アズウェル 鷹羽氏

今回はアズウェル株式会社代表取締役社長、鷹羽浩介氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

会社名称アズウェル株式会社(AsWELL)
代表者鷹羽 浩介
設立2012年10月1日
主な事業1. 自治体向け公共システムの導入・設計・開発・運用保守・パッケージ開発
2. 民間企業向け生産・販売管理等、基幹システムの開発
3. AIパッケージ開発・民間企業向けITリスキリング事業 等
社員数57名(2026年6月時点)
会社所在地愛知県名古屋市中村区名駅南1-16-28 EDGE 名駅 9階
(東京本社、大阪支店、福岡オフィスあり)
会社HPhttps://www.as-well.co.jp/

事業紹介をお願いします

弊社は、現在14期目の名古屋発のITメーカーです。全国の自治体向けに、住民の生活を支える公共システムの設計・開発・運用保守を行っています。目指しているのは「日本のインフラを裏側から支えるソフトウェアメーカー」です。日本で生まれてから人生を終えるまで、住民の方々の大切な情報を安心・安全に、そして丁寧にお預かりするシステムをつくり続けています。

特に大切にしているのは、日本人の根っこにある「おもてなし」と「おもいやり」の精神です。それをしっかりとシステムに落とし込み、信頼のおけるサービスとして自治体や住民の方々にお届けすることを心がけています。

自治体システムの業界は、大手ベンダーの傘下で作業を実施する構造になっていて、実際にシステムをつくる会社と、それを使う自治体の距離が遠くなりがちです。私たちは、自治体の方と直接やり取りをしながら、課題のヒアリングから設計、開発、運用保守までを一気通貫で支えています。

直近5年で約1,100件の公共案件を受注し、70自治体以上を支援してきました。中には、東京都世田谷区のように、自治体側から直接ご相談をいただいて受注した案件もあります。自治体から直接選んでいただける状況をつくれていることが、私たちにとっては何よりの励みになっています。

アズウェル株式会社の事業内容について詳しくはこちらからご覧ください。
https://www.as-well.co.jp/business

業界の中で、貴社はどのような立ち位置になるのでしょうか?

IT業界、特に自治体システムの世界は「多重下請け構造」と呼ばれる仕組みになっています。大手SIer企業が自治体から仕事を受け、その下にパートナー企業、さらに孫請けへと業務が流れていく構造です。この仕組みだと、実際にシステムをつくる会社と、それを使う自治体との距離が遠くなりがちです。現場の細かい課題が見えづらく、「言われた通りに作るだけ」になってしまうことも少なくありません。

アズウェルはこの構造の中で、自治体と直接やり取りができる立ち位置をつくってきました。課題のヒアリングから設計、開発、運用保守までを一気通貫で提供できるのが特徴です。

大手SIerが対応しきれない小規模な自治体や、細かい調整が必要な案件にも入り込める「小回りの良さ」を強みにしています。東京都世田谷区からは、自治体側から直接ご相談をいただいて受注した実績もあります。下請けや人材派遣が当たり前の業界で、自治体から直接選んでいただける状況は、私たちの信頼の証だと感じています。

ここからは鷹羽社長ご自身のことについてお聞かせください。学生時代に打ち込まれたことや、思い出に残っているエピソードはありますか?

正直に申し上げると、「これに打ち込んだ」と胸を張って言えるものはありません。父はサラリーマン、母は専業主婦という、ごく一般的な家庭でした。周りに起業家がいる環境でもなく、ごく普通の少年時代だったと思います。小学校では少年野球をやっていましたが、特別熱中していたわけではありませんでした。中学では柔道部に入り、先輩の厳しさに耐えながら活動する完全な縦社会の中で過ごしました。あまりパッとしない小中学校時代だったと思います。

高校は、環境を変えたいなと思い、地元の友達ばかりが集まる学校を避けて、少し離れた場所の高校を選びました。その高校でいろいろな地域から来た友達と出会えたことは、今でも良い経験だったと思っています。大学受験には失敗し、専門学校への進学を検討した際、初めてコンピューターというものに出会いました。当時は1994年で、まだパソコンが一般家庭には普及していない時代です。それまでは建築業や料理など「手に職をつけたい」と考えていたのですが、「やったことがないからこそ、コンピューターをやってみようか」という気持ちで進路を選びました。

学生時代に夢中になったのは、車やバイクをいじることや、友達と海沿いをドライブすることです。当時はガソリンが90円台で、湯水のように使いながら走り回っていました。アルバイトは居酒屋をやっていて、そこでいろいろな料理を教わったのも良い思い出です。地元の友達と組んだコピーバンドで、ステージに2,3回立ったこともあります。ただ、これも長く続けたわけではなく、振り返ってみると、何か一つに深く打ち込んだという感覚はあまりないですね。

周りに経営者がいる環境ではなかったとのことですが、学生時代から起業したいという思いはありましたか?

起業は考えたこともなかったですね。周りに経営者がいなかったので、社長になるという発想がありませんでした。子どもの頃は、「ないものを形にしていく仕事」がしたいと思っていました。建築の設計図を引いたり、料理をつくったり、目に見えて触れるものを生み出す仕事ですね。出来上がったものが形になっている、その瞬間にワクワクするタイプの子どもでした。それなのに、結果として今はコンピューターという「無形のもの」をつくる仕事をしています。当時の自分が知ったら驚くかもしれません。

社会人時代のご経歴を教えてください

1998年4月に、前職である名古屋のIT会社に入社しました。半分はSES(※システムエンジニアの派遣に近い働き方)のような会社でしたが、私はずっと自治体向けの仕事を担当させてもらっていました。入社して1年目か2年目の終わり頃、上司にお子さんが生まれることになり、上司が月曜から水曜まで石川県の金沢市に行き、私が水曜から金曜まで現場に入る、そんな仕事の進め方を1年ほどさせてもらいました。そこから、「自分を一人で外に出しても大丈夫」と認めてもらえるようになっていきました。仕事の楽しさを感じ始めたのも、この時期からです。

2年目、3年目になると、いろいろなプロジェクトに入れてもらえるようになりました。その中で、市役所の仕事に携わるチャンスをいただいたんです。当時、その仕組みを持っていたのは別の企業だけだったので、作業請負という形で出向くような働き方でした。実際に現場に入ってみると、「これは、うまく使えない仕組みだな」と気づくところが多くて。改善提案をどんどん出していくうちに、「愛知県の自治体システムのことなら、まず鷹羽に聞こう」という流れが自然とできていきました。

そのうち、愛知だけでなく、静岡県内での仕事にも幅が広がっていきました。私が一部書いたソースコードがパッケージとして使われるようになったりと、気づけば、全国のいくつかの仕組みの基礎を私がつくっている、そんな状態になっていました。前職には14年1ヶ月在籍しました。途中からはほとんど一人で仕事を回す状態で、先輩も上司もつかず、報告だけで完結するような働き方でしたね。

「この経験があったから今がある」と感じるエピソードはありますか?

入社2,3年目で市役所の仕事に出会えたことです。

最初に現場へ入ったときに見た「うまく機能していない仕組み」が、結果的に今の事業の土台になっています。あのとき、何も提案せずに与えられた仕事をこなすだけだったら、自治体システムの全体像を理解することはできなかったはずです。「もっとこうしたらいいのではないか」と動いたことで、自分の名前が業界の中で知られるようになりました。お客様から直接相談をいただけるようになったのも、この経験があったからこそだと思います。

また、上司が金沢に出張する間、若手の自分を一人で現場に出してもらえた経験も大きかったですね。「任せてもらえる」という体験が、自分の判断で動くことへの自信につながりました。

前職を辞めて、独立しようと思われたきっかけは何だったのでしょうか?

リーマンショックの後の時期です。私には仕事がたくさんありましたが、周りには仕事がない、という状況でした。その中で、月の残業が180時間という日々が1年半ほど続きました。それなのに手取りはびっくりするほど少なくて、「これはどうしたものか」と本気で悩むようになりました。転職するか、フリーランスになるか、起業するか。いろいろ考えた末に、起業を選びました。

起業を決断されたとき、ご家族や周囲の方の反応はいかがでしたか?

起業の際、一番最初に相談したのは妻です。当時、上の子が幼稚園の年長で、下の子は3歳くらいでした。お金の不安は当然ありましたが、妻は「どうにかなったら、なったでしょう」と言ってくれて。反対ではなく、肯定してくれたことが、本当に嬉しかったですね。

母にも話したところ、「いいんじゃないの」と言ってくれました。本気で理解してくれていたかはわかりませんが、背中を押してくれたことは確かです。一方で、父は反対しました。同性の親というのは、自分がやってこなかったことを息子がやろうとすると、つい否定したくなるものなのかもしれません。

身近で大きく背中を押してくれたのは、現在執行役員として一緒に働いているメンバーたちでした。「やりましょうよ」「ついていきますよ」と言ってくれて、その存在がなければ、今のアズウェルはなかったと思います。

それから、取引先である富士通の愛知県のメンバーの存在も大きかったです。私と同世代の方々が、ちょうどその頃から全国の重要なポジションに就いていく時期と重なりました。「あんたがいないと困るで」と言ってくれて、関係性を保ち続けてくれたんです。最初は心配もされましたが、今ではお互いに歩み寄れる仲です。仕事の相談もできる関係が10数年続いていて、これは本当にありがたいことだと感じています。

お父様の反対があったとのことでしたが、起業後、「父に認められた」と感じる瞬間はありましたか?

会社が10周年を迎えたときです。これまでの歩みを報告に行ったら、父が「お前、すげえな」と言ってくれて。自分がやれなかったことを子どもがやっている、そう感じてくれたのかもしれません。時間はかかりましたが、ようやく認めてもらえたと感じた瞬間でした。近所や親戚にも、東京・名古屋・大阪で事業を広げて、社員規模もこれだけになっている経営者は、あまりいないようです。今では少し、自慢に思ってくれているのかもしれませんね。

独立されてから、すぐにお仕事は軌道に乗りましたか?

仕事自体はありました。ただ、信用保証の面ではすごく苦労しましたね。大手の取引先からすると、「やれる人だ」と思ってくれていても「立ち上げたばかりの会社」とは契約しにくい現実があります。実績を認めてもらっていても、会社としての信用度が足りないとなかなか案件を出してもらえません。前職を辞めてから5ヶ月ほどフリーランスとして活動しました。その間も、契約書を巻くためにいろいろな企業に頭を下げに行く日々でした。たまたま、起業すると伝えたときに「うちの口座を貸してあげるよ」と言ってくれる企業もあって、なんとかスタートを切ることができました。それでも、本当の意味で大手企業から信用してもらえるまでには10年以上かかったと感じています。コンプライアンスの厳しさも年々増していますので、簡単なことではありませんでした。

経営者として、これまでどのような苦労がありましたか?

経営をしていれば、壁は常にあります。採用ひとつとっても信用保証がなければ進まない場面もありますし、社員との関わり方でも何度も悩んできました。特に若い頃の自分は、自分の考えを社員に押し付けてしまうところがありました。「こうあるべきだ」「自分がこうだからお前もこうやれ」と言ってしまうことが多かったんですね。ですが、ある日、社員の一人にこう言われました。「社長は何でもできるスーパーマンかもしれないけど、私たちには、今の私たちのペースがあります」と。私が1〜2分で終わる作業も、社員に任せれば時間がかかります。当然のことなのに、その感覚の差を受け入れられない自分がいました。それでもついてきてくれている社員がいることは、本当にありがたいと感じています。

これまで一番大きかった壁を挙げるとしたら、何でしょうか?

9期目、コロナ禍のときです。マイナス4,000万円ほどの赤字を出してしまいました。その前の年は売上が3億円を少し超えるくらいまで来ていて、調子に乗っていた部分も正直あったと思います。中小企業の平均を見れば2〜3億円という規模なのに、「もっとやれる、もっとやらなければ」と上ばかり見ていました。コロナ禍では、社員を解雇せずに会社を存続させようと、必死で経営を続けました。給料も賞与もきちんと支払い、「これから明るくなるから、頑張ろう」と話していました。ですが、コロナが収束に向かう頃になって、辞めていく社員が出てきました。明るくなると話していたのに、なかなか明るくならない。言い訳のような気持ちが自分の中にもあったかもしれません。経営をしていると、山もあれば谷もあります。コロナの時期はまさにそういう時期でした。

それらの壁を、どのように乗り越えてこられましたか?

「耐える力」だと、私は考えています。経営者仲間とよく話すのですが、コンフォートゾーンから抜け出さないかぎり、進化はありません。安定はたしかに心地よいのですが、そこから刺激を受けないと、経営者は変わっていけないんです。

それから、人と組織の力です。10期目に入って、今、幹部になってくれているメンバーたちが本当によく協力してくれて、10期で少しプラスに戻し、11期、12期と回復させ、13期でぐっと跳ねました。14期も、もう一度上昇しているところです。

数字が戻ってきたのは、私自身のマインドが変わったことと、社員一人ひとりの意識が変わったことの両方がかみ合った結果だと感じています。「これでいいだろう」ではなく、「こうじゃないといけないよね」という上昇志向で動く社員が増えてきたんですね。物事を自分事として考え直してもらえるようになったことが、今の会社をつくってきました。ただ、これは私一人の力ではどうにもならない部分です。いろいろな人と出会い、知らない世界を見ることでしか、人は変わっていけないと感じています。

今後の展望を教えてください

弊社はBtoGビジネス、つまり行政(Government)を相手にした仕事をしています。行政の仕事には、最新のAIや新しい技術をすぐに取り入れにくいという特性があります。「何を信用するか」「何を信頼していくか」という基準が、まだ定まりきっていないからです。

その中でアズウェルが目指しているのは、最新技術をどんどん入れることではなく、「安心・安全な環境をつくる」ことです。国民として生きていくうえで、必要なインフラを支える側に立ち続けたい。そう考えています。

具体的な目標としては、5年後に全国の市区町村のうち、700自治体に弊社の製品を入れていただくことを目指しています。現在、日本には1,700以上の市区町村がありますので、その半数に「アズウェルでよかった」と思っていただける状態を目指している、ということです。そして、その先で大切にしたいのは、信頼と丁寧さ、おもてなしとおもいやりです。当たり前のことを当たり前にやれる会社でありたいと思っています。

長期で見据えていらっしゃることはありますか?

20年後の日本のことを考えています。私には今、中学2年生の息子がいます。その息子が20年後に笑って過ごせる日本を残しておきたい、という思いが、今の仕事の根っこにあるんです。

社員のお子さんたちもそうです。娘さんも息子さんもいらっしゃいますが、その子たちが笑顔で過ごせる時代をつくっていきたい。「この会社でよかった」と言ってもらえる会社でありたい。ただ、会社に生活させてもらうのではなくて、自分たちの力で生活をつくっていける感覚を、社員に持ってもらいたいんです。社員への関わりも、そこから考えるようにしています。仕事を「自分事」として捉えてもらわないと、本当の意味でのハッピーは生まれないと思っているからです。

私自身、日頃から大切にしているのは、過去への不満や未来への不安を口にするのではなく、過去に感謝し、今を楽しんで、明るい未来を想像していくという考え方です。不平や不満を言っても状況は変わりません。リスクはきちんと考えたうえで、明るい未来を会社として受け取れる状態をつくっていきたいんです。これは、仕事の進め方だけでなく、社員の働き方やお客様との関わり方にも通じる考え方だと思っています。社員もお客様も、毎日ワクワクしながら仕事に向き合える環境を、ポジティブにつくり続けていきたいですね。

最後に、鷹羽社長が他の経営者におすすめする書籍を教えてください

神田昌典さんの『成功者の告白』です。この本を読んで感じたのは、「今自分が経営している実態と、本に書かれている内容が、表裏できれいに重なる」ということでした。誰もが失敗していて、失敗していないということはコンフォートゾーンから抜け出していないということ。いろいろなことを繰り返さないと、人は成長しない。そんなメッセージが詰まっています。現状維持でもいい、という考え方もあると思います。ただ、現状維持を続けていると、新しいトラブルが起きたときに耐えられません。経営において大切な「耐える力」を養うためにも、日々準備をしておくべきだ、ということを教えてくれる一冊です。ぜひ皆さんもご一読ください。

『成功者の告白 5年間の起業ノウハウを3時間で学べる物語』神田 昌典(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4062810530/

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『社長の履歴書』編集部
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