今回は株式会社ウィルオブ・パートナー代表、清水巧氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
会社名称 | 株式会社ウィルオブ・パートナー |
代表者 | 清水巧 |
設立 | 2014 ※株式会社Combinator(現当社)設立 |
主な事業 | リファラル採用を活性化するサービス 「Refcome」「Refcome Teams」の開発・運営等 |
社員数 | 11名(取材時) |
会社所在地 | 160-0022 東京都新宿区新宿三丁目1番24号 京王新宿三丁目ビル3階 |
会社HP | https://willof-partner.co.jp/ |
事業紹介をお願いします
当社は、リファラル採用を活性化するクラウドサービス「Refcome(リフカム)」の提供と、リファラル採用を促進するための施策支援、いわゆるコンサルティングを行っています。コンサルタントが企業のご担当者様と並走して制度設計や運用をサポートすることで、採用成功に向けた取り組みを支援しています。
データ分析と運用支援を組み合わせた独自の仕組みで採用の常識を変革したことからこれが評価され、2018年には Forbes が選ぶ「アジアを代表する30 歳未満の30 人」において、唯一のHR 領域経営者として選出されました。
リファラル採用について教えてください
リファラル採用とは、社員から友人や知人を紹介していただく採用手法です。近年、日本では人材採用の難易度が年々高まっています。特に、エンジニアやコンサルタント、営業職といった経験者層の採用は困難を極め、多くの企業が人材紹介会社や求人媒体といった有料サービスを活用して採用活動を行うのが一般的です。しかし、人材紹介を利用する場合、採用時に候補者の年収の35%以上の紹介料が発生します。たとえば年収500万円の人材を採用する場合、100万円以上のコストが必要です。一方で、リファラル採用であれば社員からの紹介によって採用に至るため、こうした高額なフィーは不要となり、採用コストを大幅に削減できます。
しかし、企業様からは「自社が社員に紹介してもらえる会社なのか不安」という声をいただくこともあります。確かに、全社員が初年度から一斉に紹介活動に参加することは現実的には難しいものです。
そこで当社では、まず初年度は全社員の10%の方に協力いただくことを目標にしています。例えば、100名の社員がいる企業であれば、まず10名が動き出す状態を目指します。2年目、3年目と継続することで、社員が「紹介したいと思える会社」にしていこうという意識が高まり、会社としても社員が紹介しやすい環境整備に取り組むようになります。
そして、社員も会社も双方がハッピーになる、いわゆる「Win-Win」の関係をリファラル採用によって実現することがゴールです。当社は、こうしたビジョンに共感してくださる企業様に対して支援を行っています。
リファラル採用を実施している企業が増えてきましたが、どのような課題感からRefcomeを活用される方が多いのでしょうか?
2014年の創業以来、この分野に特化して約11年間事業を展開してまいりました。
当社はリファラル採用の活性化を支援していますが、多くの企業ではリファラル採用の制度自体は存在しているものの、社員の方が「そんな制度があったの?」と驚くほど認知されていないケースが少なくありません。さらに、友人を紹介したいと思っても「どんな求人が空いているのかわからない」「自社をどう説明したらよいかわからない」といった課題も多く見られます。
このような課題を解決するため、当社ではリファラル採用専用アプリ「Refcome」を提供しています。社員がアプリを使うことで、現在社内で募集中の求人を一覧で確認できるほか、LINEやInstagramといったSNSを通じて「こんな求人があるけど受けてみない?」と簡単に友人へ送ることができます。
加えて、当社のコンサルタントが制度設計や運用面の支援を行います。具体的には、リファラル採用の制度設計、社員向け説明会の実施、紹介しやすい雰囲気づくりのための社内報作成など、システムだけでは解決できない部分も伴走支援しています。
特に、数千名〜1万人規模の大手企業では、社員のわずか1%が紹介活動に参加するだけで100名規模の採用が実現します。人材紹介を使えば1人あたり100万円以上かかる採用コストを削減できるため、年間で1億円規模のコストカットにつながるケースもあります。こうした背景から、当社は主に数万人の従業員がいる大手企業をはじめ、数百名~数千名規模の企業様へリファラル採用の活性化支援を行っています。
ご興味のある方は、下記URLをご参照ください。
ここからは清水社長のことをお聞かせください。学生時代に打ち込んだことはありますか?
子どもの頃はマラソンに打ち込んでいました。きっかけは、小学校の校内マラソン大会で転んで負けてしまい、悔しい思いを経験したことです。その悔しさから毎日一人で練習を始めたのですが、どんどん速くなるのが楽しくなり、気づけば夢中になっていました。
一方、放課後に友達と遊びたい気持ちもあり、やめようかと考えたこともありました。しかし、練習の成果が出て表彰されたり新聞に載ったりすると周りから「清水があんなに速くなったなら、俺も頑張ってみようかな」と言われ、一緒に練習する友達が増えていきました。私はそのことが本当に嬉しくて、結果的にマラソンを続ける原動力になりました。
負けず嫌いな気持ちから始まったマラソンでしたが、仲間と切磋琢磨する楽しさを知ることができました。
いつ頃経営者になりたいと考えたのでしょうか?
起業を意識するようになったのは大学生の頃です。大学3年生までは陸上一筋で、将来はオリンピック出場を目指していました。しかし、大学3年生のときに怪我をしてしまい、マラソンを辞める決断を下しました。
部活動を辞めてからは大学に通う時間が増え、学部の授業にしっかり出席するようになりました。その中で、ベンチャー企業やスタートアップの経営者の方々の話を聞く機会があり、「企業を作る側になることで、オリンピック出場以上に大きな社会的インパクトを与えられるのではないか」と考えるようになりました。そこから、スポーツではなく起業家としての道を歩みたいと強く意識するようになったのです。
ちなみに、明治大学経営学部に進学しましたが、高校生の時点では、明確に起業したいと思っていたわけではありません。しかし振り返ると父が経営者であった影響から、将来自分も起業するかもしれないという潜在的な意識があったとのだと思います。
そのため、学部選びの際も自然と商学部や経営学部といったビジネス系の学部を志望していました。マラソンに打ち込んでいた当時は起業をはっきり意識していたわけではありませんが、マラソン以外の次のキャリアとして、漠然と経営の道を考えていた部分があったのだと思います。
社会人時代のご経歴とお仕事の内容について教えてください
学生時代に起業を志し実際に準備も進めていましたが、思うように形にできなかったため、まずは修業としてベンチャー企業で経験を積もうと決めました。そこで、IT系を中心としたベンチャー企業を志望し、就職活動を進めました。
当時はソーシャルゲーム系の企業が多く、いくつかお話を伺いましたが、流行に乗るビジネスよりも、まだ世の中に存在しない市場を自ら創り出す会社に魅力を感じました。中でもSansan株式会社は、名刺管理という学生の自分には馴染みのない領域でビジネスを行っていましたが、「ない市場を切り開く」という姿勢や、単に自社の事業を大きくするだけでなく「自分たちのビジネスを通じてこんな世の中をつくる」というビジョンを掲げていた点に強く惹かれました。そうした理念や姿勢が、自分が求めるスタートアップ像と重なり、Sansanへの入社を決めました。
また入社当時は「3年ほど修業してから起業しよう」と考えていたため、週末には起業イベント「スタートアップウィークエンド」に参加していました。そこで「退職して起業します」と宣言したことがテレビで全国放送されたことも後押しとなり、わずか7か月で独立を決断しました。想定よりも早い独立となりましたが、自分の性格としてやりたいと思ったことは止められず行動に移してしまうところがあるので、遅かれ早かれ起業していたと思います。しかしながらテレビ放送での宣言が大きなきっかけになったことは間違いありません。
起業したときはどのようなビジネスをされていたのですか?
最初に立ち上げたのは「スタートアップ仲間集めサービス」です。しかし軌道に乗らず、キャッシュが底を突き組織も崩壊。家賃も払えなくなり、やむなく石川県の実家に出戻ることになりました。このサービスはFacebookやXといったSNSでログインできる仕組みを備え、ログイン後には自分のスキル(エンジニア、PR、営業など)や、興味のある事業領域(HR、BtoB、海外ビジネスなど)を登録できるものです。
登録者同士は、興味領域が共通していながらスキルが異なる人とマッチングできるよう設計しており、互いに補完し合える仲間探しをサポートするサービスでした。
軌道に乗らなかった原因を見つめると、ビジネスモデルやマネタイズの設計が不十分だったと感じています。これから起業する方々は採用予算が限られていることが多く、ユーザー登録は多く集まったものの、それを収益化につなげる仕組みを作りきれなかった点が課題でした。この経験から、サービス開発においては収益化の設計が非常に重要だと痛感しました。
再び挑戦しようと思えたのはなぜですか?
2つ理由があります。1つはビジネスをきちんと回すことを意識した上で取り組めていなかったため、「失敗にすらなっていない」という感覚が強く残っていたことです。もう一度挑戦して、今度こそしっかりやり切りたいという思いがありました。
もう一つは、就職して7か月で退職した経験から、再び会社員に戻っても自分の力を出し切れないだろうという確信がありました。であれば、まだ挑戦する気持ちがあるうちにもう一度トライしてみようと考えました。
結果的に、「まだやりきれていない」という悔しさと「起業した方が自分の力を発揮できる」という確信、この2つが背中を押し、再挑戦を決意しました。
再起を決意した時、新たにどのようなサービスを始めようと思ったのですか?
当時はまだ具体的なサービスのアイデアが固まっていませんでしたが、再び事業を立ち上げるためにはまず資金をつくる必要がありました。そこで、最初に立ち上げたスタートアップ仲間集めサービスのユーザーを東京に集めた採用イベントを企画。採用したい企業にはブースを出展していただき、その出展料をいただく形で収益化しました。
私は石川県の実家に戻り、現地で集客を行い、イベント当日は夜行バスで東京に出て仕事をし、終わったらまた戻るという生活を続けていました。そのイベントで、ある企業が社員全員で来場し、良い人材がいればその場で口説いて採用していたのを目の当たりにしました。人事部だけでなく社員全員が採用に関わる姿を見て「これを事業として仕組み化できるのではないか」と考えたのが、現在のリファラル採用サービス「Refcome(リフカム)」の着想につながりました。
ちなみに、私が2014年に立ち上げた会社と現在の会社は、社名こそ変わっていますが同じ会社です。最初は「Combinator」という社名とサービス名でスタート。その後Refcomeを立ち上げたタイミングで社名もリフカムに変更し、昨年10月にウィルオブ・ワークへグループ入りしたことを機に、今年4月に「ウィルオブ・パートナー」へと社名を変更しました。
この社名変更には2つの理由があります。1つ目は、グループインに伴うPMI(経営統合プロセス)の一環として「ウィルオブ」の名前を冠した社名にする必要があったこと。もう1つは、当社の存在意義をより明確にするためです。私たちは、リファラル採用ツールを提供するだけでなく、お客様と並走し、より良い会社づくりを支援する「パートナー」でありたいと考えています。そうした想いを込めて「パートナー」という言葉を社名に掲げました。
経営者として仕事をするなかで、どのような苦労がありましたか?
創業時と現在とでは直面する課題の種類が大きく異なりますが、特に大変だったのはコロナ禍のタイミングでした。当時、私たちの主要なお客様は飲食業や小売業の企業様が多かったのですが、コロナ禍で多くの企業が採用をストップ。その影響で売上が大きく落ち込むフェーズに入りました。
そこで、飲食・小売向けに特化していた事業モデルを大きく転換し、IT企業や大手企業向けへとピボットする決断をしましたが、この転換は非常に難しい挑戦でした。
飲食や小売向けの営業時代はクラウドサービスを提供し、そのサポートを行う、いわゆるSaaS型の事業モデルが中心でした。SaaS事業を志望していたメンバーにとっては非常にフィットする内容だったと思います。しかし、事業を転換した後は、クラウドサービスはあくまで手段となり、コンサルティングや伴走型のサポートを行うRPO(採用業務アウトソーシング)の要素が強い事業モデルに変わりました。
この変化により、当初から在籍していたメンバーにとっては、自分たちがやりたいことと実際の業務内容との間にズレが生じるようになりました。その結果、事業モデルの転換と同時に組織の在り方も切り替える必要が出てきました。退職や新規採用、KPI設計の見直しなど、事業と組織の両面で大きなスイッチングを行わなければならず、ここが経営者として最も苦労した部分だったと感じています。
それをどう乗り越えたのでしょうか?
会社が変化していく際に、何を最も重視するかは非常に重要なテーマです。株主、社員、お客様、そして会社のミッションやビジョンなど、経営における優先順位は複数あります。
当社はベンチャーキャピタルからリスクマネーを預かり、新しいマーケットを創り出すことに挑戦している企業です。そのため、まずは「リファラル採用という市場を創るために、今会社として何をすべきか」という事業やビジョンを最優先に据えて考えました。
そして、事業環境が変化した際には事業内容も柔軟に変えていく必要があると考え、ビジョン実現のために軌道修正を行いました。その結果、当時の社員の中にはキャリアステップが合わなくなる方も出てきましたが、その場合は転職活動を支援しながら円滑に次のチャレンジに進んでいただけるよう配慮しました。一方で、事業を社員の希望に合わせるのではなく、会社の方向性にキャリアをアラインしていただく、あるいは良い形で次のステージに進んでもらう、という姿勢を大切にしました。
事業計画については、理想的な時価総額から逆算して作るのではなく、「現状のマーケットに最もフィットするサービスの形は何か」を重視したボトムアップ型の設計を行いました。実際にモデルを作ったあとで、「この形なら事業計画や時価総額はこう変化する」と検証を行うという進め方です。ITやSaaS領域に比べるとRPOモデルは売上や企業価値が二次曲線的に急成長するものではなく、より安定的に比例して成長していくモデルです。切り替え後はスケール感としては以前よりコンパクトになりましたが、市場にはよりフィットし、堅実に成長できるビジネスモデルへと変化することができました。
「誰と働くか」「何のために働くか」を大事にされてきたとのことですが、現在はこれについてどのように捉えていますか?
起業当初、事業に失敗して実家に戻った時期は「誰と働くか」と「何のために働くか」の両方を同じくらい大切な軸として考えていました。どちらも同率で重要であり、優先順位をつけるという発想はありませんでした。
しかし、事業を進め、規模が拡大し、RPOモデルへの事業転換や投資家の視点を意識するようになる中で、考え方に変化が生まれました。現在は、「何のために働くか」、すなわち会社としてのミッションやビジョンを最上位に置き、その実現のために「誰と働くか」を選ぶ、という優先順位になっています。
つまり、かつては同列だった2つの軸が、今ではミッション・ビジョンが先にあり、その実現を共に目指せる仲間と働く、という考え方に変わりました。
今後の展望について教えてください
現在、「リファラル採用」という言葉やマーケットはかなり認知され、一定の広がりを見せています。しかし、「リファラル採用を導入して大成功した」「会社が大きく変わった」といった実績や、お客様の具体的な喜びの声は、まだ十分に浸透しているとは言えません。
そのため、今後は「リファラル採用は良さそう」というイメージ段階から、「適切に運用すればしっかり成果が出る」「組織が良くなる」という実感に変えていけるよう、当社はパートナーとして企業を支援していきたいと考えています。
理想としては、「求人媒体や人材紹介を使う前に、まずはリファラル採用に取り組む」という順序が当たり前になることです。まず社員の皆さんに紹介をお願いし、それでも採用できなかった分を求人媒体や人材紹介で補う、という流れが定着する未来を目指しています。
他の経営者におすすめの本のご紹介をお願いいたします
おすすめしたいのは、サイモン・シネック著『WHYから始めよ! インスパイア型リーダーはここが違う』です。
この本では、「なぜ始めるのか」というWHYを起点に考える重要性が説かれています。WHYが明確であれば、「どうやるか(HOW)」「何をやるか(WHAT)」も自然と定まり、結果として他社との差別化が進み、自社の組織ビジョンもより明確になります。
事業内容や戦略を考えるときに、まずWHYを掘り下げることで、より強い組織づくりや事業成長につながる──そのヒントを与えてくれる一冊としておすすめです。
ぜひご一読ください。
『WHYから始めよ! インスパイア型リーダーはここが違う』 |
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