今回は株式会社赤鹿地所代表、赤鹿 保生氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
会社名称 | 株式会社赤鹿地所 |
代表者 | 赤鹿 保生 |
設立 | 1986年9月 |
主な事業 | 兵庫県姫路市を中心に住宅地の開発と分譲販売・仲介、賃貸マンション事業、賃貸物件の募集管理、商業開発 |
社員数 | 30名(取材時) |
会社所在地 | 姫路市辻井1丁目1番23号 |
会社HP | https://www.akashika-jisho.co.jp/ |
事業内容を教えてください
株式会社赤鹿地所は兵庫県姫路市を中心に住宅地の開発と分譲販売・仲介、賃貸マンション事業、賃貸物件の募集管理、商業開発を通して、総合不動産会社として「不動産の価値創造」に取り組んでいます。
私は1999年に代表取締役社長へ就任後、現在の主力事業の宅地分譲事業に着手し、独自の建築条件無しの分譲地シリーズ「ロワイヤルガーデンズ」を兵庫県南西部を中心に展開しました。その後2005年には不動産仲介代理業から不動産開発業に転換し、用地仕入れを強化し宅地分譲事業に注力してきました。そして、分譲地受諾販売や住宅会社紹介サービス「いえとち相談窓口」、賃貸管理の相談窓口等の賃貸管理業務を強化する等、姫路市のニーズにあわせ事業展開を行っています。
また、人材育成にも積極的に取り組み、当社独自の人材育成制度「人材育成の3つの柱」をかけて確立し、社長就任からわずか25年でグループ売上高1億円から30億円へと成長させました
特にこの3年間は中期経営方針として、「赤鹿地所グループ構想2027」を掲げ、専門性とマーケットシェアを強化し“姫路1番の不動産総合商社”を目指してきました。
「赤鹿地所グループ構想2027」
1.赤鹿地所グループの組織進化(①事業会社2社の新設、②新社屋建設、③収益率アップ)
2.分譲地供給数第1位、土地販売数第1位、売却受諾数1位(姫路市土地販売数500件の達成)
3.賃貸管理相談1位、管理受諾1位、管理物件平均入居率1位(姫路市管理戸数2000戸の達成)
4.未来の経営幹部候補の育成
5.グループ売上高40億円、営業利益8億円の達成
不動産の価値創造をするためには周辺環境や調和を理解することが重要です。右から左に不動産を動かすのではなく、きちんと私たちのアイディアを入れることを大切にしています。我々が関わることで価値の創造に関わる仕事をしていきたいと考え、日々誠実に仕事に向き合っています。
何かPRしたいことはありますか?
姫路地域で多くの分譲地を供給している「ロワイヤルガーデンズ」を知っていただきたいです。
ロワイヤルガーデンズは「好きな土地に好きな家を建てたい」というお客様の住まいの理想を叶えるための分譲地です。お好きなハウスメーカーで建築できるだけでなく、売主が当社なので仲介手数料が無料です。もちろん、住宅会社のご紹介もお任せください。
また、毎年160区画ほど販売しておりますが、その半分は住宅会社からの紹介です。50社ほど住宅会社と提携をしているので、お客様の要望にあった土地と住宅会社をご紹介できます。土地においては、当社は姫路市内で最も提供が多いので、100%近くの情報をお客様に提供することができます。地域で一戸建てを建てたいと思ってらっしゃるお客様は、まずは当社にお越しください!
ロワイヤルガーデンズの詳細はこちらをご覧ください。
https://www.akashika-jisho.co.jp/royal-gardens/
ここからは赤鹿社長についてお聞かせください。学生時代に熱中したことはありますか?
学生時代はレーシングカートに熱中していました。昔から車が好きで12歳から始めました。地方選手権や全日本選手権のレースに出場し、10代の頃はプロになりたいと思っていましたね。ただ大学生の頃にバブルのピークが来たこともあり、就職の道を選びました。
新卒はどのような会社でしたか?
マンションデベロッパーの会社に就職し、投資用ワンルームマンションの販売に携わりました。
昔からそんなに勉強ができた方でもないですし、唯一打ち込んだカーレースも中途半端で終わってしまいました。そのため、社会人になってからは本気で仕事に取り組みました。
その結果、新卒で入社した同期200人いましたが、上司に恵まれたこともあり新人賞を獲得できました。これまで表彰されたり、褒められたりする経験がなかったので、仕事を通して結果が出る面白さを感じることができました。
サラリーマン時代にやっておいて良かったことはありますか?
朝から晩まで飛び込み営業をしたことが糧になっています。
ちなみに、外回りの後は先輩が使い古したお客様リストに何十回も電話していました。
これらの経験から、端的にお客さんにお話を聞いてもらうにはどうしたら良いか、あるいは実際に会ったときにお客さんと距離を近づけるためにはどうしたら良いかということに関しては、自分なりにやりながら苦労したことが今となっては良い経験になったと思います。
また、モデルルームのご案内のアポからご購入くださったり、数年後そのお客様のお子様がマンションを買ってくださることが自信につながりましたね。
順風満帆なサラリーマン生活ですが、どうして家業に入られたのでしょうか?
1990年頃からバブル崩壊により業績が悪化したことや、父親から「そろそろ姫路に帰って来い」と言われたこともあり、父の会社に入社しました。
元々父はは建築業を営んでおり、バブル期に作った僅か人員3名の不動産(宅建業者)がありました。
当時は会社としての目標がなく、育成システムもない会社でした。そのため、入社後は不動産仲介業を軌道に乗せ、1999年に代表取締役社長に就任。分譲マンションの販売受諾に積極的に取り組み、不動産営業の経験を元に不動産実務や業務フローを整え販売実績を重ねてきました。
すばらしいですね。経営をする中で大変だったことを教えてください
別会社にアカシカハウスという分譲マンションの会社があり、赤鹿地所の社長と赤鹿ハウスの社長を兼任する時期がありました。赤鹿ハウスで分譲した分譲マンションを赤鹿地所に販売代理をさせ、販売業務を委託するというスキームを作ったことで一時は右肩上がりの成長を遂げました。当時は 分譲マンションブームの再来ともいわれ、分譲マンションの販売受諾を増やすために多くの社員を採用しました。しかし、マンションブームの終焉と共に販売不振に陥り、父親との経営方針で非常に揉めて、アカシカハウスの社長を解任されました。
分譲マンションの販売受諾も解消され、売上の約7割を失う程の業績急変で止む無く大切な社員のリストラを決意しました。
リストラは、会社を去る社員が1番しんどい思いをします。中には「給料半分になってもいいからこの会社に置いてくれ」と言ってくれる社員もいました。
この時は、社員はもちろんのこと、大切な仲間を切る判断をしなくてはならない私もとても辛い思いをしました。
私はこのことがきっかけで、経営者としてのマインドが変わりました。これまでお金儲けや、目標達成に重きを置いていましたが、目指すべき経営の在り方や、経営理念、経営ビジョンを考えていきました。大変な経験があったからこそ、経営者の勉強を始めて、大切なことに目覚めることができました。
どのような勉強をしましたか?
田舞 徳太郎さん著書『無知は人生に壁をつくる』『理念経営のすすめ-成功する会社の経営理念と戦略』という本が1番私のためになりました。
1999年から曲がりながら経営者をしてきましたが、経営者は価値観や考え方の情報を収集していかなければなりません。なぜなら、自分だけの思い込みで物事を進めると、非常に小さな考えになってしまうからです。
この本に出合ったことで、私は経営者として、何のために経営をしているのか、自社の存在意義や経営者としての使命や役割を初めて考えました。そして、小さくても強い会社を作りたい、社員をもっと幸せにしたい、社員満足なくして顧客満足はあり得ないと思いました。
今後の展望を教えてください
経営ビジョンである「不動産価値創造企業」が当社の使命です。全国展開を目指すことを目標としておらず、あくまでも、我々が営業を展開する兵庫県南西部というエリアを中心に活動します。しかし価値創造の分野で事業領域を広げていく必要はあると思います。少子化の時代になり、空き家問題は必ず出てきます。現在のままでは市場で評価されにくい不動産が今後増えてくるので、私たちが工夫して用途開発をしていきたいです。地主さんや地域から喜んでいただけるような不動産総合会社として進んでいきます。
![]() 【Amazon URL】 |
![]() 【Amazon URL】 |
投稿者プロフィール

-
企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
企業出版のノウハウを活かした記事制作を行うことで、社長のブランディング、企業の信頼度向上に貢献してまいります。
最新の投稿
仕事07/28/2025株式会社赤鹿地所代表 赤鹿 保生氏
仕事07/23/2025富山ターミナルビル株式会社代表 水田 整氏
仕事07/14/2025常陸放送設備株式会社代表 田村 弘氏
仕事07/14/2025株式会社東北用地測量社代表 岸野綾子氏