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株式会社ミッド東京ホールディングス代表 中村 泰治氏

  • 11/04/2025
  • 10/03/2025
  • 人材
  • 8回

今回は株式会社ミッド東京ホールディングス代表、中村 泰治氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

 

会社名称 株式会社ミッド東京ホールディングス
代表者 中村 泰治
設立 1999年
主な事業 小動物臨床(動物病院)
社員数 140名(取材時)
会社所在地 東京都新宿区高田馬場2-15-2 3F
会社HP https://mid-tokyo-hds.co.jp/veterinarian/

https://www.mejirodori-amc.com/

https://shinmejiro-mri.com/

https://amc-megurochuo.com/

 

事業紹介をお願いします

我々の動物病院グループは、今年で創業26年目を迎えます。「動物の医療を人の医療に近づける」という使命のもと、CTやMRIといった先端医療機器を導入し、心臓外科・脳外科・腹腔鏡外科、人工透析など、動物医療の中でも半歩先を行く高度な治療を提供しています。

現在東京都内に16病院を構え、今までは東京のみで事業展開をしてきましたが、今後は日本全体の動物医療を支える企業となるために、沖縄・山陰・九州・東北といった地域にも病院展開を開始し、より広範な地域で動物と飼い主さんを支える体制づくりを進めています。

 

東京と全国の展開はどのように分けて運営しているのですか?

東京では、北西部エリアを「小滝橋動物病院グループ」、南西部エリアを「動物医療センターグループ」そして、東京都以外の病院を第3グループとして展開しています。3つのグループはいくつかの会社に分かれているため、それらの会社をまとめる形で持ち株会社のミッド東京ホールディングスを設立しました。東京を中心に、全国の動物医療の向上に貢献していくという意味を込めています。

東京以外の病院については、別会社「テンステーツ(Ten States)」を設立し、同社が運営しています。もともとは沖縄での病院運営を想定して立ち上げた会社ですが、現在は全国の病院運営を一括して担っています。

 

ミッド東京ホールディングスとして注力されていることはありますか?

現在、日本は少子高齢化が進み、65歳以上の方が約3,500万人、全体の約29%を占めています。しかし、75歳を超えると動物を飼うのが難しくなる方も増え、最近では65歳でも飼わない方が増えてきています。理由としては、動物を連れて外出しにくい、ペット可の住居が少ない、あるいは日本ではまだ動物に対する抵抗感が強い方が多く、「旅行に行けなくなる」「死んだときがつらい」といったネガティブな理由で飼育を諦めるケースも少なくありません。

しかし、動物と暮らすことで得られるメリットは、非常に大きいと考えています。孤独感が和らぎ、心の支えになる、夫婦の会話が増える、散歩を通じてコミュニティが広がる、健康のための運動習慣が身につくなど、生活の質が大きく向上します。さらに、動物と触れ合うことでストレスホルモンが減少し、オキシトシンやセロトニンが分泌され、血圧や免疫力、筋力にも良い影響があるというデータもあることから、結果として、平均健康寿命の延伸や社会保障費の抑制にもつながると考えています。

私たちが上場を目指している理由の一つも、こうした社会課題の解決に貢献したいからです。一つの個人病院では社会を変えることはできませんが、業界全体のある程度のシェアを持ち、上場企業となれば、社会的信用を確立することでより大きなインパクトを生み出すことができ、誰もが知っている大企業との協業もできるかもしれません。

また、私は現在55歳になり、これまで業界からいただいた恩を今度は次の世代に返していきたいと考えています。後輩たちが胸を張ってこの仕事を続けられる環境を整え、子どもたちが「将来は獣医になりたい」と思えるような魅力ある職業にしていきたい。業界内でのパイの奪い合いではなく、動物医療全体のパイを広げることに貢献していけるよう邁進しています。

 

動物を飼う際は、現実問題としてお金がネックになることもあると思います。特に動物の治療は高額になるものもありますが、高齢者が動物を飼ううえでの費用負担についてはどのようにお考えでいらっしゃいますか?

おっしゃるとおり、動物を飼うにはどうしてもお金がかかりますし、飼い主の懐事情は動物にも大きく影響します。

例えば、港区にある病院に通われる飼い主さんは比較的経済的にも、時間にも余裕があり、落ち着いた飼い方をされている方が多い印象です。ワンちゃんもリードを強く引っ張ったり吠えたりすることが少なく、きちんとアイコンタクトが取れ、パートナーのような関係性を築かれています。そうした飼育環境では犬も安定していて、病気にもなりにくい傾向があるように感じます。

一方で、経済的に余裕のない方が心の拠り所として動物を迎え、結果的に多頭飼育崩壊につながるケースも見てきました。誰でも簡単に飼える現状は喜ばしい一方で、動物福祉の観点からは課題も残ります。

その解決策として、私は「動物税」や「免許制」の導入が必要ではないかと考えています。ドイツでは1頭飼うごとに税金がかかり、その税金は動物に関するインフラ整備に充てられます。免許制については、仮免許を取得して一定期間飼育をシミュレーションし、最終的に本免許を取得して飼い始める――そんな仕組みがあっても良いのではないかと考えています。

また、飼い主とペットの関係が「共依存」になってしまうケースもあります。強い愛情ゆえにペットが分離不安症を引き起こしたり、ペットが亡くなった後に飼い主さんが精神的に不安定になってしまうペットロスと呼ばれる状態になることがあります。こうした問題も、免許を取得する過程で、ペットとの関係性や真の愛情などを学ぶことで防ぐことができます。

動物を飼うことで人間の心が安定することは素晴らしいことですが、同時に動物自身も幸せであることを考えなければなりません。お金がないから十分な医療や食事を与えられず結果的に動物が不幸になってしまうなら、それは避けるべきです。少し冷たいようですが、私は「飼う前に本当に飼えるかどうか」をしっかり考える仕組みが必要だと思っています。

 

ここからは中村先生のことをお聞かせください。子ども時代や学生時代に熱中して打ち込んでいたことはありましたか?

小学生の頃は昆虫採集に夢中で、「昆虫博士」になりたいと思っていました。ただ、そんな職業はあまりないのだと知って、少しがっかりした記憶があります。野良犬や野良ニワトリを飼ってみたり、セキセイインコを大量に繁殖したり、とにかく動物や生き物と関わることが好きでしたね。特にニワトリは毎朝鳴き声が響いて大変でしたが、それでも面白がって飼っていました。

母が動物好きだったので、そうした血を引いているのだろうと感じています。動物好きの原点は、やはり子ども時代のそうした経験にあると思います。

 

明確に「獣医になりたい」と思ったのは、いつ頃だったのでしょうか?

高校生の頃です。これといった明確なきっかけがあったわけではありませんが、小学生の時にはものすごい英才教育を受けていて、さまざまな塾に通っていました。しかし途中でドロップアウトしてしまい、中学、高校の大事な時期は遊びと部活に夢中になっていました。両親が医師にしたかったようなので、人間の医師になるという選択肢は選びませんでしたが、動物好きだったこともあり、「獣医ならいいかもしれない」と思うようになりました。

「将来は獣医師になる」という目標が定まったことで、猛勉強をし、なんとか獣医大学に受かることができました。当時は独立開業までは考えておらず、とにかく獣医師として働きたい一心でした。

そして大学卒業後は動物病院に就職しましたが、当時はどの病院でも手取り18万円ほどが一般的な時代で、私も例外ではありませんでした。どの病院でも「最初の3年は修行期間」という考え方が当たり前でしたね。

朝8時に出勤してから翌朝の8時まで病院に泊まり込み、他のスタッフを迎え入れてそのまま夜まで働く、1回の勤務で36時間以上病院にいるという日も珍しくありませんでした。「徹底的に修行して独立できる力をつけろ」というスタンスでがむしゃらに働き続けましたが、当時は誰もそれを不満に思わず、私自身も仕事が楽しかったので夢中で取り組んでいました。

 

修業時代はどのようなスタンスで仕事に取り組まれていましたか?

今の若い世代は情報が早く手に入り、まずは教えてもらって知識をインプットし、失敗しない状態になってから実践するという流れが多いと思います。しかし私たちの時代はまったく逆でした。現場では「やらなければ誰がやるのか」という状況が当たり前で、まず自分で考えて決断し、行動するしかありませんでした。

当時は教科書も今ほど整備されておらず、後から振り返ると間違っていた情報も多くありました。だからこそ、その場で自分の頭で判断し、正しいと思う選択を重ねるしかなかったのです。手術を見学する時も「次は自分が執刀する」という意識で見ていましたし、質問の質も自然と実践的になりました。

休日であっても、経験したことのない手術があると聞けば必ず見学に行きましたし、夜中に他院で珍しい症例があれば駆けつけて見せてもらいました。95年当時はまだインターネットも発達していなかったため、今働いている現場で出てくる新しい知識や技術はすべて自分から取りに行かなければ成長できない。まさに崖っぷちに立たされているような感覚で、常に能動的に学ぶ姿勢が求められた時代でした。

 

今のご自身を形づくった経験や、やっておいてよかったと思うエピソードはありますか?

私を育ててくれたのは、間違いなく2人の師匠のおかげだと思っています。

最初に勤めたのは市ヶ谷の病院で、そこでは最初の1年間、とにかく細かいところまで徹底的に指導され、毎日のように叱られていました。ですが、その1年で基礎を徹底的に叩き込まれたおかげで、2年目以降は一気に任されるようになりました。その後、上司が辞めたこともあり、ほぼ院長のような状態になり、最終的には師匠とは、1ヶ月に一度の給料日にしか顔を合わせないほど、ほぼ病院を任される状態になりました。しかし、失敗した時や困った時は必ず病院に来てくれて、助けてくれる。そして、十分に反省している時は絶対に叱らない、本当に優しい師匠でした。そうやって信頼され、任される中で、責任感と自律心が育まれました。この経験が、今の私の経営者、マネージャーの土台を作ってくれたと思います。

2人目の師匠は、動物や飼い主さんへの接し方、考え方がとても素晴らしい先生でした。それまでの私は、若さゆえに少し尖っていたり、自分がすごいと勘違いして天狗になっていた部分もあったと思います。ですが、その先生の姿勢を見て、「人間はこうあるべきだ」と強く感じました。単に技術を磨くだけでなく、人としての徳を積み、周囲から信頼され、自然と人が集まってくるような存在にならなければ、真の医療人ではないと学ばせていただきました。

今の私があるのは、この2人の師匠のおかげです。最初の師匠からは仕事の基礎や考える力を、2番目の師匠からは人間としての在り方を学びました。間違いなく、私の経営者としての原点はこの2人に育ててもらったからだと感じています。

 

働きながら開業を目指されていましたが、実際に独立開業された当初はどのようなビジョンをお持ちだったのでしょうか

開業当初は、正直に言えば自分のことしか考えていませんでした。「この車に乗りたい」「東京に一戸建てを建てたい」といった個人的な欲求がモチベーションの中心だったと思います。

しかし、開業から8年ほど経った頃、状況が変わりました。もともと勉強は好きだったので専門書を読み漁り、セミナーにも足を運び、仲間と協力して難しい手術に取り組むなどしていましたが、それでも「ここから先は分からない」「この病気はもう治せない」という壁に突き当たることが増えてきました。

そんなとき、麻布大学獣医学部の外科研究室で研修生として学べる機会を得ました。週2日の休みのうち1日を大学で過ごし、CTやMRIを用いた診断や治療を実際に学ぶことで、教科書だけでは得られない知識と経験を身につけることができました。「こうやって診断するのか、治療するのか」「この機械があればもっと助けられる命がある」と実感し、設備投資への意欲も高まりました。

この3年間の学びは非常に大きく、そこで得た知識や技術がきっかけとなり、2011年から分院展開を本格的にスタートさせていきました。開業当初は自分の夢のためだった病院経営が、次第に「より多くの命を救うための病院づくり」へと変わっていったのです。

 

1995年当時、ペットに対する高度医療の提供はどの程度普及していたのでしょうか?

そうですね、今から30年前は本当に高度医療というものはほとんど普及していませんでした。たとえば、現在ではレントゲン撮影をするとすぐに画像がモニターに映し出され、ネットワークが繋がっていれば、遠く離れた場所で画像診断に詳しい獣医と同時に映像を見ながら相談ができます。「少し体勢が悪かったからもう一度撮り直そう」という場合もすぐに取り直すことができますよね。

しかし、30年前はやっと自動現像機が出始めた頃で、その機械がない病院も多かったので、その場合には撮影後に暗室に入り、現像液にフィルムを浸して数分待ち、次に定着液に浸して、さらに洗浄液に入れて……と、何工程も経た後に洗濯ばさみで吊るして乾かし、ようやくシャーカステン(観察用ライトボックス)にかけて確認する、という流れでした。

この作業には1枚あたり10分ほどかかるため、撮り直しも簡単ではなく、ほとんど“一発勝負”のような感覚でした。今では当たり前の「すぐに確認して撮り直す」というスピード感はまったくなかった時代ですね。

 

2011年の東日本大震災でのご経験は、先生にとって大きな転機になったと伺いました。当時どのような出来事があったのでしょうか

2008年から大学病院で学び始め、2011年の初めに研修を終えて大学病院を辞めた直後、震災が発生しました。知人がすでに現地でボランティア活動をしており、応援の要請があったため私も現地へ向かいました。

現地は、言葉では言い表せないほどの惨状でした。一瞬で多くの命が奪われ、大切な人を失った方々を目の当たりにし、「自分は何をしているのか」「このままでいいのか」と強く考えさせられました。それまでどちらかというと自分のことばかり考えていましたが、社会や人のために何かを残さなければならないと強く感じた瞬間でした。

現地では、飼い主と離ればなれになった犬や猫を保護し、飼い主を探して再会させる活動を行いました。東京ではマイクロチップが普及しており飼い主の特定が容易ですが、被災地ではほとんど入っておらず、写真や似顔絵を頼りに捜索して引き渡しを行いました。

また、水溜まりに取り残された魚を海へ戻したり、病気になった動物の治療や手術を無償で行ったりと、現場でできることは何でもやりました。私は避難所を回り、動物を探している人を見つけて情報をつなぐ役割を担うことも多かったです。

当時の避難所では「同行避難」といって、動物と一緒に避難できる場所もありましたが、運用はさまざまでした。敷地内に受け入れている避難所もあれば、ケージに入れられて建物の外に置かれる場所、あるいは動物の受け入れをまったく許可していない場所もあり、状況は地域ごとに異なりました。

震災での経験は、命や社会に対する考え方を大きく変えるきっかけになりました。

 

独立開業後、経営者として特に苦労されたことはありますか?

やはり一番の苦労は「人を育てること」だと思います。経営をしていて資金繰りに困ったり、飼い主様とのトラブルで訴訟になったりといった経験はありません。もちろん、全力で治療したにもかかわらず結果が共なわず、お叱りをいただいたことはありますが、幸いなことに訴訟にまで発展したことはありませんでした。

それでも、組織が大きくなるにつれて、人に関する悩みは常に尽きませんでした。よく「10人の壁」「30人の壁」「50人の壁」と言われますが、まさにその通りで、人数が増えるステージごとに別次元のマネジメントで悩み、涙を流したこともあります。

「こんなにしてあげたのに」という思いが湧いてしまうこともありましたし、ナンバー2・ナンバー3となる幹部人材をうまく育成できず、組織づくりが追いつかない時期もありました。中には、変化に対してポジティブに捉えられず、周囲をネガティブな方向に引っ張ってしまう人も出てきました。

組織論でいう「2-6-2の法則」でいえば、下位の2割がただ働かないだけならまだいいのですが、逆に周囲を巻き込んで不満を広げると真ん中の6が下位に引っ張られてしまいます。過去には、役員クラスのスタッフが会社や私に対して反対意見を広め、最終的に一斉に社員が辞めてしまうといったことも経験しました。信頼して任せていた人が裏で足を引っ張っていたと知ったときは、本当に心が痛みました。

経営者として、こうした「人に関する苦労」は今もなお続いていますが、それは私に足りないことを教えてくれている有難い存在として受け止め、組織づくりのヒントなのだと捉えています。

 

その問題が起きる原因はどこにあるとお考えですか?

獣医師という職業柄、ほとんどの人が「動物を助けたい」という強い気持ちを持っています。飼い主様や動物のために役立ちたいという思いもあり、教育と経験を重ねることで、ある程度までは大体の獣医師は成長していきます。ここまでは特に大きな問題を起こしません。

問題は、その次の段階に進むタイミングで起きます。一人前の獣医師として仕事ができるようになり、飼い主様からの信頼も得られている状態から、さらに上を目指して努力できるかできないかが決めてかと思います。

そして、上を目指さない人間が大体問題を起こす原因になります。特に院長になる手前のミドル層――入社3〜6年目くらいの層で起きやすいです。

本来ならば、次のキャリアステップに向けて挑戦し、努力する時期ですが、それをやめ、看護師や若手獣医師を巻き込んでいくケースです。「自分が成長しないのは環境のせい」という意識にとどまり、自分から環境を変えよう、自分で正解にしようとしない。結果として、不平不満を言うようになり、組織に悪影響を及ぼしていきます。

一方で、常に上を目指している人は、私と同じマインドを持っています。少し難しい課題を渡しても前向きに「やってみます」と受け止め、挑戦を成長の機会として捉えてくれます。しかし、ミドル層の中には損得勘定で物事を判断し、「こんなことをやらされている、手当がつくならやるけど、また病院が増えた」と裏で不満を言う人がいます。その瞬間、「こういう人にチャンスを与えてもネガティブに捉えてしまうので、与えるのは辞めよう」となってしまい、結果としてその人の成長機会が奪われてしまう。つまり、組織が崩れやすくなる原因は、このミドル層が次のステップに進まず停滞してしまうことにあると感じています。

ミドル層が順調に次のステップに上がってくれると次の世代がそのポジションに成長していくことができます。

 

問題解決のために、どのような取り組みをされていますか

まずは「上から変わる必要がある」と強く感じています。自分自身に足りない部分があるからこそ、そうした問題や人間が引き寄せられてしまうのではないかと考え、常に自己改善を意識しています。

具体的には、より大きな規模で事業を運営している経営者と積極的に会い、学びを得るようにしています。また、本を読み込み、知見を広げることも欠かしません。そして何より、自分自身のマインドがネガティブになっていては問題解決ができないと考えています。そのため、運動やサウナで汗をかくなどして、心身をリフレッシュし、ポジティブな状態を保つよう努めています。忙しくなると時間軸や空間軸が狭くなりがちなので、あえて時間をつくり、一人でじっくり考える時間や、人と会う機会を意識的に確保しています。

一方で、現場の採用や初期のコミュニケーションにも注力しています。特にミドル層は、新人を巻き込んで不満を広げようとするため、入社初期から経営陣との接点を増やし、良い方向に導くことを重視しています。

社内ではよく「後輩たちは穴の中にいて、経営陣は穴の外から引き上げようとしている」という比喩を使います。引き上げるのは重労働ですが、下から足を引っ張るのは簡単です。だから今は、経営陣も穴の中に一緒に降りて、お尻を押し上げる人と穴の外から引き上げる人の両方が必要だ、と伝えています。また、“引き上げ方”には色々な形があると思います。例えば、目標となる人の存在や、励まし合えるライバルの存在などです。そうした存在がきっかけとなり、自分自身で壁を乗り越えてくれれば一番良いのですが、やはり人を育てるというのは本当に大変だと感じます。

上級医の多くが自己完結型に走りがちで、自分の得意な分野の知識や技術にはとても興味があるのですが、後輩のことや周りのスタッフを巻き込むようなマネジメントにはあまり興味がなかったりします。飲み会などで後輩を巻き込み、全体をまとめるような動きはあまりしていません。

しかし、自己実現が途中で止まってしまったミドル層は違います。一生懸命に周りのスタッフの信頼を得る努力をして仲間を作り、社長の批判をして、不平不満を言って現実から逃げてしまい、最後は居場所が無くなり辞めていきます。

しかし、経営者としてそうした人たちに「ワクワクするビジョン」を示せなかった私が悪く、すべてのスタッフが前向きに挑戦できるような仕組みや空気をつくることができなかった私の責任です。今は申し訳なかったと思っています。

 

今後の展望について教えてください

今後の展望としては、まず「動物インフラ」の整備が重要だと考えています。具体的には、動物をより飼いやすい社会環境をつくること、適正な飼育や適正な販売を広めていくことが必要です。

また、65歳で犬や猫を迎えた方が、自身が80歳になったときに飼育が難しくなった場合のセーフティーネットも必要です。ペット信託や、老犬ホーム、里親マッチングといった救済の仕組みを整備する事業にも取り組む必要があると考えています。

現在、国内の犬の数は約600万頭で、5000万世帯のうち約12%にとどまっています。少子高齢化や日本の国力の低下、所得の減少、共働き家庭の増加などの影響で、犬を飼う世帯は徐々に減少しています。しかし、動物を飼うことには多くの社会的メリットがあります。

たとえば、子どもが自立心を育み、心に余裕が生まれ、他者への共感力が高まること、命の大切さを学ぶことなどが挙げられます。現代はスマホやゲーム、漫画などの影響で、命が軽んじられるような表現に触れる機会も増え、また一人っ子で他者と関わる機会が少ないまま育つ子どもも多くいます。結果として、引きこもりや自殺者の増加といった社会問題も深刻化しています。

だからこそ、子どものいる家庭でも動物を飼いやすい社会にすることが重要だと考えています。現状はまだ「飼いにくい社会」であると感じるため、それを変えていきたい。そのために、より大きな社会的影響力を持つ企業となるべく、IPOの準備を進めています。


他の経営者におすすめの本のご紹介をお願いいたします

喜多川泰さんの『賢者の書』がおすすめです。これは大人が読んでも非常に学びが多い本で、10人の賢者が登場し、それぞれが「行動しなければ結果は変わらない」「あなたには大きな可能性がある」「日常で発する言葉はとても大切だ」といったメッセージを伝えてくれます。とても読みやすく、1日で一気に読める内容なので、私自身も時々読み返しています。

また、村松大輔さんの『「自分発振」で願いをかなえる方法』もおすすめです。量子力学をベースにした本ですが、専門的な物理の話というよりも「自分の思考が細胞1つひとつから発信され、現実を変えていく」という考え方が中心です。明るく前向きな心の持ち方が周囲にも影響を与え、「この人についていこう」と思わせるパワーは、まさに内面からにじみ出るものだと感じます。

中村天風さんの著作にも通じるように、昔から「心の持ち方が人生を左右する」という教えは語られてきましたが、村松さんの本はそれを現代的にわかりやすく書き直してくれていると感じます。

そして、診断や治療の最前線を紹介し、ペットの「こんなとき、どうする?」という悩みにも、症状別に分かりやすく解説している、拙著『もしものためのペット専門医療』もぜひ読んでいただけると嬉しいです。

『賢者の書』喜多川 泰 (著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4887597339

『「自分発振」で願いをかなえる方法』村松大輔 (著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4763137190

 

投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
『社長の履歴書』編集部
企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。

企業出版のノウハウを活かした記事制作を行うことで、社長のブランディング、企業の信頼度向上に貢献してまいります。