今回は株式会社ワカヤマ代表、若山 健太郎氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
会社名称 | 株式会社ワカヤマ |
代表者 | 若山 健太郎 |
設立 | 昭和61年4月(1986年4月) |
主な事業 | 各種メッキと塗装などの表面処理加工 |
社員数 | 56名(2025年5月現在) |
会社所在地 | 福井県鯖江市石田下町43-6-1 |
会社HP | https://www.wakayamapp.jp/ |
事業内容を教えてください
鯖江は世界に誇る眼鏡の聖地として有名なのですが、当社も創業当時からメッキや塗装で世界的ブランドの眼鏡に色を付ける仕事をしています。そして、そこで培った技術を活かして、今では様々な製品を美しく仕上げる表面処理を行なっています。
しかし、単に色だけを求めてこんな田舎にある会社にまで来られるお客様はいらっしゃらないので(笑)当社だからこそできることをよく考えて、お客様が求めている以上の事をご提案できるように日々努力しています。仕事の分類としては製造業なのですが、自分たちの仕事をサービス業として捉え直したことで、新しいお客様が多く来ていただいていると感じています。例えば、消費者の方が手に取ったときのうれしさを向上させるサポートができればと、技術力だけでなく、マーケティング的な要素でもカラーリングで価値向上できるようなご提案をさせていただいています。
なぜ自分たちの仕事をサービス業と捉えなおそうと思われたのですか?
そもそも、ほかの会社でもできることであれば、私たちの会社が存在する意味がないと感じていたんですね。私たちの特長って何だろう?って、、、そうしたら、やっぱり「眼鏡だ」ってなったんです。
眼鏡は誰が想像しても同じ形を思い浮かべますよね? つまり、100年前から形が変わらず、多分これからも変わりません。そこで、デザイン性を出すために色彩や装飾加工がすごく発展していった。その技術を、その他の製造業にも応用出来たら、日本の優れた製品のデザイン的な価値の向上の一助になれるだろうと考えたんです。
眼鏡と一言で言っても、チタン、ステンレス、エンジニアプラスチックなど一般的には丈夫過ぎて塗装もメッキもできないといわれているような機能性の高い素材でできています。そういった商品は他にもあって、例えば理美容ハサミや水道の蛇口など、切れ味や丈夫さを追求するあまり色彩にまではあまり気を配られていなかったというか、できなかった。その銀色しか存在しない商品群にカラフルな商品が出てきたら、目立ちますよね?そういった今まで誰もやっていなかった分野をできるのが、自分たちだって思ったんです。
でも色を変えるだけで、そんなに価値って変わりますか?
実は、人間の情報の9割は目から入ってきているといわれています。その視覚情報の中でも、色彩は感情を落ち着かせたり、楽しくさせたりする効果があるというのは聞いたことがあると思います。その色の力をうまく使えば、女性向けに開発された商品を男性向けにターゲットを広げられたり、インスタ映えするようなカラー展開をすることで認知度を向上させたりと、色彩マーケティングの可能性は無限大です。
当社の詳細はぜひ下記URLをご参照ください
ここからは若山社長のことをお聞かせください。どのような学生でしたか?
好きなことはとことんやりましたが、納得できないことはとことんやりませんでした。
皆が一堂に会して有名国立大合格のために一生懸命に全教科勉強していたのですが、私はそこに価値を見出していませんでした。ですから、自分の将来に必要な英語や化学、物理は必至に勉強しましたが、数学の特に将来使わないなぁと思うところは全く手を付けてませんでしたね。数学の時間に英語を勉強していて何度も怒られました。
あと、英検などの何級みたいなのも嫌いで、英検も中学生レベルの3級が最初で最後ですね。理由としては、私自身が日本語検定を持っていないのに、日本語で会話しているから、、、検定って、その人の能力を示すものではないと感じたので、私のできる最大の抵抗というか
こんな調子だったので、成績が良い学生ではなかったですね。
考えの軸をしっかりと持たれていらっしゃったんですね。学生時代に頑張ったことはありますか?
こんな感じだったのですが、中・高となぜか生徒会長に選ばれまして、、、
学祭では女装させられたり、バカばっかりやっていました。真面目にやるよりもそうした方が協力してくれる人が増えていったんです。この時、リーダーとして完璧な人間を演じるよりも、そのままの自分、ダメな自分をさらけ出したほうが、お互いにやるべきことが明確になって、結果、チームとしてうまく回るんだということを学びました。
どうしてアメリカの大学に進学したのでしょうか?
中学の時に地元新聞社のイベントでアメリカに行ったことがきっかけです。それからずっと海外の大学を志望していました。あとは、当時マーケティングを勉強できる環境が日本になかったというのが最大の理由です。
ただ当時、海外の大学に直接進学するというのはかなり大変でしたね。高校2年の進路希望調査に第1希望「アメリカの大学」、第2希望「アメリカの大学」、第3希望「アメリカの大学」と記入したところ、校長からは「前代未聞です」と言われ、担任からは「英語なんか勉強したって仕事はないぞ」と言われていました。
もちろん、「前例ないとダメなんですか?」、「英語“を”勉強しに行くのではなく、英語“で”勉強するだけですよ?」と大人が困る質問返しをしたのは言うまでもありません。そんななかでも、理解を示してくれた親や先生方のおかげで、なんとかアメリカにいくことができました。
ちなみに、あちらでも「You are not like a Japanese!」と言われていました。帰国後も自分に正直に生きており、良い意味でも悪い意味でも拍車がかかって、現在に至っています。
どうして日本に帰ってきたのでしょうか?
サンフランシスコでインターネット通販の仕事をしていましたが、何もかも物価が高くて思ったような生活ができず、無一文で帰ってきました。
そこから東京か大阪で貿易の仕事に就こうと思って親に相談したのですが、「やりたいことがあるのなら、社長になってからやれ!」と怒られまして、言われるままに家業を継ぐことが決定しました。そしてそこから2年間、眼鏡フレームメーカーにて2年間の修業が始まり、金属プレス、切削、組み立てなど眼鏡の製造工程を勉強して、自社に入社しました。
ワカヤマに入社後は何をされたのですか?
3年間はめっきや塗装の現場で技術を習得し、その後5年間は営業としてお客様のニーズにどう応えようかと考える日々でした。眼鏡製造の修業も含め、これらの経験をしたのは本当に良い経験でした。
例えばめっき作業ですが、同じラインでも素材に応じて電流や時間を微妙に調整したり、百万分の1グラムの液の濃度の管理を行うなど、とても細かな作業が多いことに驚かされます。こういった作業は、私は苦手とするところですが、この仕事を10年、20年続け支えてくれている職人がいるんだと尊敬しました。
社長になってから大変だったことを教えてください
「社長の仕事は何か」と理解するということが、一番大変でした。
父からは「お前しかできないことはやるな」と言われていたのですが、自分しかできないことをやりたい自分がいました。そこでその当時、当社でも関わりのあったiPhone4にきれいなケースを作成したいと考え、別会社を立ち上げました。通常の仕事を終了した後に、真夜中まで3年間続けたのですが、結果はマイナス900万円の損失。貯金と銀行から借りたお金がすべてなくなりました。
この経験を通して、父の言っていた言葉の意味がやっと分かったと感じています。それは、自分だけができてもダメ、それを横展開、他人に任せてスケールアップできないビジネスだと、この先の成長は見込めない。だからこそ、みんなの力を同じ方向に向ける取り組みや、価値観あわせ、若者の育成など会社を一つにする仕事こそ、社長の仕事だと理解するようになりました。
将来的にどのようなことを目指していますか?
これは、経営計画書にも記載されていることなんですが、「大切なものを大切にできる」そんな当たり前の会社を作りたいと考えています。
「とにかく日本人は真面目すぎる」
私たちの会社には、フィリピン人やネパール人がおりますが、みんな1年に1ヶ月程は実家に帰省します。当然、快く送り出しますが、それは私が海外で働いていて、1か月くらいは大切な家族に会いたいと感じるのは当たり前だと考えているからです。しかし、日本人が1か月休むといったら雰囲気が悪くなるような会社が多いのではないでしょうか。誰しも仕事をするために生まれてきたわけではなく、人生を幸せにするために仕事をしているのですから、皆が自己実現のために仕事と生活のバランスを保てるような会社にしたいと考えています。
ある社員は、入社当時「NYに行くのが夢です」と言ったので「とりあえず、半年後のチケットを買ってしまうんだよ。」と伝えました。計画して行動に移す大切さを伝えたかったのですが、なかなか行動に移す人は少ないと感じています。若いうちにやりたいことができないと、結婚して子どもができ、大切なものが増えれば増えるほど、思い切った挑戦はできなくなっていくのが通常です。だからこそ、若い人の挑戦を応援できる体制をいろいろと整えました。
それでも周りの目を気にして、なかなか有給も使えないのが日本社会の現状だと思います。そこで私たちの会社では、管理職に強制的に1週間の休みを取らせています。すると全体的に、「私たちも休んで良いんだ」という雰囲気ができ、気軽に休める文化ができてきます。そのほかにも、様々な効果がありました。何日も前から管理者がいなくなることが分かりますので、お休み中は監督者なしで現場を切り盛りしないといけない。すると、自然と上司も仕事を教え、部下も必死に学ぼうとすることで、きっちりと仕事が引き継ぎがされていきます。制度を整えた結果、社員が自発的に行動できるようになり、やりがいも向上していっています。
私は、みんながもっと自由に生きて良いと思っています。私はこの仕事が好きでやっていますけど、ほとんどの人はそうではないと思います。もっというと、いまここで働いてくれている社員ですら、昔からメッキや塗装の仕事をしたいと思っていたわけではないと思っています。将来メッキ屋さんになりたい、という子どもはそうそういないのではないでしょうか?こういう性格なので、これまでに自分がサラリーマンとして経験して嫌だったことを全部なくして、やりたいことをやれる会社を作りたいと頑張っています。
今後の展望を教えてください
もっと日本のものづくりを支援できるようになりたいです。
われわれ日本のものづくりは、性能は良いのですがデザイン性が他国より劣っていると感じています。簡単に言うと、「性能は良いのだけれども、選ばれない」。この状況を色彩の力で世界中の人々に愛される日本製品づくりのサポートをさせていただきたいと考えています。
高いゴール設定をされていらっしゃいますね
そうですね。私たちの会社では、目標はすぐに叶わない、でも叶ったらめちゃくちゃうれしいというレベルで設定するようにしています。
例えば、銅メダリストってとってもすごいと思いますが、彼らは「よし銅メダルを狙おう」とは思っていませんよね。やっぱり、金メダルを目指しているからこそ、銅メダルが取れた。目標が高かったおかげで、それが100%達成できなかったとしても、世界が認めるレベルになれたんだと思うんですね。
おすすめの書籍を教えてください
祖母から誕生日プレゼントとしてもらった相田みつおさん著書『にんげんだもの』をお勧めします。
特に日本人は真面目な性格の方が多いので、完璧を追い求めすぎて行動できなかったり、少しのミスで自分を咎めてしまったりします。この本は「失敗してもいいじゃん。気楽にいこう!」と教えてくれる本です。
アメリカに住んでいるとき、私はすごく気楽に生きることができました。英語は母国語ではないので、間違えて当たり前、無理なものは無理というスタンスだったのです。しかし日本に帰ってからは、間違えちゃダメ!全て完璧じゃないと!というプレッシャーを感じています。
人間は体の力をぬいて、プラスに生きていくのが良いと思います。
気になった方はぜひ読んでみてください!
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投稿者プロフィール

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新入社員を含めたフレッシュなメンバーを中心に、出版サポートの傍らインタビューを行っております!
就活生に近い目線を持ちつつ様々な業種の方との交流を活かし、「社長に聞きたい」ポイントを深掘りしていきます。
代表者様のキャリアを通して、組織の魅力が伝わる記事を発信していけるよう、これからも一生懸命運営してまいります!
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