今回は株式会社ロイヤルオートサービス代表、中田忠章氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
| 会社名称 | 株式会社ロイヤルオートサービス |
| 代表者 | 中田忠章 |
| 設立 | 昭和62年3月 |
| 主な事業 | 車両販売、車両整備、鈑金、レンタカー、保険、住宅相談、 |
| 社員数 | 187名(取材時) |
| 会社所在地 | 長野県松本市村井町南2-1-5 |
| 会社HP | https://www.royal-auto.jp/ |
事業内容を教えてください
株式会社ロイヤルオートサービスは地域の一流店を目指して車に関する事業をしています。日本では長野県松本市に本店を構えて15店舗経営しており、ホーチミンにも店舗を構えています。自動車の販売と車検整備が中心事業ですが、なかでも新車販売と中古車販売、未使用車販売に重きを置いています。特に当社は軽自動車が強く、スズキの正規ディーラー権を持っています。それに付随して鈑金塗装やレンタカーと自動車保険も取り扱っています。ワンストップですべての車に纏わるサービスを提供できるところが一番の強みです。
何かPRしたいことはありますか?
自動車の購入、車検、整備を統一して、お客様の困り事を解決することをモットーとしています。カーライフが幸せになるように1人ひとりに合わせたものを提案するのはもちろんのこと、購入の場合は将来の可能性を考えて、車を絞り込んでいき、買った後に良かったと思っていただけるサービスを心掛けています。もちろん車検についても同じように思って頂けるように誠実な仕事を徹底しています。
当社は売れればよいという販売方法ではなく、ライフステージの変わり目でまたお付き合いができるように、お客様の立場になって提案することを大切にしています。
当社の事業について興味がありましたら、ぜひこちらをご覧ください。
URL:https://www.royal-auto.jp/
ここからは中田社長のことをお聞かせください。学生時代の思い出はどんなことがありますか?
高校を浪人したのが1番の思い出ですね。私の世代はいわゆる団塊ジュニアの世代で、非常に人口が多かったんです。そして長野県はそこまで学校数が多くなかったので、募集人員に対して、卒業する人数の方が多い状況でした。どうしても自分が入りたい高校がありましたが、合格できずに浪人をしました。
そのため、当時は高校浪人の学生が通う学校があり、そこに通学しました。高校浪人の時の友人は今でも仲良しですし、お客様になってくれた友人も多くいます。しかし、当時はやっぱりもっと勉強すればよかったと後悔をしました。人生で初めての挫折を早い段階で経験したことで「人生はゲームと違ってやり直せない」と実感しました。
また大学も浪人したので、実際は2回浪人しています。同じ立場で年齢の異なる人との接し方を学びました。社会に出ると、先輩だけど年下だったり、逆に後輩だけど年上だったりと年功序列が崩れていることがあるので、学生時代に経験できて良かったです。
昔から社長になることを目標にしていましたか?
当社の前身であるガソリンスタンドを家族で営んでいたので、そもそもサラリーマンになるイメージがありませんでした。中学生ぐらいの時にガソリンスタンドで働く父親の姿を見ており、私も将来は継ぐんだと思っていました。
卒業後はすぐに家業を継ぐのですか?
いいえ、銀行に勤めました。
父の要望で、大学に行った後、銀行で学んでから家業に入りなさいと言われていました。継ぐならしっかりと帝王学を銀行で学んでほしいと言われて、言いつけ通りに就職しました。
銀行では上場企業や中堅企業の経理担当や社長に会いますが、仕事を通して社長の考え方を学び、経営について知ることができました。財務関係の知識は自然と身につくので、最終的に会社経営に必要な要素を取り込めたと思います。
この時に身につけた財務的な経験や知識は、自分にとっての大きな強みですね。30代、40代で帝王学を学ぼうとすると経営者のセミナーなどに行かなければなかなか触れられません。銀行時代に社長の本音や悩みに寄り添うことができてよかったです。
いつから専門的な知識を学んだのでしょうか?
家業に入社してからです。元々、銀行は3年ほどで退職しようと思っていましたが、結婚のタイミングなどもありしばらくは首都圏にいたいと思っていました。また途中で「家業を継がなくてもいい」と言われたことから、せっかく銀行に入ったんだから頭取を目指そうとキャリアアップに邁進していました。
しかし、入行7年目に、主任に昇格して給与が上がるタイミングで、父から「やっぱり継いでほしい」と連絡があったため、松本に戻ることにしました。
入社してからはどのような仕事を任されましたか?
はじめは企画開発部長として3年勤務しました。入社後は新店舗の立ち上げに携わり、マツダの新車をディーラーからスズキの銘柄に変更して、鈑金・塗装の店舗も立ち上げました。車のことは全く知らない状態だったので良い修行期間になりましたし、銀行で得た会計の知識が活かせたので自分の力で仕事ができたと感じました。その後は専務取締役に就任し、2013年に父から社長を任命されました。
入社時の会社はどのような状況でしたか?
当時は社員が35名・店舗数は5店舗ありましたが、非常に良くない雰囲気でした。父である社長が目の届かない店舗は改善の必要がありました。挨拶や運営や掃除など、お客様をお迎えするお店になっておらず「これはまずいな」と感じていました。
そして社内改革としてISO 9001を取得しました。ISO 9001は品質マネジメントシステムに関する国際規格です。 全世界で170ヵ国以上、100万以上の組織が導入しています。話題性があるのと社内整備の中でルール化すれば店舗が改善するのではと、取り組みました。
経営者になってから大変だったことはありますか?
父はトップダウン経営でしたが、私に変わる時にボトムアップ経営に変更しました。社員たちが自ら考える経営をしたく、専務時代から自分の仕事を、役員、常務、部長へ権限を委譲しておきたかったのですが、父から反対があり中断しました。しかし経営者になってからは社員に権限を与え始めました。今、私は3年以上ベトナムにおりますが、日本にいなくてもまわる組織をつくることができたと思っています。
どのように社員教育をしていきましたか?
私の方針としては、数値の見方等、運営に関して全てゴールから考える逆算思考を大切にしています。しかし権限を渡しても、任せた後スタッフがどのように考えたら良いかわからず、停滞してしまう事が1番の問題になりました。その為その考え方を体現できる人を育てるようにしてきました
今後の展望を教えてください
自動車業界は今が100年に1度の大変革期と言われています。自動運転や電気自動車、コネクティブやシェアリングなどが到来して大きくこの業界が変わろうとしてます。その関係でアフターマーケットと呼ばれる自動車整備や車検などが今後どこかで市場が縮小していきます。だからこそ私は新車販売に注力するため、ベトナムに移住し、新車ディーラーをオープンさせました。
この業界自体を100年企業として続けるために、自動車に限らず、人の移動に関するサービスを全て提供することを大きな目標として掲げています。特に長野県は車社会で、これからも移動に対するソリューションが必須になります。そして新しい技術を当社から発信し、事業として成り立たせていきたいです。そのために投資が必要なので、今できる新車販売事業で収益を蓄えています。
経営者におすすめの本はありますか?
稲森和夫さん著書の『生き方』です。令和になっていわゆる多様性の時代になりましたが、真っ当な生き方はどの時代も変わりませんし、部下や会社への考え方も変わりません。一貫して誠実な生き方とはなにかを教えてもらえる1冊です。
ぜひご覧ください。
| 『生き方』稲盛和夫 (著) |
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