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株式会社エスジーテック代表 志賀 祐光氏

  • 10/30/2025
  • 10/27/2025
  • 仕事
  • 46回

今回は株式会社エスジーテック代表、志賀 祐光氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

 

会社名称 株式会社エスジーテック
代表者 志賀 祐光
設立 2011年3月1日
主な事業 ■飲料機器メンテナンス事業

■電化機器・リフォームの施工工事及びメンテナンス

■オール電化マンションの給湯設備の管理業務

■LED照明レンタル業務

■空調機器設置工事

■その他、各機器メーカーからの受託業務

社員数 42名(取材時)
会社所在地 福岡県大野城市仲畑2丁目11-15
会社HP https://sgtec.company-guide.jp/

 

事業紹介をお願いします

株式会社エスジーテックは、2011年に地元福岡発の会社を創造したいという想いで創業した会社です。現在は電化機器の施工・メンテナンス事業と、飲料機器メンテナンス事業、エスジーエコリース事業の3本柱で事業を展開しています。

これまで手がけてきた住宅設備や飲料機器関連の事業は私の業務経験や人脈を活かした大手企業との取引が中心だったため、自社でコマーシャルや宣伝を行う機会はほとんどありませんでした。しかし、2024年4月より新たにスタートしたエスジーエコリース事業に関しては、自ら積極的に情報発信を行い、市場を広げていく必要があります。

現在、太陽光発電や蓄電池は東京など都市部の新築住宅では必須設備となりつつありますが、導入コストが高いため、普及率はまだ全体の10%にも満たない状況です。さらに、訪問販売会社による高額販売のイメージもあり、消費者からの印象があまり良くないという課題もあります。

しかし、今後のエネルギー問題やCO₂排出削減、地球環境保全を考えると、太陽光や蓄電池は一軒家にとって欠かせない設備になっていくと考えています。そこで当社では、お客様の負担をできるだけ抑え、低価格で導入できる「リース」という形を取り入れることにしました。通常ローンの場合は5〜6年の支払いが一般的ですが、リースであれば10〜15年と長期に分割することが可能です。これにより、月々の支払いを抑えながらお客様にしっかりとメリットを感じていただける仕組みを構築したいと考えています。

まだ始まったばかりの事業ではありますが、このモデルを早期に確立し、いかにお客様にとって価値のあるサービスを提供できるかに挑戦している最中です。

 

エスジーエコリースは消費者にとってどのようなメリットがあるのでしょうか?

エスジーエコリースの最大のメリットは、「設備の所有権がリース会社にある」という点にあります。お客様ご自身が設備を所有するのではなく、あくまでリース会社の所有物となるため、リース期間中に発生した故障や自然災害による破損など、万が一のトラブルにもすべてこちらで対応できる仕組みになっています。

たとえば、台風で太陽光パネルが飛ばされたり破損した場合でも、すべて修理・復旧を行い、正常な状態を保つことが可能です。これは保険を組み込んだ仕組みになっているため、お客様の負担はありません。リース契約期間中、安心して設備を利用していただけることが、最も大きな特徴です。

 

また、リース契約が満了すると、設備の所有権はお客様に移転します。その後は、支払いの必要がなくなり、発電による電力をそのまま活用できるようになります。初期費用の負担を抑えながら、長期的なメリットを得られるという点が、エスジーリースの大きな魅力です。

詳細はぜひこちらのサイトをご覧ください!

https://www.sg-ecolease.com/

 

エスジーエコリースは消費者にメリットの多いサービスですが、貴社にはどのようなメリットがあるのでしょうか?

当社にとってエスジーエコリースは、まさに“挑戦”の事業です。正直に言えば、1件あたりの利幅は非常に小さく、短期的な利益を見込むものではありません。そのため、いかに導入件数を増やし、同時に原価を下げていくかが大きな目標になります。

蓄電池の価格は今後、年々下がっていくと予想されていますが、現状では依然として消費者にとって「高額」というイメージが根強くあります。そこで、少しでも価格を抑え、多くのお客様に導入していただける仕組みをつくることが私たちの努力の中心です。

短期的には厳しい部分もありますが、この事業を5年、10年と長期的な視点で育てていくことで、最終的にはお客様にとっても、当社にとっても大きなメリットを生み出せると考えています。今はその未来を見据え、地道に基盤を築いている段階です。


ここからは志賀社長のことをお聞かせください。学生時代に打ち込んだことはありますか?

私は熊本県上益城郡山都町にある農家に生まれ、6人兄弟の末っ子として育ちました。兄や姉のうち何人かは地元に残りましたが、当時の風潮として、次男以下は県外へ出ていくのが当たり前という時代でした。そのため、兄たちも九州を離れ、それぞれの道を歩んでいきました。私自身も幼いころから「いつかは東京や大阪といった大都会に出たい」という思いを抱いていました。テレビで見る都会の景色に強い憧れを持っていましたね。

子どもの頃は農家の仕事を手伝うのが日常でした。田植えや収穫といった農作業はもちろん、さまざまな雑務もこなしました。スポーツでは、兄が長距離の駅伝をやっていた影響もあって、私も陸上部で駅伝に取り組みました。特別な成績を残したわけではありませんが、5000メートルから1万メートルの距離を走っていました。

また、学生時代に起業について具体的に考えていたわけではありませんが、中学生の頃には「いつか田舎を出て成功したい」という漠然とした夢を持ち始めました。当時、矢沢永吉さんの『成りあがり』が流行っていたことも影響しています。彼のように大きな成功を収めるまではいかなくても、自分なりに何かを成し遂げたい、成功を掴みたいという気持ちは、この頃から心の中に芽生えていたと思います。


社会人時代のご経歴とお仕事の内容について教えてください

私は高校卒業まで地元で暮らしていました。卒業後は東京でいくつか就職試験を受けたのですが、残念ながらうまくいかず、次の道として大阪の専門学校に進学しました。電気関係の学科で2年間学び、その後、京都に本社を構える企業に入社しました。

もともと音楽が好きで、特にオーディオ機器には強い関心がありました。学生時代はお金がなかったので、自分で段ボールでスピーカーの箱を作り、捨てられていたスピーカー本体を拾ってきて、組み立てて音楽を楽しむほどでした。そうした経験もあり、電気に関わる仕事に就きたいという思いが強く、入社後はメンテナンス部門を希望しました。

当時は「会社に入ったからには、それなりの立場まで昇進したい」という強い気持ちがありました。同じ年に約40人の新入社員が入社しましたが、「誰にも負けない」という意気込みでスタートしましたね。

配属先として希望していたのは大阪か東京でしたが、九州出身ということもあって、最初の勤務先は福岡になりました。20歳で福岡に赴任し、40歳になるまでの約20年間、福岡で勤務しました。もともとの配属は関連会社への出向で、ここでメンテナンス業務を中心に幅広い経験を積み、統括課長まで昇進しました。

その後、本社である京都に異動し、管理職として10社ほどある関連会社を統括する部署に配属。課長職として2年間勤務しました。その後、群馬に転勤となり、群馬・新潟・長野の3県を統括するサービス関連会社の経営トップに就任。42〜43歳の頃には、初めて本格的に「経営」というものに向き合い、学び始めることになりました。

 

社会人時代に経験したお仕事のなかで「この経験があったからいまの自分がいる」または「この経験が今の事業に活きている」エピソードはお持ちでしょうか?

取引先との関係性と、社員との関わりが印象に残っています。

私は30代前半で課長代理まで昇進し、その頃から現場業務と並行して大手企業との窓口業務を担当するようになりました。現場での技術的な仕事ももちろん重要でしたが、取引先との交渉ややり取りを通して学んだことが非常に大きかったと感じています。

また、当時、現場で一緒に仕事をしていた相手先の方々も、その後社内で昇進し、課長など窓口担当として再び関わるようになりました。こうした長年にわたる信頼関係は、今の自分にとって大きな財産です。実際、現在当社が事業を行っているサントリーさんとのお付き合いも、私が35歳のころに窓口業務で関わり始めたのがきっかけでした。それが独立後の現在にも続いているのは、人とのご縁を大切にしてきたからこそだと思っています。技術者として技術を磨くことももちろん大切ですが、それ以上に「人とのつながりをいかに大事にできるか」が、今日の自分をつくっていると感じています。

そして、社員との関わりについてですが。経営に携わるようになってからは、まず社員一人ひとりと面談を行い、その人の考えや課題を丁寧に聞き取ることを徹底しました。現場で実際に働くのは社員なので、全員の意見や不満、改善してほしい点を吸い上げることで、会社の課題が自然と見えてきます。そこから改善を進め、社員が気持ちよく働ける環境を整えることが何よりも大切だと考えました。

もちろん、売上や業績といった対外的な部分も重要ですが、基盤となるのは社員一人ひとりの意識です。前職でも「共に喜びを」という理念が掲げられていましたが、その考え方には今でも深く共感しています。

結局のところ、組織を動かす上で一番大事なのは「人」です。人をおろそかにすれば、どんなに立派な計画を立てても成果にはつながりません。福岡時代からずっと、「社員が気持ちよく働ける環境がなければ、良い結果も生まれない」ということを実感してきましたし、今でもその思いを経営の中心に置いています。

 

起業したときの経緯を教えてください

福岡を離れる際、私は家族を福岡に残したまま単身赴任の状態でした。7年ぶりにようやく福岡に戻り、九州の関連会社の責任者として着任したのですが、その頃には会社全体の経営状況が非常に厳しくなっていました。創業オーナーが引退され、ご子息が後を継いだものの、多額の負債を抱え、改善の見通しが立たない状況だったのです。

そこで会社は経営再建に向け、全国から5名の改革メンバーを募り、私もその一人として選ばれました。社長を含めた6人で何度も議論を重ね、600名いた従業員を300名まで削減し、残った社員を関連会社に移して事業を立て直すという再生計画を実行しました。私は西日本エリアの責任者として、このリストラ計画を担い、約450名の人員整理を行いながら再スタートの体制を構築。結果的にこの自主再生は「奇跡」とまで言われる成功となりました。

再生が一段落したタイミングで、本社への異動を打診されました。仕事のキャリアを考えれば京都の本社に戻るという選択も十分にありましたが、家族のことを考えると迷いがありました。7年も離れて暮らし、ようやく福岡に戻ってきて1年足らずで再び単身赴任になるとなれば、定年まで家族と一緒に過ごせないことになります。特に、子どもたちが小学生の頃から転勤で苦労をかけていたので、今後の家族との関係を考えると不安が大きくなりました。

さらに、当時の社員の一部から「京都に行かず、地元で会社を立ち上げてほしい」という声も上がりました。そうした状況も踏まえ、前職で自分の役割は果たしきったと判断し、思い切って会社を退職。地元・福岡で、自分の意志で会社を立ち上げる決断をしたのです。


経営者として仕事をするなかで、どのような苦労がありましたか?

会社を設立したのは2011年3月1日です。ご存知のように、わずか2週間後に東日本大震災が発生し、創業直後から想像もしなかった事態に直面しました。「自分には運がないのかもしれない」「経営者としての力が足りないのではないか」と、当時は本気でそう感じたことを覚えています。

震災の影響で、それまで計画していた事業はすべて白紙に戻りました。請け負うはずだった仕事もなくなり、自社で進めようとしていた営業も、そもそも物資が入ってこないため、何もできない状況に陥りました。創業当初は住宅設備事業からスタートしていたのですが、立ち上がりは本当に厳しいものでした。

そんな中でも、私は前職を退職した直後から「いずれサントリーの業務を自社に持ってくる」という明確な目標を持っていました。個人事業の段階からサントリー本社に足を運び、プレゼンテーションを行い、「3月に会社を立ち上げるので、将来的にこの業務を私に任せてほしい」と直談判しました。そして設立2年目の終わり、ついにその仕事を獲得することができました。大手企業との契約を打ち切り、まだ実績の少ない小さな会社に重要な業務を任せるというのはサントリー側にとっても大きな決断だったと思います。それが実現したのは、長年築いてきた信頼関係があったからこそです。窓口となった課長も、私という人間を信じて託してくれたのだと、今でも深く感謝しています。

 

その他にも転機になったお仕事はありますか?

創業1年目は本当に厳しい状況でした。「もうこのままでは続けられないかもしれない」と思った時期もありました。そんな中、2年目に住宅設備の営業でマンション管理会社との接点が持てたことが、大きな転機となりました。

いきなり商談が成立するわけではありませんでしたが、まずは管理会社に「何かお困りごとはありませんか」「マンション管理で課題になっていることはありませんか」と丁寧にヒアリングを重ねました。すると、どの会社も共通して抱えていたのが、古い物件で頻発する漏水事故でした。

この問題に対して、私たちから「年に一度、無料で点検業務を行うので任せていただけませんか」と提案しました。老朽化が進んでいる箇所については、私たちが入居者と直接交渉し、修理や機器の買い替えを進めることで、管理会社に負担をかけずに事故の発生を防げる仕組みをつくったのです。

実際に試験的に導入してもらうと、管理会社から非常に好評をいただきました。漏水事故の発生が減り、業務の手間も軽減されたことで、その仕組みが口コミのように広がっていきました。今では大手の管理会社からも継続的に点検業務を任せていただいており、当社の事業の大きな柱になっています。

当時は「自分たちのような小さな会社が生き残るには、隙間産業に活路を見出すしかない」と強く思っていました。しかし、実際には“困っていることを丁寧に聞き出し、それを解決する”というシンプルな姿勢が、ビジネスのチャンスにつながることをこの経験で実感しました。今振り返っても、大きなきっかけだったと感じています。

 

若い世代の社員が多いとお聞きしましたが、志賀社長がマネジメントで気を付けていることはありますか?

以前は中途採用を中心に行っており、即戦力となる経験者を採用していたため、社員研修にはあまり力を入れていませんでした。しかし、3年ほど前から採用環境が大きく変わり、募集をかけてもなかなか人が集まらなくなったことをきっかけに、新卒採用へと方針を切り替えました。

このタイミングで、「これまでの体制を根本的に変えなければいけない」と強く感じました。それまでは中途社員の離職率が高く、採用したうちの半分ほどが辞めてしまう状況でした。原因を明確にするために退職理由を一覧化して分析したところ、受け入れ体制や教育方法に問題があることが見えてきたのです。

そこでまず着手したのが、「受け入れる側」の意識改革でした。新卒を採用する前に、既存社員全員に対して研修を実施し、考え方・行動・姿勢などを一新。新しく入社する若手をきちんと育て、サポートできる体制を整えることに注力しました。この研修は年に1回、必ず全員参加で行っています。

 

 

もちろん、新卒社員への研修も丁寧に行っていますが、それ以上に大事だと感じたのは、迎え入れる側の意識と環境づくりです。その成果もあり、この3年間で入社した新卒社員は一人も離職していません。

また、中途採用も引き続き行っていますが、新卒と同じように受け入れ研修を実施するようにしました。その結果、以前よりもチームとしてのまとまりや社内の定着率が高まり、組織としての基盤が強くなってきたと実感しています。


今後の展望について教えてください

今後の展望としては、まず既存の事業を引き続き着実に伸ばしていきたいと考えています。現在、主力事業はある程度成熟し、伸びしろとしては限界に近い部分もありますが、それでも年率5〜10%の成長は十分に可能だと見ています。

一方で、今後の成長の軸として最も力を入れたいのが、新しく立ち上げたリース事業です。来年には収益事業としてしっかりと形にし、会社全体の売上の大きな柱に育てていきたいと考えています。この分野は市場としても伸びしろが大きく、既存事業を上回る成長が期待できると見込んでいます。順調に進めば、年商は10億円を超える規模に到達できると考えています。

また、住宅設備の施工事業では、すでに太陽光発電および蓄電池の工事を開始しています。これにより事業内容も少しずつ変化し、さらなる成長が見込めると感じています。今後は、電気工事会社のM&A(買収・統合)も視野に入れており、すでに複数の企業と面談も進めています。

リース事業を通じて個人宅との接点が増えていることから、今後は電気自動車(EV)関連の需要にも対応できる体制を整える予定です。将来的には、EVの普及に伴って家庭向けの充電設備工事や関連商品の提供・施工を一貫して請け負える体制を構築したいと考えています。

私自身、経営者として残された時間はあと10年ほどと考えています。その間に、現在の売上規模を倍近くまで拡大し、次世代にしっかりとバトンを渡せる企業基盤を築くことが、今の大きな目標です。


他の経営者におすすめの本のご紹介をお願いいたします

私自身、もともと技術畑出身で、昔から電気の分野が大好きでした。そんな私にとって、経営の考え方に大きな影響を与えたのが、松下幸之助さんの『道をひらく』です。松下幸之助さんは“経営の神様”と呼ばれるほどの人物ですが、この本の中で語られている言葉には、経営者としても人間としても大切な本質が詰まっています。

特に印象に残っているのは、「道は自分の中にある」という考え方です。物事がうまくいかないとき、人はどうしても他人や環境のせいにしてしまいがちです。私自身も会社員時代、あるいは経営者としての道のりのなかで、「自分は頑張っているのに」と思う瞬間がありました。ですが、松下幸之助さんは、道を切り開くのは他人ではなく自分自身の意志と努力だと明確に説いています。

また、「人に対する感謝の心を忘れてはいけない」という教えも強く心に残っています。何か問題が起きたとき、人を責める前に、自分自身がどれだけ向き合い、行動してきたのかをまず問うべきだと気づかされました。

この本を読んだことで、自分の甘さや弱さとしっかり向き合い、考え方を切り替える大きなきっかけになりました。経営者としてだけでなく、一人の人間としても学びの多い一冊です。

ぜひご一読ください!

『道をひらく』 松下 幸之助 (著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4569534074

 

 

投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
『社長の履歴書』編集部
企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。

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