今回は株式会社西尾代表、西尾秀俊氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
会社名称 | 株式会社西尾 |
代表者 | 西尾秀俊 |
設立 | 1965年 |
主な事業 | 歯科医院の開業プロデュース・経営コンサルティング
歯科医院向けセミナー 歯科医院向け機材及び材料販売 |
社員数 | 30名(取材時) |
会社所在地 | 千葉県千葉市中央区本町3-3-3 |
会社HP | https://nishio240.co.jp/ |
事業内容を教えてください
株式会社西尾が目指しているのは、単なる歯科業界の発展ではありません。人々がより幸せな人生を歩める社会の実現 ——そのために、歯科の在り方そのものを根底から変えようとしているのです。
そのアプローチは、決して声高に業界へ提言するものではなく、気づかれないほど自然に、しかし確実に日常へ入り込んでいくやり方です。例えば「歯科医院を“行きたい場所”に変える」ことや、「歯磨きの苦手な人でも、自然に磨けてしまう」仕組みを作ること。無理に習慣を変えるのではなく、気づいたときには歯科が生活の中に根づいている——そんな“無血の革命”が、静かに進んでいます。
株式会社西尾のすべての事業は、「歯科業界を通じて人を幸せにする確率を上げる」ことに集約されており、その思想は歯科医院の開業支援からオリジナル歯ブラシの開発、そして情報発信にまで一貫しています。
現在、日本の歯科受診率は880万人で全人口の5.4%に過ぎません。さらに定期的にメンテナンスを受けているのは3.6%と、とても低い状態です。しかし、健康で在り続けるためには歯の健康が何よりも重要ですし、定期的に歯医者へ行く必要があります。
ですが、多くの人は歯医者を行きたくない場所だと考えています。その理由を追求すると、そもそも良い腕の歯医者が分からなかったりと歯科業界に様々な問題があることが分かりました。
このことから、私は歯科医院の開業プロデュースやコンサルティング、セミナー、ネットワークの構築を通じて、業界を改革し、歯科医院を行きたい場所に変えるために奮闘しています。
また、歯科医院に受診していない94,6%の人に来てもらえるよう、治療ではなくまずはホワイトニングから入ってもらえるように導線を作ったり、情報発信を行っています。
次に、「予防のために、きちんと歯を磨ける人を増やすこと」ですが、現在の80歳以上の日本人の歯の平均本数は15本と、ほとんどの人が歯を失っています。また、2人に1人が歯周病を患っているとされていますが、放っておくと歯を失うだけでなく、がんや心臓疾患、認知症など万病の元となる恐ろしい病気です。
歯の健康を守るためには、治療ではなくその前の予防が何よりも大切になりますが、そのためにできるのは、「歯磨き」です。
ある時、歯科衛生士から「歯磨きには才能がいるって知ってた? 日本人でちゃんと磨けている人なんて1000人に3人いるかどうかなんだよ」と聞いた際、衝撃を受けました。そもそも日本人の歯科医院への受診率が低いのに、どうやったら予防ができるのだろうと考えた結果、「歯磨きの才能がない人でも勝手に磨けてしまう歯ブラシ」を作ろうと思いました。
それで出来たのが、特許を取得しシリーズ累計販売数2,000万本突破した「奇跡の歯ブラシ」です。
「奇跡の歯ブラシ」については令和の虎Channelをぜひご覧ください。
「【前編】「魔法みたいに汚れが落ちる」虎も驚く磨き心地。人生が変わる奇跡の歯ブラシでオーラルケア市場を独占したい【西尾 秀俊】[25人目]通販版令和の虎」
https://www.youtube.com/watch?v=3GNo-wD1gtE
「【後編】「歯磨きの未来を感じる」虎から絶賛の嵐。人生が変わる奇跡の歯ブラシでオーラルケア市場を独占したい【西尾 秀俊】[25人目]通販版令和の虎」
https://www.youtube.com/watch?v=viXVDiy_0PE
ここからは西尾社長のことをお聞かせください。就職活動ではどのような業界をみていらっしゃいましたか?
私が就活をしたのは、バブル全盛期の頃です。
最初は広告代理店で働きたいと思っていました。ビジネスマンの花形でしたし、お給料も良いと言われていたので憧れていましたね。
大学生の私は、広告を「この商品を使ったらこういう未来が手に入れられるんだという映像が脳に浮かぶと、人はその商品買うんだろう」と思っていました。現実とかけ離れたものではなく、ちょっと頑張れば手に入る未来を見せることが大切だと考え、面接ではこれを伝えていました。しかし、一次試験は突破できるものの、役員面接や社長面接で落とされていました。
あらためて考えると、当時流行っていた『コーラスライン』という作品に影響を受けたことから、アメリカだと通用するアピールをしており、村社会である日本ではあまり求められない姿勢を持っていたことが不採用の原因だと思います。
「私を採用しなくて他社が私を採用したら、おそらく御社に甚大な被害を及ぼしてしまう可能性がある」と言っていたのですが、相手からは「すごい自信だね」と言われ、全部落とされました。
そのため、当時は引く手数多で誰もが簡単に内定をもらえた時代だったのにも関わらず、私はひとり就職先が決まりませんでした。どうしようかと思っていたら、たまたまバイト先のオーナーが証券会社の人を紹介してくれて、無事に内定をいただくことができました。
証券会社のお仕事に元々興味はあったのでしょうか?
いいえ、全くありませんでしたね。そもそも証券が何かもよく分かっていなかったので、入社してから色々と学びました。
また、入社した時はその年の1月に大暴落が始まり、株で損をしたお客様ばかりだったので、営業をするときはとても辛かったです。
証券会社で働かれて印象に残っていることを教えてください
私の人生哲学でもあり、経営哲学でもある「人を幸せにする確率をあげるためには、自分が人に何をしてあげられるかを考え続けないといけない。」ということを身をもって経験したことが、印象に残っています。
入社後、虎ノ門支社に営業マンとして配属をされましたが、上司から蛍光ペンでぐるっと大きな丸が描かれた地図を渡され、「これがお前が担当する虎ノ門2丁目の地図だ。この蛍光ペンの円からお前は一歩も出ずに、 そこに乗っている顧客リストを全て回ってこい」と言われました。最初は頑張って全て回るも結果は全てお断りです。それを上司に報告すると、「明日も同じところを全て回れ」と言われました。
あまりにも無茶苦茶な指示だったので、最初は株が暴落した影響で会社の経営状況が悪いから、私を自主退職に追い込む嫌がらせかと思いました。でも、反骨精神で「こんな奴の思い通りになってたまるか」とどれだけ営業先から怒られようとも諦めずに毎日毎日訪問を続けました。
時期的にもエリア的にも証券マンに対する風当たりが強いなか、よく続けられましたね
もちろん、怒鳴られたり、無視されたりを毎日200件繰り返し経験していたので、ドアノブを回すことが怖いと感じたこともあります。
ですが、逆に考えすぎると恐怖が増大することを学びました。心配事の99パーセントは現実化しないですし、行動を起こすことでしか恐怖を克服することはできないことを学びました。
実際に入社後お客様から注文はありましたか?
半年経った頃に、とある会社のパートの方が声をかけてくださいました。
当時はもう毎日「すみません」「ごめんなさい」「申し訳ございません」を言いまくっていたので、また怒られると思っていたのですが、意外にもその人は「こんなにみんなに嫌われて辛くないのか?」と心配してくれました。
私は「上司に毎日行けと言われているので辛いけど来ています。ご迷惑かけてます」と言うと、「私パートなんだけどね、あなたと同い年くらいの息子がいるの。息子はエンジニアだからあなたのような苦労はしていないだろうけど、あなたの姿見ているとあなたのお母さんの気持ちを考えてしまうよ。なんか買うからもっておいで」と言ってくれました。
さすがに悪いと思い断りましたが、「あなたから買うのは私のためだから」と言ってきたんです。
多分、私の姿を見てなんとかしたいと思ってくださったのだと思いました。
さすがに株を買ってもらうわけにはいかないので、金貯金という元本保証がされているものを持っていったところ、200万円貯金してくださいました。
そして、そのことを報告したら、上司が飲みに連れて行ってくれました。
飲みの場でどのような会話をされたのですか?
上司から、「よくやったな。お前が担当している虎ノ門2丁目は強者ばかりの地域だ。しかもバブルが崩壊した後の激戦区で、風当りも強いなか、お前は毎日行き続けて、ついにお客をおこしたな。もう1件お客をおこしたら、お前は営業として開眼する。」と言われました。
その時、私はこの人は辞めさせようとしていたのではなく、本気で毎日行けと言っていたことがわかりました。
実は、当時薄々と気づいていたことがあります。それは、最初は攻撃的だった訪問先の人達の雰囲気が軟らかくなってきていたことです。私は100回の法則と名付けたのですが、人は100回も会えば必ず親しくなれます。半年を過ぎると、丁度100回になるので、そこから段々と環境が変わってきました。
その後、西尾社長はトップセールスとなられますが、営業を通して学んだことはなんですか
お金を儲けさせれば良いのではなく、人を幸せにすることが何よりも大切であることを学びました。
幸せとは、誰かから認められ、必要とされ、愛されることで初めて感じることができます。
価値観や幸せは人それぞれなので、相手が何をしたいと思っているかを把握して、それに即して私という存在が何をしてあげられるかを考えるようになりました。
それを地道に行うと、結果として成績にも現れてきました。
例えば、お客様の誕生日を全て把握して、誕生日には「おめでとう」と伝えていましたし、取引先の従業員が髪の毛を切るなどの変化があれば「素敵だね」と伝えていました。また、株について教えると喜ばれることが多くありました。
他にも、ふと気になったドアに残っていたシール跡をスプレーで落としたりなど、できることはなんでもしましたね。
幸せになりたいのであれば、まずは自分ではなくて他人を幸せにできるように行動すると、他人から幸せにしてもらえる可能性が上がるのが世の中の真理です。
トップセールスとしてご活躍されているなか、なぜ歯科業界へ興味をもたれたのでしょうか?
医療現場での患者の感情に配慮しない問題に気がついたからです。よく患者様から被せ物が取れた、違う歯を削られたなど、歯医者に行ったクレームを聞くことがありました。実際に私も同じような目にあったことがあります。患者が歯を失って悲しんでるのに、歯科医はそのことについて、深く捉えていないように感じました。
また、人は誰かを幸せにしてあげるとそれが自分に返ってくる絶対的な法則があるにもかかわらず、利益を重視して歯科経営をうまくやろうとしていることに違和感を覚えました。歯医者に行く億劫さを、掘り起こして全部喜びに転換できれば膨大なマーケットになるのではと今の事業をおこなっています。歯科業界全体としては、多くの人が望んでる幸せを現実化することが重要ですね。
起業してから苦労したことはありますか?
私がそもそも歯科業界の人間ではないので、話を聞いてもらうことがまず大変でした。セミナーや営業では、権威のある人からの話しか聞かない姿勢の人が多くて驚きましたね。しかし、私はそれでも相手のことを考えて動き続けました。
また、奇跡の歯ブラシは開発に3年、最初の1本が売れるまで6年かかったので、さすがの私も挫けそうになりましたね。
最初は歯ブラシメーカーに依頼したのですが製造が難しいと断られてしまいました。その後、独自の方法で製作を試み3年間努力しました。お金儲けをしたいわけでなく、歯を失う人が悲しまないように必死でしたね。そして完成したのが、「奇跡の歯ブラシ」です。
しかし、開発後に歯医者に見せましたが、評価はなかなか得られませんでした。それでも、製品の重要性を信じて説明を続けていきました。するとある人の紹介でテレビショッピングに出演でき、一晩で2億円の売上となりました。
直接助けた人からでなくても、幸せは必ず別の形で返ってくることをここでも学びました。
今では絶賛していただいて全国で2,000以上の歯科医院でも取り扱いいただいています。なぞるだけで歯がみがけるので、歯磨きがとても楽になるというお声をいただいています。また歯ブラシを使った人のリアルな声や感動がSNSで広まり、支持を得るようになり、SNSが発達したことで、「本物の価値」が浮かび上がる時代になったと実感しました。
今後の展望を教えてください
私は現在10社の経営を行っておりますが、そのすべての原点には「人々がより幸せに生きられる社会をつくりたい」という想いがあります。その中で、私たちは常に問い続けています。
私たちは何をすべきなのか?歯科業界が本当に向かうべきはどこなのか?そして、その未来に向かって我々が取り組むべきビジネスとは何なのか——。
今後も、より多くの人々が幸せに暮らせる社会を実現するために、歯科業界から様々な事業を行っていきます。
私の想いは、Youtube『西尾社長の売る話し方』でも発信していますので、ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/@Nishio-Hidetoshi/videos
投稿者プロフィール

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企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
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