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NSENSE株式会社代表 梁川 豪之氏

  • 08/03/2022
  • 08/03/2022
  • 仕事
  • 924回

 

今回はNSENSE株式会社代表、梁川 豪之氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

 

会社名称 NSENSE株式会社
代表者 梁川 豪之
設立 2005年9月13日
主な事業 映像認識ソリューション開発及び ライセンシング販売
会社所在地 〒108-0073 東京都港区三田4-1-27 FBR三田ビル 6階
会社HP https://www.nsensecorp.com/

 

現在の事業内容についてご説明をお願いいたします

当社は映像認識の専門企業で、東京の三田に本社を構え、研究所は韓国のソウルにあります。

事業内容としては、監視カメラから取得した映像を分析して、人のトラッキングや行動分析を行っています。

 

 

特に力を入れているのはなんでしょうか?

PTAS(ピタス)です。画像や映像からリアルタイムで歩行者を検出し、トラッキングする技術です。検出された歩行者は、重複認識しないように認識追跡を行います。歩行者の特定行動や対象の行動異変などを検出及び判定します。病院やマンション、施設で倒れた人がいたり、侵入者がいれば監視カメラで検知できるので、人的コストが下がりますし、利用者は安心して生活することができます。

 

 

学生時代に熱中したことはありますか?

私は韓国にある地方大学に入学しました。勉強や部活に熱中するというよりも友人とキャンパスでお酒を飲んだり一緒に遊ぶことが好きでした。当時は一番安いお酒を買って、芝生の上に集まって飲んでいました。大学ではコンピューター関連の工学科を学んでいましたが、あまり勉強をしていなかったので、大学を卒業して会社に入るときが結構大変でしたね。

 

 

卒業してからはどのような企業に就職されましたか?

ソウルにあるIT企業に入社しました。新人時代は仕事のやり方が分かっていなかったのもあり、1年半ほどで会社から解雇を命じられてしまいました。すごくショックで、人生の挫折を初めて感じました。もう1度就職活動をして会社に入るか、故郷の田舎に戻るか悩み、人生を考え直したタイミングでした。一緒に暮らしていた3つ上のお姉さんに悩みを話したところ「農業が嫌いなのに、農業できないでしょう!頑張って就職したら?」とアドバイスをもらい、再度就職活動をすることにしました。

転職活動中、韓国のとある成長企業の面接で、前職がクビになったことを面接官に正直話しました。「入社できるのであれば一生懸命働きたい」とアピールしてなんとか仕事を得ることができました。新しい会社は検索エンジン事業を展開していて、東京と大阪、イギリス、アメリカにも支店がありました。

私は今までの遅れを取り戻すために、オフィスの近くにあったホテルを3カ月借りて、早朝まで仕事をして、少し休んでから出社するというハードな生活を送っていました。

あるとき、一生懸命仕事をしていた私を社長が見つけて呼び出して「どうして家に帰らず仕事ばかりしているの?」「あなたはこの会社で何がしたいの?」と聞かれました。ちょうどソフトバンク株式会社の孫正義さんの本を読んでいて日本で仕事をすることを夢見ていたので、「日本の支社にいきたいです」と素直に伝えました。すると社長が私のやる気を見てくれて、大阪支社に異動が決まりました。今振り返ると韓国でこの会社に入社できたことは私にとって人生のターニングポイントになったと思います。社会人人生は色々ありましたが今思い返せば人生で一番苦労しましたね。

 

日本語は日本に来てから勉強されたのでしょうか?

そうですね。独学で勉強しました。

最初は韓国の会社から駐在員として派遣されていたので、周りも韓国人が多くほぼ日本語がわからなくても仕事ができました。しかし会社の経営が少し厳しくなると、周りの韓国人はみんな韓国に帰ってしまいました。私は日本に残りたい気持ちが強かったので、なんとか日本に残れるようにビザを申請しましたが、ミスがあり一旦韓国に戻ることになってしまいました。しかし、韓国にいても日本に行くことが諦めきれず、ビザを再度申請したところ、ビザの許可をもらうことができました。

 

 

再度来日された際にはどのような仕事だったのでしょうか?

韓国人が社長の人材派遣の会社で働きました。一生懸命働き、役員まで昇進しました。社長に「もっとこういうことがやりたいです!」と新しいビジネスプランを伝えましたが、社長からは「今儲かっているから新しい事業をわざわざ展開しなくても良い」と拒否されてしまいました。夢を持って日本で仕事をしたいと思っていたので、社長とは合わないと感じて独立することにしました。

 

 

2005年に会社を設立されますが、最初はどのような事業だったのでしょうか?

最初はお金がなかったので、人材派遣やSEの仕事をしていました。そして2007年ごろからソリューションを作り始めました。最初は売上がゼロでしたが、画像認識や空間認識の開発を進めていき、少しずつ売り上げがついてきました。

 

 

起業してから一番大変だったことや苦労したことはありますか

開業当初は日本語もできず、売上もない状態でとても大変でした。社員に給与を渡さないといけないですし、生きていくのも苦労が必要でした。

ある企業から仕事を頂き半年ほどプロジェクトを請け負い仕事をしましたが、納品後にその取引先と連絡が取れなくなってしまいました。何が原因かわからず、取引先の担当者に「こちらに悪い点があれば教えてほしい」と伝えると再度アポイントをいただくことができました。そこで担当者から「納品されたものは、当社が欲しかったものではなく、梁川さんが作りたいものだったんじゃないのか」と指摘を受けました。

その言葉にとても動揺しましたが、すぐに会社へ帰り、いただいた指摘をしっかりと受け止め社内で会議をしました。クライアント目線が足りなかったと反省して、今までの注意点や問題点を全て洗い出しました。そして再度提案書を作って取引先にプレゼンしました。すると担当者からは「梁川さんは諦めない心がありますね。きっと良い仕事ができると思うので一緒に仕事をしましょう!」とお声がけいただき、ピンチをチャンスに変えることができました。

 

 

今後の展望はありますか?

映像認識業界でトップになりたいです。そのためにマザーズでIPOを目指し、グローバル企業になれるように目指しています。経済的に厳しい中でも頑張って自分の子供や次世代のために発展した未来を残していってあげたいですね。

また、私は山登りが好きです。山は一歩ずつ歩かないと頂上に行くことができません。山は高いほど渓谷は深くなります。一歩一歩前に歩くことを専念すれば前に進んでいけますので、夢に近づけますし、叶えていくことができます。これからも会社を発展させるため、しっかり進んでいきたいです。

 

 

経営者におすすめの本はありますか?

ハングルで出版された「孫正義」という本です。孫正義さんは私がロールモデルとする人で、いつか一緒にお酒が飲めたらと思っています。私がそうであったように孫正義さんの生き方や考え方を真似して、若者にはどんどん挑戦していってほしいです!

 

 

 

投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
『社長の履歴書』編集部
新入社員を含めたフレッシュなメンバーを中心に、出版サポートの傍らインタビューを行っております!

就活生に近い目線を持ちつつ様々な業種の方との交流を活かし、「社長に聞きたい」ポイントを深掘りしていきます。

代表者様のキャリアを通して、組織の魅力が伝わる記事を発信していけるよう、これからも一生懸命運営してまいります!