今回は株式会社三光白衣代表、 臂 幸宏 氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
会社名称 | 株式会社三光白衣 |
代表者 | 臂 幸宏 |
設立 | 1968 年8 月5 日 |
主な事業 | ■白衣・サービスウェアの製造販売
■オフィス・ワーキングウェアの企画販売 ■警備服及び関連商品 ■オリジナルユニフォームの企画製造販売 ■リフォーム業務 |
社員数 | 35名(取材時) |
会社所在地 | 東京都新宿区新宿1-15-6 |
会社HP | http://www.sanko-hakui.co.jp/ |
事業内容を教えてください
株式会社三光白衣は創業から62年・法人設立からは57年になる、企業向けユニフォームの製造と小売販売を行っている会社です。ユニフォーム業界は製造だけをしている会社やカタログ品の納品だけをしている会社も多いのですが、当社自社ブランドを持ち製造販売更に特徴は「店舗がある」というのが大きなポイントです。
飲食サービス業様の働くユニフォームを、老舗の名店(ミシュラン1星・2星)の飲食店様から、大手外食サービスチェーン店様にと、多くの飲食サービス業様にご愛用頂き、また店舗から派生したBtoBの企業、製造業や物流倉庫業、交通機関や官公庁、病院やクリニックなど、外販営業にも力を入れBtoBとして幅広い業種の企業様ともお取引が、徐々に拡大しております。 利便性の高い駅近の都内ターミナル駅に店舗があることから、観光客とりわけインバウンド需要が非常に高く海外のお客様にもまとめ買いをして頂いていることが近年増えております。 また、カタログ定番のメーカー様とも協働して店舗においてポップアップキャンペーンを行い店舗集客や知名度UPにも繋げています。
店舗について教えてください
渋谷、新宿、新橋に「三光白衣」、池袋、上野に「ビックユニフォーム」と山手線のターミナル駅に計5店舗にあり、駅から近く利便性が高いところが特徴になっています。
看板がとても目立つので、立地自体が広告塔にもなっています。
家賃が高いエリアで長年5店舗を維持しているという点で、企業様から見たときにも「ちゃんとした会社だな」と信頼していただけていますね。
当社では販売するだけでなく、お客様のスタイルやお好みに合わせたユニフォームを作ることもできますので、ユニフォームのことなら何でもご相談いただけると嬉しいです。
ここ5年はユニフォームは安全を守るためだけのものではないと認識されつつあり、カジュアルウェアとの境界がどんどんなくなっています。それに加え、ストレッチ性、吸汗速乾など、機能の充実が求められています。
家での作業や登山、普段着としても使えるユニフォームを探して買いに来てくださる個人の方も増えてきました。
企業の方はもちろん、一般の方も店頭でご購入いただけますので、お近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください。
ECなどでも購入できるのでしょうか?
はい。10年程前からECサイトを運用しています。当社は飲食サービス業のお客様が多いので、滑りにくい靴、厨房用の長靴、エプロンなどの売れ行きが良いです。
オンラインとオフラインのオムニチャネルをフル活用した、ECと店舗のOMO型戦略に取り組みを進めています。
https://sanko-hakui.shop-pro.jp/
最近人気のユニフォームを教えてください
インバウンドのお客様がすごく増えており、中でも特に人気なのはファン付き作業服(EFウェア)です。職人さんたちが街中でファンをつけたまま歩いている姿を見て興味を持ってくださり、わざわざ調べて店頭に来てくださいます。
SNSで拡散してくださるだけでなく、友達の分も一緒に買ってくださるのでとても売れ行きが良いですね。1人で20万円分買っていかれることもあります。特に上野店は売上の3割近くがインバウンドのお客様ということもあり、テレビの取材も増えています。
経営する上で重視されていることを教えてください
人材です。私が社長に就任した時は店舗に営業担当と販売スタッフが混在していて明確な線引きがありませんでした。営業マンが接客対応に入ることも多く、外に出て営業活動ができない状況が続いていたため、このままではいけないと思い、2025年5月1日から完全に体制を切り替えました。
法人営業部として完全に店舗から切り離して10人体制にし、店舗運営は全てキャリアが10〜15年ある女性社員で構成しました。彼女たちは会社のことも商品知識も熟知していますし、女性ならではの細やかな気づきや丁寧な接客が強みになっています。
また、店舗運営の「見える化」や「数値化」に力を入れています。当社は50年以上の歴史があるものの、今まではかなりアナログでした。データも蓄積できるように、システム転換を進めています。今後は店舗MDやデータ管理の視点を持てる人を採用していきたいです。
女性が活躍できる会社なのですね!
はい、三光白衣では管理職の多くが女性です。名ばかりの管理職ではなく、実力をきちんと見て任せています。店舗で実際に売り場を回して、お客様の反応を肌で感じて、売上をつくってきた人たちなのでとても信頼していますし、数字でも結果を出してくれる頼もしい存在です。
ここからは臂社長のことをお聞かせください。学生時代に頑張ったことはありますか?
中学校の時はバスケットボールをしていました。強豪チームに入っていましたが膝を壊してしまい、高校からはプレーできなくなりました。その後、大学ではレクリエーション部に入りました。児童館や集会所など、地域に出向いてゲームを企画・提供する、名前通りの部活です。この活動を通して、人との距離の取り方を学びました。
意見が異なった時にどう落としどころをつけるか、年配の方や声が大きい人の意見に偏ったりしないよう、様々な年代の人が集まるなかでいかに全員が楽しめるようにするか、といった調整役の経験が今の仕事に役立っています。
この経験を通じて、状況に応じて行動する柔軟性と、周囲と協力しながら物事を進める力を身につけました。今も社長という立場で社員やステークホルダーの方々との関わりを大切にしながら、相手の立場に思いを理解し共有・共感を大切にしながら、行動する姿勢を仕事でも活かしていきたいと考えています。
アルバイトなどはしていましたか?
はい、スーパーでレジ打ちのアルバイトをしていました。家の目の前にスーパーができたことから、時給400円台で週に2回夕方5時から夜の8時まで働いていました。皆仲が良く、敷地内の別店舗の人達と遊びにいくこともありました。
今でも年末の爆買いの光景を忘れません。
合計額が30~40万円になるほど、正月用の食材を山のように買っていく人たちがおり、レジにお札が入りきらなくなることがありました。
スーパーでのアルバイトを通じて、季節感や流通の爆発力を見ることができました。
大学卒業後のキャリアについて教えてください
当時人気だった製薬業界に進みました。
なぜなら、スーパーに併設されている薬局に出入りしていた営業マンから薦められたからです。学生時代にその営業マンから医科向けは、「ボーナスもすごいもらえるし、セールス相手がドクターなので遣り甲斐もあり良い業界だよ」と聞いていたので働くことを決意しました。
しかし、実際に入社してみると待ち時間や拘束時間が長く、とてもハードでした。朝早く出て、夜10時に帰って、そこからロールプレイングして飲み会をするので、睡眠時間は3時間ほどでした。結局、体が持たなくなり2年で辞めてしまいました。
退職を母親に告げた際、「せっかく上場企業に入ったのに」と嘆かれましたね。そして母のつながりで経営者に声をかけてくれ、ユニフォーム業界に入りました。
最初、ユニフォーム業界にはどのようなイメージを持っていましたか?
全くイメージがなかったです。「ユニフォームって何? 野球やサッカーのスポーツのものかな?」と思っていました。しかし、「どんな仕事にもユニフォームがある。なくならない仕事だ」と言われた時に納得しました。特に当時入社した会社は6割が官公庁のお客様で、他も上場企業のお客様ばかりだったので硬い仕事だ、安定している会社だと思いました。
入社してからは生地や素材等、一から勉強しました。また、商習慣の違いに慣れなければいけなかったりと大変なこともありましたが、自分達が作ったユニフォームを着て、仕事をして、家庭を支えてる人たちがいると思ったら頑張れました。誰かの役に立ちたい、縁の下の力持ちでいたい、そんな思いを持っている人ならきっとこの仕事に誇りを持てると思いました。部長職になり課員含めて3人の部で、8億円の売上げを運営して16年間在籍しました。
そこから独立を考え始めました。
どうして独立をしたのでしょうか?
私がこの業界に足を踏み入れた1981年はまだまだ日本国内でのものづくりが主流な時代で、秋田、北海道、九州、そして関東近郊だと埼玉など、国内に縫製工場がたくさんありました。アパレル業界全体でも、当時は10兆円を超える市場規模がありました。素材も「綿100%」から「新合繊」と呼ばれる新素材が次々と開発され、DCブランドがマーケットで製品価値を高めユニフォームにも付加価値を高めるデザイナーブランドを導入する企業が増え「良き時代」が続きました。私も時代の流れに沿って、大手企業のモデルチェンジに多く携わり右肩上がりの営業を経験しました。
しかし徐々に日本の繊維産業が右肩下がりになり、1985年のプラザ合意で一気に円高が進み、商社を中心に「海外で生産すればコストを削減できる」という流れが強まりました。その影響を受け、企業がユニフォームにかけるお金も徐々に減っていきました。ユニフォーム業界も安く生産し安く販売する方向に舵がとられ始めたのです。
そんな時に、私は、ユニフォームが持つ、機能性、安全性、審美性、専門性、一体感、資格証明、使命感の向上、信用力の増幅、業務利便性など大きな役割を持ち、人と人、組織と組織を円滑に結び連帯感や責任感も生まれるという重要な機能を持つユニフォームを安くて良い、着れれば良いと価格訴求型に考えるようになった企業に対して、ユニフォームが重要な業績向上の装置であり、その服を着て仕事をすることでマンパワーに左右される機能服でもあることから、営業活動において、ユニフォームの重要性を理解して頂ける企業と独自に取引したいと思い1996年に独立を決意しました。
独立後は順調でしたか?
独立後は以前勤めていた会社のお客様に応援してもらいました。15〜20年近く同じ担当の方がいらっしゃったので、ある程度の仕事がまわってきました。しかし大手のお客様となると、信用力がまだないため、仕事が流れることもありました。
そんな時に、大手財閥系商社の方から「うちでやらないか」と声をかけていただき、そこで18年間働きました。
ユニフォーム販売やケミカルリサイクル事業を展開し、環境省からユニフォーム回収率NO.1の認定を受け、2015年には社長賞を受賞しました。
いつ頃三光白衣とご縁があったのでしょうか?
独立した際に一度お会いしましたが、商社にいる際に年に数回はお会いしていました。
カタログ商品を仕入れて納める「取り売り」という商売が商社ではできないため、細かい注文があった際は刺繍や二次加工が必要な商品を私が取ってきて、それを三光白衣さんに発注して、お客様に納品してもらっていました。
私が65歳を目前とし、次の働き方を考えていた時に三光白衣の先代社長の室井さんから、「うちの営業体制を外販中心に変えていきたい。臂さんの営業力を会社で生かしてもらえないか」とお声がけいただきました。
コロナ禍で新宿の人通りも激減し、百貨店も閉まるような時期が続いて、売上は2〜3割ダウンするような状況でしたが、店舗経験はなかったものの、外販営業には自信がありましたし昔から知っていた会社だったので、やりがいを感じて社長をお引き受けすることにしました。
どうして「三光白衣」という社名なのでしょうか?
東洋一の繁華街と呼ばれた新宿・歌舞伎町の隣の「三光町(さんこうちょう)」で創業したからです。今はもうなくなってしまった地名です。
三光町には周囲に飲食店さんがたくさんあったので、創業者が「飲食店の方々がすぐに、便利にユニフォームを買えるお店を作りたい」というのが飲食ユニフォームの始まりです。飲食店は、社員が何十人もいるような大企業ではなく、パートさんやアルバイトの方が多いお客さまが多かったです。「今日から新しい人が入るから、すぐに制服を用意したい」となった時にすぐに帽子から靴まで全部その場で揃えられる便利さを提供するところからスタートしました。
また、医療従事者がハードな仕事してる中で、「着てて気持ちいい」を大前提に、プロとして誇りを持てるような白衣を提供してきました。今でも選ばれる白衣を目指して、通気性やポケットの位置ひとつにもちゃんと意味を持たせてます。また作業をする服ではなく、その人の価値を上げる服であるかも意識しています。
現在も飲食店向けのサービスウェアは、定番として自社のPB(プライベートブランド)商品を展開していますし、各種カタログメーカーさんの商品も仕入れて販売しています。オフィスウェアや作業着など、より幅広いユニフォームも扱っており、企画から製造までトータルで対応しています。
事業を引き継いでから大変だったことはありますか?
当時は個人商店の集まりのような会社で、組織として動く文化が一切ありませんでした。
自分の持っている仕事を自己流でこなし、何かあっても自己解決をする文化だったので、属人性が高く情報のブラックボックスが多かったです。
また、営業の方法も攻める営業ではなく待つ営業だったため、仕事に追っかけられている感じがありました。
そして、一人で1から10までこなすのが当然という文化があったため、分業や効率化といった発想がなく、負担ばかりが増えている印象がありました。
そのため、組織として動くようにすること、任せられるところは外注して、本当に必要な仕事に集中する文化を作るのが大変でしたね。
皆さん一生懸命ずっと働いてこられてきましたし、自分で責任を持って仕事をするマインドは素晴らしかったです。しかし、それがお客様のためになっていることかどうかは別の話です。会社を存続させるためにも、業務や数値の見える化や情報共有、意識共有は必要不可欠でした。
属人化を解消するために、まずはデータ整備を始めました。誰がどのお客様に、どんなアクションをして成果につながったのか、記録も残っていなかったので、なぜ数字が上がったのか”を言語化できるようにしました。
当然、過去のやり方に信念を持っていて、新しい方法を受け入れられない社員たちは離れていきましたので経営者としてつらい時期でしたが、結果、今の三光白衣には時代に適応しながらも自分たちで考え、行動することができることができる社員たちが残りました。人が辞めて負担をかけてしまった時もありましたが、今残ってくれている人たち全員と力を合わせて乗り越えることができました。
組織で動く、共有、共感が大事だと常々言ってきましたが、段々と社内にもこのことが浸透してきているように思います。
展望を教えてください
「都内ナンバーワンのユニフォーム会社」「業界トップクラスの販売店」を目指します。ただ商品を売っているだけでは勝てません。大切なのは、環境の変化にどれだけ強くなれるかです。私は世の中を変えるのは政治ではなく、技術だと思っています。産業革命からパソコンや携帯電話の開発で世の中が変わっています。そして中小企業こそテクノロジーを味方につける必要があると思っています。提供する側が技術に乗り遅れたら、お客様はすぐに見切りをつけてしまいますので、62年の歴史を意識しながら、変化を楽しめる会社でありたいです。
最近では、SNSを中心に海外からの需要も高まっています。世の中も60億人がネットで繋がっています。日本の技術力を活かして、国内や海外に販売していきたいです。
おすすめの本を教えてください
茂木健一郎さん著書の『生きがい』がおすすめです。生きがいは完成された答えではなく、「探求のプロセス」にある日々の営みや試行錯誤そのものが「生きがい」になる。自分の限界を少しずつ超えたり、新しい何かを生み出すことが「今ここ」に集中しながら「生きがい」を築く手段になるという言葉を大切にしています。ぜひご一読ください。
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投稿者プロフィール

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企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
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