今回は株式会社東北用地測量社代表、岸野綾子氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
会社名称 | 株式会社東北用地測量社 |
代表者 | 岸野綾子 |
設立 | 昭和49年8月20日 |
主な事業 | 送電設備の保守業務 |
社員数 | 13名(取材時) |
会社所在地 | 秋田県秋田市山王臨海町3番9号 |
会社HP | https://tohoku-ys.com/ |
事業内容を教えてください
東北用地測量社では、秋田県内の東北電力株式会社が管理する送電設備の保守業務を担っています。
送電線は山に多く存在しており、周囲の木が線に触れることで停電や感電といった事故につながることもあります。そのため我々が山に入り、木々の調査・伐採を行う他、街中では重機による接触事故を防ぐための助言や立ち会い、安全確認など、幅広い業務を通じて送電設備を守っています。また、停電の事故を防ぐために東北電力の社員の代わりに委託で働いています。電波塔の周りの安全を守るために、盛り土や工事などの変化を察知するのが主な業務です。
しかしながら当社は危険を伴う仕事が多いので、日々の業務で安全を確保するだけでなく、安全に関する研修や勉強会を定期的に行っています。
PRしたいことはありますか?
東北用地測量社は2024年に創業50周年を迎えました。通常の会社であればホテルでパーティなどを行いますが、自分たちらしい記念にしようと、本社にテントを張り、屋外イベントを開催しました。当日は取引先や同業各社、近隣の方々、退職した元従業員など50名が参加し、今後の会社の在り方についてざっくばらんに語り合いました。
そして、「エナジーネクスト」というスローガンを掲げ、場づくり等を通してパワフルなエネルギーを発信していくことを宣言しました。これまでの経験をもとに、人の心を元気にするような事業を展開していきたいです。
また、現在は東北電力のお仕事が9割以上ですが、これからは秋田県全体を元気にするような新規事業にも挑戦してみたいという意見が出ました。
個人的には秋田の自然の中でしか味わえない体験を通して、自然と人が共生する豊かさを追求し、心身ともに満たされるリトリートの場を創造できたらと思っています。山林作業における労働災害防止研修など、自然と関わるための実践的な知識とスキルを提供する場であったり、音楽イベント、キャンプ、ツリークライミングなど、自然の中で非日常の楽しみを提供し、心のリフレッシュができる・・・人も自然も元気になるようなそんな場づくりに挑戦していきたいです。
ここからは岸野社長のことをお聞かせください。学生時代に熱中していたことはありますか?
音楽に熱中していました。小さい頃はエレクトーンを学び、吹奏楽部ではコントラバス、その後はロックが好きでバンド活動をしていました。新型コロナウイルスが蔓延するまではオーケストラに参加したり、ジャズを習ったりと、様々な音楽を楽しんでいました。プロではありませんでしたが、自分たちで曲を作って思いを表現するのが楽しかったです。
小さい頃から経営者になることは考えていましたか?
東北用地測量社は祖父が創業した会社ですが、当時は自分が跡継ぎになることや、入社することすら想定していませんでした。それよりも音楽関係で何かしら生きていきたいと思っていましたね。音大ではエレクトーンを専攻していたので、卒業後はヤマハの音楽講師を目指して試験も受けました。しかし、パンクロックにはまっていて反骨精神が言動に表れていた為、結局面接で落ちてしまいました。
卒業後は秋田に帰るのが親との約束でしたが、何もやりたいことがなく、大学卒業後の進路は特に決めてませんでした。
そして秋田に帰った後は、父の知り合いが経営する宝石店で販売の仕事を始めました。やってみるととても面白くて、仕事が好きになりました。秋田は銀が取れるので、銀製品のしおりのデザインを任せてくれたこともありました。自分が書いたものが商品になるなんて夢みたいだと思いましたね。当時の社長や役員、先輩たちに本当に恵まれていたと感謝しております。しかし、高価な宝石はなかなか売上が伸びる物ではなく、それに伴い給与にも反映されない状況が続き、
毎日お客様を待っているだけの生活が嫌で転職しました。
どちらに転職するのでしょうか?
当時流行っていたセレクトショップの会社に就職しました。イケている職場でしたが、ノルマがあり、常にお店の最先端の商品を着ないといけないので本当に大変でした。同年代の若い社員が多く、活気があったものの、仕組みや教育制度はなく、とにかく手探りで業務を覚えていくしかありませんでした。残業代も出ないのに拘束されるのが当たり前で、社長や役員に対して反発する気持ちが芽生えていってしまいました。「何のために働いてるんだっけ」と思うようになってしまいました。今になって当時のことを考えると、あのときの社長や役員の気持ちが痛いほどわかります。限られたリソースの中で、教育制度の整備まで手が回らなかったり、目の前の課題解決に追われていたりしていたのかもしれません。
どうして家業に入ることになるのでしょうか?
祖母に「おじいちゃんの会社に入ったら?」と言われたことがきっかけです。新しい服を自腹で買い続けていたら借金がどんどん膨らんでいましたが、祖母が返してくれると言ってくれたことで入社が決まりました。前職ではお店のPOPなども作っていて、少しパソコンができたため、事務員として入社しました。
当時は社員の100倍は頑張らないと認めてもらえない思って必死でしたね。
仲良くなってから聞きましたが、最初は他の社員から「どうせすぐに辞める」「社長になるために入ったんでしょ」と思われていたそうです。
家業に入った時には既に経営者になることは決まっていたのでしょうか?
決まっていませんでした。
当時は父が社長をしていましたが、色々と問題があったため、祖父がまた社長になりました。お金もギリギリで、みんなの給料を下げさせてもらったりと、資金繰りに必死でした。そんな時に、銀行の保証人に私がならないといけないタイミングがあり、借入金をするために経営者になる、というのが私の経営者としてのスタートでした。
社長になってからいかがでしたか?
本当に大変でした。
就任してすぐ公認会計士の先生から「こんな会社、たたんだ方がいい」とバッサリ言われてしまいました。数字だけ見たら、確かに債務超過ですしキャッシュもありませんでした。でもその言葉に祖父が怒って喧嘩になって、会計士さんも辞めてしまいました。
その後、商工会の相談窓口で事情を話していたら、たまたま今の税理士さんを紹介してもらいました。
保証人のハンコを押した時は崖から飛び降りるほどの怖い気持ちでしたが、「保証人になっちゃったんだ。でも取られるもんないじゃん」とあっけらかんと言われたことで、「そっか。独身で持ち家もないし、命まで取られるわけじゃないんだ」と思ったら吹っ切れましたね。
そこから税理士に資金繰り、決算書の見方、全部1から教えてもらいました。就業規則もなかったですし、日報も朝礼も、報連相の文化もなかったので、とにかくマイナスから0にしていく作業をしていきました。
波乱のスタートを切られたんですね
そうですね。当時は毎日祖父と喧嘩していましたが、祖父の我慢強さや諦めない姿勢を1番近くで見て経営者の底力を勉強しました。逆境に立たされた時に、どれだけ周りから何を言われてもと軸を通すことができるかが大切であることを知れたのはとても良い経験だったと思います。
とは言いつつも、当時の私はパニック障害のような症状にも悩まされるようになりました。眠れずに突然倒れることがよくありましたし、車を運転していて「このまま事故った方が楽かも」と考えてしまうこともありました。そんな中で支えになったのが、音楽でした。今考えるとよくそんな時間があったと思うのですが、バンドを5個掛け待ちしていました。会社の苦しみから一時でも逃れられるように音楽にのめり込んでいたのだと思います。
マイナスからのスタートだったと思いますが、当時は何を目標に頑張っていましたか?
最初の目標はとにかく黒字化でした。何がなんでも利益を出すことだけが目的で、がむしゃらに仕事をしていました。しかしようやく黒字に転じた時、「 黒字になったけれど…これから何をすればいいんだっけ?」と先が見えなくなりました。そんな時、銀行関係の会合で出会った先輩経営者に誘われ、中小企業家同友会に参加することになりました。そこで経営理念や方針をつくるのが社長の仕事で、本当に社長が使うべき時間とは何かを始めて知りました。また、未来への投資や未来を作る仕事とは何かを学びました。
感動した私は学んだことをすぐに実践しようと試みましたが、今まで一緒に現場に出てた社長が急に「理念」や「研修」に力を入れ始めたので、案の定社内では「あの人何やってんの?」みたいな空気になりました。自分がインプットしてきたことを社内でアウトプットすることがすごく難しい環境でしたね。社員から見たら私1人で勝手に走ってるように見えたのだと思います。
そこに気づいてからは、社員と一緒の目線になることを大切にするようになりました。たまに後ろを振り返らないと、誰もついてきてなかったことがあると思います。1人で走る前に、社員とコミュニケーションを取って、自分の気持ちを少しずつでも発信していくことを気をつけるようになりました。
今後の展望を教えてください
アンパンマンのように子どもからお年寄りまでみんなに元気を与える会社になっていきたいです。お客様だけでなく、働く人も地域の皆さんを人を元気にするのがテーマです。当たり前のようにインフラがある時代ですが、自然に生かされている、という考え方が当社の事業の根本にはあります。自然と一緒に生きていかないと人間は生きていけないので、これからも自然と共存して、調和を大切に、次の世代へ繋げていける会社にしていきたいです。
経営者におすすめの本を教えてください
稲盛一雄さんの『生き方』はとても好きな本です。
自然や宇宙に生かされている、という感覚を学べます。日本人は見えないものを大事にする民族です。無宗教とは言われているものの、お祈りをしたり、お花を飾ったりしますよね。そこに、日本人らしい宇宙の意思に沿った生き方に本質があると思います。
良い本ですので、気になった方はぜひ読んでみてください!
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