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株式会社ゴンドラ代表 古江 恵治氏

  • 10/23/2025
  • 10/23/2025
  • 人材
  • 19回

今回は株式会社ゴンドラ代表、古江 恵治氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

 

会社名称 株式会社ゴンドラ
代表者 古江恵治
設立 2016年(平成28年)3月1日
主な事業 カスタマーエンゲージメント事業
広告事業
Webソリューション事業
ソーシャルマネジメント事業
デジタルマーケティング事業
社員数 133名(2025年9月1日現在)
会社所在地 〒100-0013 東京都千代田区霞が関1-4-2 大同生命霞が関ビル13F
会社HP 会社HP:https://www.gon-dola.com/

オウンドメディア『LIFT』:https://www.gon-dola.com/lift/

 

事業紹介をお願いします

株式会社ゴンドラは大きく4つの事業を展開しています。

1つ目は、創業当時から展開している広告事業。
2つ目が、Webソリューション事業。
3つ目が、SNS運用を中心としたソーシャルマネジメント事業。
そして4つ目が、CRM領域を含むデジタルマーケティング事業で、既存顧客のLTV(ライフタイムバリュー)を高める取り組みを行っています。

現在は、企業や観光庁・自治体など、約350社のクライアントを支援しており、Webマーケティング・DX支援・システム開発といった多様なソリューションを組み合わせてサービスを提供しています。何よりも特定の業界や領域に縛られず、伴走型・統合型の支援を行うことを大切にしており、クライアントの課題解決から実行までを一気通貫でサポートしています。

また、「少数精鋭」という言葉がありますが、当社では「全員精鋭」を掲げています。先を見据え、採用や教育などしっかりと未来投資を行い、常に高みを目指しながら事業を拡大していることもゴンドラの大きな特徴です。

 

事業の強みを教えてください

当社は「ただ成果を出すだけ」で終わらせるのではなく、お客様の社内に深く入り込み、組織そのものをより良くしていくための支援を行っています。この方針は創業当初から大切にしている考え方ではありますが、ここ5年ほどでさらに進化し、“統合型支援”の形が確立してきたと感じています。現在は、継続的に6社のクライアント企業に当社メンバーが出向・駐在し、ハンズオンでサポートを行っています。現場に常駐しながらお客様と同じ目線で課題を共有し、成果を出すだけでなく「組織として強くなる仕組み」まで一緒に構築しており、そうした支援の在り方こそが、ゴンドラの大きな強みだと考えます。

 

 

カスタマーエンゲージメントを実現するための取り組みについて教えてください

当社では、お客様に「期待以上の成果」を提供することを常に意識し、その実現のためにカスタマーサクセス(CS)体制を強化しています。

具体的には、定期的なアンケートを通じて顧客満足度を可視化し、サービス提供の質や対応力についての評価を定点観測しています。その結果をもとに改善を図るだけでなく、社内の人事評価や教育にも反映させることで、全社員が顧客視点を持ちながら成長できる仕組みを構築しています。

また、KPI(重要業績評価指標)の一つとして「継続取引先数」を重視しています。新規契約の獲得だけでなく、長期的にお付き合いいただけるお客様を一社ずつ着実に増やしていくこと。信頼に基づく関係構築こそが、ゴンドラの事業基盤だと考えています。

業種や業態、規模を問わず、どんなに小さな課題やお悩みでも、私たちがお力になれることがあると思います。

まずはお気軽にご相談・お問い合わせください。

お客様の状況に寄り添い、最適な解決策をご提案いたします。

https://www.gon-dola.com/contact/

 

ここからは古江社長のことをお聞かせください。学生時代に打ち込んだことはありますか?

私は生まれも育ちも北海道で、南の方にある小さな田舎町の浦河町で育ちました。携帯電話もゲームもまだ普及していない時代でしたので、もっぱら運動に打ち込んでいましたね。野球をしたり、冬はスピードスケートやスキーをしたりと、毎日体を動かしていた記憶があります。

幼少期や学生時代は「将来社長になりたい」といった考えはまったくなく、昭和世代らしく「いつかプロ野球選手になれたらいいな」と夢見ていました。ちなみに、経営に携わりたいという思いを持つようになったのは、社会人になってからのことです。20代後半に差しかかった頃に、ようやく「経営」というものに関心を持つようになりました。

 

大東文化大学外国語学部英語学科に進学された理由を教えてください

もともと勉強の中で英語が一番好きだったことが外国語学部英語学科を選んだ理由です。ただ、大学時代は英語だけでなく、犯罪心理学や行動心理学といった分野にも強く興味を持ち、集中的に学んでいました。

当時、アルバイト先はガソリンスタンドだったのですが、今では珍しい歩合制の職場で、洗車や車検、給油といった通常業務のほかに、粗利率の高い商品をどれだけ販売できたかによって月々の時給が変動する仕組みでした。日々の売上が自分の収入に直結する環境だったため、「お客様の心理をどう掴めば購入につながるのか」という点に興味を持つようになったことが、心理学を深く学ぶきっかけです。そして、学びを深めていくうちに、将来的にも必ず役に立つと確信しました。

 

新卒で株式会社ジャパンエナジー(現:株式会社ENEOSフロンティア)に入社された経緯を教えてください

学生時代は音楽業界やメディア業界、報道記者といった職業を目指して就職活動をしていました。北海道の企業を中心に受けていたのですが、ちょうど就職氷河期でなかなか希望通りに進まず、内定を得ることができませんでした。

しかし、生活のために日々の収入を確保しなければならなかったため、アルバイト先に懇願してそのまま正社員として働かせてもらいました。

 

【ご経歴】

1994年4月 株式会社ジャパンエナジー(現:株式会社ENEOSフロンティア)入社
1997年10月 オリコン株式会社入社
2002年1月 株式会社シーエー・モバイル(現:CAM株式会社)入社 ※サイバーエージェントグループ
2008年1月 株式会社プロトコーポレーション入社
2010年11月 株式会社パイプドビッツ(現:スパイラル株式会社)入社
2011年3月 同社執行役員に就任
2012年5月 同社取締役に就任
2015年9月 東京証券取引所第一部上場
2016年3月 株式会社ゴンドラ設立・代表取締役社長(現任) ※スパイラル・グループ

 

ご経歴を拝見すると、97年にオリコン、2002年にシーエー・モバイルと将来携わりたいとおっしゃっていた仕事に就かれていますが、その後なぜ2008年に中古車検索サイト「グーネット」で有名な株式会社プロトコーポレーションにご転職されたのですか?

当時、プロトコーポレーションはまだ未上場の企業でしたが、すでに営業利益で50億円を上げており、非常に勢いのある会社でした。ちょうど第2創業期といえるフェーズに入り、未来への投資として新規事業を次々と立ち上げていく段階にあったのです。また、自動車やオートバイなどのメディア事業が中心でしたが、それ以外にも10年、あるいは数十年と続く新たな事業ドメインを増やしていきたいという構想に共感しました。

その中で「新規事業の責任者を募集している」という話を聞き、自分の経験を活かして挑戦できる環境だと感じたことから転職をし、インターネット広告の事業に携わりました。

 

経営に携わりたいと思うようになったきっかけについて詳しく教えてください

2000年頃、オリコン株式会社の小池恒社長のもとで働く機会に恵まれたことが、私にとって大きな転機となりました。非常に厳しい方でしたが、当時、オリコンを上場に導かれた経営者であり、その上場までのプロセスを間近で見られたことは強烈な印象として残っています。社長のすぐそばで、その「高みに登っていく過程」を実際に体感できたことが、経営に対する興味や憧れを抱くようになった最初のきっかけでした。

その後、株式会社シーエー・モバイル(現:CAM株式会社)に在籍していた際は社長室に所属し、外川穣社長のもとで働かせていただきました。入社当初は売上30億円ほどの規模だった会社が、私が退職する頃には400億円規模へと急成長しており、その非連続的な成長スピードを間近で経験しました。サイバーエージェントグループ特有のダイナミックな経営スタイルを肌で感じたことも、私自身が「いつか経営に携わりたい」と強く意識するようになった大きな原動力になりました。

 

株式会社パイプドビッツ(現:スパイラル株式会社)にご転職されたきっかけを教えてください

自分の力を十分に発揮しづらい環境にいるのではないかと感じ、次のキャリアステップを考えるようになった頃に出会ったのが、株式会社パイプドビッツ(現:スパイラル株式会社)でした。

入社を決めた当時、同社の売上はおよそ10億円、営業利益は1億8,000万円ほど、時価総額も10億円に満たない規模の小さな会社でしたが、だからこそ「伸びしろしかない」と感じました。これまでオリコンやシーエー・モバイルなど、IPOや企業の急成長フェーズに立ち会ってきた経験から、「これから大きく成長していく企業の一員として、もう一度そのダイナミズムを味わいたい」という思いが強くありました。

 

「この経験が今の自分をつくった」と感じる仕事のエピソードを教えてください

株式会社パイプドビッツ(現:スパイラル株式会社)入社当初は、新規事業開発担当として社長室付のポジションに就いていました。試用期間が3ヶ月と定められていたこともあり、「まずはこの3ヶ月で解雇にならないように」と必死に働いていたのを覚えています。当時は休みもほとんど取らず、円形脱毛症になってしまうほどのプレッシャーを感じながら仕事に向き合っていました。

周囲は技術系のメンバーが多く、最初の頃は挨拶をしても返してもらえないような、少し孤立した環境の中で焦りや孤独感を覚える日々でした。それでも、黙々と成果を出すことに集中して取り組み続けた結果、少しずつ仲間が認めてくれるようになりました。

転機となったのは、「AKB48選抜総選挙」の投票システム開発・アンケート受注を獲得できたときです。このプロジェクトが大きな成功を収め、周囲から信頼されるようになり、自身のキャリアにおいても一つの分岐点となりました。その後、執行役員へ昇格し、経営の一端を担うようになりました。

また、プライベートの面では、40歳から始めたゴルフが今の仕事にも大きく影響しています。ゴルフを通じて多くのご縁やビジネスチャンスに恵まれ、もしあのときゴルフを始めていなければ、今の自分も、そしてゴンドラという会社もなかったかもしれないと思っています。

 

ちなみに、ゴルフを始めるきっかけはなんだったのでしょうか?

私は毎年「その年のテーマ」を決めて一年を過ごすようにしています。元旦にテーマを掲げてスタートするのですが、ゴルフを始めた年のテーマは「自己否定」でした。自分が苦手なこと、嫌いなもの、これまで避けてきたことをあえて受け入れてみようと決めたのです。

たとえば、当時はウナギが大の苦手だったのですが、「この一年だけは食べてみよう」と挑戦したり、苦手意識を持っていた人にも自分からオープンに接するようにしました。そしてもう一つの挑戦が、当時の社長から強く勧められていたゴルフでした。

正直、最初は渋々です。クラブを揃えるのにも一苦労ですし、朝から夕方まで気を遣い続けなければならないというイメージからずっと避けていました。特に私は人見知りな性格なので、仕事以外の場で一日中人と過ごすということにも抵抗がありましたね。

最初の10ラウンドくらいまでは本当に下手で、行くのも苦痛に感じていましたが、少しずつ上達していくうちに楽しさを見出せるようになりました。気づけばお客様からゴルフに誘っていただく機会も増え、そこから人とのご縁も広がっていきました。

今年でゴルフを始めて13年になります。最初は“自己否定”の一環として始めたことでしたが、今では仕事にも人生にも大きなプラスをもたらしてくれていると感じています。

 

ゴンドラ設立の経緯を教えてください

2011年に、株式会社パイプドビッツ(現:スパイラル株式会社)の新規事業として広告事業を立ち上げました。そこから広告事業だけでなく、執行役員に昇格したタイミングで人事や全国の支店運営、さらには複数のプラットフォーム事業の営業部門なども担当するようになりました。メンバーの数も増え、お客様の層も広がっていく中で、チームとしての一体感や事業の成長を強く感じるようになったのを覚えています。

そして2012年に取締役に就任し、その後も優秀なメンバーやお客様に恵まれて事業は順調に拡大しました。2015年には、パイプドビッツが東証一部に指定替えとなり、時価総額も250億円規模にまで成長しました。とはいえ、組織が大きくなるほどスピード感を持った意思決定が難しくなるという課題も感じていました。より迅速に、より柔軟に事業をドライブさせたい――そう考えるようになったのが、独立の大きなきっかけです。

その後、2016年にメンバーを引き連れてパイプドビッツの取締役を辞任し、片道切符で立ち上げたのが現在の株式会社ゴンドラです。1期目、2期目からしっかりと利益が出ており、売上も右肩上がりでしたが、自分の中で掲げていた目標には届かず、正直、最初は組織の雰囲気もあまり良くありませんでした。離職も多く、うまく軌道に乗せられなかった時期があったと思います。

しかし、第3期を迎える頃に組織体制や事業方針を一から見直し、経営の在り方を大きく改善しました。そこからはレバレッジが効き始め、以降は増収基調が続いています。おかげさまで連続黒字を継続するまでに成長することができました。

 

カスタマーエンゲージメント事業は当初から構想があったのですか?

当初は、カスタマーエンゲージメントという概念に特別フォーカスしていたわけではありません。

前段階からお話しすると、先述した通り、広告事業自体はパイプドビッツ時代から手がけていました。しかし、その広告事業が大きくスケールしてきたこともあり、もともと同社の事業であったプラットフォーム事業とは方向性が少し異なる部分も出てきました。その頃には、よりスピード感を持って意思決定し、自分の裁量で経営していきたいと考えていたので、ゴンドラ設立当初はしばらくは広告事業にアクセルを踏み、堅実に事業を拡大していく方針でした。実際に、当時はAKB48の関連案件をはじめ、開発案件も複数抱えており、プラットフォーム事業と広告事業の両軸で組織を動かしていました。

しかし、5年ほど前からインターネット広告業界全体に対する社会的な不信感の高まりや、Cookie規制などの環境変化が顕著になり、従来型の広告手法だけに依存することへのリスクを感じるようになりました。加えて、少子化による人口減少という構造的な課題も見えてきたことで、より顧客との関係を長期的に深めていく方向へと舵を切る必要性を感じました。

ちょうどそのタイミングで、グループ会社の中に四半世紀にわたってCRM事業を展開してきたカレンという会社があり、その事業を譲り受けるM&A案件が出てきました。これをきっかけに、カスタマーエンゲージメント事業への本格的な注力を開始しました。

広告からCRMへ、顧客との関係を「点」ではなく「線」でつなぐことが実現でき、ゴンドラの強みの一つになりました。

 

経営者として仕事をする中で、どのような苦労がありましたか?

創業以来、業績としては黒字を維持し続けているのですが、振り返るとやはり1期目、2期目の頃が最も大変でした。採用してもなかなか定着しなかったり、売上も思うように伸びなかったりと、理想と現実のギャップに悩まされる日々が続きました。

会社ではできるだけ不安や焦りを見せないように、常に明るく元気に振る舞うよう心がけていましたが、内心では相当焦っていたと思います。そんな状態が2年ほど続きましたね。

業績としては連続して増収ではあったものの、当初想定していた25%以上の成長率には届かず、利益面も横ばい。特にインターネット広告業界は平均して年間7〜8%ほど成長していくため、それを上回るスピード、少なくともその3倍程度の伸びを実現しなければ「勝ち組」には入れないと感じていました。そうした中で伸び悩む現実に直面したことは、自分にとって大きなストレスでした。

また、創業間もない組織だったこともあり、当時はまだ社員一人ひとりに「愛社精神」が根付いているとは言い難い状況でした。会社そのものへの帰属意識や誇りをどう育てていくか。そこに頭を悩ませる日々が続いたのをよく覚えています。

 

現在は解決されていらっしゃいますが、これが起きた原因についてどのようにお考えでしょうか?

売上自体は右肩上がりで伸びていたものの利益が横ばいの状態だったのは、離職者が出て人件費や採用・教育にかかるコストが増加していたからです。会社を立ち上げたばかりで私自身もまだ経営者として未熟でしたし、「ゴンドラ」という会社のアイデンティティやフィロソフィーを明確に定義化・体系化するまでには至っていませんでした。

また、人見知りな部分も影響し、経営者としてチームをどうまとめていくか、どのように社員一人ひとりと信頼関係を築いていくかという点では、相当苦労しました。離職が続くと、「こんなに頑張っても、こんなに伝えても、心の中まではわからない。もしかするとまた離れていってしまうのではないか」という不安や葛藤も常につきまといました。

「自分を理解してもらいたい」と思っても、なかなか伝わらない。そんなもどかしさを何度も感じましたし、そのたびに悩み、考え続けてきました。経営者という立場になって初めて、人を動かすこと、信頼を得ることの難しさを痛感しましたね。

 

人材定着のために具体的にどのようなことをしたのか教えてください

採用や人材の定着を改善するために本格的に取り組み始めたのは創業3期目からです。そのタイミングで、ビジョンや経営理念、そして社是などを「ゴンドラ・フィロソフィー」として体系化し、運用を始めました。

 

 

なぜ私たちはこの会社で共に働くのか。その問いにしっかりと向き合い、共有することが何より大切だと感じたからです。世の中には約300万社もの企業があります。その中で、たまたま同じ屋根の下で働くことになったのは決して偶然ではなく、大きなご縁だと思っています。だからこそ、理念経営に重点を置くようにしました。

仕事観や人生観、日頃の考え方、さらには立ち居振る舞いなども含めて、教育の中に組み込むようになったのもその頃からです。社員教育には積極的に時間とお金を投資し、少しずつ社内文化の浸透を進めていきました。その結果、組織としてのまとまりが生まれ、業績にも確実に好影響が表れ始めたと思います。

社員が離れていく理由として、私自身は「給与」と「成長機会」の2つが大きいと考えています。給与がなかなか上がらなければ転職を考えるのは自然なことですし、どの会社でも共通の課題でしょう。また、「このチームにいても成長できない」と感じればやはり離れていくので、そうならないようにコミュニケーションの機会を意識的に増やすようにしました。

特に重視しているのがキャリアパスの共有です。半年に一度程度、キャリアパス面談を行い、社員一人ひとりと「将来どうなりたいか」を対話する時間を設けています。そして、ゴンドラでの仕事がその目標にどれだけ近づくことができているのか。その“実感”を一緒に確かめながら成長を支援するようにしています。

 

今後の展望について教えてください

現在、当社はちょうど10期目の節目を迎えています。創業当初から「100年企業」「営業利益100億円企業」という大きな目標を掲げており、ようやくこの10期目で営業利益約8億円、グロスの売上では100億円を超える規模にまで成長しました。
まだ目標の約10%という進捗率ではありますが、ここからさらに事業スピードを加速させていく段階だと捉えています。

幸い、株主の皆さまにも大変ご理解・ご支援をいただいており、市場環境も良好です。ゴンドラとしては、まだまだ道半ば。ここからが本当の勝負だと思っています。

直近の取り組みとしては、今年(2025年)11月4日に初の地方拠点となる北海道支社を開設します。地方展開は当社にとって新たな挑戦でもありますが、定量的な業績目標を明確に掲げ、その達成に向けて社員全員が一枚岩となってチャレンジしていくこのプロセスにこそ意味があると考えています。

中期的な目標としては、5年後の第15期に営業利益20億円・社員数300名体制を実現したいと考えています。そして、そのさらに先、10年後の第20期には営業利益100億円の達成を目指しています。

また、毎期しっかりと利益を積み上げながら、その利益を原資としてM&Aの推進や、親会社であるスパイラル・グループ各社とのシナジー創出にも力を入れていきます。さらに、多くのパートナー企業とのアライアンス強化を通じて、より幅広い価値提供ができる体制を整えていく予定です。今後も「社会に必要とされる会社」であり続けるために、挑戦を止めることなく、持続的な成長を追求してまいります。

 

 

他の経営者におすすめの本のご紹介をお願いいたします

長年、私のバイブルとして大切にしている本が2冊あります。

一つは、私が最も尊敬する経営者の一人であるリクルート創業者・江副浩正さんが著した『リクルートのDNA』。
もう一冊は、元プロ野球選手で名監督でもあった野村克也さんの『野村ノート』です。

『リクルートのDNA』は、まさにそのタイトルの通り、次々と新たな事業が生まれ育っていくリクルートグループの根幹となる考え方が詰まった一冊です。江副さんが数々の厳しい局面をどう乗り越えてきたのか、その思考の軌跡が具体的に書かれており、経営判断に迷ったときや、難しい局面に直面したときなど、事あるごとに読み返しています。読むたびに、経営の原理原則に立ち返らせてくれるような感覚があります。

『野村ノート』は、野村監督の「考え方がすべてを支配する」という信念を軸にしたマネジメント哲学の書です。チームマネジメントや人材育成に関する考え方が非常に示唆に富んでおり、経営者として「指揮官はいかにあるべきか」を考える上での指針となっています。

この2冊は、どちらも私にとって大きな影響を与えてくれた本であり、今でも折に触れてページを開く“座右の書”です。

ぜひご覧ください。

 

リクルートのDNA  起業家精神とは何か

江副 浩正 (著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4047100870

『野村ノート』

野村 克也 (著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4094084479

 

 

 

投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
『社長の履歴書』編集部
企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。

企業出版のノウハウを活かした記事制作を行うことで、社長のブランディング、企業の信頼度向上に貢献してまいります。