注目キーワード
  1. 創業
  2. 二代目
  3. 社員
  4. 病気
  5. お金

株式会社日東社専務取締役 大西潤氏

今回は株式会社日東社の専務取締役の大西潤氏にお話を伺ってきました。

マッチ事業で産声をあげ、2023年には創業100周年を迎える株式会社日東社。現在は様々な衛生商品・販促品の企画製造販売を行う老舗企業の専務取締役であり次期社長でもある大西氏に、お話をたっぷりと伺いました!

株式会社日東社 会社概要

会社名称 株式会社日東社
代表者 代表取締役社長 大西雅之
主な事業 マッチ・ポケットティッシュ・名入れライター・紙おしぼり・シール・カイロ・のぼり・ウェットタオル・ウェットティッシュ・販促品の企画製造販売
会社所在地 〒672-8014
兵庫県姫路市東山524
会社HP https://www.nitto-sha.co.jp/

 

まずは事業内容について教えてください。

1900年に創業、1923年に設立し、2023年に100周年になる会社です。事業内容はマッチを作るところから始まりました。

その後、マッチが衰退してきた1980年ぐらいから事業を多角化し、広告用のポケットティッシュ・紙おしぼり・シール・のぼりと色々な物を造る製造業になっています。最近ではウェットティッシュの製造も始めました。

 

起業時はマッチ事業のみだったんですか?

姫路周辺は気候が安定していて、港から近いというのもあり、当時は100数社マッチの会社があったんです。マッチ事業が始まったころは東京や大阪にもマッチの会社があったようですが段々減っていって姫路周辺にだけ残りました。

その後、市場が衰退するとまずマッチを製造する機械のメーカーがなくなりました。機械を作る会社がなくなったということは、導入済の機械が故障したらマッチの製造は続けられなくなってしまうということです。結果、現在では3社しかマッチを製造する会社が残っておらず、日東社がマッチ製造の7~8割くらいを占めています。

100円ショップで見かけるマッチ、あれはほとんどが日東社のものだと思います。大体皆さん絵柄で選ぶんですよ。桃・象・燕の3つが有名で、ほとんどの方は気づいていないと思いますが、実は絵の下に社名が書いてあります(笑)。

 

なるほど、マッチ事業は風土を生かした事業だったんですね。それでは、現在特に力を入れている商品や事業を教えてください。

今一番売上げが多いのが紙おしぼりです。おしぼりというと大体皆さんイメージされるのが飲食店ですよね。この紙おしぼりの技術を使って、更に大きく分厚いものにし、介護施設や福祉施設、病院などで、シャワーをあまり浴びられないような方々のからだふきとして提供するためのウェットタオルを開発し、それの売り上げが非常に伸びています。少子高齢化という時代の流れもありますし、あとは衛生面。以前は病院では布のタオルを洗濯して使っていたのですが、衛生意識の高まりによって、おしぼりのような個包装で使い捨てという部分が非常に好評をいただいています。

あとは、ウェットティッシュもコロナをきっかけにかなり需要が伸びています。元々は代理店販売という形でウェットティッシュを仕入れて販売していましたが、次第に自社で製造して販売していこうとなりました。自社製造を始めたのには需要以外にももう一つ理由があって、ウェットティッシュって開ける時にシールになっているじゃないですか。開けて一枚取ったらシールでまた蓋をしますよね。シールも自社で製造できるので、内製化すれば原価を抑えて自社の商品として取り扱えるのではないかなと思ったんです。

 

現在は専務取締役の大西さん。後継ぎとして内定されているようですが、就任時期は決まっていますか?

うちには大きく分けて日東社と、グループ会社のノアインドアステージ(以下ノア)があります。まだノアのスクールが1校であったときにそのリーダーが辞めてしまい、当時日東社に入社してまだ半年であった父がノアを任されたんです。そこからノアは拡大していき、今では日東社よりも利益が大きくなりました。

厳密に言うと、うちには結構会社が多く、2022年4月にそれらを合併しホールディングスの下に日東社、ノア、もう一社不動産系の会社の3社にしました。2023年の10月にはTOKYO PRO Marketへの上場を目指しているのですが、上場するには各社の社長が同じだと良くないらしく、更にホールディングスの取締役に50%以上親族がいると駄目なようです。現状を考えると、僕は今すぐにホールディングスの取締役にはならない予定です。それが理由かは分からないですし、まだいつからかは決まっていないのですが、日東社の方は早めに任せると言われています。父は41歳でノアの社長になり、46歳で日東社の社長になったので、2022年で30歳になる私も10年後くらいかなと思っていたんですけど、もう少し早いのかもしれないですね。

 

テニススクールはどういった経緯でスタートされたのでしょうか?

1970年のオイルショック辺りから、ライターの登場でマッチが衰退してきたんです。このままでは会社が危ないということで、祖父が「新しいことをしていかなければならない」と考えて始めたと聞いています。

当時、マッチの軸木を製造する工場があったのですが、需要が減ってきたので軸木を仕入れることにしたため、その跡地を活用して何かをしようと考えたそうです。色々案があったらしいんですよ。スイミングスクールか、ゴルフの打ちっぱなしか、自動車学校か…。最終的に、テニスコートが一番安くできるとのことで、最初はテニスの貸しコートでした。貸しコートでは売り上げが伸びなかったんですが、前述のように父が校の責任者に就任して事業が拡大していきました。ただ、テニスだと屋外なので雨だとアウトなんですよね。更に冬は寒いのでお客さんが少なかったりと、ある一定のところで売上げが伸び悩みました。そこでコートをインドアにして冷暖房完備、表面を足腰に優しいカーペット素材にして、年中快適にテニスが習える現在の形になりました。

 

大西さんは子供の頃から跡継ぎを目指していたのでしょうか。他に夢はありましたか?

うちがテニススクールの経営もしていた影響で、私も4歳からテニスを始めました。小学校から全国大会に出場し、最高戦績は全国準優勝だったので、プロを目指したことはありますね。でも実際プロになったのは弟でした(笑)。私は中高の時にはプロになろうと思わなくなっていたのですが、そんなに仕事や家業のことは考えていなかったですね。

 

ちなみに、私の息子も最近テニスを始めました!今はノアに新しく「ひよこクラス」という30分のレッスンができて、2歳から始められるようになったんです。”知育”というものが大分メジャーになっていますが、それにテニスも入るんですよ。小さいフラフープやカラーコーンを使って遊んだり、フライパンの上にボールを乗せて走ったり、最後の10分間は実際にラケットを使ってテニスに触れさせるということをしています。

 

それは息子さんの将来にも期待したいですね。跡を継ぐことを意識しだしたのはいつ頃でしょうか?

祖父と父は兵庫県内の大学へ進学し、新卒ですぐに日東社に入っていたため、祖父が「お前は家から離れて東京に行って、外の世界を知ってこい」と言い、私は東京の大学へ進学しました。

転機というか、家の仕事に関わるきっかけとなったのは、大学に入学してバイト先を探していた時期に知らない番号から「覚えてるか~?」とかかってきた電話です。この電話が、ノアの社員からだったんです。テニスがすごく強く、私の小学校時代に新入社員で姫路市に研修でおられて、よく特訓をしてくれた方でした。彼から、ノアの新規校を手伝ってほしいと言われました。

私がひとり暮らしをしていたアパートから徒歩5分の場所に、ちょうどノアの新規校がオープンしたんですよ。父親は絶対に私の入学前からオープンを知っていたと思うし、だからそこにアパートを選んだのかも知れないですが(笑)。これをきっかけにノアで働いたことで、ノアがどんな会社かを知ることができて良かったです。

 

なるほど、そのままテニススクール・ノアで社会人としてスタートされたのでしょうか?

いいえ、それは違いまして。大学進学時同様、就活時にも「一度外で揉まれて他の業界を知って、それをうちの会社で落とし込めるよう学ぼう」と決意しました。そこで、どの業種、職種でも役に立ちそうな組織人事系のコンサルティング会社に入って、4年半働きました。

私が大学や他社で働いている間も、実家に帰る度に祖父は跡継ぎの話をよくしていました。日東社は5年ごとに周年記念で海外旅行に行くのですが、まだ学生だった90周年シンガポール旅行に同行するように言われて、社員の前でスピーチをさせられたんです。更に2018年に95周年のハワイ旅行にも呼ばれて、その時に社員計400人くらいの前で「一年後の今頃にはこの会社に入るので、よろしくお願いします」という内容の決意表明をさせていただき、有言実行して2019年に前職を辞め日東社に入社しました。

 

今は社長になるまでの準備期間のような部分もあるかと思います。準備期間は何をすべきだと考えていますか?

既に色々考えてはいるのですが、会社のあり方・やり方どちらも変えていかなければならないなと思っています。

あり方で言うと、私は全従業員で共通の目的があることが非常に大事だと思っているんです。以前、「会社への期待と今の満足度に関して」のアンケートをとったのですが、その際に「期待は高いけれど満足度が低いというようにギャップがあれば、それは弱みなので直していかなければならない」と考えていました。でも実際の結果は「企業理念に対して期待も満足度も低い」という、無関心の域だったんですよ。これに驚きました。

私は学生時代テニススクール・ノアでアルバイトをしていましたが、同じグループ会社なのにノアと日東社はあり方が全然違うんです。父は京セラ・稲盛和夫さんの盛和塾にも入って学んでいて、理念やフィロソフィーみたいなものを明文化しているので、ノアではそれが浸透しているんです。一方、日東社は祖父が実権を握っており、祖父の独断で判断してきたという古い体制です。それを変えていかなければならないと考えています。

やり方の部分で言うと、営業であれば売上目標、工場であれば生産性目標というような数字をしっかりと達成できるように考えていくことが大事だと思うんですが、日東社の場合はそこが厳しくなかったんです。その制度を整え、生産性を上げてくれたら加点方式で評価するよというやり方に変えていきたいと考えています。

 

年上の社員も多いかと思いますし、変わっていくことに対して社内からの反発もあるかと思いますが、やり取りの中で気を付けていることはありますか?

結果から求めると関係が悪くなることを述べたダニエル・キムの成功循環モデルという話がありますが、やはり関係の質から入らないといけませんよね。前職からやっていた1on1の面談も昨年から取り入れ、ひとまず全社員一周しました。今後も年に2~3回程やって信頼関係を作っていきたいと思っています。半分程はプライベートの話もしますし、先輩であれば子育ての話や歩んできた人生の話を聞いたりして、気づけば1時間くらい経っています(笑)

 

経営者として大切だと思うことやポリシーはありますか?

「1人で100歩進むではなく100人で1歩進む」ということをやっていきたいです。日本電産の永守社長の言葉なのですが、社長1人でガーッと進むのではなく、皆で力を合わせて協力しながら進んでいきたいです。

 

ありがとうございます。今後の展望を教えてください。

会社としての展望は、最近「五方良し」という言葉を学びまして。三方良しが有名ですが、それを五に変えたものです。従業員とその家族・社外社員(取引先)・お客様・地域社会・株主と、色んな絆を深め、信用を得ていくことで結果として事業の成果や取引に繋がるでしょうし、学生からの信用も得て、採用に繋げられるかなと思っています。私は今後、新卒採用にも力を入れていきたいと思っています。

個人としての展望は、息子が「この会社継ぎたいな」や、「入社して良かったな」と思われるような会社を目指したいと思っています。それができているということは、働いている従業員やその家族皆が、良い会社だと思ってくれているということだと考えています。

(祖父の仏壇に手を合わせる大西さん)

 

最後に、おすすめの本を教えてください。

『感動が人を変える 心震えるエピソード50選』 坂本光司&中小企業人本経営(EMBA)プログラム (著)

人を大切にしていて、事業も成功に導ける良い会社のあり方・やり方、感動するエピソードが書かれています。著者の坂本光司さんは「人の優しさは涙の量に比例する」と言っています。私もその話を聞いてから、ドラマ等で泣いてしまうことが増えて、ちょっとずつ優しさが増えてきたかなと思っています。色々な業界でのお話が書かれているので、自分の会社と照らし合わせて、取り組んでいくことで生きてくることも多いと思います。実はこの本の「ベテラン社員の世話焼きが孫世代社員の家族にも幸せを」というエピソードを私が書いています。

Amazon URL:https://www.amazon.co.jp/dp/4910372180

投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
『社長の履歴書』編集部
新入社員を含めたフレッシュなメンバーを中心に、出版サポートの傍らインタビューを行っております!

就活生に近い目線を持ちつつ様々な業種の方との交流を活かし、「社長に聞きたい」ポイントを深掘りしていきます。

代表者様のキャリアを通して、組織の魅力が伝わる記事を発信していけるよう、これからも一生懸命運営してまいります!