今回は株式会社エージェント・スミス代表、山菅 利彦氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
会社名称 | 株式会社エージェント・スミス |
代表者 | 山菅 利彦 |
設立 | 2009年4月 |
主な事業 | エージェントサービス
プロフェッショナルサービス |
社員数 | 132名(取材時) |
会社所在地 | 東京都港区麻布台1-3-1 麻布台ヒルズ森JPタワー17F |
会社HP | https://www.agentsmith.jp/ |
会社について教えてください。事業内容と強みは何でしょうか?
株式会社エージェント・スミスは大手ベンダーやコンサルティング会社とは一線を画し、「DSX(Digital Service X-formation)」という独自のコンセプトを掲げているITエージェントです。
私たちが目指すのは、従来のDXの枠を超え、真の変革を提供することです。
DSXの根底にある考え方は、「単なるテクノロジー導入では本当の変革は実現しない」というものです。企業がDXを本当に成し遂げるためには、知の領域(思考・戦略)と人の領域(組織・文化)にまで踏み込む必要があります。そこで当社は「エージェントサービス*」と「プロフェッショナルサービス**」という二本柱を通じて、企画構想から実装・運用まで一貫してお客様に伴走しています。
https://www.agentsmith.jp/service/
*エージェントサービス:お客様と同じ立場でITの企画・計画・構想から関わるサービス
**プロフェッショナルサービス:要件定義から設計・開発・テスト・実運用などをサポートするサービス
DSXについて詳しく教えてください
「DSX」とは、DXの本質を踏まえた概念です。DXとは、要するに新しいデジタル技術を導入し、既存の業務プロセスを壊して再構築し、テクノロジーを活用した新しい手順で事業を再編していく取り組みであり、本来は非常に前向きで価値あるものなのです。
ただし、DXを実現するには、単に業務を作り直すだけでは不十分です。デジタル技術をどの領域で活用し、どの部分は人間が担い、どう定義づけて運用していくかをしっかり判断できるリテラシーが不可欠です。そのため、実際にDXを推進できるのは、高度な知見を持つユーザーに限られます。世の中では「DXを進めましょう」と気軽に語られることが多いのですが、実際には極めて難易度の高い取り組みなのです。
さらに、DXは業務改革にとどまらず、顧客に提供するサービスそのものの変革にもつながります。ユーザーが活用する技術が変化していく以上、提供するサービスの形も必然的に変わっていきます。
こうした業務改革とサービス変革を包括的に捉えた概念を、私は「DSX」と呼んでいます。
なぜこの事業を展開しようと思われたのでしょうか?
IT業界はプロダクトを開発し、それをお客様に販売して収益を上げるというビジネスモデルで成り立っています。例えば「新しいサーバーを開発しました、販売します」といったモデルは、家電業界で「新しいテレビが登場しました。従来よりも画面が美しくなりました」と宣伝するのと本質的には変わりません。ハードウェアに関しては、物を売るという発想が基本にあります。
ただし、IT製品の場合は単にハードを売るだけでは機能しません。サーバーを導入しても、そのままでは稼働せず、中身にソフトウェアを組み込むことで初めて動作するのです。ソフトウェアには大きく二つの形態がありますが、その一つはいわゆる「出来合い」のソフトウェアで、日常的に私たちがスマートフォンにインストールして利用しているアプリのようなものです。これを販売することは、プロダクトそのものを売るということにあたります。
近年では、こうしたプロダクトがクラウドの形態へと移行しつつあります。しかし本質的には「出来合いのものを期間単位で切り売りしている」ことに変わりはありません。ユーザーは自社に最適なものを選び購入するのが理想ですが、現実には各メーカーの営業が「自社製品こそ最適だ」と売り込みに来るため、必ずしもお客様に合ったものが提供されるとは限りません。
例えるなら、六畳一間に住む人に100インチのテレビを勧めるようなものです。確かに画質や音質は素晴らしくても、生活環境に合わなければ不要であり、むしろ不便になります。しかし、ソフトウェアの場合は目に見えないため、営業担当者に「これは高性能です」と言われれば、お客様は本来必要のない数千万円から数億円規模のシステムを購入してしまう可能性があるのです。実際には、もっと低コストなシステムで十分に業務が回る場合も少なくありません。
現代は製品の種類が膨大に存在し、選択肢が多すぎるため、お客様自身が自社に最適なシステムを判断することが非常に難しくなっています。必要となるのは豊富な製品知識とITリテラシーですが、それをお客様が自力で備えることは容易ではありません。そこで当社では、お客様に代わって最適な製品を選定し、提供するサービスを展開しています。
どのような業界であってもご支援可能ですので、ご依頼、ご相談は下記URLよりご連絡ください。
https://www.agentsmith.jp/contact/
AIの登場によって、今後業界はどのように変わっていくと予想されていますか?
現在、IT業界はAIの登場によって大きな変革の真っ只中にあります。今後もAIは急速に普及し、その作業範囲はさらに拡大していくでしょう。つまり、AIと人間の役割分担が時代とともに大きく変化していくと考えられます。
例えば、これまでプログラムの作成は人間がプログラミングを行ってきました。しかし今後は、プログラム作成そのものがAIに置き換えられるようになっていきます。また、人間が担ってきた比較的単純なIT業務は、AIが代替する時代へと移行していくでしょう。その結果、システム構築や運用のあり方も大きく様変わりすると予想されます。
そのとき最も重要になるのは、AIに正しいインプットを与える人間の存在です。AIが自動的にプログラムを生成するにしても、その生成を可能にするための入力が不可欠だからです。範囲は変化していくものの、この役割は今後も求められ続けるでしょう。
これまでは、お客様がITエンジニアに要件を伝え、エンジニアが設計・構築・テストを行うという手順でした。ところが今後は、要件を受け取ったらAIへのインプットを作成し、AIがシステムを生成するというプロセスへと移行していきます。つまり、ITエンジニアの仕事の内容そのものが大きく変化するのです。
そして、その変化は当社が展開している「エージェントサービス」(お客様と同じ立場でITの企画・計画・構想から関わるサービス)の領域にどんどん近づいていきます。現在のITエンジニアは、私たちが定義する「プロフェッショナルサービス」(要件定義から設計・開発・テスト・実運用など)にあたる領域のみを担っていますが、今後はエージェントサービス的な業務が拡大し、そちらにシフトせざるを得なくなるのが現実です。その意味で、我々はすでに先行して取り組んでいるため、今後も大きな優位性を持てると考えています。
ここからは山菅社長のことをお聞かせください。学生時代に頑張ったことはありますか?
中学から高校まで本格的にサッカーをしていました。大学に入ってからはスキーに転向しましたが、サッカーは当時、プロを意識するほど真剣に取り組んでいました。
高校時代には全国レベルの選手と一緒にプレーする機会がありましたが、「本当にすごい選手はこういう人たちで、彼らこそがプロになるのだ」と実感しました。実際に日本代表に選ばれる同級生もいて、自分との実力差を目の当たりにしたのです。そこで、これ以上続けても意味がないと感じ、サッカーをやめる決断をしました。
スポーツの世界は、限られた選手だけが生き残れる非常に厳しい世界です。会社員であれば「エリート」と呼ばれる人は数多く存在しますが、スポーツ選手として成功できるのはほんの一握りです。自分がその領域に到達できるとは思えなかったため、職業として続けるレベルではないと判断しました。
一方でスキーは、高校時代から趣味として楽しんでいました。大学では体育会系の活動として取り組みましたが、それはあくまで趣味の延長であり、サッカーとは違って純粋に楽しむために続けていたものです。
いつ頃からITの世界に興味を持たれたのでしょうか?
残念ながら、私の学生時代にはパソコンがありませんでした。しかし、IT業界そのものには強い関心を持っていました。これからの未来をつくっていくのはこの分野だと感じ、「どうせ働くならそういう世界に進みたい」と思って、この業界を選んだのです。
私が就職した頃、コンピューターといえば現在でいう「汎用機」にあたる大型コンピューターでした。中規模の「オフコン(オフィスコンピューター)」も多く、今でいうサーバーに近い存在でしたが、パソコンはまだ普及していませんでした。端末もいわゆるシンクライアントで、キーボードとモニターだけ。端末自体にはプロセッサーがなく、ホストコンピューターに通信でつながり、画面に表示するだけの仕組みでした。
世の中の流れを見ても、いずれはパソコンが普及していくだろうと感じていましたし、私自身も漠然と「将来は商売をしたい」という思いを持っていました。ただ、それが現在の仕事につながるとは当時は想像できていませんでした。いずれにせよ、自分は何かを起こすタイプだろう、と考えていたのです。
そのため、新卒で就職先を選ぶ際には、将来的に独立するための経験を積める会社を意識しました。
社会人として経験されたお仕事のなかで、印象に残っていることはありますか?
入社した会社は今では大手SI企業ですが、当時はまだ立ち上がったばかりの小さな会社でした。
入社後は航空会社の国際線予約システムのプロジェクトに携わるなど、ハイレベルな技術や運営の現場を経験することができました。この経験は、今の自分の基盤になっていると感じています。
また、その会社には23年間勤めましたが、正直に言えば「成功」と呼べるプロジェクトは少なく、失敗の方が多かったです。それほどシステム開発のプロジェクトは難易度が高く、多くが失敗に終わるのが現実だということを思い知りました。
プロジェクトの成功と失敗は、どのように判断されるのでしょうか?
プロジェクトの成功とは、品質・コスト・納期の3つが、当初の計画どおりに達成されることを指します。例えば「納期には間に合ったがコストが大幅に増えた」「コストは収まったが納期が3か月遅れた」「コストと納期は守られたが品質が低い」といった場合は、いずれも失敗です。
SI(システムインテグレーション)、いわゆる「一括受託」では、お客様がベンダーにシステムを発注し、ベンダーが見積もりを提示します。たとえば「100億円で2年、今年4月に開始し、2年後の3月末に完成」という契約が交わされたとします。この場合、その通りに完了して初めて成功と言えるのです。納期が遅れても、品質が下がっても、あるいはコストが超過しても失敗とみなされます。
ここで大きな問題となるのが、お客様とベンダーの利害の相反です。お客様は100億円を支払うからには、できる限り多くの機能を盛り込みたいと考えます。一方のベンダーは、できるだけコストを抑えて利益を確保したい。極端な話、実際には50億円で開発できれば、残りの50億円が利益になるからです。この構造自体がトラブルの温床となっています。
そのため、途中で必ず交渉や対立が発生します。お客様が「この機能も追加してほしい」と要求すれば、ベンダーは「それは見積もりの100億円には含まれていません」と主張する。一方でお客様は「いや、含まれていると思って契約した」と言う。こうして長いネゴシエーションが続き、その結果、納期が遅れるのです。
さらに厄介なのは品質の定義です。品質とは「お客様が100億円の価値があると感じるかどうか」であり、曖昧です。要件をすべて盛り込めなければ「品質が悪い」と言われてしまいますし、逆に盛り込みすぎればシステムが動かなくなる、納期に間に合わないといった事態も頻発します。私は20年以上こうした構築プロジェクトを見てきましたが、同じような問題ばかりが繰り返されてきました。
そこで、「先述したようなトラブルが起こらないようサポートできる仕事をしたい」という思いから生まれたのがエージェント・スミスのサービスです。お客様が過剰な要求をしすぎないように、またベンダーが不当に利益を得ようとしないよう調整する。それが私たちの役割です。具体的には、専門的な知識と経験を背景に、「これは見積もりに含まれていますよ」とお客様の立場でベンダーに伝えたり、逆に「それ以上追加すると納期に間に合いませんよ」とお客様に助言したりします。これこそがプロジェクトマネジメントの本質であり、私たちが提供している価値なのです。
起業するタイミングはどのように考えていらっしゃったのですか?
私は会社に入社したときから「30歳で独立しよう」と考えていました。23歳で入社し、そこから7年で起業するつもりだったのです。ところが実際に30歳を迎えてみると、自分の力がまだまだ未熟で、この実力では会社を経営することは難しいと痛感しました。当時は今のようにベンチャー企業が盛んでもなく、その点でも現実的ではないと判断し、もう少し修行を積もうと考えました。
すると32歳で部長に昇進しました。マネジメントを任される立場になると、自分ひとりの力ではどうにもならないことが増え、学ぶべきことが非常に多いと実感しました。必死にマネジメントを勉強していたところ、34歳で取締役に就任しました。これはすでに経営者の領域であり、上場企業で経営の現場を経験できることは大きな学びになると考えました。独立する自信もつき始めていましたが、それでも「経営の世界をもう少し学んでからにしよう」と思い、40歳を目安に独立を考えるようになりました。
ところが40歳の頃には、大規模かつ重要なプロジェクトを数多く管轄しており、責任者としてお客様の役員クラスと直接、交渉や調整をしながら進める立場にありました。そのため、なかなかプロジェクトが途切れず、独立のタイミングを見出せませんでした。結果的に区切りが訪れたのはリーマンショックのときです。リーマンショックによって状況が一度リセットされ、そこで退職し、会社を設立しました。
もっとも、起業した直後にリーマンショックに直面したため、最初から非常に厳しい環境でのスタートとなりました。
経営者として仕事をしてきたなか、どのような苦労がありましたか?
私自身は経営を続ける中で大きな苦労や苦痛を感じてきたわけではありません。ただ、強いて挙げるとすれば、二つの出来事が印象に残っています。
一つは2011年3月の東日本大震災です。当時、大手のお客様に数十名単位でご支援をしていましたが、お客様の事業が一気に止まってしまい、大きなピンチを迎えました。
もう一つは2020年の新型コロナウイルスの流行です。発生当初は、事業をどう継続できるのか全く先が見えず、さまざまなケースを想定してシミュレーションを繰り返しました。もし業務が全面的に止まれば会社が傾く可能性もあるため、「こうなったらこう対応する」という対策を頭の中で常に描いていたのです。結果として、テレワークの普及などもあって想定ほど業務は減らず、むしろ一部では増加しました。
なぜなら、コロナ禍により顧客企業の情報システム部の予算が縮小され、お客様側の社員だけで出来るだけ業務を対応すると判断した一方で、当社はお客様の業務をお客様と同じ立ち位置で支援していたため、仕事が増えたというお客様も少なくありませんでした。結果的に「減った分」と「増えた分」が相殺され、全体としては大きな影響は受けませんでした。ただし、発生当初は「必ず業績が落ちる」と思い込んでいました。実際にはそうならなかったですが、精神的には震災以上に長く不安な時期を過ごしました。
もちろん、それ以外にも炎上したプロジェクトなど実務上の困難はありました。SIではないものの、プロジェクトが失敗しかけ、会社として「死なない程度に血を流す」ような経験もしました。これは当社自身のマネジメント能力の不足による面も大きかったため、ある意味では仕方のないことだったと思います。
しかし、震災やコロナのように避けようのない外部環境の変化は、経営をしていて最も「ヒヤッとした」出来事でした。創業から16年間を振り返ると、この二つが最大の試練だったといえます。
避けようのない外部環境の変化に対して、何か対策されていることはありますか?
特別な対策を講じているわけではありません。ただし、私たちが最も重視しているのは「お客様から高い評価と信頼を得られているかどうか」です。評価が高ければ、お客様は必要に応じて人員を削減する際にも、信頼できるエンジニアを残し、そうでない人材を削る判断をします。仮に「人員を半分にしましょう」となった場合でも、生き残れるのは実力のあるエンジニアです。したがって、エンジニア一人ひとりの力を高め、成長を促すことこそが最大の対策になると考えています。特別な取り組みよりも、基本を徹底することの方が重要だと思います。
今後の展望を教えてください
これからは、当社が掲げる「DSX(Digital Service X-formation)」の概念を、より多くの企業に広め、真の意味でのDXを社会に浸透させていきたいと考えています。また、IT業界そのものがAIの発展によって、否応なくDXへと進んでいきます。仕事のやり方が大きく変化していく中で、私たち自身がその変化をリードし、お手本を示していく必要があると考えています。発展したITの世界では「こう取り組むべきだ」という成功事例を私たちがつくり出す。それこそが、当社としての成長のあり方であり、今後の目指す方向性だと考えています。
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企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
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