は真面目にやっていましたが、自分の将来についての葛藤もありました。
株式会社三恒の代表取締役社長を継がれた経緯を教えてください
社長はいずれ自分がやるんだろうな、というのはずっと思っていました。ただ、当時は会社の番頭さんのような存在がいて、すごくしっかりした方だったので、「まずはその方が社長になって、その次が自分かな」と、ちょっと甘い考えでいたんです。26、27歳くらいの頃です。だから、その間にゆっくり加工の仕事を覚えて、それから商売について学べばいいかな、くらいの気持ちでした。
僕が会社へ戻ってからも、しばらくは父も比較的元気でした。それが急に病気が進行してしまって……。ちょうどアメリカ同時多発テロがあった年で、それこそ9月11日に、「世界でこんなことが起きてるんやな」と父と職場で話していたのを覚えています。その2、3日後に父は亡くなりました。本当に急なことでした。もう少し生きてくれると思っていたので、心の準備もできていませんでした。
経理のことも、商売以外のことは何もわかりませんでした。決算書も読めませんし、支払いや借入金のこともまったく理解していませんでした。
社長になった経緯としては、僕が入社した頃にはもう引退していたんですが、もともと母が経理を担当していました。父が急逝したことで株式はすべて母が引き継ぎ、代表を誰にするかを決める立場になりました。そのとき、母は番頭さんではなく、僕を代表に選んだんです。いきなり社長になった、という感覚でした。その後はいろいろ大変なこともありましたが、母はきっと、それもすべてわかった上で僕を選んだのだと思います。
代表取締役社長に就任後、経営者として仕事をする中で、どのような苦労がありましたか?
社長に就任した当時は借入もたくさんあって、本当に何もわからないところからのスタートでした。28歳から30歳くらいまでは、試算表を見ながら毎月資金繰りを考える日々で、一番しんどい時期でした。銀行残高がマイナスになることもありました。
中央市場では、毎日のように支払いがあります。買った10日後にはお金を払わなきゃいけなくて、それができないと次の仕入れができなくなる。そうなると一気に商売が立ち行かなくなってしまいます。実際に銀行から「残高がありません」と連絡が来たこともありました。本来入金されるはずのお金が入らず、引き落としができなくなってしまうこともありました。多くの経営者の方が一度は経験されていることかもしれませんが、私はそれを社長になってすぐ経験した、という感じでした。
その後、僕が代表になったことがきっかけというわけではないと思いますが、番頭さんとその下で働いていた5人が辞めて独立しました。会社には、僕と入社1年目の社員、アルバイト1人くらいしか残らない状態になりました。そのときは、妻が経理を手伝ってくれたり、妹も会社を支えてくれました。本当にゼロからの再スタートでした。
今振り返ると、当時、社員が辞めていったのは、ある程度計画されていたことだったのかもしれません。僕が代表になって、いろいろなことが明るみに出てきた中で、やりづらさを感じた部分もあったのかなと思います。
ただ、結果としては経費がぐっと下がったんです。毎月かかる固定費が一気に減って、給料は社長の僕でも20万円台、入社1年目の社員も20万円くらい。妻と妹も支えてくれたおかげで、人件費は10分の1くらいになりました。そうして続けていくうちに、「思ったよりお金はかからないんだな」という状態まで持っていくことができたんです。資金繰りは本当に苦しかったですが、支出を徹底的に見直したことで、少しずつ経営も安定していきました。当時は、とにかく不要なものはすべてやめて、契約も見直し、「次にかかる費用をどう抑えるか」だけを考えていました。
3代目で会社を潰してしまう、というのはよくある話ですが、自分の代で会社を終わらせることだけは絶対に嫌でした。「とにかく会社だけは潰したくない」というその1点だけで走り続けました。毎日「今日はこれやらなあかん、あれもやらなあかん」の繰り返しだったので、振り返ればしんどかったと思うんですが、当時はあんまりそういう感覚はなくて、とにかく必死に動いていました。
でも、それ以上にこたえたのが、その後のことです。自分より若いメンバーを増やしていく中で、ある程度育って活躍するようになると、スポンサーがついて独立したり、別の会社の社長の娘さんと結婚してその会社の社長になったりと、会社を離れていくことが2回ほど続いたんです。本当に弟みたいに育てたメンバーが離れていってしまう。あのときは人材という意味で、すごくこたえましたね。
自分の人間的な魅力がなかったんだろうと思いました。うちと比べて「こっちのほうがいい」と思って選んだわけですから、会社の魅力も、自分自身の魅力も足りなかったんだろうな、と。しかも、能力のある人ほど離れていってしまう。そのことにはすごく悩みました。
そうした苦労を、どうやって乗り越えていったのでしょうか?
これは学生時代の経験ともつながるんですが、個人プレーだとどうしても良いパフォーマンスが出せない、というのをずっと感じていたんです。人がどんどん離れていくのを経験して、「会社って一人だと弱いな」と痛感しました。だから「チームみたいな会社にしたい」という思いが、自分の中でどんどん強くなっていったんです。グループではなく、チームみたいな会社にする。そうしたらうまくいくんじゃないかと思いました。
実際、会社の制服も野球用品メーカーのミズノに注文して、ローマ字でおしゃれな名前を入れてもらったり、ユニフォームっぽい作りにしたりして、野球チームのような雰囲気を目指していったんです。
そんな中で、業界の大先輩の方から「商売と経営は違うんやで」と教えていただきました。「会社経営とは何か、ちゃんと勉強しなきゃあかんよ」と、何回も勉強会に誘ってくださり、実際に参加してみると、「会社には経営理念がいる」「みんなで目指す共通の目標がないとあかん」という話を聞きました。
そのとき、「うちにはそれがないな」「経営について何も学んできていないな」と気づいたんです。31、32歳くらいの頃ですね。そこから経営者が集まる勉強会に通い始めて、最初に取り組んだのが経営理念をつくることでした。「うちはここを目指していきます」というのを決めて、社員みんなの名刺の裏にも書いてもらいました。最初はみんな「何やってんねん」みたいな反応でしたが(笑)。
そこで気づいたのが、「自分の判断基準が私利私欲ではダメだ」ということです。「会社を潰したらあかん」という思いも、よく考えたら「三上家を守る」という視点が先にあったんです。三上家を守って、その次に会社を守る。そういう順番でやっていたから人が離れてしまったんだなと、後になって実感しました。
最初に番頭さんが独立したときもそうだと思います。当時の僕は本当に自分のことしか考えていなかった。番頭さんについていったメンバーには、それぞれ家族がいました。入社2年目の社長が継ぐ会社と、百戦錬磨の番頭さんが作る会社、どちらを選ぶか悩んだはずです。結果、みんな番頭さんについていった。逆の立場だったら自分もそうしていたと、今なら思えます。
会社を潰したらダメだ、というのはもちろん大前提ですが、勉強会に長年通う中で、「社員の幸せが一番大事」という考え方に出会いました。そこからは、みんなの幸せを追求することと、社会に貢献していくことをどんどん優先するようになっていきました。結局、それが一番会社にとってもプラスになるんですよね。こうした考え方は、勉強を重ねたり、素晴らしい経営者の仲間と出会うことで身についていったものです。決算書を見せてもらって、「うちとはこんなに違うんや」「こんなに利益出るんや」とびっくりすることもよくありました。そうやって自分も、こうなりたいなと思いながら学んでいきました。
冒頭でお話ししたように、僕は市場で働いていることを人に言うのが嫌だった時期がありました。だからこそ、まず自分自身が誇りを持てるようになりたい、やりがいを持てるようになりたい、と思うようになりました。社員のみんなにも「俺、中央市場で魚やってんねん」と、自信を持って言えるようにしたい。そのためには会社に大義がいるし、「なぜうちは存在するのか」という理念が必要なんです。それをみんなと共有し、自信を持って魚の卸しの仕事をやっていける環境を整えてきて今に至ります。
会社というのは、もちろんお金を稼ぐ手段でもあると思いますが、それだけだったら意味がないと思っています。社員にとっても、僕自身にとってもそうです。仕事を通じて人間的に成長していかないと、家族よりも長い時間を過ごす職場が、お金を稼ぐだけの目的でしかなかったら、それは不幸だと思うんです。だから、どうやったら人間的に成長していけるか、自分も含めて考えるようになって、勉強会に力を入れるようになりました。
僕がなんでそういう勉強会が好きになったかというと、僕らの世代は、古典や中国古典を学ぶ機会がほとんどありませんでした。戦前の人たちは学んでいたそうですが、戦後はそういう機会がほとんどなくなってしまって。実際に古典を学んでみると、本当に当たり前のことが書かれているんです。「まず自分自身を整えて、自分が成長して、家族を円満にしないと、地域や周りも幸せにできない」というような教えです。それまで人間的な部分を教わってこなかった分、古典を学んでみて「たしかにそうやな」と思いました。家族が円満じゃなかったら、組織だってうまくいくわけがない。だから、こういうことはしっかり勉強しないといけないなと思い、社員と一緒に学ぶようになっていきました。まずは何でも自分の責任として捉える、他人のせいにしない、という当たり前のことを、みんなと共有するようにしました。
例えば、長時間労働で夜中から働いて、家に帰って「俺は仕事してきたんや」と言っても、奥さんからしたら「私も子育てで大変なんやけど」と喧嘩になってしまいますよね。でも、旦那さんのほうから「今日もありがとうな。お母さんがちゃんとやってくれてるから俺も仕事できるわ」と言えたら、奥さんも「お父さんこそ、いつも頑張ってくれてありがとう」と言える関係になる。それだけのことなんです。難しいことじゃなくて、考え方や言葉を変えるだけで、環境自体は変わらなくても、十分幸せになっていく。そういうことを、みんなで共有していこうと思っています。
僕らの商売は、相対取引のように人と人とのふれあいです。だから「この人から買いたい」「この人が勧めるなら買おう」という感情がすごく出てくる。中央市場は、同じ商品なら120社のどこからでも買えます。値段の高い安いもありますが、「誰から買うか」で選ばれることも多いんです。だから、その「誰から買うか」で選ばれる人間になることを、みんなで目指そうと考えました。予算やノルマの話はあまりせずに、人として何が正しいか、お客さんに喜んでもらえる笑顔や感動を想像しながら商売に向き合う、ということを大事にしています。
だから、弊社の強みって、実はあるようでないんです。強いて言えば、「人間的な元気」が一番の強みなのかもしれません。「やりますよ」「行きましょうよ」と前向きに動くこと。それがどこまで通用するかはわかりませんが、今のところは、それでここまでやってくることができました。
それと最近は、卸売だけに頼っていたらダメだと思い、僕自身が魚を切っていた経験を活かして、味噌漬けや鮭の切り身を得意分野として阪急百貨店の味噌漬け専門店にチャレンジしたり、通販で展開したりと、販売チャネルを少しずつ広げています。中央市場は基本的に男性が多い職場で、力仕事も多いです。一方で、通販や百貨店の仕事は女性が中心になります。販売チャネルを広げることで、雇用も多様化していきました。通販のパートスタッフは女性が多いですし、百貨店も女性メンバーが中心です。そういう意味でも、新しい事業に挑戦してきて良かったなと感じています。
今後の展望について教えてください
弊社では数字としての目標も掲げていて、2030年には売上50億円を目指そうというビジョンがあります。現在は38億円ほどですが、50周年のタイミングで「2030年に50億円」という目標を掲げました。そこはぜひ達成したいと思っています。
そのために、これまでは塩干物という少し専門的で特殊な商材を中心に扱ってきましたが、3年前から鮮魚にも挑戦し始めました。取引先の皆さんも、塩干物だけを購入されているわけではなく、鮮魚も必要とされています。であれば、そこにも対応できる会社にならなければいけないと思ったんです。
鮮魚への挑戦を進める中で、ここ数か月の間に3社から営業譲渡のお話をいただきました。そのうち2社については、現在具体的に話が進んでいます。新しい仲間が増え、売上規模も一気に伸びる可能性があります。3社に共通しているのは、社長さんの高齢化です。営業譲渡という形で、営業権や社員さんをそのまま引き継げるのであれば、比較的スムーズに進めやすいんです。お話を伺う中で、「三恒の三上さんなら、うちの社員のことをちゃんと面倒見てくれるんちゃうかな」と言っていただき、ご相談に来られるケースが増えています。
市場には70代、80代近くになっても現役で頑張っている経営者の方がたくさんいます。ただ、仕事は夜中から始まりますし、息子さんたちは別の会社へ就職していて、後継者がいないというケースも少なくありません。そうした会社の受け皿になっていけたらと思っています。もちろん、新しく加わる社員さんには勉強会にも参加してもらうなど、弊社の考え方を共有してもらうことは大切にしています。こうした動きは、今後さらに広がっていくのではないかと思っています。
新しい取引先を意識的に増やすことは、今の時代なかなか難しくなっています。ある程度の規模になると、大手商社との取引が中心になり、中小企業である弊社が新規で口座を開いていただくことは簡単ではありません。その中で、こうしたご縁によって新しい取引先や仲間が増えていくことは、本当にありがたいことだと感じています。
そして、以前から挑戦したいと思っていたことの一つに、飲食事業があります。今回ご縁があり、海鮮丼を得意とする飲食店を運営されている会社を引き継ぐことになりました。弊社は祖父の代から干物や味噌漬け、切り身を扱ってきました。ただ最近は、スーパーで干物や焼き魚を購入する方が減ってきています。焼くだけなので本来は簡単なんですが、それでも家庭で魚を焼く機会自体が少なくなっているんですよね。でも、魚や干物そのものが嫌いになったわけではないと思っています。
実際、干物の居酒屋などは今でも人気があります。つまり、「干物が売れなくなった」のではなく、「売れる場所が変わってきた」のだと思うんです。今回、海鮮丼を得意とする飲食店を引き継いだことで、美味しい海鮮丼と一緒に、きちんと焼いた干物を提供できるようになりました。料理をする時間がなくても、魚が好きな方に美味しいものを届けられる。そういう可能性が一気に広がったと感じています。こうしたご縁のおかげで、魚の価値をきちんと評価していただける場所へ挑戦できていることを嬉しく思っています。
最後になりますが、弊社の理念の一番に掲げているのが「いただきますの心を大切に」という言葉です。これは、感謝する心だと思っています。関わるすべてのものに感謝する。それが「いただきますの心」なんです。日本には八百万の神という考え方があります。あらゆるものに命や存在の意味を感じ、感謝する文化です。これは日本独自のとても素晴らしい考え方だと思いますし、これからも広げていきたいと思っています。飲食事業でも、卸売事業でも、この考え方を軸にしていきたいです。
美味しいものを食べて幸せになっていただくこと。そして、日本に昔からある感謝の文化を次の世代へ伝えていくこと。それが私たちの役割の一つだと思っています。
お母さんが時間をかけて作ってくれた料理を、「いただきます」と言って食べる。それは、料理に込められた時間や想いへの感謝でもあります。また、私たちは動物や植物の命をいただいて生きています。そこに感謝する気持ちは、誰もが原体験として持っているものだと思うんです。これは日本人が大切にしてきた素晴らしい感性だと思うので、仕事を通じて伝えていきたいですね。それが、私たちの仕事への誇りであり、やりがいなのだと思っています。
正直に言うと、私は3代目なので、創業者のように次々と事業を広げていこうというタイプではありません。3代目は比較的、守りから入るタイプが多いと思いますし、私自身もそうです。ただ、こうしたご縁は大切にしていきたいと思っています。また、会社が成長すれば、社員一人ひとりの可能性も広がります。役職が上がったり、部下をまとめる立場になったり、より大きな仕事を任されたりする。そうした経験は、会社自体が成長していなければ生まれません。社員のみんなにも、さまざまな立場や役割を経験して、人として成長していってほしい。そのためにも、会社は成長し続けなければいけないと思っています。
最後に、経営者の方におすすめの本を教えてください
息子や娘にも勧めた本なのですが、原田マハさんの『本日は、お日柄もよく』という小説です。本が苦手な人にもおすすめできる、とても読みやすい本だと思います。
スピーチライターを主人公にした物語で、「言葉の大切さ」を教えてくれる一冊です。プレゼントで本を渡すとき、興味のないジャンルだとなかなか読んでもらえないこともあると思いますが、この本は物語として楽しめるので、手に取ってもらいやすいと思っています。
特に印象に残っているのが、「言葉が世界を変える」というテーマです。伝説と言われるようなスピーチも、実は偶然に出てきた言葉じゃなくて、必ず綿密に考えて作っている人がいるんだ、ということがわかります。有名な経営者のスピーチなども、ちゃんと意図を持って組み立てられている。そういう言葉の力を、読みやすい小説の形で伝えてくれる本です。
僕ら経営者は、いつも社員に向けて言葉を発する立場なので、もっと言葉について勉強しなければいけないなと思いました。偉そうなことを言っても、伝わらなければ意味がない。伝わってこそ初めて意味があるということを、この本を通じて実感しました。すごいスピーチというのは、突然出てくるものではなく、そこに向けた準備や努力があるんですよね。
物語の構成や伏線の回収も素晴らしく、タイトルの意味が最後につながるところも魅力です。短時間で読めるボリュームですし、努力や準備の大切さを教えてくれる本でもあります。才能や能力だけではなく、どれだけ準備を重ねるかが大切だということを感じられる一冊なので、若い方にもぜひ読んでいただきたいです。
『本日は、お日柄もよく』原田マハ(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4198937060/
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企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
企業出版のノウハウを活かした記事制作を行うことで、社長のブランディング、企業の信頼度向上に貢献してまいります。
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