
今回は日本シーム株式会社代表、木口 達也氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
| 会社名称 | 日本シーム株式会社 |
| 代表者 | 木口 達也 |
| 設立 | 1979年(昭和54年)5月5日 <創業1977年> |
| 主な事業 | 営業内容:粉砕機、洗浄脱水機、各種選別装置、乾燥機、ミキサー、搬送装置、切断機、プラスチック類リサイクルプラント施工、関連機械製造販売。 営業品目:プラスチック全般のコンサルタントを主とし、新しい技術を必要とする機械の開発・設計から製造、販売。 |
| 社員数 | 70名(取材時) |
| 会社所在地 | 埼玉県川口市安行北谷665 |
| 会社HP | https://www.nihon-cim.co.jp/ |
事業内容のご紹介をお願いします
日本シーム株式会社は、廃プラスチックを再資源化するための中間工程装置の開発・設計・製造・販売を一貫して行っている会社です。
創業以来3000件以上の機械導入実績がありますが、私たちの強みは単に台数を重ねてきたことだけではありません。開発から製造、販売、さらには改良やメンテナンスまでを自社で一貫して行える体制を持っていることです。中型・大型のカスタマイズ設備を中心に、お客様ごとに異なる要件に応じて設計を行い、仕様を詰めながら形にしていきます。
当社の特色としては、廃プラスチックを再生材に引き上げるための技術力、特に再生材の質を高める装置の力があることだと思っています。
わかりやすい例で言うと、洗浄と粉砕を同時にできる「洗浄粉砕機」を今から約45年前に日本で初めて作りました。粉砕機は1分間に数百回転と高速回転しており、そこにペットボトルなどを入れて粉々に砕いていきますが、同時に水を注入することで、粉砕と洗浄を同時に行えるようにしました。
当時は、機械の中に水を入れるなんて非常識だと言われていましたが、それを日本で初めてトライして、普及させてきた歴史があります。
また、現在では汚れたプラスチックの洗浄粉砕・洗浄脱水が1台で行える「プラ洗ユニット」もあります。
その他、アルカリ洗浄によってインクや着色を取り除く脱墨装置や、ペットボトルのラベルを連続的に剥離し選別までを1台で完結させる装置など、再生材の質を引き上げるための技術開発を進めてきました。
洗浄粉砕と、洗浄脱水が当社のコアコンピタンスだと考えています。
SDGsに関する日本シームの取り組みを教えてください
私たちは、機械の力で循環社会の礎を築き上げたいと思っています。
しかし、循環社会を築くのは非常に難しく、「技術」「法制度」「意識」の三位一体の変革が不可欠です。
特に「人の意識」は重要で、廃プラスチックでいいものを作ったとしても、人が使わない、選んで買わないと広まりません。欧州では若い人たちが、廃プラスチックを使った素材をあえて選んで購入しているという話を聞きましたが、日本はまだそこには十分に追いついていないと感じています。そのため、一昨年に設立したSDGs事業部では、経済合理性を無視してでも人の意識を機械メーカーが変えていこうと考え、様々な取り組みを行っています。
そして、日本で主流だったサーマルリサイクル(焼却)・埋立中心の流れから、マテリアルリサイクルへ転換していくために、マシンテクノロジーの役割は大きいと捉えています。社会課題の解決と経済合理性の両立を目指し、社会性と利益の双方を追う“ゼブラ企業”として邁進しています。
当社の製品や取り組みはぜひ下記サイトをご覧ください。
https://www.nihon-cim.co.jp/csr.html
https://www.nihon-cim.co.jp/archive.html#managa
https://www.youtube.com/@NihonCim
ここからは木口社長のことをお聞かせください。子ども時代はどのようなお子さんでしたか?
小学生の頃は、周囲から「ニコニコちゃん」と呼ばれるような子どもでした。自分で言うのも少し気恥ずかしいですが、嘘がつけないほど素直で、人を疑うことを知らない性格だったと思います。いじめられている子がいれば自然と話しかけていましたし、誰かの悪口で盛り上がる空気があれば、「やめようよ」と言う側でした。
当時は本当に苦手な人がいなく、みんなに良いところがあると思っていて、人を嫌いになるという感覚がなかったですね。もちろん今は様々な経験をして大人になったので人に対する価値観は変わりましたが、あの頃の「人が好き」という感覚は、営業や経営においてもずっと土台になっている気がします。
日本シームは木口社長のお父様が起業された会社ですが、子どもの頃はどのような印象を持っていましたか?
父はロマンを追うタイプの経営者で理想や夢を語る人でしたが、母は非常に堅実で、お金に対してはとても厳しい人でした。
当時は中小企業経営者の自殺率が高いという話も見聞きしており、子どもながらに経営というものに対してどこか緊張感を抱いていた記憶があります。
そのため、家族の一員として家計についての意識が高く、例えば、外食の後にジュースを頼むかどうかという場面でも、私は「水でいいよ」と言っていました。
幼少期から「お金はきちんと管理しなければならない」という感覚が無意識のうちに育ち、これが後に会社の財務を立て直す局面で、確実に自分の支えになったと思います。
学生時代はどのようなご経験をされたのでしょうか?
振り返ると、コンビニ、パン屋、英会話のチラシ配り、ホームページ制作、富士山近郊での草刈りなど、本当に様々なアルバイトをしてきました。
ちなみに、草刈りのアルバイトは山岳部の顧問の先生の紹介がきっかけです。先生が幅広い人脈を持っていて、富士山近郊でのアルバイトを紹介してくださいました。
なぜこれほど多様な仕事を経験したのかというと、単純に飽きっぽいという面もありますが、それ以上に「いろいろな世界を知りたい」という好奇心が強かったからだと思います。特にコンビニでは深夜勤務も経験し、昼間とはまったく違う客層や空気に触れました。人と話すこと自体が楽しく、バイト仲間との関係も含めて、働くことそのものが面白かったです。
また、学生時代のアルバイトは、自分が「人と関わること」でエネルギーを得るタイプだと気づくきっかけにもなりました。
新卒で某大手教育系出版社に就職された理由を教えてください
就職活動の軸は明確で、「やった分だけ稼げること」そして「教育に関わること」でした。
幼少期からお金に対する緊張感のある環境で育ってきたため、歩合制の仕事には強く惹かれました。一方で、教育という分野にも関心がありました。自分なりの哲学として、「教育がしっかりすれば、社会はもっと良くなるのではないか」と考えていたからです。極端な話ですが、教育が行き届けば警察や矯正施設の役割も減るような、より健全な社会になるのではないかという理想がありました。
その理想と現実的な金銭欲求を掛け合わせた結果が、教育系出版社への就職でした。
出版社でどのようなお仕事をされていたのでしょうか?
配属されたのは、訪問販売の営業部門でした。アポイントなしで家庭を訪問し、1時間ほど説明を行い、その場で40万〜50万円の教材を契約していただくという、非常に厳しい仕事です。
ある家庭では、契約書を書いていただいている最中にお父様が帰宅し、怒鳴られて契約書を破られたこともあります。しかし、そこからさらに説明を続け、最終的には契約していただきました。
この経験から学んだのは、「どんな状況でも挽回できる」という感覚です。拒絶されても、怒鳴られても、誠実に向き合い続ければ状況は変わる。強い意思と情熱があれば、場の空気を変えることができるという実感を持ちました。
その結果、社会人1年目で全営業マン1万人中10位に入り、新卒約1000人の中では1位を取りました。
実力主義の会社で離職も多く、毎年数千人単位で辞めては採用していくような入れ替わりが激しい環境だったため、その中で結果を出せたことは自分の支えになりました。
日本シームへ転職した理由を教えてください
正直にお伝えすると、訪問販売を続けるのが嫌だな、という気持ちがあったからです。実は入社するまで訪問販売をやるとは本当に聞いておらず、自分のアイデアを具現化できる企画職に携わるものだと思っていました。
そのため、結果は出しましたが、やはりいろいろと思うところはありました。そんなときに父から電話がかかってきて「戻ってこないか?」と言われたのです。
職人の父が弱気な声でそう言ったのは初めてで、強く印象に残っています。
両親が困っているということと、社長であれば自分で可能性を広げることができ、かつ好きな仕事をつくり上げることができるんじゃないかという思いが掛け合わさって、転職することを決めました。
日本シームに入社した当初の印象はいかがでしたか?
高校生の頃にアルバイトとして現場に出ていたので会社の雰囲気はある程度わかっていましたが、あらためて社員として入社したときに強く感じたのは「環境への違和感」でした。
工業系の会社なので仕方のない部分はありますが、壁や床は煤や油で黒くなり、空気もどこか重たく感じ、私はその環境に身を置くこと自体が当時は強いストレスでした。そのため、入社してしばらくすると、壁紙を変えたり部屋を増設したりと、少しずつ環境改善に取り組みました。まだ若手でしたが、「ここで働きたいと思える環境にしたい」という思いが先立っていましたね。
入社後、社長就任までの7年間でどのようなご経験をされたのか教えてください
入社後は営業と並行して新製品開発に力を入れていました。
「仕事は自らつくるべきもの」という意識のもと動いていましたが、お客様のニーズを拾って形にすることを繰り返していく中でやり切る力が鍛えられ、自信が持てるようになりました。
しかし、忘れられないのが、ある地方で経験した機械トラブルです。
当時は挑戦を加速させている最中で、十分なデモ検証や試験工程を経ないまま、新開発機を導入しました。結果は厳しいものでした。500キロ処理できると見込んでいた設備が、実際には100キロ程度しか処理できなかったのです。
当社の設備は10トン規模の大型機械です。クレーンや大型トラックが必要な重厚長大設備であり、ソフトウェアのように持ち帰って手直しすることはできません。
現場で向き合い、現場で答えを出すしかありませんでした。
限られた時間の中で確実な稼働を求められ、精神的にも追い込まれました。今思えば危険を伴う作業もありましたが、それ以上に強く残っているのは、技術者としての責任感です。
図面通りにつくられた機械が動かないなら、図面を超えて考える。
理論が通らないなら、現場で仮説を立て、試し、修正し、また考える。
逃げ場のない環境で、機械と真正面から向き合い続けました。
最終的には、現場での改良と再設計を重ね、本来あるべき性能を発揮できる状態へ導きました。
この経験で覚悟が定まりました。
どんな状況でも答えは現場にある。
技術者は、最後まで機械から目をそらしてはいけない。
その覚悟が、自分の土台になっています。
これまで日本シームとして携わってきた製品開発の中で特に印象的だったものはありますか?
ペットボトルのラベルを連続的に取る「ラベル剥離機」が印象に残っています。
当時、日本にはペットボトルのラベルを連続的に剥がす装置がなく、粉砕後に比重選別する方式が一般的でしたが、それでは精度に限界があり、再生材の中にラベル片が混入してしまう問題がありました。
そこで、円筒内部に針状構造を設け、ペットボトルを通しながら連続的にラベルを剥離する方式を開発しました。
そしてさらにその先でエアーでラベルとペットボトルを自動的に分ける機構も追加しました。製作途中で「剥がれたラベルとペットボトルは排出口から一緒に出てくるから、ここも分けたほうがいい」と思ったのがきっかけです。
しかし、これが非常に難しく、エアーが強すぎれば本体まで飛ばしてしまい、弱すぎれば分離できないため、その微妙なバランス調整が最大の壁でした。しかし、工夫を重ねることで無事ラベルの剥離と選別を1台で完結させることができました。


この装置は特許を取得し、日本機械工業会から表彰も受けましたが、それ以上に「できないと思われていたことを形にできた」という手応えが大きかったです。
この装置の詳細は下記URLよりご覧ください。
https://www.nihon-cim.co.jp/plant-system/label.html
社長就任のタイミングについてお聞かせください。こちらは予定通りだったのでしょうか?
元々父が比較的早く引退したいと考えていたことから、30歳で社長に就任しました。通常はもっと遅いケースが多いと聞きますし、リーマンショックの時期でもありましたが、若いうちに任せてもらえたのは幸運だったと思います。
若いからこそ失敗もできるし、果敢な挑戦もできました。
社長就任後、最初に取り組んだことは何ですか?
まず取り組んだのは、製品単価の見直しと原価計算の徹底です。感覚ではなく数字で経営することを徹底しました。
同時に、業務効率化にも取り組みました。財務状況が厳しかったので本を何冊も買い込み、Microsoft Accessを使って自ら業務管理システムを構築しました。当時はまだ紙管理やフロッピーが主流の時代で、見積書を探すのも一苦労でしたので、グローバル検索ができる仕組みを導入しただけでも画期的でした。
就任直後は経営者としてだけでなく、プレイヤーとしても動き続けた時期でしたね。
日本製・自社一貫体制にこだわる理由を教えてください
私たちは中型・大型の装置を得意としていて、カスタマイズが多い事業内容です。大量生産で小型のものをつくる領域ではなく、カスタマイズ品をつくっていくので、その都度調整しながら要件定義に従って形にしていく必要があります。言葉通り手作りの要素があります。
また、設計と営業だけで工場を持たない、いわゆるファブレスの形を選ぶ会社も多い中で、なぜ工場を持つのかというと、メンテナンスや改良・改善を自社でやったほうが、新製品開発に非常に大きなアドバンテージがあるからです。
自分たちで苦労して改良・改善をする中でのひらめきが、新製品開発の種になります。そこをアウトソーシングしてしまうと新製品開発の種がなくなってしまうため、テクノロジーをしっかり身につけることで、新しいものづくり、新製品の誕生が生まれやすい状態をつくっています。
今後の展望について教えてください
私たちの掲げるミッションは、「マシンテクノロジーで地球を豊かにする」ことです。
地球環境の悪化は加速度的に進行しており、もはや先送りできない課題だと認識しています。だからこそ、即時かつ持続的な対応を心がけながら、当社は環境機械の開発・製造を通じて循環型社会の実現を目指していきます。
また、日本ではこれまでサーマルリサイクル、つまり燃やす方向の処理が多く行われてきましたが、これからは質の高いマテリアルリサイクルが求められる時代です。
そのため、当社は中間工程に強みを持ち、再生材の質を引き上げる機械を開発していますが、その力を最大化するため、前処理から最終工程までを一貫して検証できる「プラント型マルチ・リサイクルテストセンター」を設置します。
通常は工程ごとにメーカーが分かれていますが、すべての工程(①前処理工程(粗選別・粗破砕)、②中間処理工程(洗浄・粉砕・選別・脱水・乾燥)、③最終工程(造粒・ペレット化))を一体で検証できる環境を日本で初めて実現することで、高品質な再資源化を実現できる仕組みをつくり、循環型社会の構築を前進させていきたいと考えています。
そして、最終的には質の高いマテリアルリサイクル設備を世界中に普及させたいです。そのために、技術だけでなく、人の意識も変えていけるよう、挑戦を続けています。
他の経営者におすすめする本はありますか?
中村天風さんの『運命を拓く』がおすすめです。
積極精神や心の在り方など、経営の根幹にある哲学を学べます。
そして、強い企業をつくるには確固たる哲学が必要ですが、この本はその土台をつくる一冊だと思います。
ぜひご覧ください。
『運命を拓く 天風瞑想録』中村 天風 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4062637391
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企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
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