注目キーワード
  1. 創業
  2. 二代目
  3. 社員
  4. 家業
  5. お金

株式会社ランドネット代表 榮 章博氏

今回は株式会社ランドネット代表、榮 章博氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

 

会社名称 株式会社ランドネット
代表者 榮 章博
設立 平成11年9月29日
主な事業 不動産投資事業
投資用中古マンションの売買・売買仲介・賃貸・賃貸仲介・賃貸管理
不動産コンサルティング
不動産投資セミナーの開催
不動産賃貸事業 リノベーション事業・リフォーム事業
不動産クラウドファンディング事業
社員数 950名(2025年7月時点)
※従業員数は、社内外の役員を除き、正社員、契約社員、パートタイム従業員、派遣社員、および業務委託契約に基づく人員を含んでおります(取材時)
会社所在地 〒171-0022 東京都豊島区南池袋1-16-15 ダイヤゲート池袋 7階
会社HP https://landnet.co.jp/

 

事業紹介をお願いします

株式会社ランドネットは、人生100年時代を見据え、「最新のテクノロジーと独自のデータベースを活用し、不動産を流通・再生・運用し、世界を変える」ことを企業理念としています。

中古マンションの売買・仲介・賃貸管理・リフォーム・リノベーションを一貫して手がけ、特にオーナーから物件を直接仕入れる「ダイレクト不動産」を強みとしています。さらに、自社開発のシステムによる業務効率化を進め、2021年7月には東証JASDAQスタンダード市場に上場しました。

数ある不動産企業の中でも、当社はテクノロジーとデータを活かし、新しい価値を創出する点が大きな特徴です。これにより、中古不動産の可能性を最大限に引き出し、不動産業界に新たな変革をもたらしています。

 

築年数と設備の陳腐化という不動産業界の2大課題に対して、ランドネットではどのような対策をしていますか?

不動産業界において、築年数の経過や設備の陳腐化スピードの加速は大きな課題の一つです。こうした課題に対して、当社では「あんしん保証」という独自の仕組みを導入しています。

中古物件を購入する際、多くのお客様が不安に感じるのが「本当に安心して使えるのか」という点です。そこで、通常2年とされる契約不適合責任(旧・瑕疵担保責任)の期間を、当社では3年間に延長。自社売主物件に関して、雨漏りや白蟻被害、漏水といったトラブルへの不安を長期的にカバーしています。

また、経年劣化しやすいエアコン・換気扇・給湯器・ユニットバスといった住宅設備に関しては、新品価格の約半額を上限に当社が修理・交換費用を保証。引き渡し後3年間、万が一の故障にも対応します。

さらに、当社では賃貸中の物件の取り扱いも多いため、家賃滞納に対する保証も設けています。物件引き渡し後3年以内に一度限り、最大6ヶ月分の家賃滞納が発生した場合には、当社が立て替え対応を行います。これら3つのサービスにより、お客様が築年数の古い物件でも安心して購入できる体制を整えています。

また、設備の陳腐化という観点では、築15年〜20年がひとつの転機になります。お子様の成長やライフスタイルの変化とともに、住み替えや売却を検討される方が増えるタイミングです。以前は、購入者がそのまま住み続けるケースが主流でしたが、近年は「リフォームして住む」という流れが一般的になっています。

 

この背景には、住宅設備の進化スピードがあります。例えば、15〜20年前のキッチン・浴室・トイレは現在と比べると見た目・機能ともに古さが目立ちます。液晶テレビを例にとってもわかるように、技術革新が早い分、住宅設備もすぐに古く感じられてしまうのです。

こうした変化を踏まえ、エンドユーザーが自ら5000万円の物件を購入し、さらに1000万円のリフォームを行うケースもありますが、リフォーム業者は小規模な会社も多く、契約内容を巡るトラブルが発生することもあります。

そこで当社では、お客様のニーズに応える形で「買取・リフォーム・販売」を一貫して自社で行う仕組みを整備。仲介会社を介さず、余分な手数料を抑えながら、安心して購入いただける体制を実現しています。これにより、設備の老朽化・陳腐化という不動産業界の構造的な課題にも対応しています。

 

とても誠実に事業を展開されていらっしゃるんですね

当社が何よりも大切にしているのは「誠実に事業に向き合う」という姿勢です。誠実に、一つひとつの仕事に真摯に取り組むことで、お客様にご満足いただき、結果としてリピーターの方々との信頼関係が生まれ、事業もより豊かに広がっていきます。

たとえば、先ほどご紹介した「買取・リフォーム・販売」とあわせて、当社では新たな取り組みとして「LSEED(エルシード)」という不動産クラウドファンディング事業も展開しています。これは、1万円から最大1,000万円までの少額投資で不動産に参加できる仕組みです。

上場企業として、配当利回りを明示したうえで商品を提供しており、これまでには年利3%〜8%の商品もありました。現在は年利3%前後で安定的に運用しています。クラファンを通じて、多くのお客様に不動産投資の仕組みや魅力を知っていただくことを目指しています。

こうした地道で誠実な取り組みの積み重ねが少しずつお客様の信頼につながっており、実際に当社のGoogleマイビジネスの評価は5点満点中4.0と高い水準に達しています。

これからも誠実な姿勢を貫きながら、お客様に心から喜んでいただける不動産サービスを提供し続けていきたいと考えています。

 

当社の事業内容の詳細は下記URLをご参照ください。

https://landnet.co.jp/

 

不動産クラウドファンディング事業「LSEED」はこちら

https://lseed.landnet.co.jp/?utm_source=hp/

 

ここからは榮社長のことをお聞かせください。学生時代に打ち込んだことはありますか?

高校で水泳部に入ったのですが、中学までは化学部に所属していて運動系の部活には縁がなかったので、正直、最初は周りについていくのが大変でした。周囲の部員は中学から続けている経験者ばかりで、私は明らかに遅れを取っていたのです。

それでもやはり悔しい気持ちが強かったため、「なんとか勝ちたい」と思いました。そこで挑戦したのが、400メートル、800メートル、1500メートルといった長距離の種目です。ここは練習がきついので敬遠する人も多く、だからこそ出場の機会もありました。天王寺高校や大手前高校との対抗戦で選手として泳ぐことができ、勝ち負けよりも選手として出場できることがすごく嬉しかったのを覚えています。

そして高校卒業後は2年間浪人しました。大学に入ってからはしばらくアルバイトばかりしていて、司法試験の勉強を始めたのは大学4年生になってからです。そこから3年間挑戦しましたが結果が出ず、結構落ち込みました。

そのときに考えたのが、「大学受験も司法試験も、本当に集中できていたのか?」ということです。振り返ると、まだ甘さがあったなと反省しました。だからこそ、就職してからは仕事に集中しようと心に決めました。

これが、社会に出るときの原点だったように思います。

 

大学時代は弁護士を目指されていたとのことですが、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

正直なところ、弁護士を目指したきっかけはあまり格好いい話ではありません。2年間浪人をしてようやく大学に進学したものの、自分としては当時あまり納得のいく結果ではありませんでした。もちろん、今となってはとてもいい大学だったと思っていますが、当時は素直にそう思えませんでした。

そのため、「このままでは終われない」「何かで挽回したい」という負けず嫌いな気持ちが強く、法学部に進学したこともあり、「じゃあ弁護士を目指そう」と思い立ちました。

今振り返ると、どこか踏ん張りが足りなかったというか、集中しきれていなかった部分もあります。調子のよいときもありましたが、段々と「これはもう難しいかもしれない」と感じ、挑戦をやめました。

 

大学生活は勉強漬けだったのでしょか? それとも、アルバイトなどご経験されましたか?

大学時代は、いろいろなアルバイトを経験しました。交通整理や家庭教師もやりましたが、一番印象に残っているのは、原宿のマンションで管理人をしていた仕事です。夕方6時ごろから翌朝9時〜10時くらいまで泊まり込みの勤務で、お風呂も完備されていました。かなり有名なタレントの方々も住んでいて、当時はちょっとした特別な空気を感じていましたね。

そのほか、軽井沢のプリンスホテルでコテージのベッドメイキングの仕事も泊まり込みで1〜2か月ほど経験しました。ウェイターの仕事もやりましたし、ビジネスホテルのキッチンでのバイトも印象に残っています。夜7時くらいから入り、レストランの仕込みや夜のバーカウンターの仕事をして、翌朝は朝食の提供までというかなりハードでしたが、その分しっかり稼げました。

しかしながら、学生生活は正直あまりエンジョイしていたという実感がありません。友人たちが有名国立大学に進学していたこともあり、どこか悔しい気持ちを抱えながら過ごしていました。

とはいえ、振り返れば面白いこともたくさんありました。

部屋にはテレビを置かず、その代わりによく映画館へ足を運びました。当時は2本立て、3本立ての上映も多く、ひとりでじっくり映画を見る時間が好きでした。それから少し意外かもしれませんが、1年間だけモダンダンスにも挑戦しました。友人に誘われたのがきっかけでしたが、1年間練習を続けて、最後は草月ホールにも立ちました。

水泳部の同級生たちが花束を持って応援に来てくれて、あのときの思い出は、自分にとって大きな財産です。

 

学生時代に起業を考えていらっしゃいましたか?

学生時代に「起業」という言葉を強く意識していたかというと、実はそうではありません。ただ、きっかけになるような出来事はいくつかありました。

中学生の頃、高校進学前によく十三駅のあたりに行っていて、そのときにたまたま手に取ったのが『マーフィーの法則』という本でした。タイトルは「思いは実現する」といった内容だったと記憶しています。しかし当時の私は「そんなことあるわけない」と思っていました。水泳部でいくら頑張ってもなかなか勝てなかったですし、進学校だったので成績も450人中かなり下のほう。そんな状況だったので、素直に信じることができませんでした。

それでも、なぜか心に引っかかる本でした。同じ頃、司馬遼太郎の作品も読み込んでいました。『国取り物語』など、信長・秀吉・斎藤道三の時代の物語を読み、人間関係の駆け引きや国を動かすスケールの大きさに強く惹かれていました。

学園のマドンナ的な存在の友人にその話をしたら、「そんな夢みたいなこと考えてないで、目の前のこと頑張るしかないでしょ」と言われ「まあ、そうだよな」と思いました。当時は起業という言葉が、現実的なイメージにはまだなっていなかったですね。

ただ、心のどこかに「いつか自分で何かをしたい」という気持ちは確かにありました。2年間浪人したときも、その経験がどこかで役に立つんじゃないかと考えていた節があります。

 

株式会社大京住宅流通に就職された経緯を教えてください

育った時代や土地が大きく影響しています。私は大阪の吹田市民病院で生まれ、実家は今の御堂筋線・新大阪駅の敷地あたりにありました。もともとその場所に家があったのですが、新大阪駅の建設が決まって立ち退きになり、より駅に近い場所へ移りました。ところが、そこもまた再び立ち退きになることになります。駅ができる、街が大きく変わっていく、まさにその変化のど真ん中で育ちました。

1964年の東京オリンピックの年に新幹線が開通し、その数年後には日本のGDPが世界第2位になりました。ちょうどその時代の空気を、子どもながらに肌で感じていたと思います。

当時読んでいた漫画といえば、『巨人の星』や『あしたのジョー』『タイガーマスク』といった、いわゆるスポ根もの。どれも「成長と発展」だけを信じて突き進むようなストーリーでした。周囲の街もどんどん発展していくのを見て、不動産というものに対して「面白いな」と感じ始めたのです。

もっとも、当時は自分が不動産業に進むとは思っていませんでした。司法試験の勉強をして、択一試験には受かったものの論文が書けずに挫折。法律の知識はある程度身についていたので、「じゃあ自分に何ができるか」と考えたときに浮かんだのが、金融と不動産でした。

27歳で就職活動を始めたとき、金融機関も受けましたが、当時入れそうだったのは消費者金融のみ。しかしそれでは自分のやりたいこととは違うと感じ、不動産業界に目を向けました。そして、株式会社大京住宅流通に入社することになります。

子どもの頃に街の変化を目の当たりにした体験が、結果的に不動産業界に進むきっかけの一つになりました。

 

社会人時代に経験したお仕事のなかで「この経験があったからいまの自分がいる」または「この経験が今の事業に活きている」エピソードはお持ちでしょうか?

大京に入社したとき、私はすでに27歳でした。本当は営業職を希望していたのですが、当時の不動産業界はかなり荒っぽい印象があったことから、まずは事務方で入ろうと決めました。

面接を受けたときに、たまたま同じ大学出身の先輩がいたご縁もあり、経営企画室に配属されることになりました。そこでは、不動産業の仕組みや宅建業法を踏まえた経営計画の策定、業務フローやマニュアルの作成、そしてシステム開発のサポートなどを担当しました。法学部出身ということもあり、契約書や合意書の作成にも携わっていました。

このときの経験は、今の経営にすべて活きています。経営計画の立て方も、市場調査も、情報収集も、法律の知識を踏まえたうえで意思決定できる力も、この時期に身につけました。

事務職として約6年間勤務したあと、営業職に異動しました。社内のシステムや業務をすべて理解したうえでの異動だったので、営業に移ってすぐに成果を出すことができました。記憶では、12月1日に異動して、翌年の3〜4月には全体でナンバー2の営業成績を出していたと思います。その後も退職するまで数字を伸ばし続けました。

このとき培ったノウハウや経験は、今のランドネットの事業基盤にそのままつながっています。

 

起業しようと考えたのは、いつ頃だったのでしょうか?

起業について明確に考えるようになったのは、実はかなり後になってからです。学生時代から『マーフィーの法則』や『道は開ける』といった自己啓発系の本や成功哲学の本を読んではいましたが、いざ会社に就職して「独立しよう」と思えるかというと、怖さがあって行動に移すことはできませんでした。大京というブランドのない状態で、自分が本当に戦えるのかという不安が大きくありました。

そんなとき、母が病気になって集中治療室に入り、退院した後も薬の影響で再び入院するような状況が続きました。その姿を見て、「今の自分の力では、母をこちらに呼ぶこともできない」と痛感しました。そのとき、「一か八かやってみよう」という気持ちが芽生えました。これが大きな転機だったと思います。

もちろん、もともと独立への思いはありましたが、当時は会社の中でそれなりのポジションまで来ていたので、踏み切るには相当の覚悟が必要でした。それでも、やってみようと思えたのは、母の存在が大きかったです。

 

そこから会社を大きくしようと思われたタイミングはいつだったのでしょうか?

経営企画室にいた頃、上場を目指すというプロジェクトがあり、その準備に携わっていました。2部上場の予定でしたがちょうどそのタイミングでバブルが崩壊し、計画は白紙になってしまいました。

当時の上司と一緒に、「この会社を上場させよう」と本気で取り組んでいただけに、その挫折は大きいものでした。だからこそ、自分が独立したときも、頭の片隅には「いつか自分の会社を上場させたい」という思いがありました。最初はアパート2棟を持てば生活できる、という最低限の考えからスタートしましたが、もし軌道に乗れば、上場も視野に入れたいと考えていました。

とはいえ、会社を大きくするというのはそんなに簡単なことではありません。1999年に創業してから、最初の10年は本当に大変でした。業績は伸びていたものの、社内の人間関係が複雑になり、営業部の半分近くが辞めるような事態もありました。なんとか補充しながら会社を回していましたが、当時はまさに踏ん張りどころでした。

そんなときに盛和塾に出会い、2010年に入塾し、経営について多くのことを学びました。特に、「全社員が経営者として働ける環境をつくる」という考え方が、自分の中で大きな転機になりました。裏を返せば、会社の状況をすべてオープンにして、共に会社を支えてくれる仲間をどれだけ増やせるか、ということです。

正直、あの時期が会社にとっても自分にとっても一番大変な時期でした。あの苦しい時期を乗り越えたことで、今の会社の基盤ができたと感じています。そのため、実はあの頃ほど大変な思いは、その後はしていません。

 

盛和塾に入塾されたきっかけを教えてください

盛和塾に入塾したのは、ちょうど50歳のときです。2009年に会社の中でいろいろなことが起きて、2010年1月18日の日経新聞で「稲盛和夫さんが日本航空のCEOに就任した」という記事を読んだのがきっかけでした。「すごい人がいるな」と思って読み進めていくと、稲盛さんは鹿児島出身で、西郷隆盛や大久保利通といった歴史上の偉人と同じ地域の生まれだと知り、強く印象に残りました。

そしてその翌日、1月19日に盛和塾の体験入塾に参加し、1ヶ月後に正式に入塾しました。ちょうど私の誕生日が2月19日なので、「50歳の誕生日=盛和塾での学びのスタート」という形になったのを、今でもはっきり覚えています。

 

入塾して最初に衝撃を受けたのが、稲盛さんの言葉の一つ、「感性的な悩みをしない」という考え方でした。京セラを創業し、KDDIをつくり、日本航空を再生させたような人でも「感性的な悩みをしない」と自分に言い聞かせている。つまり、稲盛さん自身も悩むことがあるということです。

当時の私は、会社の業績や社員との関係で不安を抱えることが多く、その不安を知らず知らずのうちに社員にぶつけてしまっていました。朝起きて天気が曇っているだけで「会社は大丈夫かな」と不安になる。雨が降ると「売上が落ちるんじゃないか」と心配になる。そんな小さな不安が積み重なって、社員との衝突にもつながっていました。

しかし、「感性的な悩みをしない」という言葉に出会い、自分の心の中で整理してから行動することの大切さを学びました。実際にそれを意識し始めてから、社員の離職が大幅に減りました。あれだけ多くの人が辞めていたのに、3年間はほとんど退職者が出なかったのです。

もちろん、それですべてが解決したわけではありません。3年後には再び辞める人も出ましたし、経営には常にいろいろなことがあります。それでも、あのとき学んだ「感性的な悩みをしない」という姿勢は、今もずっと自分の根っこにあります。今では社員との衝突もほとんどなくなり、あったとしてもすぐに自分を省みるようになりました。

盛和塾との出会いは、経営者としての考え方を大きく変えるきっかけになりました。

 

盛和塾で学ばれたことのなかで、強く印象に残っていることはありますか?

盛和塾で学んだ中で特に印象に残っているのが「能力は未来進行形で考える」という教えです。

たとえば、仮にうちの会社が「三井不動産を超える」と言ったら、普通は「そんなバカな」と思われるでしょう。でもこの教えは、いきなりそこを目指すのではなく、「ここまで行って、次にここまで行って、さらにここまで到達すれば、結果的にそこに届くかもしれない」というように、段階的に未来を描く考え方です。

稲盛さんは、「今の時点でできるかできないかではなく、2年後、3年後の自分たちの姿を前提にして考えることが大切だ」とおっしゃっていました。この「能力は未来進行形で考える」という考え方は、本当に力強い言葉ですし、今でも経営の中で意識しています。

また、当社の経営の根底には、稲盛和夫氏が掲げる「利他の心」という考え方があります。これは私自身、まだまだ実践しきれていないと感じている部分でもありますが、常に意識し続けている大切な指針です。

そしてもう一つ大事にしているのが、「全員が経営者として動く」という考え方です。組織全体で同じ方向を向き、経営者の視点を共有できる会社づくりをどう進めるか。これは、私自身が経営をしていくうえでずっと大切にしてきたことです。

 

「全員が経営者として考える」という考え方について、具体的にどのように実務に落とし込んでいるのかを教えてください

「全員が経営者として考える」とは、単に目の前の業務をこなすのではなく、「何が正しいのか」「お客様にとって本当に価値のある対応は何か」を一人ひとりが自分ごととして考える姿勢を持つということです。

たとえば、中古不動産の売買においても、あんしん保証の活用や物件の提案の仕方など、お客様の状況に応じた丁寧な対応が求められます。なかには、相続の場面でご家族間に調整が必要なケースもあります。もちろんプライバシーや個人情報の問題もあるため、踏み込みすぎることは避けますが、見て見ぬふりをするのではなく、必要に応じて誠実に寄り添う姿勢を大切にしています。

営業メンバーに対しても「自分の言葉で、正しいと思うことをしっかり伝える」ことを常々伝えています。これは、全員が経営者の視点を持つという文化を根付かせるために欠かせない考え方です。

会社規模が拡大するなかで、この姿勢の重要性はさらに高まっています。現在、当社の売上は960億円規模、今期は1,000億円を超える見通しです。こうした成長の中で、社会的責任をしっかりと果たしながら、誠実な経営を実現していくことが、これからのランドネットの使命だと考えています。

 

今後の展望について教えてください

当社の企業理念は、「最新のテクノロジーと独自のデータベースを活用し、不動産を流通・再生・運用し、世界を変える」というものです。
近年はこの理念に加え、「不動産を、住まいとしてだけでなく、暮らしを支える資産として活用する」という考え方がますます重要になっています。

当社は今後、この理念をもとに、下記4つに注力してまいります。

 

1.不動産を「安心して暮らすための住まい」に

まずは、お客様が安心して暮らせる“住まい”を提供することが基本です。そのためにもこれまで取り組んできた「あんしん保証」などの仕組みをさらに強化し、安心・安全な暮らしの基盤をしっかりと整えていきます。

 

2.不動産を「資産」として活かす

不動産は単なる住まいではなく、「資産」として運用できる価値を持っています。
たとえばワンルームマンション(600万〜800万円台)から、2,800万〜3,000万円規模の物件、ファミリータイプの賃貸中物件、一棟アパート・一棟マンションまで、多様な選択肢があるからこそ、お客様の財政状況・勤務先・ライフステージに合わせ、最適な提案を行い、段階的な資産形成をサポートしていきます。最初から大規模な物件を購入する必要はなく、ワンルームからでも十分に可能性を広げられます。

 

3.ライフステージに応じた活用提案

ライフステージが変われば、不動産の活用方法も変わります。
たとえば、子どもが巣立った後に広い3LDKが不要になるケースも多く、そこから「売却」や「賃貸」という選択肢が生まれます。昔のように“家を代々受け継ぐ”のではなく、時代に合った柔軟な不動産活用が求められる時代ですので、それに合わせて提案の幅を広げてまいります。

 

4.資産運用の新しい選択肢

さらに資産が蓄積した方には、不動産クラウドファンディングの活用も提案していきます。
500万〜1,000万円程度の資金で、利回り約3%の運用を目指すことが可能です。実物資産の所有だけでなく、資産運用という観点からも不動産を活用できる仕組みを提供します。

 

最終的には、「不動産のことならランドネットに頼めばすべて解決できる」とお客様に言っていただけるような、総合的な不動産サービス企業を目指しています。くらしを支える「住まい」と、将来を支える「資産」という2つの側面から、お客様の人生を支えるパートナーであり続けたいと考えています。

 

他の経営者におすすめの本のご紹介をお願いいたします

おすすめの本はたくさんありますが、1冊挙げるとしたらロバート・A・ハインライン著『月は無慈悲な夜の女王』というSF小説です。SFは昔からよく読んでいて、特にこの作品は印象に残っています。

あとは、何度も読み返した本でいうと『エースをねらえ!』ですね。これは妻と二人で読んでいました。

それから、司馬遼太郎の『国取り物語』は本当に読み込んだ作品です。さらに『坂の上の雲』もよく読んでいます。明治時代の日本人が、自信を持って坂を上り、その先にある“雲”を目指して突き進んでいく姿勢が描かれていて、非常に勇気をもらえる作品です。

今の日本は、自信を失っている人が多いように思います。しかし、世界ではアニメや音楽、文化などを通じて“日本”が改めて注目されていると感じます。いわば、ジャポニズムがもう一度来ているような感覚です。

私は、日本という国は世界の他の国とはまったく違う独自性を持った国だと思っています。その魅力が今、世界に伝わり始めている。そうした時代のなかで、自分もビジネスを通じて貢献していきたいと思っています。

本を読んで心が震える瞬間があるかと思いますが、そういう意味では、『坂の上の雲』は特別な一冊です。『エースをねらえ!』も、「次の一手を読む」という考え方を学んだ作品として、今でも印象に残っています。

ぜひご一読ください。

『月は無慈悲な夜の女王』ロバート・A. ハインライン (著), 牧 眞司 (解説), Robert A. Heinlein (原名), 矢野 徹 (翻訳)

https://www.amazon.co.jp/dp/4150117489

『エースをねらえ!』山本鈴美香 (著)

https://www.amazon.co.jp/dp/B00L4ZMGFC

『国取り物語』司馬 遼太郎 (著) 

https://www.amazon.co.jp/dp/4101152047

『坂の上の雲』司馬遼太郎 (著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4167105764

 

 

 

投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
『社長の履歴書』編集部
企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。

企業出版のノウハウを活かした記事制作を行うことで、社長のブランディング、企業の信頼度向上に貢献してまいります。