
今回は株式会社スケールエーアイ代表、石井一生氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
| 会社名称 | 株式会社スケールエーアイ |
| 代表者 | 石井 一生 |
| 設立 | 2024年 |
| 主な事業 | シニア向けAI・英語オンラインスクール「スタートAI」の運営 |
| 会社所在地 | 東京都新宿区新宿4-1-6 JR新宿ミライナタワー 18F |
| 会社HP | https://scaleai.co.jp/ |
事業紹介をお願いします
シニア世代に向けて、英語とAIのオンラインスクール「スタートAI」を運営しています。ターゲットは50代、60代、70代の方々です。ただ、私たちは英語やAIを教えることがゴールだとは考えていません。目指しているのは、シニアの皆さんが第二の人生を楽しみ、新しい仲間と出会い、人生をより豊かに過ごせる環境をつくることです。英語やAIは、その実現のための手段の一つです。
シニアの皆さんは、昭和の時代に家庭や自分を後回しにして仕事に打ち込んでこられた方が多い。子育てや定年を終えて、ようやく自分の時間ができたという方も少なくありません。アンケートを取ると、お一人あたり平均5つほど趣味をお持ちで、そのうち7割の方が新しいことに挑戦したいと答えられます。ところがいざ始めようとすると、「やり方がわからない」「不安だ」という壁にぶつかってしまう。
だからこそ、その壁をできる限り低くしたい。わかりやすく、一緒に伴走しながら、シニアの方が安心して一歩を踏み出せる場をつくる。私たちが本当に提供しているのは、英語やAIのスキルそのものではなく、シニアの居場所だと考えています。
ほかのスクールにはない、御社ならではの強みを教えてください
正直にお話しすると、私たちは教材や講師、アプリといった機能そのものを競争力だとは考えていません。もちろん品質には徹底的にこだわっていますが、本当の価値は、お客様が安心して挑戦し、変化を実感し、仲間とともに学び続けられる環境をつくることにあると考えています。だからこそ、教材やカリキュラムは、どなたでも無理なく理解し、一歩ずつ成長を実感できるよう、わかりやすさを徹底的に追求しています。最新だから難しいものではなく、誰もが「できた」と感じられる学びを大切にしています。私たちが提供したいのは、英語やAIの知識だけではありません。新しいことに挑戦する楽しさ、できるようになる喜び、そして仲間とともに学び続けられる環境です。私たちが最も大切にしているのは、変化を感じられること、楽しいこと、そして続けられること。この3つです。
私たちの強みは、お客様が本当に求めているものを徹底的に考え続けてきたことです。表面的には「英語が話せるようになりたい」「AIを使いこなせるようになりたい」という声を多くいただきます。しかし、お客様と向き合い続ける中で、その奥には別の願いがあることに気づきました。それは、「新しいことに挑戦したい」「誰かとつながっていたい」「誰かの役に立ちたい」という思いです。知識やスキルを身につけることが目的ではなく、その先にある人生の充実や人とのつながりを求めていらっしゃる方が、とても多いのです。だから私たちは、英語やAIを教えるだけでは終わりません。一人で学ぶのではなく、仲間と交流し、発表する機会をつくり、お互いを応援し合える環境づくりを大切にしています。私たちが目指しているのは、学ぶ場所ではなく、人生をより豊かにする居場所をつくることです。
私たちは、最新のAIや新しいメソッドだけでは本当の意味で人生は変わらないと考えています。もちろん、それも大切な要素ではありますが、それ以上に人とのつながりや安心して挑戦できる環境が、人を前向きにすると信じています。
最初は先生と生徒のマンツーマンで学んでいただき、慣れてきたらグループレッスンやコミュニティ、英語で行うイベントなど、一対多の場へ少しずつ広げていきます。似た境遇の仲間がいる安心感が生まれ、やがて発表できる場もできて、誰かの役に立てたと感じられる。
ですから競合も、ほかの英語スクールやAIスクールだとは捉えていません。シニアの居場所をつくっている事業者こそが、本当の競合だと考えています。潜在的なニーズを調べ尽くし、そこに伴走し続ける。この一点に、私たちならではの価値があると思っています。
ここからは石井社長ご自身のことをお聞かせください。学生時代に打ち込んだことはありますか?
勉強はあまり得意ではありませんでした。通知表はほとんど1か2で、3があれば自分の中では上出来というくらいです。図工や体育といった科目も芳しくありませんでした。ただ、学校が嫌いだったわけではなく、毎日きちんと通ってはいたんです。成績だけがついてこなかった、という感覚に近いですね。
部活はやっておらず、小・中・高とずっと帰宅部でした。中学で一度だけ剣道部に入りましたが、途中から行かなくなり、家ではファミコンばかりやっていました。
そんな中で夢中になれたのがバイクです。高校で周りが乗り始めたのをきっかけに自分も免許を取り、50ccの小さなものを手に入れました。家に帰るとエンジンをいじったり磨いたりして、授業中もバイクのことを考えていたのでほとんど聞いていなかったと思います。学生時代に一番時間を使っていたのは、このバイクでした。
そこから整備士になりたいと考え、専門学校を受けたのですが、結果は不合格。進路に行き詰まったこともあり、もともと好きだった旅に出ることにしたんです。
旅に出てから、印象に残っている経験はありますか?
ワーキングホリデーのビザを使って、まずニュージーランドに行きました。現地で働きながら過ごせると知って、30万円ほど貯めて出発したんです。英語はほとんど話せませんでした。ハローとサンキュー、あとは数字が10まで言える程度でしたね。空港に着いても街への行き方がわからずに5時間ほどうろうろして、見かねた日本人の方に助けていただいたのを覚えています。
旅先では、主に農家で力仕事をさせてもらいながらお金を稼いでいました。宿は一泊1,000円もしないような安宿で、食事は安い食パンばかり。毎日食べていると、何もかもが食パンの匂いに感じられてくるほどでした。風邪をひいても全部自分でどうにかするしかなく、そうやって少しずつ自立を覚えていった気がします。ニュージーランドを一周し、オーストラリアも回って、そのあとは東南アジアへ行きました。シンガポール、マレーシア、タイ、カンボジア、ベトナムと、2年近く旅をしていました。
旅の中で特に忘れられないのが、カンボジアでごみ拾いをして暮らしていた子どもたちです。当時のカンボジアは平均寿命が50歳くらいで、栄養が足りずに若くして亡くなる方も多いと聞きました。その子どもたちは4歳くらいでしたが、ごみの中から使えるものを拾って売り、自分たちで生計を立てていました。彼らと話す機会があり、夢は何かと尋ねたら、ある子が「生きることです」と答えたんです。
とても衝撃でしたね。4歳の子が生きるために自立して頑張っている。それなのに自分は20歳を過ぎても親のすねをかじって旅を続けている。これではいけない、ちゃんと日本に帰って働こうと、その場で決めました。日本人として生まれて、こうして海外を旅できているのも日本のパスポートのおかげです。それだけ恵まれているのなら、まずは自分の力で働いて、自立しなければいけない。そう思って、旅はすぐに切り上げました。
旅から戻るとき、自分の中で決めたことがあったそうですね
帰ってくるときに、3つのルールを決めました。1つ目は、友達と遊ばないこと。2つ目は、ネガティブなことを言わないこと。3つ目は、人の助けを徹底的に借りること。これは今も守り続けています。
仲間はつくりますが、いわゆる友達付き合いはほとんどしません。食事も、先輩の経営者かスタッフか、どちらかと一緒にとることが多いですね。先輩の話からは学ぶことが多く、新しいチャンスにもつながります。ネガティブなことについては、自分が尊敬する人たちが口にしていなかったので、自分も言わないと決めました。思ったとしても口には出さない。人の悪口や、環境や人のせいにするようなことは言わないようにしています。
無駄な時間をできるだけ使いたくない、という思いも強いです。20代の頃からお酒もほとんど飲みませんし、意味がないと感じるものには時間を割かないようにしてきました。
その考え方は、今の会社にも反映されているのでしょうか?
3つ目の「人の助けを借りる」と「人のせいにしない」という姿勢は、そのまま会社の文化に使っています。社内でトラブルが起きても、誰々が悪い、とは言わない。あの人が、ではなく、なぜその問題が起きたのかという構造のほうを見て、どこを直せば起きなくなるかを考える。そういう向き合い方を徹底しています。
私自身、英語スクールをやっていながら英語はほとんど話せません。教材もシステムも営業も、自分ではできないことばかりです。会議ではバイリンガルのスタッフに横についてもらっているほどで、基本的には何もできないんです。だからこそ、できる人を集めて、みんなで一人前になれる組織をつくることにこだわってきました。旅で得たこの気づきが、今の経営の土台になっていると思います。
日本に戻ってからは、どのように働き始めたのですか?
帰国してすぐは、知人に誘われて完全歩合の営業の仕事を始めました。当時の私には学歴も実績もなく、雇ってくれるところはそう多くありませんでした。なんでもやりますという気持ちで営業の仕事に飛び込んだら、これが思いのほか性に合っていたようです。同世代と比べれば、ずいぶん稼げていたほうだと思います。
ただ、稼げてはいても、幸福感はあまりありませんでした。毎日忙しく動いてはいるのに、楽しいという気持ちがだんだん薄れていって、これは自分のやりたいことだろうかと考えるようになったんです。それで2,3年で区切りをつけました。
その頃、経営者の方と知り合う機会が多かったので、ある社長のもとで付き人のようなことをさせてもらうことになりました。運転手のような役回りです。そこからチャンスをいただいて、中古のブランド品をインターネットで売る仕事を始めました。まだインターネット販売が珍しかった時期で、これがそこそこ当たったんです。
ただ、その社長とは次第に志がずれていきました。私は会社をもっと大きくしていきたかったのですが、方向性が合わなくなってしまって。そんなとき、25歳くらいで投資家の方と出会い、出資を受けて自分で起業することになりました。
起業されてからは、どのような事業を手がけていたのですか?
最初に手がけたのは、インターネット関連の事業です。まだ電話回線でつないでいた時代で、通信も遅く、動画は扱えませんでしたから、静止画を配信するようなサービスから始めました。これがそこそこ当たって、そこから携帯向けのゲームや、当時はまだ珍しかったマッチング系のサービスなど、流行を調べては形にする、ということをスピード感を持ってやっていきました。幸いその多くが当たり、25歳くらいから35歳くらいまで、ずっと走り続けました。年商は6億円ほどまでいきました。
当時の私は、稼いで、好きなことをして、行きたいところに行く。そういう優雅な暮らしこそが成功だと思い込んでいました。それが正しいことだし、スタッフにとってもいい刺激になるはずだと、自分のエゴをそのまま追い求めていたんです。35歳のとき、海外で子育てをしたいという思いから家族とハワイに移住しました。自分自身、子どもの頃にいろいろな場所で育ち、さまざまな価値観に触れてきたことが今に生きている。だから子どもにも、同じ環境にとどまらず、いろいろな世界を見せてやりたかったんです。
移住にはビザが必要で、そのためには現地で会社を持たなければなりません。何かないかと探していたところ、ちょうど現地の英語スクールが売りに出ていました。それなら、と買い取って、ビザを取得しました。今の事業の原型になる英語スクールは、もともとは住むための手段として始めたものだったんです。
海外に移ってから、難しさを感じることはありましたか?
ハワイで暮らし始めてしばらくすると、日本に残してきた事業がだんだん調子を崩していきました。離れていれば当然のことなのですが、業績が落ちるにつれて株主との関係もこじれていったんです。今振り返れば、これが一番大きな挫折であり、一番大きな学びでもありました。
最終的に、40歳で日本の会社を完全に辞任することになりました。原因ははっきりしています。私が自分の都合ばかりを言っていたからです。海外に住みたい、株はこうしてほしい、最終的には自分が主導権を握りたい。相手も人なのに、きちんと説明もせず、自分の欲ばかりを通そうとしていた。怒られて当然のことをしていたと思います。
このとき、日本の会社には40人ほどのスタッフがいました。連れていくわけにもいかず、その資金もなく、区切りをつけて手放さなければなりませんでした。それが、自分の中で本当に心苦しかった。次に会社をつくるときは、何よりもまず人を大切にしなければいけない。そう強く思ったんです。
会社を手放した経験から、考え方はどう変わっていったのでしょうか?
それまでの私は、かっこいい言葉や流行りそうな理念を並べているだけでした。経営理念もビジョンも、中身が伴っていなかったんです。けれども会社を手放したあたりから、自分は本当は何がしたいのか、何のために事業をやっているのか、と立ち止まって考える時間がぐっと増えました。
そこでたどり着いたのが、スタッフのために自分の人生を使おう、という結論でした。スタッフが楽しく働けているなら、それが自分にとって一番の幸せだと思えたんです。だから、スタッフを幸せにすることを経営の軸に置きました。この頃、経営に関する本もずいぶん読みました。中でも、従業員の物心両面の幸福を大切にするという考え方に触れたことは、自分の中で大きかったです。
そこから方向を大きく変えました。事業の内容も、組織の形も、すべて作り変えたんです。すると不思議なほど業績が上がっていきました。エゴを追っていた頃よりも、人のために、と向きを変えてからのほうが結果がついてくる。これは自分にとって大きな発見でした。
そこから、シニア向けのスクールへと舵を切っていくのですね
大きなきっかけは、コロナ禍でした。私たちはハワイで留学事業をやっていたのですが、飛行機が止まり、世界中がロックダウンに入って、ワイキキにも人がいなくなりました。留学は飛行機が飛ばなければ始まりません。既存の生徒さんの売上は残ったものの、新規がまったく取れず、これはもう事業を変えるしかないと腹をくくりました。
そこで、留学という枠を外して、英語市場全体で何が伸びているのかを徹底的に調べました。すると、ほとんどの分野が落ち込む中で、オンラインの英会話だけが伸びていたんです。教材も通訳も英語に関わるものはおしなべて下がっていたのに、オンラインだけは別でした。それなら、と一気にオンラインへ振り切りました。リアルは最小限に残し、あとはすべてオンラインにシフトする。この意思決定は、かなり早く、強く下したと思います。
次に考えたのが、誰に向けてやるか、です。語学市場の8割は10代から30代が占めています。マーケットとしては当然そこが大きいのですが、競合が多すぎて入り込む隙がありませんでした。一方で、40代以上の層には本気で取り組んでいる会社がほとんど見当たらなかった。市場としては小さくなりますが、ここなら一番を取れるかもしれない。そう考えて、シニア層に絞っていきました。
ただ、シニアの方に「短期間で話せるようになりましょう」とハッパをかけても、長続きしません。なぜ続かないのかを掘り下げていくと、多くの方が本当に求めているのは、上達そのものだけではないと気づきました。新しいことに挑戦する喜び、自分の変化を実感できること、誰かとつながれること、そして自分の経験や学びが誰かの役に立つこと。そうした気持ちが、学びを続ける大きな力になるのだと思います。だからこそ私たちは、英語やAIを教えるだけではなく、仲間と出会い、応援し合い、安心して挑戦できる場をつくることを大切にしています。今のスクールの形は、そうしたお客様との向き合いの中から生まれてきました。
今後の展望について教えてください
これからは、シニアが抱える社会課題そのものを解決していきたいと考えています。日本は現在、1億2,000万人のうち半分近くが50歳以上という時代に入りました。超高齢社会が進む中で、シニアの問題はますます大きくなっていきます。そこに正面から向き合いたいです。
体が元気なアクティブシニアの方ほど、何かに挑戦したいという気持ちを持っていらっしゃいます。体力は少しずつ衰えても、心の中は20代、30代の頃とそう変わりません。恋愛もしたいし、新しい趣味も始めてみたい。その思いをどれだけ形にしてさしあげられるか。人生100年と言われる今、残りの何十年をどれだけ豊かに過ごせるかは、とても大きなテーマだと思っています。
ですから、英語やAIにとどまるつもりはありません。健康でも食事でも、シニアの方が困っていることならいろいろな分野に広げていけると考えています。私たちの強みは、お客様の心の奥にあるニーズを徹底的に調べ抜いてきたことです。何に困っているかがわかっているからこそ、次に何を届けるべきかも見えてくる。会社としては、事業をさらに大きく成長させていきたいと考えています。ただ、それは規模を大きくすることが目的ではありません。シニアの方が何歳になっても新しいことに挑戦し、人とつながり、人生を楽しめる社会をつくること。その実現に向けて、私たちはこれからも居場所づくりを広げ続けていきたいと思っています。
事業を広げていくうえで、社内について考えていることはありますか?
事業の成長と同じくらい、社内の満足度を上げていきたいと考えています。かつて会社を手放したとき、人を大切にしなければいけないと痛感しました。あの経験があるので、スタッフの幸福を追い求めることには特にこだわっています。
そのために、人事の体制もかなり強くしてきました。スタッフがどうすれば気持ちよく働けるか、やりがいを感じられるか。そこを突き詰めていくことが、めぐりめぐってお客様に届くサービスの質にもつながっていくと信じています。人のために向きを変えたら結果がついてきた。その実感が、今も私の経営の軸になっています。
最後に、他の経営者におすすめの本を教えてください
稲盛和夫さんの『生き方』です。この一冊が、自分にとってはとても大きな存在でした。経営のテクニックを説いた本はたくさんありますが、私が惹かれたのはそこではありません。かつての私はエゴで生きてきてしまった。その反省の中でこの本を読むと、稲盛さんには利他の心があって、エゴというものが一つもなかったんです。
そこからいろいろと調べていくうちに、あることに行き当たりました。人は、褒められたり、必要とされたり、誰かの役に立っているときに、一番幸福を感じるのだと。よく考えれば、これはどれも他人がいて初めて成り立つものです。自分一人では完結しません。人の幸福は、人がいてこそ。人のために動いてこそ、なのだと気づかされました。
エゴを追いかけていた頃は、最終的にどこか虚しさが残りました。毎日おいしいものを食べても飽きますし、旅行に何度も出かけてもいつか飽きてしまう。ところが、人のために仕事をしていると、その方が喜んでくれるだけでやっていてよかったと思える。不思議と飽きないんです。何のために事業をやるのか。どうすれば人のために事業ができるのか。私自身、今も経営で迷ったときは、「これは自分のためなのか、それとも人のためなのか」と考えるようにしています。その原点を教えてくれた一冊が、『生き方』でした。
『生き方』稲盛和夫(著)
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