今回は医療法人社団活寿会 ひざ関節症クリニック理事長、尾辻 正樹氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
会社名称 | 医療法人社団活寿会 ひざ関節症クリニック |
代表者 | 尾辻 正樹 |
設立 | 2015 |
主な事業 | 再生医療 ひざ痛専門 フレイル |
社員数 | 180名(取材時) |
会社所在地 | 東京都新宿区西新宿1-4-11 宝ビル9F |
会社HP | コーポレートサイト:https://www.knee.or.jp/
ひざ関節症クリニック:https://www.knee-joint.net/ |
事業紹介をお願いします
医療法人社団活寿会「ひざ関節症クリニック」は、全国で14院展開するひざ痛専門の再生医療クリニックです。再生医療は保険診療の対象外となる自由診療で提供される治療で、私たちのクリニックでもこの再生医療を用いて、ひざの痛みに悩む方に新しい選択肢を提供しています。
一般的な整形外科での変形性ひざ関節症の初期治療は、まず痛み止めや湿布といった薬の処方、リハビリ指導が中心です。それでも症状が改善しない場合には、関節にヒアルロン酸を注射して痛みを和らげる治療が行われます。しかし、変形が進行してくるとこれらの方法では効果が薄れ、次の選択肢として手術が検討されることになります。手術も、比較的軽度であれば関節鏡手術、骨の角度を矯正する骨切り術、重度の場合は人工関節置換術などが提案されます。
ただ、現実には「ヒアルロン酸注射」から「手術」へ一気に移行するという流れに大きなギャップがあり、患者さんにとって手術は心理的にも身体的にも大きなハードルとなっています。そこで、私たちのクリニックでは「注射と手術の間を埋める治療」として再生医療を提供しています。ご自身の血液や脂肪から取り出した成分を活用するため安全性が高く、手術を避けたい方や、もう少し別の選択肢を探したい方に新しい可能性を示すことができます。
再生医療とはどのようなものなのでしょうか?
当院では、大きく2種類の再生医療を提供しています。
ひとつは、患者さんご自身の血液を用い、その中の血小板から作り出す PRP-FD(PFC-FD)療法。もうひとつは、お腹の脂肪から採取した幹細胞を培養して増やし、患部に投与する 培養幹細胞治療 です。
ただ、「再生医療」という言葉が一人歩きしてしまい、“壊れたひざが完全に元に戻る” という期待を抱かれる方も少なくありません。しかし、長年かけて傷んだ組織を完全に元通りにすることは非常に難しく、再生医療を行ったからといって「若いころの膝」に戻るわけではありません。
私たちが目指しているのは、痛みの改善や関節機能の回復を通じて、生活の質(QOL)を維持・向上させることです。膝の痛みや機能低下は、日常生活動作(ADL)の低下に直結します。特に高齢の方では、ADLが落ちることで筋力が低下し、場合によっては認知症の発症リスクも高まり、最終的には寝たきりにつながる可能性があります。
だからこそ、「自分のことは自分でできる状態」「外出や趣味を楽しめる状態」を長く保てるよう、再生医療がサポートすることが大切だと考えています。患者さんが自分らしい生活を続けられるよう、私たちは最善の治療を提供していきます。
ヒアルロン酸注射では十分ではなく、かといって必ずしもすぐに手術をする必要があるほど重症ではない、という状態の患者さんに再生医療が適している、という理解でよろしいでしょうか?
はい、その認識でほぼ間違いありません。ヒアルロン酸注射は、変形が軽度の方ほど効果が出やすく、関節の隙間が潰れてしまっているような重度の方では効果が乏しいケースが多く見られます。再生医療についても、できるだけ早い段階で治療を開始していただく方が効果が期待しやすいと考えています。
大切なのは、ヒアルロン酸でも再生医療でも、早い段階から何らかの治療に取り組み、自分の膝の健康を維持することです。そうすることで、将来的に手術が必要となる状況に至る可能性を減らせます。
もっとも、再生医療で変形を完全に止めることは難しく、実際には進行を遅らせることが目的となります。痛みの強さは変形の程度と必ずしも一致しません。関節の炎症や骨の内部のダメージがあると痛みが強くなりますが、変形が進んでいても痛みが少ない方もいらっしゃいます。
当院ではMRI検査を用いて、半月板や軟骨、骨の状態まで丁寧に評価しています。炎症や骨の変化が見られる方は痛みが強く出やすく、その炎症が進行の引き金となることもあります。再生医療の役割は、炎症を抑えて関節のバランスを整え、進行をできるだけ緩やかにすること。その結果、膝をより長持ちさせ、生活の質を保つことが可能になります。
クリニックや再生医療についての詳細は下記URLをご参照ください。
・ブランドサイト https://www.knee-joint.net/
・YouTube https://www.youtube.com/@kneejoint
ここからは尾辻理事長のことをお聞かせください。学生時代打ち込んだことはありますか?
ずっと昔から運動が好きで、スポーツは何でも楽しんでいました。その中でも一番打ち込んだのは水泳です。小学校入学前からスイミングスクールに通い始め、小学校から高校までずっと水泳を続けていました。
幼少期の私はアレルギー体質でアトピーもあったため、最初は体力づくりのために親がスイミングスクールに通わせてくれましたが、級が上がるたびに達成感を覚え、小学生の頃は1~2か月に一度の進級テストが楽しみになりました。
そして3年生頃になると上級コースに進み、練習量や泳ぐ距離もどんどん増え、大会にも出場するようになりました。出場回数が増えるにつれて成績もついてきて、自己ベストが更新される喜びや、練習の成果を感じられる楽しさが大きなモチベーションになっていましたね。
水泳は対戦相手との勝ち負けというより、自分自身との戦いです。努力すれば確実にタイムが縮まることが実感でき、それが何よりの喜びでした。こうした経験が、今の仕事に取り組むうえでの土台になっていると感じています。
輝かしい成績を収めご活躍されていたので、水泳選手という道もあったと思いますが、どのタイミングで医師を目指そうと考えたのでしょうか?
水泳選手になりたいという思いも確かに心のどこかにはありました。ただ、将来的に自分がどんな仕事をするかと考えたとき、やはり医師という職業が最も身近に感じられました。
父も医師、母方の祖父も医師という家庭環境で育ったため、物心ついた頃から医療はとても身近な存在でしたし仕事のイメージもしやすかったことから自然と「将来は医師になるのだろうな」と考えていたように思います。
最初から整形外科に進もうと考えていたのでしょうか?
最初は「医師になる」という漠然とした考えしかなく、どの診療科を専門にするかまでは特に決めていませんでした。父は内科医でしたので当初は自分も内科に進む可能性を考えていた時期もあります。
しかし、スポーツがずっと好きだったこともあり、「どうせ医師になるなら、自分の好きなことに関わりながら仕事をしたい」と思うようになりました。もし医師になれなかったとしても運動やスポーツに関わる仕事を選びたいと考えていたくらいです。
そのため、医師として働くならスポーツや運動、ケガの治療といった領域に関われる整形外科が自分に合っていると感じ、整形外科を志望しました。
勤務医時代の経験や印象に残っていることを教えてください
医師になって最初の2年間は初期臨床研修としてさまざまな診療科を回りました。その後、整形外科を専門にすることを決め、鹿児島大学の整形外科医局に入局しました。
整形外科と一口に言っても、頭部と体幹以外の四肢や関節、さらには脊椎まで、全身に関わる幅広い領域を扱います。医局には手の外科、肩、膝、股関節、脊椎といった部位ごとのスペシャリストがそろっており、私はまずその基礎を満遍なく学びました。
勤務医として最初に重要なのは、外傷(骨折やけが)の治療を数多く経験し、外科手技の基礎を固めることです。大学病院や関連病院に派遣され、さまざまな症例の手術に立ち会いながら、技術と知識を積み重ねました。
そしてキャリアの後半では、肩や膝の関節鏡手術を専門とする先生方の下で研鑽を積む機会に恵まれました。高度な関節鏡の技術を学ぶ中で、次第に膝や関節の治療に強い興味を持つようになり、将来は膝を専門にしていくという方向性が固まりました。
この時期に整形外科医としての土台を築き、関節外科に進む決意を固められたことが現在の診療や理事長としての判断に大きく生きていると感じています。
埼玉県内の整形外科でのご経験について教えてください
2010年までは鹿児島で勤務していましたが、2011年から関東に拠点を移し、埼玉県内の整形外科で約7年間勤務しました。関東へ出てきたのは、スポーツ医療に本格的に携わりたいという思いが強かったからです。特に、プロサッカーチームのチームドクターとして活動することを目標にしていました。
当時、鹿児島にはまだJリーグ所属のクラブがなく、プロチームと関わる機会は限られていました。一方、埼玉には複数のJリーグチームがあり、プロ選手を診る機会が多い病院があったため、思い切って移住を決意しました。幸いその病院で働かせていただけることになり、実際にプロ選手の診察や治療に携わる貴重な経験を積むことができました。上司の先生方が診察する現場を見学したり、自分自身で診察を行ったりと、スポーツに深く関わる診療に携われたことは大きな財産となっています。
そして勤務の後半では、サッカーによる外傷、肉離れ、靭帯損傷など、多くのスポーツ障害を担当しました。当時の標準的な治療は、組織が自然に修復するのを待つ保存療法が中心でしたが、治癒までの期間を少しでも短縮できないかと考えるようになりました。ちょうどその頃、自己治癒を促進して回復を早める「PRP療法」が少しずつ導入され始めており、実際にチームドクターが用いて成果を上げている事例も見聞きしました。そうした経験が、私が再生医療に強く興味を持つきっかけになったと思います。
その後、勤務していたクリニックでも最終的に再生医療であるPRP治療を導入して実際に治療を行う機会があり、私にとってこれが再生医療を本格的に経験する最初の機会でした。ちなみに、当時はまだ変形性膝関節症への適応ではなく、主に慢性的な炎症や靱帯損傷などへの治療に用いていました。慢性的な痛みは、通常の保存療法では改善が遅かったり、そもそも効果が得られない症例も多くあります。そうした患者さんにPRP治療を行うことで、長年改善が見られなかった痛みが和らいだり、症状が少しずつ良い方向に向かっていく様子を目の当たりにしました。この経験を通じて、再生医療の可能性やポテンシャルを強く実感することができました。
そして、「もっと幅広い症例に応用できるのではないか」という思いが強まり、再生医療に関する情報を探し続ける中で、変形性膝関節症を含めた再生医療治療を専門的に行っているこのクリニックを知りました。手術以外の新たな選択肢を広めたいという気持ちから、再生医療をメインに取り組もうと決意し、当院への入職を決めました。
理事長に就任することは入職時からお話があったのですか?
理事長就任については、入職当初から決まっていたわけではなく、仕事を続ける中で声をかけていただいた形です。私が入職した2018年当時、ひざ関節症クリニックは東京の銀座・新宿・大宮の3院のみで、まだ小規模な組織でした。入職後に横浜院が新設され、私自身も横浜に赴任することになりましたが、その頃もまだ全国展開の初期段階で組織としてもこれから成長していくフェーズでした。
もちろん、創設者の先生とは当時からお話をする機会もありましたが、将来的なキャリアプランを具体的に取り決めていたわけではありません。まずは自分が担当するクリニックをしっかりと軌道に乗せ、再生医療の認知度を高め、社会における期待や役割を広めていくことに全力を注いでいました。
その結果、クリニックが着実に成長し、組織が全国展開へと大きく動き出す中で、「次のステージに進むために理事長をお願いしたい」という打診をいただきました。理事長就任は、まさにその積み重ねの延長線上にあったものだと感じています。
理事長就任当時のことを教えてください
理事長に就任した2022年はクリニックの数もかなり増えてきた頃です。その中で、私は新設院を含めて最も長く勤めている医師の一人となり、組織内でも“古株”の立場になっていました。
新しく入職した先生方への研修や、院同士をつなぐコミュニケーションの役割を担う機会も多く、自然と全体をまとめるポジションを務めることが増えていました。そうした流れの中で、「ぜひ理事長としてグループ全体を引っ張ってほしい」と打診をいただき、理事長に就任することになった、というのが経緯です。
理事長として経験したお仕事の中で大変だったことはありますか?
理事長という肩書きはいただいていますが、私の業務の中心はあくまで日々の診療です。経営や方針決定といった組織運営に関わる部分は、本部スタッフや理事会が中心となって取りまとめています。そのため、理事長になったことで極端に業務量が増えたという感覚はありません。
一方で、院の数やスタッフの数が増えるに伴い、組織全体の取りまとめや調整が必要になる場面は確実に増えました。すべてが円滑に進むわけではありませんので、現場から寄せられる不満や課題の声を拾い、できるだけ改善できるよう取り組んできました。
私自身が前に立って陣頭指揮を取るというよりは、周囲のスタッフと協力しながら、一緒に課題を解決していくというスタンスで進めてきた、というのが実際のところです。
理事長として大切にしている役割はどんなことですか?
現場の声を吸い上げて本部へ伝えること、そして本部の方針を現場へわかりやすく落とし込むことは、私が最も意識している役割のひとつです。
実際、このような取り組みは理事長になる前から、院長としての責任として行ってきました。スタッフが働きやすいと感じ、長くこの職場にいたいと思える環境を整えることが大切だと考えていたからです。
この仕事は医師だけでなく、看護師、コンシェルジュ、トレーナーなど、多職種のメンバーがチームとして関わるものです。現場の連携がうまくいかないと、患者さんへのサービスや最終的な業績にも影響してしまいます。そのため、組織全体がスムーズに回るよう、働きやすい職場環境をつくり、維持することが最も重要だと考えています。これは理事長就任後も一貫して大切にしている姿勢です。
職場環境づくりで重視していることを教えてください
職場環境を整える上で私が最も重視しているのはソフト面、特に人間関係とコミュニケーションです。ハード面については、私一人の裁量で整備できる範囲が限られますが、職場の雰囲気や空気感は日々の関わりの中で大きく変えられると考えています。
院長である医師の指示のもとで看護師やスタッフが働くという構造上、上下関係の距離が開きすぎるとスタッフが意見や提案を言いにくい雰囲気になり、職場全体の空気が滞ってしまいます。そうなると、改善すべきことが放置され、チームとしてうまく機能しなくなるリスクがあります。
そのため、私は日常的にスタッフと積極的にコミュニケーションを取り、些細なことでも気軽に言える雰囲気づくりを意識しています。少し言いにくいことも率直に話せる関係性を築くことで、現場の声を吸い上げやすくし、職場全体を円滑に回していくことを心がけています。
今後の展望について教えてください
現在、ひざ関節症クリニックは九州・福岡から北海道まで、全国でバランスよく展開できる体制が整っています。今後は、既存のクリニックを基盤としつつ、都市部だけでなく地方にも再生医療を広め、より多くの方に身近に感じていただける環境を整えていきたいと考えています。そのためには、広告や情報発信を通じて「再生医療とは何か」「どのような効果が期待できるのか」をわかりやすく伝えていくことが重要です。
変形性膝関節症に対する一般的な治療は、ヒアルロン酸注射や手術といった限られた選択肢しかないと考えている方がまだ多くいらっしゃいます。近年、再生医療の認知度は高まりつつありますが、依然として「言葉は知っているが内容はよくわからない」という方も少なくありません。そこで、私たちはYouTubeなども活用し、再生医療の魅力や実際の治療内容、治療後の変化などを積極的に発信し、認知度の向上に努めています。
目指すのは、再生医療が「特別な治療」ではなく、一般的な治療の選択肢として当たり前に考えられる社会です。通常の整形外科治療で効果が得られなかった場合の次の選択肢として、あるいは初期段階から再生医療を検討できるようになれば、早期に治療を開始することができ、膝の寿命や健康寿命の延伸にもつながります。
今後も、患者さま一人ひとりに真摯に向き合い、膝の状態が改善するための最適な治療を提供し続けるとともに、再生医療の社会的認知をさらに高めることで、手術に頼らず自分自身の膝を長く大切にできる社会づくりに貢献していきたいです。
投稿者プロフィール

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企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
企業出版のノウハウを活かした記事制作を行うことで、社長のブランディング、企業の信頼度向上に貢献してまいります。
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