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株式会社Colorfraise代表 岩田 美生氏

  • 10/14/2025
  • 10/10/2025
  • 仕事
  • 7回
今回は株式会社Colorfraise代表、岩田 美生氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
会社名称 株式会社Colorfraise
代表者 岩田 美生
設立 2020年6月
主な事業 ウェディング・セレモニー事業
社員数 ー名(取材時)
会社所在地 東京都港区浜松町一丁目18-13 高桑ビル3階
会社HP https://colorfraise.co.jp/

https://www.instagram.com/mioiwata_wedding/

事業紹介をお願いします

株式会社Colorfraiseでは、ウェディング事業とセレモニー事業を展開しており、代表である私、岩田美生はフリーのウェディングプランナーとして、日本全国で式場に所属せず、新郎新婦お一人おひとりにぴったり合ったオーダーメイドの結婚式をプロデュースしています。
一般的に日本のウェディングプランナーといえば、結婚式場を決めると自動的に担当が決まり、そのプランナーとともに結婚式を作り上げていくという形が主流です。しかし、当社では「どこで結婚式をするか」ではなく、「どんな結婚式にしたいか」から発想します。
場所や形式にとらわれず、「誰と、どんな時間を過ごしたいか」というお二人の想いを出発点に、パッケージ化された型ではなく、一組ごとの人生や価値観に寄り添ったオーダーメイドの結婚式をご提案しています。

日本ではフリーウェディングプランナーの存在を知らない方も多いかと思いますが、海外では一般的なんですよね?

はい。個人のお客様がフリーのウェディングプランナーと直接契約するという発想は、日本ではあまり馴染みがないかもしれません。しかし、海外では結婚式のスタート地点が「式場探し」ではなく「プランナー探し」である国も少なくありません。例えば、自宅の庭で結婚式を挙げるケースもあり、その際には料理やテーブルセッティング、その他、結婚式をする上で必要になる手配を担うプランナーの存在が欠かせないため、プランナーサービスが主軸になるのです。
一方、日本は土地が限られた島国であり、結婚式といえば「箱」と呼ばれる式場が基準になります。式場を選べば、自動的にその会場が用意したパッケージ(写真、装花、ビデオ、司会者、ヘアメイク、衣装など)を利用します。これは否定すべきものではないですが、「結婚式場が敷いたレールの上を走る結婚式になりやすい」という側面もあります。

なぜ岩田社長は日本ではあまり浸透していないフリーウェディングプランナーになったのですか?

結婚式はリピーター産業ではないため、実際に体験してから式場を選ぶことができません。そのため、多くの方にとって結婚式のイメージは、自身の友人が挙げた式が基準となりがちです。友人の式をモデルケースとし、自分たちの好きな式場を選ぶといったプロセスが一般的なのも、こうした背景があるからです。また、式場によっては「持ち込み不可」とされることが多く、新郎新婦が心から望むものを取り入れられないケースも少なくありません。私が長年結婚式場の社員プランナーとして働いていたときにも、そうした制約で悲しい思いをされた方や、見積もりが想定以上に上がってしまい苦情につながった方を数多く見てきました。支配人を務めた際も、そういった場合にはお客様の気持ちに寄り添いながら誠意を持って説明し、謝罪するしかなく心苦しい思いを抱えていました。
さらに、障害をお持ちの方の式では会場設備が十分でなかったり、移動の負担や物理的な制約から、打ち合わせを重ねること自体が大きなハードルになったりすることがありました。また、当時はまだ「LGBTQ」という言葉すら浸透していない時代でしたが、レズビアンカップルから「周囲の目が気になるので式場を貸切にしてほしい」とのご要望をいただいたこともあります。しかし、その願いに応えられなかったことは今も心に残っています。
こうした経験を重ねる中で、「自分が独立することで世の中の役に立てることは何か」と考えるようになりました。その答えが、大手式場のパッケージには収まらない方々の想いや希望に寄り添い、それを実現することでした。具体的には、時間や演出に制限のある従来型の結婚式では実現が難しい、個性や背景を大切にしたいカップル─たとえば持ち込み制限などの制約から希望が叶えられない方、こだわりの演出を叶えたい方、さらには障がいをお持ちの方やLGBTQの方など─の声に応えるために、私は独立を決意したのです。
「大手式場では難しい多様な価値観や個別の事情に応えた、オーダーメイドな結婚式を実現する」
それが、私がフリーウェディングプランナーとして活動を始めた原点です。

岩田社長は企業研修や専門学校で講師としてもご活躍されていらっしゃいますが、始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

私の社会人としてのキャリアのスタートは、株式会社オリエンタルランドです。そこで現場でのサービス提供に携わる一方、人材育成にも深く関わり、新入社員や新しいスタッフに対して「ディズニーとはどのような場所か」を伝える社内研修の講師を長年務めていました。
その後、株式会社ミリアルリゾートホテルズにてディズニーブランドホテルの開業プロジェクとフロント業務を経て株式会社ベストブライダルに転職し、ブライダル業界へ足を踏み入れました。ホテル勤務時代も教育部門に関わっており、ブライダル業界でも最初は一人のウェディングプランナーとして経験を積みましたが、やがて立場が変化していき、最終的には、営業や打ち合わせの進め方などを全国のスタッフに指導する立場を担うようになりました。結果としてこれまでのキャリアを通じて一貫して人財育成に携わってきたといえます。
そして、独立後もその流れは続きました。独立を決めた際、かつての部下が専門学校の教員をしており、「チーフ(当時の私の呼び名)にうちの学校で先生をしてほしい」と依頼を受け、自然な形で教育の仕事に関わるようになりました。また、ディズニー時代の元同僚が企業研修会社を立ち上げており、退職を機に「一緒にやらないか」と声をかけてもらったことで、企業研修の講師としての活動も始まりました。このような経緯から、独立後も自然な流れで研修や教育に関わり続けており、現在に至っています。

講師としてのお仕事のやりがいはどんなところに感じていらっしゃいますか?

現在も専門学校で学生を指導していますが、これまでの活動を通じて共通しているのは「人」に関わる仕事であるという点だと感じています。ウェディングプランナーとしてカップルの幸せを形にすることも、私自身の経験や思いを学生に伝えて育成することも、あるいは企業研修を通じて社員の方々を育てることも、いずれも「人」と深く関わる事という共通点があります。そして、人と深く関わり、その方々の人生の1ページに彩りを加えたり、気づきや学びを提供する事は、世の中に幸せを増やすことでもあり、世の中に新たな価値を生み出すことでもあるのだと思います。
振り返れば、子どもの頃から「0から何かを作り上げること」に心を動かされる人間でした。そこに「人が好きだ」という気持ちが重なり、今の仕事につながっているのだと思います。意識的に「これが好きだからやっている」と考えたことはありませんが、ウェディングでも教育の場でも、自分の仕事を通じて相手の心が動く瞬間に立ち会うと、心が強く震えます。特に教育の現場で、自分の一言が相手に深く響き、理解が腑に落ちたような表情を見せてくれる時には、大きなやりがいを感じます。

ここからは岩田社長のことをお聞かせください。学生時代に打ち込んだことはありますか?

美術とお芝居が好きな子どもで、短大では美術を学びながら劇団に所属していました。その当時は起業しようなどとは全く考えていませんでしたね。
ただ、会社員として働くと、当然ながら会社の利益や上司からの指示を優先する必要があります。しかし、その指示の中には自分の価値観に合わず、腹落ちできないものもあります。私は納得できないと前に進めないタイプなので、自分が納得していない事を上司の指示だからと言って、やり続けたり、自分の気持ちをごまかしたりしながらうまくやっていけるタイプではないんです。
しかしながら、この状況を変えたいと思っても、役職や権力、決定権のある立場でも変えられない事もあります。過去に、なんの権力も持たずに戦って挫折したこともあり、自分が本当に「これが正しい」と思うことを形にするには、会社を動かす立場、つまり社長になるしかないのではないか、と思っていました。
社長を目指そうと明確に決めていたわけではありませんが、正しくないと思いながら自分の気持ちをごまかし、その会社の為に働き続けるよりも、自らトップに立って意思決定をする方が自分の性格にも合っており、自己実現にもつながるのではないかと漠然とイメージしていました。

学生時代から将来ブライダル業界に携わりたいと考えていましたか?

学生時代はブライダルに対して特に興味を持っていたわけではありません。
ただ、先述したように「0から何かを生み出すこと」には常に関心があり、自分の好きな世界を追求してきたと思います。
そして、年齢を重ねるにつれて結婚式に参列する機会が増え、その中で個人的にさまざまな疑問や思いを抱くようになりました。例えば、「なぜキリスト教徒ではないのにキリスト教式で結婚式を挙げるのだろう」とか、「キャンドルサービスという演出は何を意味しているのだろう」といった素朴な疑問です。もちろん、今は結婚式には多様なスタイルや選択肢があり、どの形も尊重されるべきだと理解していますし、私自身もそれを仕事にしているので否定する気持ちはありません。ただ、若い頃の私は「本来であれば親に感謝を伝えることや、親から承認を得ることこそが結婚式の本質ではないか」と考えたりもしていました。
当時抱いていた疑問が、今の自分の考え方や仕事に繋がっているのだと思います。

オリエンタルランドで働くことになった経緯を教えてください

きっかけは、友人が「ディズニーでアルバイトをしたい」と言い出したことでした。面接に行きたいけれど一人では不安だから一緒についてきてほしい、と頼まれ、ついて行くなら私も受けてみようという軽い気持ちで応募したのです。当時はディズニーのことをほとんど知らず、主要キャラクターを認識している程度の知識でした。
ところが実際に働き始めると、友人はわずか3日で辞めてしまい、一方の私は、だんだんとその世界にのめりこんでいき、最終的には10年もの間勤続することになりました。特に感銘を受けたのは、人材に対する考え方です。ウォルト・ディズニーの「人を大切にする」という理念が会社全体に息づいており、社員や上司も、たとえ私が失敗や間違いをしてしまっても、頭ごなしに叱るのではなく「なぜそうしたのか」という理由を丁寧に聞いてくれました。その姿勢に、人を人として尊重しているのだと強く感じました。
また、共に働く仲間たちの気持ちの良さも印象的で、「この会社は本当にすごい」と思うようになりました。もともとはディズニーが特別に好きで働き始めたわけではありませんでしたが、仕事を通じて徐々にディズニーそのものや文化への理解が深まり、自然と好きになっていきました。

オリエンタルランド在籍中に経験したことのなかで、印象に残っているお仕事はありますか?

入社して間もない頃、お客様に不快な思いをさせてしまったことがあったのですが、その時、上司から言われた言葉が印象に残っています。
「あなたの思いは理解している。私は上司として、日頃のあなたの働きぶりも知っているから、どういうつもりでその行動をとったのかは分かっている。ただし、それはお客様には伝わっていなかった。お客様にとっては“伝わらなかった”という事実しか残らないんだよ。そもそもお客様はあなたの想いを知るためにパークに来たのではないし、思い返してごらん、そのお客様の前で、絶えず笑顔でいたと断言できる?」
振り返ってみると、確かに自分が常に笑顔で接していたかどうか、自信が持てないことに気づきました。そして、その一瞬一瞬の表情や態度から、お客様は「私という人」を判断せざるを得なかったのだと実感しました。
それ以来、私は「笑顔」をただの付け足しや形式的なものではなく、自分の使命の一つだと考えるようになりました。意識して笑顔を心がけることで、お客様だけでなく、一緒に働くスタッフの態度や雰囲気までもが変わっていくのを実感しました。「笑顔を意識すること」は、接客業に従事する人にとって、一番に意識すべき最重要事項ですが、意外と笑顔でい続けることは努力と技術がいるんです。しかし、当たり前すぎて皆そこに気付いていないように思う事もあります。現在、私がウェディングプランナーという仕事を「特別な接客業」と捉えているのも、この経験が原点になっています。あの時の上司の一言と、私にそれを教えてくれたお客様に今でも深く感謝しています。
また、東京ディズニー・ホテルミラコスタでの勤務からも学びがありました。パークでは、同じ料金を支払えばすべてのお客様が公平に同じ体験を楽しめます。一方、ホテルでは客室によって料金が異なり、それに伴ってお客様が求めるものもよりパーソナルで多様なものになります。フロント業務を通じて、そうした「お客様一人ひとりのニーズに応えること」の重要性に気づかされました。
さらに、開業準備室に在籍していた時の経験も大きな財産です。開業当日の朝のやわらかな光に染まる青空の色は、今でも鮮明に覚えており、自分のキャリアの原点を象徴する特別な記憶となっています。

ウェディング業界で働くきっかけとご経験について教えてください

株式会社ベストブライダルに入社した経緯についてですが、もともと株式会社ミリアルリゾートホテルズで働いている時から、「自分の力で人を幸せにできる仕事は何だろう」と考えていました。ホテルのフロントでチェックインやアウトをしていても、その行動が直接お客様の幸せになる訳ではなく、私としては少々物足りなさを感じていた為、どんな仕事なら直接的に「幸せ」に携われるのか?と模索していた時、ちょうど自分自身が結婚することになり、式場見学で出会ったウェディングプランナーの姿を見て「これだ」と直感したのです。そのまま結婚式とほぼ同時に転職し、ベストブライダルに入社しました。
ところが、実際に入社をしてみるとウェディングプランナーの部署は「営業」だったのです。当時の私にとって営業は最もやりたくない仕事であったことから戸惑いましたが、実際にお客様と接してみると、営業であろうが接客業であろうが、お客様の「幸せ」を創り出すことと言う意味では、全く部署名は関係ない事に気付きました。
結婚式場の営業は大きく二つに分かれています。式場見学から成約に至るまでの「新規営業」と成約後から当日までを担当する「プランナー」です。私は当初希望していた通り、後者のウェディングプランナーとして配属され、やりがいを感じながら日々いきいきと働いていました。
ただ、現場でお客様と向き合う中で、会社の方針に対して納得できない場面もありました。特に、限られたご予算の中でも満足していただける結婚式を提案したいという想いが強くあり、その想いを形にするためには、社内で信頼を得ることが不可欠だと感じました。
そこで私は、応援として参加することがあった「新規営業」の場面で、意識的に成果を上げることに力を注ぎました。新規営業でしっかりと成績を残していれば、自分の信念を持って式をプロデュースしても、誰からも異を唱えられないと考えたからです。
その矢先、上司の交代に伴い私は突然「新規営業の責任者」に任命されました。当初はプロデュースがしたかった私は、戸惑いもありましたが、挑戦する覚悟を持って取り組みました。すると、自分の言葉でお客様に夢を届けられることに気づき、営業という仕事の素晴らしさを実感したのです。その結果、即決率・決定率ともに全国ナンバーワンとなり、数々の表彰を受けるまでになりました。
この経験を通じて、営業は単に契約を取る仕事ではなく、「お客様に夢を見てもらう仕事」であることを学びました。現在でも、BtoC営業に関してはこの経験を基に企業研修の中でその考え方や姿勢をお伝えしています。営業技術だけでなく、営業の本質的な価値を理解できたことは、ベストブライダルで得た大きな財産だと思っています。

独立した2年後に法人化されていますが、当初から予定していたのでしょうか?

独立当初から、いずれは法人化したいと考えていました。ただし、それは会社を大きくしたいからというよりも、扱う事業が「結婚式」であることが理由です。
日本ではまだ「フリーウェディングプランナー」という存在の知名度が低く、若いカップルが「フリーのプランナーにお願いしたい」と親御様に伝えた時、多くの場合「本当に大丈夫なの?」と不安に思われるのではないかと感じていました。そこで、株式会社として活動していれば、「式場に所属せずに独立しているプランナーに依頼するのだ」と説明した際に、親御様から安心と信頼を得やすいのではないかと考えたのです。
そのため、独立直後から「いつか法人化を」と決めていましたが、すぐには踏み切れませんでした。まずは個人事業主として2年間活動し、「この事業は十分に成り立つ」と確信できた段階で法人化に踏み切った、というのが経緯です。

法人設立後、どのような苦労がありましたか?

法人化してから最も苦労したのは、新型コロナウイルスの影響です。会社を設立したのは2020年6月で、ちょうど緊急事態宣言が出された直後でした。どの企業も少なからず打撃を受けたと思いますが、私の場合は事業の性質上、直撃を受けました。
当時は飲食店と契約し、フランス料理のレストランなどで結婚式をプロデュースするスタイルをとっていました。しかし、コロナ禍で「イベント禁止」「大人数での会食禁止」となり、飲食店そのものが営業できなくなったことで、すべての結婚式が中止に。専門学校の授業も、もちろんコロナのような事態を想定していなかったため、一気に仕事がゼロになってしまいました。
法人登記自体は緊急事態宣言が明けたタイミングで法務局に届け出をしましたが、「ここからだ」と思っていた矢先に次々と契約が終了。結婚式場向けのコンサルティング業務も、そもそも結婚式が開催されないため必要とされず、契約打ち切りとなりました。結果的に、立ち上げと同時に全ての仕事を失ったような状態でした。
今だからこそ笑って話せますが、当時は毎晩不安で眠りも浅く、朝起きると歯を食いしばっていたようで顎が痛くなるほどでした。夫も飲食業に携わっていたため、同じように仕事を失い、夫婦で「路頭に迷う夢」を繰り返し見るような精神状態でした。生活は貯金を切り崩すしかなく、本当に厳しい日々が続きました。
そこからようやく2022年頃に少しずつ結婚式が戻り始め、2023年には問い合わせも増えてきました。そんな中でも、私を支えてくれたのは「絶対にNOとは言わない」「諦めずに方法を見つける」という自分の信念でした。
今できることに全力で向き合おうと気持ちを切り替え、マーケティングの知識を学び直したり、異業種の交流会に積極的に参加したりと、外に目を向け続けました。この時期に地道に広げた人脈と経験が、結果として後の「全国展開」へとつながる大きな転機となったのです。とはいえ、最初の2年間はまさに“どん底”とも言える時期で、なんとか耐え忍ぶしかなかったというのが実情です。

お客様の獲得や仕事の輪を広げるためにどのようなことをされてきましたか?

現在は、自分の力で集客を行い、お客様と一緒に「その方にとって最適なウェディング」を考え、形にしていくというスタイルで活動しています。もちろん大前提は「お客様が実現したいウェディング」であり、それを叶えることが最優先です。ただ、その過程で私自身が大切にしている価値観も重ね合わせながら、一緒に創り上げていくことを大切にしています。
日本のフリーウェディングプランナーには、大きく分けて2つのパターンがあります。私のように自ら集客をして独立している人は少数派で、多くは結婚式場から業務委託を受け、そこでプランニングを行う形です。この場合、お客様から見ると式場の社員に見えるため、どうしてもその会社のルールや取り扱う商品に縛られてしまいます。私はそうしたスタイルではなく、自分の理想とするオーダーメイド型のウェディングを実現したかったため、当初はやむを得ず受けていた業務委託案件も、コロナ以降はほとんど受けないと決めました。
転機となったのは、コロナ禍で紹介いただいた金沢のカップルです。彼らは結婚式ではなくフォトウェディングをと考えていましたが「ささやかなセレモニーを、写真を撮る写真スタジオで出来ないか?」と思って写真スタジオのオーナーに相談したそうです。そして、異業種交流会で出会った人脈から私に声がかかりました。当時、私は東京でしか仕事をしておらず、土地勘のない金沢で対応できるのか不安もありましたが、仕事が激減していた中でいただいたご縁に挑戦することにしました。
結果的に、地元の花屋さんやヘアメイクさんとつながり、写真スタジオをチャペルのような雰囲気に変身させて、結婚式を実現できました。その実績を発信したことで、富山や金沢のカップルから新たな依頼をいただくようになり、現地のパートナーとチームを組むことで「全国どこでも結婚式をプロデュースできる」という新しい可能性が見えてきました。
そして、先日は大阪でも結婚式を手がけました。その際は現地のウェディングプランナーに協力をお願いし、競合ではなく「協業」として成功させることができました。こうした取り組みを通じて、東京に限らず全国でフリーウェディングプランナーとして活動できる手応えを感じています。

今後のご展望をお聞かせください

今、私が一番実現したいと考えているのは、「誰と?どんな?」から始まるオーダーメイドウェディングのカタチを普及させるために、日本のウェディング業界を「カップルが好きなウェディングプランナーを自由に選び、好きな結婚式場で結婚式を挙げられる」ようにしていくことです。
現状、多くの結婚式場はフリーウェディングプランナーの受け入れを行っていません。私自身、かつて式場の支配人をしていた立場から考えると、その理由も理解はできます。というのも、式場には独自の運営方法があり、複数の結婚式を同日に行う場合には新郎新婦同士がすれ違わないよう綿密にオペレーションが組まれています。こうした裏側の動きは、内部のスタッフにしかわからない情報やルールが多いため、外部のプランナーが入るとスムーズに対応できないリスクがあるのです。また、トラブルが起きた際の責任の所在が不明確になるという懸念もあります。
とはいえ、実際に「どうしてもこの式場で、でも岩田さんにプロデュースしてほしい」と希望してくださるカップルがこれまでにもいました。しかし最終的には、場所を優先して結婚式を挙げられるケースもありました。その時は本当に悔しく、「日本のウェディング業界はまだまだ自由ではない」と痛感しました。今の時代、結婚式は単なるパッケージ商品を選ぶのではなく、もっと自由に、個々のカップルの思いを反映できる形であるべきだと思っています。
その理想を実現するために、私はフリープランナー同士が連携し、情報や経験を共有できるようなネットワークを構築したいと考えています。さらに式場側も「一定の知識や配慮を備えたプランナーが担当している」と安心できる仕組みがあれば、受け入れの幅も大きく広がるはずです。そうした信頼関係が築かれることで、「人」も「場所」も自由に選びながら、お客様が自分らしい結婚式を安心して実現できる。
それが、プランナーにとっても、会場にとっても、そして何よりお客様にとっても、心から喜ばしい未来につながると信じています。この「三方よし」を実現できる仕組みを作ることは、必ず成し遂げたい目標だと考えています。

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ウォルト・ディズニーがどれだけ過酷な状況でも、転んでは起きあがり、また転んでは起き上がり、あきらめなかったからこそディズニーランドと言う夢の国が出来上がった事、そして世の中に存在し続け、人々に喜ばれるものには、それを創り上げるんだと思い続けるウォルト・ディズニーの強固なる信念があるからこそ、今の「ディズニー」の姿があるのだという事がよくわかりますので、ぜひご一読ください。
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『社長の履歴書』編集部
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