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成田屋株式会社代表 成田 敦氏

今回は成田屋株式会社代表、成田 敦氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

 

会社名称 成田屋株式会社
代表者 成田 敦
設立 2011年6月1日
主な事業 マンション大規模修繕工事

建設工事用仮設資材の販売・レンタル

建設工事用足場の組立・施工・管理

社員数 90(令和71月現在)
会社所在地 〒143-0016 東京都大田区大森北1-23-5 第一小田ビル6階
会社HP https://n-ya.jp/

 

事業紹介をお願いします

成⽥屋は⾜場資材のレンタル・販売から⾜場工事・⼤規模修繕工事まで、建設業界に特化した⾜場ビジネスを展開している新興企業です。この3つの事業を礎に、お互いを尊重し共に⽣きる「信頼」、⼀歩ずつの⾏動と実績の積み重ねによる「信⽤」、自ら選択・決断し実存していく「自由」、社会的、法的に対応していく「責任」、この4つを基本理念として堅実に歩み続けています。

なお、建設業の中でも、足場工事は建築工事会社など中間業者との取引が中心となりますが、大規模修繕工事の元請けになると、分譲マンションの管理組合やオーナー様など、より一般消費者に近いお客様と直接関わる仕事になります。修繕積立金をもとに管理組合が発注し、私たちが現場で安全かつ確実に工事を進めていくことから、この事業は消費者の生活に直結する、より繊細なスキルが必要な仕事だと考えています。

一方、足場資材のレンタル事業は、足場工事会社への資材提供を担う、河川に例えるなら「上流」に位置します。

つまり、成田屋では

  • 資材レンタル(上流)
  • 足場工事(中流)
  • 大規模修繕工事(下流)
    という構造の中で、川上から川下まで一貫して担うビジネスモデルを構築しているのです。

創業からまだ15年の会社ですが、この3事業を自社で同時に展開している企業は全国でも非常に少なく、業界内でも希少なビジネスモデルといえます。この「上流から下流までの一貫体制」こそが、成田屋の大きな強みになっています。

 

このビジネスモデルは創業当初から構想はあったのでしょうか?

創業当初から「資材販売と足場工事」の2つは必ずやろうと決めていました。足場工事を行うためには当然、自社で足場資材を保有する必要がありますが、足場資材というのは初期投資が非常に大きく、新しい会社が事業を立ち上げてすぐに、1億円や2億円規模の資材を購入するのは現実的ではありません。

そこで、まずは資金を回転させやすい足場資材の販売からスタートし、事業実績をつくることで銀行からの信用を得て、足場工事に必要な資材を徐々に揃えていきました。

やがて、コロナ禍や円安、物価高の影響で資材価格が高騰し、業界全体で「資材を買えない足場工事会社」が増えてきました。そうした市場環境の変化を受け、今度はレンタル事業の必要性を感じたのです。資材を貸し出すことで、資金面で苦労する同業他社を支援できると同時に、自社の事業領域も拡大できました。

さらに、足場工事で最も資材を大量に使用するのが大規模修繕工事だと気づいたことで、次の展開が見えてきました。「それなら、自分たちで大規模修繕工事まで手がけたら面白いのではないか」と考えていたところ、ちょうどその分野に強い人材との縁があり、事業を拡張する流れが自然にできていきました。

ですので、「最初から全部やる」と決めていたわけではなく、状況を見極めながら順次、必要とされる事業を積み上げてきた結果、今のような上流から下流まで一貫した体制が整ったという形です。

 

ご縁とタイミングが重なって、成長してきたのですね

そうですね。事業の立ち上げや拡大は、まさに“出会う人”とのご縁とタイミングの重なりが大きかったと思います。もちろん、現場で成果を出すには目指す姿、目標に対するコミット、明確な計画や行動と結果検証などが必要ですが、新しい事業を始める時はそれだけでは成り立ちません。マーケットの需要、世の中の流れ、そして自分の五感の感覚――それらがうまく重なった瞬間に動き出すのが一番自然です。

私は昔から、頭で理屈を組み立てて「これが正しい」と考えるよりも、感覚やワクワク感を大事にするタイプでした。しかしながら、それではビジネスは上手く行かないと今までの上司から言われ、自分の感情を抑えて机上で綿密に予測と計算を立ててから動いていました。が、5、6年前にそれだけでも上手くいかない壁にぶち当たり、自分の内々から発想された感覚を信じるようになりました。「これからの時代、きっとこの方向に広がっていくだろう。そして私を信頼してくれる人物は誰だろう?と」と感じて発想が出てきた時に、思い切って踏み出す。その感覚を信じてきたからこそ、今の成田屋の形ができたと思っています。

 

経営の感覚は、サラリーマン時代に培われたのでしょうか?

若い頃は経営感覚を養うというより、スキルを徹底的に磨くことしか考えていませんでした。20代、30代の頃は「スキルさえ高めれば事業でも成功できる」と本気で思っていたので、営業力、コミュニケーション力、マネジメント力など、とにかく「自分にできることを増やすこと」だけに集中していました。

当時はサラリーマンとして組織に属していたので、当然ながら経営者とは視点が違います。組織の中で成果を上げて信頼・信用を得るためのゴールは、粗利を上げられる人間になることでした。だからこそ、自分のやりたいことや理想よりも、まずは組織の中で経営層が求めている、私に対する役割を果たすことに徹していたと思います。「直属の上司と握る!そして経営層とも握る!そして言行一致し、その通りに結果を出す」ということが信頼と信用を得る唯一の方法だったように思います。

私がサラリーマンだった1990年代は今のような働き方改革もない時代で長時間労働が当たり前。パワハラやセクハラという言葉すら一般的ではなく、体力と根性がものを言う時代でした。そのため、精神的にも肉体的にも「長く働ける人間」であることが一つの評価軸だったのです。そんな時代の中で、働くことを楽しめる性格だったのは、生き残る上で大きく影響したと思います。そういう意味では、サラリーマン時代に粘り強さや仕事を楽しむスタンスといった、今の経営に通じるベースの部分を自然と身につけていったのかもしれません。

 

 

経営者になりたいと思われた最初のきっかけを教えてください

経営者になりたいと思ったのは大学時代の経験がきっかけでした。

私は高校までずっと野球一筋で、プロ野球選手を目指していました。ところが、甲子園に出場したときに全国トップレベルの選手たちを目の当たりにして「これはもう次元が違う」と痛感しました。キャッチボールを見ただけで、「自分はこの世界では通用しない」と悟ってしまい、野球を辞める決断をしました。これが人生で最初の大きな挫折です。

その後、大学に進学したものの、違和感を覚えて1か月ほど大学に行かずに「このままで良いのか」と悩み続けた時期がありました。ようやく登校し始めてからも、最初は友人もおらず、ひとりで過ごす日々が続いていました。

そんな中、大学1年の冬にたまたま仲良くなった4〜5人の友人が全員経営者の息子で、彼らと話していると驚くほど発想が自由で、考え方が前向きで、何より「人生を楽しんでいる」と感じました。私は父が公務員、母が銀行員という堅実な家庭で育ったので、将来の話や夢の話をすることはほとんどなかったからこそ、彼らの生き方や話す内容がとても新鮮で刺激的だったのです。

やがて私は、夏休みや冬休みになると友人の家に泊まりに行き、その友人の両親である経営者と話すのが楽しみになっていきました。食卓で交わされる話の一つひとつが面白くて、「経営者って、なんて魅力的な生き方をしているんだろう」と感じたのを今でも覚えています。

それ以来、将来は自分も経営者になりたいと思うようになりました。大学4年の時には、友人の親御さんたちから「うちに来ないか」とありがたいお誘いをいくつもいただいたのですが、すべてお断りしました。というのも、将来自分で事業をやりたいと思っていたので、「元々知っている人の会社に入ってしまうと、辞めづらくなる」と感じたからです。

結果的に、自分で就職先を探し、将来の事業スタートを見据えてあえて転職を重ねるつもりで社会に出ました。

今振り返ると、大学時代に出会った経営者の方々が経営者という生き方の面白さを教えてくれたのだと思います。

 

同級生の親御さんであり、経営者である方々との関わりで印象に残っていることはありますか?

そうですね、当時一番最初に衝撃を受けたのは「経費で落ちる」という言葉を初めて知ったときのことです。

ある日、友人とそのお父さんと3人で食事に行きました。私は野球をやっていたので食べる量も多く、会計が5万、6万になることも珍しくなかったのですが、その方が「これで払ってきて、領収書もらってきな」と言って、さらっとカードを渡してきたのです。私は言われるままに会計を済ませ、「会社名で領収書をお願いします」と言って領収書をもらって戻ったら、そのお父さんが「それ、経費で落ちるから」と言ったのです。

当時の私はまだ大学生で、経営の「け」の字も知らない状態なため、「経費で落ちるってどういう意味ですか?」とすぐに質問しました。すると、そのお父さんが「会社での付き合いや営業の一環だから、これは会社の経費なんだ」と説明してくれました。続けて「社長じゃないとそういうことできないんですか?」と聞いたら、「まあ、家族とご飯を食べて領収書を切れるのは、社長くらいかもしれないな」と笑いながら言っていて、その瞬間、“社長って自由だな”と少々羨ましくさえ思えました。そして、ビジネスの世界の仕組みに初めて触れた私は子どものような純粋な好奇心で「なぜ?」「どうして?」「どういう事?」と質問を重ねていきました。

当時はもちろんインターネットもチャットGPTもない時代。情報を得るには人に聞くしかなかったため、経営者たちから直接話を聞けたことが、今振り返れば何よりの学びだったと思います。あの「経費で落ちる」の一件は、私にとって「経営って面白い」と感じた原体験でしたね。

 

その後、社会人時代に本格的に起業に踏み出すきっかけがあったとのことですが、詳細を教えてください

そうですね。起業を決断するきっかけになったのは、前職での経験と、あるコンサルタントの一言が大きかったです。

私はこれまで6回転職していて、その会社は5社目。38歳から42歳までの4年間勤めていました。そのとき、自分で考えたビジネスモデルを当時の社長に持ち込んで、「この事業を御社の中でやらせてください」とプレゼンしました。その結果、社長も理解を示してくれて、数人の社員をつけてもらい、新しい事業部として事業をスタートすることになりました。ところが、なかなかうまくいきません。というのも、その会社はBtoC(一般消費者向け)ビジネスが中心だったのに対し、私が提案したのはBtoB(企業間取引)ビジネスだったことから、業態も感覚もまったく違うので、社長との間で“ビジネスの言語が噛み合わない”状態になってしまったのです。まるで、通訳が必要なほどのズレでした。

その後、社外のコンサルタントが入ってサポートしてくれるようになったのですが、その方がまたすごい人で自分でも親の事業を継ぎながら、コンサル業もしていらっしゃいました。そこである日、その方と話しているときに、私は「ビジネススキルを最短で高めるには、どうすればいいですか?」と聞いたところ、彼は「自分のお金を使って、自分で事業をやることだよ。」と言われました。

その時、この言葉がとてもしっくりと来ました。「やっぱりそうだよな。自分でやるしかないんだよな!」

それまでも漠然と「いつか自分で事業をやりたい」と思ってはいましたが、頭の中でするシミュレーションはいつも「人を雇ったら赤字になる」「潰れるリスクがある」というものばかりで、現実に踏み出すことはできませんでした。

サラリーマンというのは、毎月安定して給料が入る安心感があるので、そこから抜け出すのが怖かったのです。しかし、その言葉をきっかけに、「スタートするタイミングはどこなんだ?決断するタイミングはどこなんだ?」と勤務時間以外」常に考えるようになっていきました。

そして42歳のとき、2011年3月11日の東日本大震災の日、夜19時すぎの車の運転中に、「やってもやらなくても何れ死ぬんだし、事業が失敗しても死ぬ事は無いし、今決断出来なければ一生出来ないんだろうし、42歳にもなって、ホント糞だな!」と自分の身体と会話し、独立を決意しました。

 

起業後、5~6年目に組織運営が上手くいかなくなり、社員教育や採用に注力し始めたとのことですが、どのようなことがあったのでしょうか?

創業から5~6年目にかけて、組織の中枢を担うようになった社員たちが次々と離職したことが私にとって大きな転機でした。創業初期に入社したメンバーが30〜40代となり、幹部的なポジションに就くようになったのですが、ある時、その中心的な一人が退職し、その前後から彼の部下たちも連鎖的に辞めてしまったのです。

原因を探っていくうちに見えてきたのは、マネジメントスキルの欠如でした。

当時辞めていった社員は、専門分野のスキルは高いものの、人を動かす力やコミュニケーション能力が十分ではなく、簡単に言えばパワハラが酷かった事で、部下との関係性が崩れていました。そのため、私はその社員を一度マネジメントから外し、人事的な役割を経験させることで視野を広げてもらおうとしたのですが、結果的には社内で誤った情報を流すようになり、社内全体が混乱してしまいました。

私自身が知らないうちに、「社長がこう言っていた」という事実と異なる噂が独り歩きするようになり、社内の信頼関係が大きく揺らいでしまった時、初めて「誰々がこう言ってましたよという言葉に真実は無いし、情報は私との信頼関係でしかコントロールできない」と痛感しました。

そして私は考え方を大きく変えました。これまでは会議などの「1対全体」でのコミュニケーションを重視していたのですが、それでは本音が引き出せず、誤解や齟齬も生まれやすい。そこで、全社員と1対1での面談の機会を増やすようにしました。そこで、直接話をすることでしか伝わらないこと、理解してもらえないことがあると気づいたのです。

この1対1の対話を重ねるうちに、社員一人ひとりが社長である私を「人間」として理解してくれるようになり、私自身も社員を信頼できるようになっていきました。以前の私は「成果を出す」「スキルで勝つ」という意識が強く、経営者としてもどこかビジネスライクな距離を取っていたと思います。ですが、今は人間関係の中にしか本当の組織力は生まれないと考えるようになりました。

こうした経験を経て、社員教育や採用にも心理学的な視点を取り入れながら、信頼を軸とした組織づくりへと舵を切るようになったのです。

 

 

それまでは先ほどのお話にもあったように、本当にビジネスロボットだったのですね

そうですね。感情を表に出すことがほとんどなく、怒るときは怒鳴りつけるのに、笑うことも、喜ぶことも、感謝を伝えることもなく、無表情で、成果を出すことだけを考えて働いていたと思います。しかし、組織がうまくいかなくなって、一人ひとりと向き合うようになってから「自分の感情をちゃんと出していいんだ」と気づくことができました。面白いことは素直に笑うし、嬉しいときは「嬉しい」と言うようになり、少しずつ人間らしい表情を取り戻したという感覚があります。

というのも、以前は「社長らしくあらねば」と思い込んでいたのですが、あるときふと、「社長らしさって誰が決めるんだろう? そんなもの、自分で作ればいいじゃないか」と思い、そこから、「ありのままの自分でいよう」と決めました。

そうして自然体で社員と接するようになると、社内の空気が変わりました。冗談を言ってもいい、素直な気持ちを話してもいいと周りも認識し始めたタイミングから、社員が自分の言葉で安心して話せる風土が少しずつ出来上がっていきました。

思い返すと、サラリーマン時代には「ありがとう」も「おめでとう」も言ったことがありませんでした。
野球部時代に甲子園を目指していた経験もあって、「結果を出すのは当たり前」という考えが染みついていたため、良い結果が出ても「当然だ」としか思わなかったのだと思います。しかし、社長になって6年目、7年目、8年目くらいから社員に対して自然に「ありがとう」と言えるようになり、口だけでなく心からそう思えるようになりました。これが、経営者としても、人としても一番大きな変化だったと思います。

 

同タイミングで心理学や現象学を学ばれたとのことですが、どうしてここに目をつけられたのでしょうか?

当時は社員の離職や組織の停滞が続いても、「どこに原因があるのか」「自分の何が悪いのか」がまったくわかりませんでした。

これまでの私はすべてをビジネス書などの知識から学び、頭で考えて行動してきたタイプでしたが、それが通用せず、いよいよ理屈では解けない壁にぶつかった感覚でした。

もともと私は一人でいることが好きな人間で、食事も飲みもほとんど一人。家族がいても自分の時間を最優先してきたので、他人がどう感じるか、どう考えるかといった“人の心”の部分が本当にわかりませんでした。社員との関係でも、相手の気持ちを想像するという発想が抜け落ちていたからこそ、「人を理解するための学び」を求めるようになりました。

最初は、知人から勧められたいくつかの研修に足を運び、心理学的な内容にも出会いました。講師の話だけでなく、受講している人たちがどう感じているのかを観察することに興味が湧き、いくつも受講していくうちに、「これは経営や組織づくりにも生かせるかもしれない」と確信したことから、その後、本格的に心理学や現象学を学び始め、ゲシュタルト療法やカウンセリング理論を体系的に修了しました。それによって、自分自身がどんな価値観やトラウマを抱えているのか、そしてそれが社員との関係にどう影響していたのかを初めて理解できました。

以降は、社員との面談や1on1でも心理学の手法を取り入れ、相手の言葉の奥にある感情や背景を聴き取るようになりました。社員が抱える課題を「ビジネススキルの問題」ではなく「心の状態」として捉えるようになったことで、組織全体のコミュニケーションが穏やかになり、心理的安全性の高い社風へと変わっていったのです。

 

心理学を学び実践してどのような変化があったのか、具体的に教えてください

心理学を学んで最初に強く実感したのは、「自分の中にあった課題の根っこはここだったんだ」という気づきでした。学びを通して自分の行動や発言の背景にあった無意識のパターンを理解しますが、中でも「父親から褒められなかった」という経験が、深いトラウマとして自分の中に残っていたことに気づくことができました。

私は子どものころ、野球や勉強を誰よりも頑張っていました。甲子園に出場するほど打ち込んで、学校の成績も常に上から3番以内だったのに、父親は一度も褒めてくれませんでした。テレビを見ながら黙って食事をするだけの家庭で、成果を出しても何も言われない。その寂しさがずっと心の奥にあったのです。

これを大人になってから振り返ると、会社でうまくいかなかった原因も、まさにそこにありました。
社員に対して、私が「ありがとう」と言えなかったり、「よくやった」と素直に褒められなかったのは、自分がかつて父親にしてほしかったことだったからだと気づくことができました。

心理学を学ぶ中で、その仕組みを理解し、自分の内側のトラウマに気づけたことで、社員との関わり方が大きく変わりました。たとえば、ある幹部社員が辞めるときに「もっと社長と話したかった」と言ってくれたことがありました。その言葉を聞いて、父親ともっと話したかった自分と重なって見えました。そこから、「ちゃんと人と関わろう」「気にかけよう」「報告してあげよう」「褒めよう」と意識するようになりました。すると、自然と社員が辞めなくなっていったのです。

つまり、心理学の知識そのものよりも、学んだことで自分の“内面の構造”を理解できたことが、経営の在り方を変えたのだと捉えています。感情や価値観のすれ違いを防ぎ、信頼関係を築くためには、まず自分を理解することが出発点だと、身をもって感じました。

 

その結果として、離職率15パーセント減は本当に素晴らしいと思います

15パーセント減もそうなんですが、実は2024年は離職者がゼロでした。採用は6人ほどありましたが、既存の社員も含めて、誰も辞めていないというのは、自分の中で大きな転換点でした。

実は、以前は「辞めないための取り組み」をしていたのですが、ふと「辞めないようにするって、そもそもおかしいよな」と思ったことから、マイナスをゼロに戻すような取り組みではなく、“辞める必要がない会社”をつくる方が自然だろうと考えるようになり、行動にも移していきました。

私自身もこれまで何度か転職してきましたが、私の会社を辞める理由は「人間関係が合わない」とか「仕事がつまらない」ではなく、「この仕事はもう理解できたから次の業界に行こう」という前向きなものでした。そのため、社員が人間関係で辞めるという感覚が当初は理解できなかったのですが、ほとんどの離職理由がそこにあると気づいてからは、「だったら人間関係が良くなる会社にすればいいのではないか」と思うようになりました。

心理学を学んだことで、社員一人ひとりが自分を理解し、成長していくことが一番の離職防止につながると実感しました。そして、1対1で面談をしていると、その人が大切にしている価値観や「できない」「怖い」と思っている部分が見えてきますし、そこに気づいてもらえれば、人は自分から変わっていけることを知りました。

当社では、「信頼・信用・自由・責任」という4つの理念を掲げています。
信頼されるようになること、信用されるようになること、自分の判断で動ける自由を持つこと、そして行動に責任を持つこと。この4つがちゃんと回り始めると、自然と社員が辞めなくなります。結局、自分の言葉と行動が一致している「自己一致」した状態でいられる人が増えると、会社全体の雰囲気が変わるのです。陰で愚痴を言うような人もいなくなって、みんなが本音で話せるようになる。そうやって“人が辞めない会社”になっていきました。

 

 

社長が気づき、行動したからこそ組織も変わってきたのですね

そうですね。もし気づかずにそのままにしていたら、きっと会社は潰れていました。組織は一度おかしく回り始めると、本当に倒れるまで早いものです。社員一人ひとりの生活があるのはもちろんですが、同時に社会の中の歯車のひとつでもあると思っています。金融機関、仕入れ業者、お客様……。いろんな人の信頼の上で成り立っているからこそ、ひとつの会社がなくなるというのは、実はその歯車全体にダメージを与えることだと認識しています。そう考えると、「会社を継続させる」というのは社会的な責任ではないでしょうか。

売上が伸びるとか、シェアが何%とか、そういうことは中小企業にとって本質ではないと思っています。それよりも、社員一人ひとりが成長して、ビジネススキルや人間力が高まっていくこと。その積み重ねの結果として、会社が続いていくのです。

特にうちのような建設業は“ハードの事業”であるため、結局、人の成長がすべての基盤になります。社員が育てば、その分だけ仕事の質が上がり、売上も自然とついてくる。だから、僕にとっては「成長し続ける組織をつくること」が最大の使命なのです。

 

今後の展望について教えてください

経営者としての展望を尋ねられることは多いのですが、私自身は明確なビジョンや数値目標を掲げることはしていません。経営者が「5年後にこうなる」「10年後にこれを達成する」といった強い意識を持ちすぎると、どうしても思考がプレイヤー的になり、全体を俯瞰する視点を失ってしまうと考えています。

経営において重要なのは、未来を設計することよりも、時代の流れや社会の変化を感じ取る感受性です。建設業界や足場工事業界、大規模修繕の分野がどのように変化していくのかを正確に捉えるためには、意識的に思考を止め、感覚を研ぎ澄ませる時間が必要だと感じています。そのため、私は日常の中で「何もしない時間」を意図的に確保しています。思考を手放し、無の状態で世の中の動きを受け取ることで、初めて次に必要な変化や新たな方向性が見えてくるからです。明確な展望や数値目標を掲げないのは、その柔軟さを保つためでもあります。

経営者としての役割は、社会や業界の流れを感じ取り、適切なタイミングで一手を打つこと。そのためには、静かに観察し、受け取り、判断する力が欠かせません。私にとっての「経営の在り方」とは、そうした感受性をもって会社の舵を取ることだと考えています。

 

他の経営者におすすめの本のご紹介をお願いいたします

他の経営者の方におすすめしたい書籍としては、まず公認心理師でありビジネス書作家の小倉広氏の著作を挙げたいと思います。特に『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』は、リーダーシップや人間関係の本質を理解するうえで非常に示唆に富んだ一冊です。もちろんアドラー心理学の代表的な著作である、岸見一郎氏と古賀史健氏の『嫌われる勇気』も同時に読んで欲しい本です。また、小倉広氏の近著『優れたリーダーはアドバイスしない』も、上司と部下の関わり方を心理学的に捉え直す良書です。成田屋でも社員教育の一環として、小倉氏を講師に招いた研修を実施しており、アドラー心理学やゲシュタルト療法を基盤とした学びを取り入れています。

さらに、心理学分野では百武正嗣氏の『気づきのセラピー はじめてのゲシュタルト療法』を推薦します。自分自身の感情や価値観を理解することで、他者との関わり方が大きく変わるという点で、経営者にとっても大きな学びになる一冊です。

また、若手社員や管理職向けには、田坂広志氏の『仕事の報酬とは何か 人間成長をめざして』と、佐々木常夫氏の『働く君に贈る25の言葉』を紹介しています。特に後者は、30歳前後の社員に「仕事を通じてどう生きるか」を考えるきっかけを与える本として重宝しています。

これらの書籍はいずれも、経営者自身の内面を見つめ直し、社員との信頼関係を築く上で大いに役立つ内容です。成長や成果を追うだけでなく、「人としてどう在るか」という視点を取り戻すための良き伴走者になると感じています。

ぜひ気になるものを読んでみてください。

アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』 小倉 広 (著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4478026300

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』 岸見 一郎 (著), 古賀 史健 (著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4478025819

優れたリーダーはアドバイスしない』 小倉 広 (著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4478121001

気づきのセラピー はじめてのゲシュタルト療法』 百武 正嗣 (著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4393360524

仕事の報酬とは何か 人間成長をめざして』 田坂 広志 (著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4569626343

働く君に贈る25の言葉佐々木 常夫 (著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4569902774

投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
『社長の履歴書』編集部
企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。

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