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株式会社 牛かつもと村代表 黒澤 貴行氏

  • 11/13/2025
  • 11/12/2025
  • 仕事
  • 26回

今回は株式会社 牛かつもと村代表、黒澤貴行氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

 

会社名称 株式会社 牛かつもと村
代表者 黒澤 貴行
設立 2015年
主な事業 飲食店経営
社員数 87名(331名)名(2025年10月末現在、()内はパートタイマー1日8時間換算による平均人数)
会社所在地 岡山県岡山市北区平田173番地104
会社HP https://www.gyukatsu-motomura.com/

 

事業紹介をお願いします

牛かつもと村は、『牛かつを日本の食文化にする』という想いを胸に、創業時より牛かつ1本で勝負をしてきました。

ミディアムレアに揚げた牛かつを石盤で炙り、醤油、山山葵(やまわさび)ソース、岩塩で召し上がっていただく独自のスタイルを築き、「牛かつ」という食事を創り広めたパイオニアでもあります。

もと村は日本だけでなく海外からも注目されている「牛かつ」を、トレンドではなく、カルチャーとして未来に残るよう、日々邁進しています。

 

もと村はどのようにスタートしたのでしょうか?

当時、自分自身が掲げていた目標は「食のヒットメーカーになること」でした。複数のブランドを立ち上げ、それらを日本の食文化として定着させるとともに、失われつつある文化を再び蘇らせ、海外の人々にも受け入れられる存在に育てることを構想していました。

また、私は焼肉業界の出身です。だからこそ、誰よりも仲間と食卓を囲む時間の豊かさをよく理解しています。一方で、当時は“孤食”が社会的な課題として注目されていたこともあり、酒類を伴わない定食業態の中で食事そのものを楽しめる場を提供したいという強い思いがありました。

そこで、扱いなれている牛肉をメインとしたご飯に合うメニューを開発することにしたのですが、なかなか良いアイデアが出ず難航しました。しかし、別業態の開発に取り組んでいた時期に、偶然「麦飯と牛タン」の組み合わせに触れ、タンのようにおかずとして成立しにくい食材でも、工夫次第で一つの食文化になり得ることを実感しました。仙台ではすでに牛タンが地域の食文化として定着しており、その構成と提供の仕方に強いインスピレーションを受けました。そしてちょうど同じタイミングで、開発パートナーから「とろろ」というキーワードが挙がり、偶然にも方向性が一致したことで、現在の牛かつ定食の原型となる商品が生まれました。

最初は味の完成度が上がらず、理想とする形にはなかなか届かなかったのですが、衣の厚さや揚げ方を徹底的に工夫し、試行錯誤を重ねることで、ようやく牛かつの基礎となる一皿を生み出すことができました。定食として成立する味わいと食感を徹底的に追求したことが、現在の牛かつもと村の原点となっています。

 

牛かつが形となる商品開発の段階では、どのような理念のもと動かれていたのですか?

最初から単に美味しい料理を提供することを目的としていたわけではありません。「語り継がれる文化をつくる」という視点から、店舗で提供する料理が家庭に持ち帰られ、やがて日本全国、さらには海外でも愛される存在になることを目指していました。安心・安全で、心が温まるような食事体験を提供し続けることが、もと村の原点です。

当時、開発チームには4名おり、商品開発は私を含め2名が担当しましたが、「食文化をつくる」という共通の理念を持っていました。

当時ともに開発に携わったメンバーの一人は現在別の道に進んでいますが、それぞれが食文化の未来を見据え、新しい調理法やスタイルを追求しています。互いに切磋琢磨しながら、「牛かつを日本の食文化にする」という信念のもと、活動を続けています。これは、もと村の創業理念の核であり、今でも大切にしている価値観です。

 

もと村が創業した当初、牛かつという目新しさとともに、ソースが注目されましたよね。とんかつには味の濃いソースが鉄板ですが、牛かつを醤油や山山葵(やまわさび)ソースで食べようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

この発想の背景には、開発を担当していたメンバーの一言がありました。

「お肉に直接かけるソースではないけれど、わさびと肉の相性は抜群だから、山山葵と何かを掛け合わせれば面白い味になるのではないか」というアイデアです。

わさび醤油という組み合わせはもともと存在していましたが、そこにフレッシュな要素を加えることで、より深い味わいを実現できるのではないかと考え、刻んだ玉ねぎを加えるなどの工夫を重ねました。現場での調理工程にもこだわり、鮮度を感じられる仕上がりを徹底しました。

もと村では、食べ方のバリエーションを重視しています。醤油、岩塩、そして山山葵ソースという複数の味わいを用意することで、お客様が食べ方を楽しみながら、自分好みのスタイルを見つけられるようにしています。特に山わさびソースは、開発の最後に完成したオリジナルソースであり、もと村の象徴的な存在となりました。

お肉を山山葵ソースで味わうスタイルは当時ほとんど例がなく、ローストビーフのような提供方法はあっても、定食として成立する形は新しいものでした。また、パン粉の選定もソースとの相性を起点に行い、糖度の異なるパン粉を比較検証した結果、ソースの風味を引き立てる軽やかなタイプを採用しました。

つまり、牛かつ本体が先に完成していたのではなく、「より美味しく食べる方法」としてソースを軸に開発を進め、最終的に味の方向性が決まったのです。単に味を整えるだけではなく、お客様の記憶に残る「食べ方」そのものをつくることを目的とした点が、もと村の大きな特徴といえます。

 

世界中にファンのいるもと村ですが、現在どのようなことに注力されていらっしゃいますか?

私たちが掲げているミッションは、「牛かつを日本の食文化にすること」です。そしてその先には、日本の食文化を通じて世界の人々とつながるという大きな目標があります。そのために、私たちは熱狂的なファンを生み出すことに力を注いでいます。

現在では、アジア圏をはじめ、欧米や南米など多様な国や地域からお客様が訪れるようになりました。地域によって評価のポイントや期待される要素は異なり、迷うこともあります。しかし、原点を見失わず、「本物の牛かつ」という一本の軸を貫くことこそが、ブランドとしての信頼を築く道だと考えています。商品のラインナップは多くありますが、あえて絞り込み、食文化として確立させることを優先しています。

何よりも大切なのは、実際に体験したお客様の声です。企業側の発信には限界がありますが、ファンの言葉には信頼性と説得力があります。その声が新たな来店客を呼び込み、さらに次のファンを生み出していく。こうした連鎖が、食文化としての広がりを支えています。

今回の記事を通じて、初めてもと村を知った方が店舗に足を運び、「驚き」とともに体験を語っていただけることを期待しています。「タレが美味しい店がある」「あのカツを焼いて食べる体験が面白い」といった声が広がり、さらに「なぜこの店が生まれたのか」「どんな想いでつくられているのか」までを語ってくださる熱心なファンが増えることが、私たちにとって何よりの喜びです。

 

牛かつもと村の情報は、下記サイト、SNSをご参照ください

コーポレートサイト:https://www.gyukatsu-motomura.com/

Instagram:https://www.instagram.com/gyukatsu_motomura/

Facebook:https://www.facebook.com/gyukatsu.motomura/

ここからは黒澤社長のことをお聞かせください。学生時代に打ち込んだことはありますか?

学生時代を振り返ると、幼少期から大学まで、野球一筋の生活を送っていました。3歳で始めて以来、大学卒業まで野球以外に熱中したものはほとんどなく、まさに野球中心の学生生活だったと感じています。

私の原点にあるのは、母の存在です。母は単に支えるのではなく、前に立って導いてくれるようなサポートの仕方をしてくれる人で「もう一度挑戦してみたら」と常に挑戦の機会を与えてくれていました。幼い頃から多くのチャレンジを重ね、失敗を失敗と感じることなく前に進む力を自然と身につけることができたのは、母の影響が大きいと思っています。

子どもの頃は、初めは受け入れてもらえないことも多くありましたが、最終的には仲間と理解し合い、受け入れてもらえるようになることが多々ありました。野球でも、自分の意見や行動がきっかけとなって新しい取り組みが導入されることがあり、その経験が今でも自分の考え方の土台になっています。

私は「可能性」という言葉が好きです。
人から「できない」と言われると、逆に「やる価値がある」と感じ、新しいことに挑戦したくなります。何かを突破していく感覚に強く惹かれる性格で、諦めない姿勢は努力というよりも自然と身についているものだと感じています。また、波風が立つときや、周囲からさまざまな意見が飛び交うときこそチャンスだと捉えています。そうした場面では、相手の声を丁寧に聞き、対話を重ねることで、必ず道は開けるという確信を持っています。

この考え方は、幼少期から積み重ねてきた経験によって育まれたものであり、今の自分の大きな強みの一つだと感じています。

 

飲食業界に入りたいと思われたきっかけを教えてください

大学4年生のとき、社会人野球に進むことを目標にしていたため就職活動をしていなかったのですが、怪我の影響もあり、思い描いていた進路を断念することになりました。そして次に何をしようと考えた結果、好きなことにこだわって努力を続けてきたからこそ、「自分が心から好きなことを仕事にしたい」と強く考えるようになりました。そのときに思い浮かんだのが「食」だったのです。

私の家庭では、父が仕事から帰宅すると家族全員で食卓を囲む時間が日常でした。父は大工をしており、夜7〜8時頃に帰宅してから短いシャワーを済ませ、全員が揃って食事を始めるというのが我が家の習慣でした。テレビでは巨人戦を見ながら食卓を囲み、父には専用のおつまみが用意されていました。私はレーズンバターが大好きで、巨人が勝っている日は食べても怒られず、負けている日は食べられないという、ちょっとした“ルール”もありました。

父がビールを2本飲む間、家族の会話が弾み、その時間がとても楽しく、大好きな空間でした。朝は同じ食卓にいても父が新聞を読んでいて会話が少なく、「夜のあの空気」との違いを幼いながらに感じていたことを覚えています。食卓においしいものがあると、自然と会話が弾む。そうした体験が、飲食業に興味を持つきっかけの根底にあります。

焼肉屋を選んだ理由も、まさにその「みんなで囲んで食べる空間」が好きだったからです。野球部の先輩の実家が焼肉屋で、そこでは巨人戦の勝敗によって会計が変わるというユニークな仕組みがありました。巨人が勝った日は1人1000円、負けた日は実費で支払ううえ、洗い物や掃除も手伝って帰るのが恒例でした。

そのお店では、試合の先発投手を見て「今日は勝てそうだから行こう」と友人たちと話し、勝敗によって盛り上がり方が変わる特別な時間が流れていました。焼肉を囲みながら笑い合うその空間は、私にとって忘れられない体験です。

こうした経験から、自然と飲食業を志すようになりました。当時は「どうせ働くなら新業態の立ち上げに携われるポジションである店長になりたい」と考え、入社面接でも「店長になるまでどのくらいかかりますか」と質問し、実際に4か月半で店長になりました。周囲からは「焼肉屋で肉を切らない店長は初めてだ」と言われるほど当時の私は技術的なことは何もできなかったですが、現場のメンバーを楽しませ、チームとして良い空気をつくることは得意でした。本当に仲間の力に支えられていたと感じています。

食と人、そして空間の力に惹かれたこの体験が、現在の事業の原点となっています。

 

社会人になってから、ずっと飲食業界で働かれてこられたのでしょうか?

いいえ。実は一度営業の道に進みました。

当時、BSE問題の影響などもあり、「このままでは世の中に出たときに通用しない」と強く感じるようになったことから、自分の力を試したいと思ったのです。そして完全歩合制の営業職に挑戦しましたが、4か月間まったく成果が出ず、貯金も底をつき、心身ともに限界に近い状態まで追い込まれました。実際に円形脱毛症になるほど苦しい時期でしたが、それでも辞めずに続けた結果、5か月目には、同じ会社でトップの営業成績を残すことができました。「できない」と思い込んでいた自分が、「できる」と信じた瞬間、状況が大きく変わった経験でした。

このとき「人生は自分次第で変えられる」ということを強く実感しました。この考え方が自分の中で大きな転機となり、「飲食業で自分の世界をつくりたい」という想いが明確になりました。その後、「楽しいでつながる、世界をつくる」という理念を掲げていたファイブグループに入社し、新業態の立ち上げに挑戦することになります。

会社からの予算は限られていましたが、何度もプレゼンを重ね、最終的に7回目のプレゼンで承認を得ることができました。プレゼンテーションのスキルがあったわけではなく、根拠を問われ、試行錯誤を繰り返しながらの挑戦でした。結果的に、最初に提案したアイデアが採用され、「牛かつもと村」というブランドが誕生しました。

この経験は、自分自身の転機であると同時に、「やればできる」という実感をさらに強めるきっかけにもなりました。

 

7回プレゼンしたのに、決まったのは最初のものだったんですね。なぜわざわざ7パターンも用意させたのでしょう?

オープンしてから気がついたことですが、当時プレゼンで提案した7つの案は、結果的にすべて実現することになりました。12年間の事業のなかで、1つずつ具現化されてきたのです。その経験を経て、「社長は最初から一番良い案をわかっていたのだ」と実感しました。

そして「やりたくないことではなく、やらなければならないことを書いた案こそが一番強い」という考え方を、プレゼンの場で叩き込まれました。最初に提出した案が採用されたのも、その本質を見抜かれていたからだと思います。結果的に、そのプロセスを通じて大きく育ててもらったと感じています。

当時、自分は複数の業態立ち上げにも携わっていました。最初に手がけたのはナポリタン専門店「パンチョ」、次に「牛かつ もと村」、「ローストビーフ大野」、最後が「ステーキロッヂ」です。どの業態も思い入れはありますが、自分の性格に最も合っていたのは「パンチョ」でした。メディアにも取り上げられやすく、残したい業態でもありましたが、その「パンチョ」を心から愛し、自分以上に情熱を注ぐ人が現れました。そのため、自分は「牛かつ」の事業に専念する道を選び、その業態を次のフェーズへと引き継ぎました。

複数ブランドを手がけていた時期はファイブグループの関連会社である株式会社B級グルメ研究所の本部長として活動しており、「牛かつ」に専念するタイミングで経営側としてジョインする準備が進んでいきました。今振り返ると、あの7回のプレゼンは、単なる企画提案ではなく、事業の土台をつくるための大切なプロセスだったと感じています。

 

いつ頃経営者になりたいと考えたのでしょうか?

正直なところ、「社長になりたい」と明確に思っていた時期はありませんでした。実際には、社長になるチャンスが目の前に訪れたときに「やりたいか」「やりたくないか」より「楽しそうか」「そうではないか」という感覚で判断し、「楽しそうだ」と思ったその瞬間に決断しました。そう考えると、経営に携わりたいと意識したのはごく最近のことです。

冒頭でも申し上げた通り私は経営者志向というよりも、「食のヒットメーカー」でありたいと考えていました。飲食業に長く携わる中で、自分は商売人であるという感覚が強く、0から1をつくることに大きな喜びを感じてきました。新しいことに挑戦すると「それは本当にできるのか」「そんなもの売れるのか」と言われることが多いですが、それでも少数ながら「いいね」と言ってくれる人がいることが、私にとって大きな原動力になっています。

一方で、ブランドを成長させ、ファンが増え、広げていく段階になると、経営の力が必要になります。自分自身が「もと村」というブランドを愛しているからこそ、経営にも正面から向き合う必要があると感じるようになりました。そして、どこかのタイミングで、自分がトップに立たなければ、せっかく築いた食文化が単なる商売の道具にされてしまうかもしれないという危機感もありました。

現在、もと村は多くの方に注目されるブランドになり、羨望や妬みの目を向けられることも少なくありません。値上げについても「もっと上げてもいい」と言われる状況ではありますが、私が目指しているのは「食文化として多くの人に届けること」です。「日本人全員が食べたことのある料理」を実現したいという想いが原点にあります。店舗数を増やすことが目的ではなく、全国に広がる食文化として定着させることが理想です。

経営に関心を持ち、最終的に「やる」と決めたのは、このブランドを守り、ファンの期待に応えるためです。もしファンの存在がなかったら、今でも新しいものを生み出す立場にとどまっていたかもしれません。私はブランドのファンでもありますが、同時に経営者として客観的な視点も持てることが、自分の強みだと感じています。

「雇われている立場」ではなく、自らブランドとともに歩み、育てていけること。そこにこそ、経営に取り組む決意の背景があります。

 

2024年11月に株式会社 B 級グルメ研究所ホールディングス 及びBQ International 株式会社がサンマルクホールディングスの子会社となりましたが、経緯を教えてください

M&Aについては、私ではなく前職の社長・坂本の意思決定によるものです。当時、店舗数は約30店舗にまで拡大していましたが、私たちは上場企業ではなく、自社の資本のみで事業をさらに拡大していくことには限界が見えていました。

もと村はもともと居酒屋を主軸とする会社からスタートし、そこから定食業態へと展開して現在の規模に至っています。本業が居酒屋ということもあり、事業をさらに成長させ、海外にも進出していくためには、より大きな資本と体制が必要でした。坂本自身もこのブランドの可能性を強く信じており、そのビジョンを共に実現できるパートナー企業を探していたのです。

実はコロナ禍のタイミングで一度この話は立ち消えになりましたが、その後、サンマルクホールディングスから正式に手が挙がり、提携の運びとなりました。私自身も、サンマルクグループとの間に強い親和性を感じ、この提案に対しては即答で前向きな姿勢を示しました。

資本の制約を超え、もと村が次のステージへ進むための決断であり、「日本の食文化を世界へ」というブランドの原点にも合致する大きな一歩だったと感じています。

 

もと村とサンマルクホールディングスはお客様に対して誠実に向き合う姿勢が重なりますよね

理念や目指す方向性については、言葉こそ異なる部分もありますが、サンマルクホールディングスとは非常に強い親和性を感じています。これは提携後も変わらず、むしろ実感が深まっている部分です。

もちろん、上場企業の基準に合わせるために努力しなければならないことは多くあります。しかし、私たちが大切にしている想いや価値観が損なわれることはなく、むしろ尊重されていると感じています。実際に、私たちのインストール研修や新卒向けの研修にサンマルクグループの部長クラスの方々が参加してくださることもあり、現場を見て「こういうところが良いですね」とフィードバックをいただくこともあります。さらに、私たちの制度や取り組みの一部を先方が参考にしてくださる場面もあり、一緒に成長していける心強さを感じています。

統合に向けてやるべきことはまだ多くありますが、両社の間で率直に意見交換ができる環境は非常にありがたいと感じています。長年、自分たちの判断ですべてを進められる環境にいたため、こうして新たな視点や仕組みと向き合うことは久しぶりで、むしろ新鮮で楽しいと感じる部分もあります。新たな段階に進むたびに、学ぶことが多く、経営観のアップデートにもつながっています。今まさに、自分自身や組織の成長を実感しているところです。

 

牛かつ自体が有名になり、後発店がでてきていますが、どのように認識されていますか? 「京都勝牛」さんは同じサンマルクホールディングスですが、どのような印象をお持ちなのでしょうか?

牛かつ業態が広く知られるようになったことで、後発の店舗が増えている状況については、むしろ歓迎すべきことだと考えています。ライバルの存在は、ブランドをより強くするための大きな原動力になります。

特に京都勝牛さんは、同じサンマルクホールディングスのグループとして、一緒に食文化を広げていく「仲間」であると同時に、良い意味での競争相手でもあります。お客様のなかには「京都勝牛が好き」という方もいらっしゃいますし、互いに切磋琢磨する関係であることが、業態全体の成長につながると考えています。

実際、京都勝牛さんは万博への出店など、私たちが断念したチャレンジにも積極的に取り組まれています。海外展開でも先行している部分があり、店舗数の面でも力を持っています。一方で、私たちには私たちなりの強みや価値があります。どのように広げていくのか、その方法の違いを楽しみながら進められる関係であることに、非常に前向きな可能性を感じています。

 

ライバルでありながら、業界を盛り上げる仲間なんですね

それが健全な社会の在り方だと考えています。どの世界でもそうですが、異なる立場の者同士が議論を重ね、切磋琢磨することでこそ、全体としての成長が生まれるのだと思います。

個店とチェーン店の関係も同じで、対立ではなく、互いに高め合う関係こそが文化を育む最適な形だと感じています。実際の現場では競争によるプレッシャーやストレスもありますが、それを通じてこそ強くなれると信じています。

 

経営者として仕事をするなかで、どのような苦労がありましたか?

2025年4月に社長就任をしましたが、正直なところ、「もっと苦労させてほしい」と思っています。

前職の頃から、自分のお金で出店しているつもりで働いてきたものの、実際には現金を持っていたわけではなく、投資を受け、それを運用しながら増やし、増えれば次の出店ができるという仕組みのなかで疑似的に経営者のような感覚を経験させてもらっていました。そのため、当時は身の丈に合った形で店舗展開を進めていたように思います。

しかしながら現在はその延長ではなく、より大きなステージに立っています。これまでの成功パターンを大切にしながらも、拡大していくフェーズに対応する必要があり、そこに難しさを感じています。スピード感もこれまで以上に早まり、利益や数値目標も高い基準を設定しています。その一方で、より多くの人に食べていただくこと、既存のファンの熱量を薄めずに裾野を広げていくこととの両立が課題です。

現場のメンバーは、拡大に前向きです。「自分の地元にも出店してほしい」という声も多く、世界に「もと村」を広げていこうという想いを共有できているのは大きな強みです。これまで1店舗ずつ積み重ねてきた成功体験をもとに、新たな方法を取り入れながら成長させていくプロセスに、難しさとやりがいの両方があります。

振り返ると、これまでの事業運営では大きな失敗がありませんでした。コロナ禍による一部店舗の閉店を除けば、出店した店舗はすべて結果を出しています。1店舗を閉めるというのは誰も幸せにならないという前提のもと、「確実に勝つ」ことを徹底してきました。それもただの「勝ち」ではなく、熱狂的なファンを生み出すことを前提とした勝ち方です。その結果、小さな店舗でも1席あたりの売上が業界水準を大きく上回るようになりました。これは、戦略的に計算し、積み上げてきた成果です。

ただし、その「勝ちパターン」を手放すことには恐れもあります。なぜなら、拡大フェーズでは従来のやり方をそのまま踏襲するだけでは立ち行かない可能性もあるからです。また、これまで築き上げてきた強みを失ってしまうリスクもあります。たとえば、予約制を導入したり、店舗の規模を拡大したりといった取り組みは、新しいチャレンジであると同時に、ブランドの本質を揺るがす可能性もはらんでいます。

これまで勝ち続けてきたからこそ、「このやり方を崩しても本当に勝てるのか」という不安や葛藤がありますが、同時にこの壁を越えなければ次のステージには進めません。恐れと期待、その両方を抱えながら、今の経営判断を一つひとつ積み重ねているのが、まさに今の私のリアルな実感です。

 

ずっと突き抜けてきたからこその葛藤ですね

創業から現在に至るまで、順調に事業を伸ばしてきた経営者は皆、ある種似たような道を通っているのではないかと感じています。

一方で、その次のフェーズに進み、事業をさらに大きく広げても勝ち続けている企業が存在することも知っています。

もと村は、いわば「一次成長期」の段階にあると捉えており、次のステージに進む際には同じように成長してきた経営者たちが、その後に直面した壁や失ったものがあることも理解しています。だからこそ、そうした先行事例から学び、同じ轍を踏まないようにしたいと考えています。

そのために、経験を積んだ方々のサポートや意見を積極的に聞きながら、自分たち自身の判断で進めていくことが重要だと感じています。現時点ではまだ具体的な困難に直面しているわけではなく、頭の中で想定している段階に過ぎません。しかし、その「次のフェーズ」に備え、意識的に悩み、考える時間を持っていること自体が、今後の経営において大切な準備になると考えています。

むしろ、そうした新しいチャレンジに向き合い、「大変なこと」に踏み込んでいくことこそが、これからの成長に必要なステップだと捉えています。

 

創業時から大きな注目を浴びて右肩上がりで成長されてきていますが、繁盛したタイミングの質の低下やコンセプトのゆらぎがなくここまで事業の伸ばされているのが素晴らしいです

急激に拡大した事業は、同じようなスピードで急速に縮小するケースが少なくありません。一方、じわじわと時間をかけて広がった事業は、そのまま長く根づきやすいと考えています。これは生物学的にも、歴史的にも普遍的な原理原則だと捉えています。

私たちが大切にしてきたのは、お客様が求めていることに真摯に向き合い、それを確実に提供し続けることです。新たなアイデアも、お客様の声からいただいているといっても過言ではありません。その上で、私たちは「驚き」という要素を加えることを常に意識しています。お客様の想像を超える体験を提供することで、単なる飲食店ではなく、記憶に残る場をつくることを目指してきました。

たとえば、店外で待っているお客様は「早く食べたい」と思われていますが、店内のお客様は「ゆっくり楽しみたい」と感じています。外と中、それぞれの視点に丁寧に応えることを意識しています。提供量についても、創業当初より少しだけポーションを小さくしたのは、美味しく感じられる時間帯や満腹感のバランスを考慮した結果です。女性のお客様に量を確認したり、「最後に少し甘いものを食べたい」という声を反映してデザートの種類を増やしたりと、細やかな改善を重ねてきました。

 

日々お客様の反応を見て進化されていらっしゃいますが、何か2025年年内でバージョンアップされることはありますか?

2025年の11〜12月にかけて、大きなアップデートを予定しています。これまでの運用の中で、長年課題となっていた部分を大きく改善できるものが見つかりました。

現在使用している固形燃料は、加熱時に火が石全体に広がる構造になっているため、温度が最大で320度まで上昇します。これは一般的な鉄板焼き(約180度)と比べて非常に高く、その結果、煙や油分、焦げが多く発生する原因となっていました。

そこで、ある方から「火の広がる穴をリング状のパーツで小さくし、火を上方向に集中させることで温度を安定させる」というアイデアをいただき、試験的に導入しました。その結果、温度上昇が200度前後で安定し、煙や匂いが大幅に軽減されることが確認できました。また、これまで30分しか持たなかった固形燃料も、1時間以上持続するようになりました。この改良によって、重装備の排煙装置を使わなくても、一般的な換気で十分に対応できるようになる見込みです。さらに、燃料使用量も20グラム程度で済むようになり、環境負荷の軽減にもつながります。

一方で、温度が安定するまでの時間がやや長くなるため、お客様への提供のタイミングやオペレーションの調整が必要になります。現在はこの点の最適化に取り組んでいる段階です。

「すぐに焼ける」利便性と、「煙や焦げを抑えた快適な空間」の両立を目指しながら、少し待つ時間も“文化的な味わい”として楽しんでいただける演出も検討しています。こうした改善により、より快適な空間づくりと環境配慮を両立させた新たな店舗体験の提供を目指しています。


今後の展望について教えてください

もと村では、お客様の声を軸に常に価値を高め続けることを事業運営において大切にしています。たとえば、個室の設置や提供量の調整、小鉢の追加といった細かな改善は、すべてお客様からの要望を受けて実現してきました。とろろが苦手な方の声を受け、明太子を追加したのもその一例です。明太子は原価の高騰によって採算的には厳しい状況ですが、「おいしさを維持すること」を最優先にしています。

私たちは、単に価格を下げることで価値を調整するのではなく、お客様が求めるものをできる限り高い品質で提供し、その対価として適正な価格をいただくという姿勢を大切にしています。こうした積み重ねによって、「また来たい」と思っていただける体験価値を生み出すことが、食文化として根づくための大前提だと考えています。

今後、より手頃な価格帯のメニューを拡充して裾野を広げる時期が来る可能性はあります。しかし現段階では、価値を高める方向にフォーカスし、品質と体験の両面を磨き上げることを重視しています。これは、お客様から「プラチナチケット」のように信頼をいただいているからこそ挑戦できる姿勢です。

当店では、いただくご意見の数も内容も非常に多く、改善のアイデアはほとんどが実際のお客様の声から生まれています。「ここが美味しかった」という感想にとどまらず、「ここをこうしてほしい」といった具体的な要望をいただけることが、進化の原動力です。お客様が気付きを与えてくださることで、私たちはさらに成長することができます。

ブランドコンセプトとして掲げているのは、「ファンとの価値共創をするブランドである」ということです。お客様の期待や願いを超える価値を提供し続けることが、事業運営の核にあります。文句や不満、失敗から気付かされることもあれば、笑顔や身振り手振りからヒントを得ることもあります。とくに海外のお客様は、ジェスチャーで感想を伝えてくださることも多く、そこからも多くの学びを得ています。

また、お客様の中には、牛かつが好きすぎて「自分で作ってみたい」という声をくださる方もいらっしゃいます。こうした声は私たちにとって非常に嬉しく、大きな励みになっていますし、同時に、「どうすればその想いを形にできるか」という新たな発想にもつながります。

たとえば、特定の日に限って「牛かつを自分で作る体験イベント」を開催することや、ファンミーティングの一環として調理体験を取り入れることも検討しています。さらに、キャンプ場など店舗以外の場所で体験型のイベントを行うことも可能性のひとつです。

このような企画は、私たち自身の喜びや楽しさにも直結します。お客様と一緒に新しい体験をつくり上げることが、ブランドの成長にもつながると考えています。今後も、さまざまなご意見を積極的に取り入れながら、より魅力的な体験を届けていきたいです。

 

他の経営者におすすめの本のご紹介をお願いいたします(書籍名・おすすめのポイント)

多くの経営者の方が読まれていると思いますが、私自身の原点となっているのはナポレオン・ヒルの著作です。

実は営業マンの時はナポレオン・ヒルのプログラムを販売していました。私が特に強く影響を受けた一冊は『巨富を築く13の条件』です。私にとっては人生のバイブルのような存在であり、多くの挑戦の原点になっています。

また、日々の経営において最も大切にしている「本」と言えるのは、お客様からのアンケートや口コミです。Googleの口コミは12万件以上ありますが、そのすべて目を通しています。お客様からいただく感想には励ましの言葉や前向きなメッセージが数多く含まれており、それが私にとって大きな力になっています。

書籍は読んで終わりでは意味がありません。知識を実践に活かしてこそ価値があります。私にとっては、ナポレオン・ヒルの教えと、お客様の声の両方が、経営の軸を支える最も大切な「バイブル」です。

『巨富を築く13の条件』ナポレオン ヒル (著), Napoleon Hill (著), 田中 孝顕 (翻訳)

https://www.amazon.co.jp/dp/4877710698

 

 

投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
『社長の履歴書』編集部
企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。

企業出版のノウハウを活かした記事制作を行うことで、社長のブランディング、企業の信頼度向上に貢献してまいります。