今回はイービストレード株式会社代表、寺井 良治氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
会社名称 | イービストレード株式会社 |
代表者 | 寺井 良治 |
設立 | 2000年 3月28日 |
主な事業 | セキュリティ事業 各種セキュリティ機器の開発・発掘、販売
ライフエンタテインメント事業 印刷物・グッズ・BD,DVD,CDの製造・販売 生活産業事業 日用品・雑貨・化粧品・お酒・食品等の販売 メディカル事業 クリニックの企画・運営など 環境事業 水質改善装置・送風機の販売~エビスマリン㈱ バイオ事業 微細藻及び微細藻関連商品の販売 AUTOシステム事業 カー用品適合検索アプリの制作、SSスタッフ研修事業 イベントプロモーション事業 イベントの企画・制作・運営など |
会社所在地 | 東京都千代田区神田多町2-1 神田進興ビル |
会社HP | https://ebistrade.com/ |
事業内容を教えてください
イービストレード株式会社は “日本一元気”を標榜する小さな総合商社です。大手総合商社のことを「ラーメンからミサイルまでなんでも扱う」と言いますが、当社も「キャラクターグッズから地雷探知機まで」幅広い分野で色々な商品を扱っています。もう一つは、単にモノを右から左に動かすトレーディングだけでなく、藻の生産(水産業)・環境装置の製造(製造業)、整形外科クリニックの経営(サービス業)など、一次産業から三次産業まで多機能をもつ商社であることから、小さな規模ではありますが総合商社を名乗っています。
いくつかの事業を紹介すると、
セキュリティ事業では、空港で良く見る金属探知機やX線検査装置などのセキュリティ機器を扱っています。この分野では国内トップシェアを確保しています。珍しい装置としては、ペットボトルの中身を可燃物が入っていないかを検査する装置や、世界最先端の地雷探知機を大学と共同で開発して海外へ輸出しています。
ライフエンタテイメント事業では、販促用グッズ・キャラクターグッズを受託製造および自社で商品開発をして販売をしています。
生活産業事業は、日本の日用品やお酒をロシア・台湾・ベトナム・タイへ輸出しています。
メディカル事業は、鹿島アントラーズ、西武ライオンズなどプロスポーツチームとの連携で現在、4つの整形外科クリニックを立上げて地域医療に貢献しています。
環境事業は、グループ企業が開発した世界に類のない水流発生装置と送風機を、ダム・海・湖沼河川などの水質改善、下水道工事の安全管理に展開しています。
バイオ事業は、宮城県石巻市で、将来の食料問題に備え、微細藻類ナンノクロロプシスを大規模培養に取り組んでいます。
食品分野におけるイービストレードの取り組みを教えてください
ニュースでご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、日本人の大好きな蕎麦は一時期9割が中国からの輸入品でした。しかし流石に1つの国だけに頼ると輸入できなくなった時のリスクが高いとのことで、業界関係者は世界最大の蕎麦の産地’であるロシアに着目しました。そして、シベリア極東に事業拠点を持つ弊社にロシアから蕎麦を輸入ができないかと相談がありました。この申し入れを受けて、ロシアの農家との交渉を始めましたが、それは非常にタフなものとなり、正式な取引開始までは3年かかりましたが、今では蕎麦の3割がロシアからの輸入になっています。
また当社のグループ会社「イービス藻類産業研究所」では「ナンノクロロプシス」というタンパク質をはじめ豊富な栄養を含む藻の培養を行っています。タンパク質クライシスと言われる将来の食料問題を解決するため、このナンノクロロプシスを使用した「藻給食」を通じて藻の食文化の普及に努めています。
様々な事業を展開しているんですね!
はい。我が社は商社でありますが、所謂、販売会社ではありません。我が社は(商社は)、商売の仕組みを作るモノづくりの会社です。良いモノだから売れるとは限らない、残念ながらそれが商売です。売れるためには、‘仕組み’が必要です。イービストレードは、そんな商売の仕組みを作るスペシャリスト集団です。 そして我が社は、‘イービス流商売の仕組みづくり’で、日本初・世界初となる事業をいくつも創造してきました。
商売の仕組みがまだできていない、良いモノ・良い技術をお持ちの経営者様やご担当社様がいましたら、お気軽にお声がけください。
ここからは寺井社長のことをお聞かせください。学生時代に思い出に残っていることはありますか?
小学6年の時にテレビで「飛び出せ青春」を見て学園ドラマにはまり、サッカー部かラグビー部で青春することが憧れになりました。残念ながら地元の中学にはサッカー部がなかったので陸上部に所属。棒高跳びでそこそこの記録を出したため、いくつかの高校陸上部からお誘いもありました。
高校に入学し、迷いもなくサッカー部に入りました。進学校のサッカー部なので、学園ドラマの様な部活動をイメージしていましたが、現実はいわゆるガチンコの運動部で、青春を楽しむ余裕はありませんでした。入学1年前に全国でも有名な強豪高校からすごい先生が赴任され、指揮をとっているという重要情報を後から知りました。
しかし、学園ドラマにはまったことが後に、自分の人生の大きな転機になるとは思いもしませんでした。
就職活動ではどのような業界を志望していましたか?
実は、大学でも高校に入学した時と同じ勘違い?をしてしまいました。「青春の門」「バンカラ」に憧れて早稲田を選びましたが、理工学部は華やかな本校から少し離れたところにあり、無機質なキャンパスで学生生活を送ることになりました。さらに自分は白衣が似合わないことを痛感して、就職活動では研究所のない業種に絞り、商社を選びました。
商社が何をしているのかも知らずに日商岩井に入社しましたが、今では自ら商社を経営しているのですから人生は面白いものです。
入社後はどのような仕事をされましたか?
大学では専攻が化学だったこともあり、化学品の営業部(有機化学品部溶剤課)に配属され、ベタベタの国内取引をフォローする仕事でした。化学品メーカーから仕入れて塗料メーカーへ売る訳ですが、既に商売が出来上がっていて、取引額としては年商数十億円ありましたが、正直な感想として自分が動かしている実感はありませんでした。
そして入社5年目に突然、バンコク駐在を言われました。それまで仕事は殆どが国内取引業務で、実際、海外には新婚旅行を入れて2回オーストラリアへ行っただけで、3回目の海外がタイに5年間の駐在でした。
赴任前に周囲から「(あの上司の下で)大変だな」と同情の言葉を餞別にもらっていましたが、その意味が赴任して良くわかりました。その熱血指導はタイの気候以上に熱かったです。一方、その上司は5年間の駐在期間に11社の会社を創るなどそのエネルギッシュな仕事ぶりを見ながら(半分は反面教師でしたが)、自分の中で商社マンのスタイルが固まっていったと思います。
帰国後、どのような経緯でイービストレードの社長に就任されたのですか?
約5年半のバンコク駐在を終えて、1995年駐在前と同じ化学品の営業部に戻りました。
そして1998年9月25日 日経夕刊一面に「日商岩井 特損1500億円」の記事が掲載されました。その後、新規投融資案件の凍結など社内に閉塞感が漂う中、若手社員が「新生日商岩井を創る会」を結成し、2000年1月社内ベンチャー制度の導入を社長に直訴。そして、同年3月には大手総合商社初の社内ベンチャーとしてイービストレードが誕生しました。イーコマース事業の立ち上げを目的にしたことから、メディアからは「ネット総合商社の誕生」として脚光を浴びました。(当時の私は化学品の‘ベタの商売’にどっぷりと浸かっており、流行りのイーコマースにもベンチャーにも興味はありませんでした。)
しかし、イービストレードは設立早々ITバブルと共にビジネスモデルも崩壊、会社の存在意義すら失われ瀕死の状態になりました。2001年冬、上司と神田のガード下で一杯やっている時に突然、「お前、イービストレードの社長になって、立て直して来い」と言われました。突然のことで驚きつつも、私は即答でお断りしました。
お断りされたんですか!?
はい。当時私は、38歳、課長になったばかりで、また、世の中のベンチャー社長が社長を目指すようなストーリーは持ちあわせておらず、自分が社長になろうとは夢にも思っていませんでしたからね。当時のイービストレードはEコマース事業を主体としている会社ですが、私はパソコンすら持っていませんでした。ベンチャーにも興味がないし、「どうして私なんですか?」という気持ちでした。
そんな私の気持ちを察したのか、更に上司から「あの会社はとにかく純粋で熱い若手の集まりなので、お前の様な‘われら青春’の匂いがする男がいい。要は熱血先生みたいなリーダーが必要なんだ。」と普通は理解し難い説明をしたのですが、自分の性格を鑑みると納得をしてしまい、社長になるのを引き受けました。
*最初は不承不承でありましたが社長として出向、更に親会社の都合により会社が売却された際に転籍をしてプロパー社長となり、その後、意を決しMBOを実施、オーナー社長となりました。
社長になってからどのような仕事をされましたか?
社長に就任して最初に「やりたいこと」「やらなければいけないこと」「できること」の3つの整理をしました。本来は設立する前にすべきことで、設立から2年が過ぎてすることではありません。そして導き出した事業モデルが他社の新事業の立上げを支援する「コンサル型総合商社」でした。この戦略が的中して、2年目には単年度黒字、3年目には累積損失を解消することができました。そこで、親会社の都合で新たなミッションとして上場を目指すことになり、再度、「やりたいこと」「やらなければいけないこと」「できること」の整理をした結果、新事業を立ち上げて、そこから生まれる商売(商流)で利益を上げる現在の小さな総合商社となりました。
社長になってから大変だったことはありますか?
社長に就任しましたが、そもそも社長の仕事とはなんなんのか、何をすれば良いのか分かりませんでした。
実際、赴任前、当時の日商岩井の社長には「何をやってもいいので、イービストレードを残してくれ。あの会社を潰さないでくれ」と言われただけでした。結局、社長の仕事が何かも分からず、モヤモヤとしていましたが、悩んでいる暇もなく、瀕死の状態の会社を潰さないことだけを考えて走っているうちに、周囲から「何だか社長らしくなってきたな」と言われる様になりました。「社長の仕事とは、会社を潰さないこと」だとその時、分かりました。でも、この一行問題がやっかいで難しいものでありました。
会社を潰さないためにどのような努力をされましたか?
今の日本では下請け企業は得てして儲からない仕組みになっています。「中小企業=下請け企業」と世間で認識されていますが、これは間違いです。確かに下請け企業の大半は中小企業ですが、「中小企業が必ずしも下請け企業である必要はない」というのが私の持論です。要は、事業主体者になるかどうかの差だと思います。我が社はイービス流商売の仕組みづくりで、事業を創造して、事業主体者となっています。その中には、大手企業に下請けをお願いしているものもあります。
これも私の実体験ですが、仕事をして初めて‘爽快感’を感じたのは数億円の仕事ではなく1千万円の環境事業の仕事でした。「仕事の面白味は規模の大小には関係ない」これが私の本音です。会社のゴーイングコンサーンは、猪突猛進に事業の拡大を目指すのではなく、爽快感の味わえる‘良い仕事’(良いビジネス=イービスの社名由来です)をすることだと思います。
今後の展望はありますか?
一般的に、会社の規模は大きくなればなんでもできる様に考えてしまいますが、実際には器が大きくなりすぎると、一方で取り組める事業分野が狭くなることを、私は実体験をしています。さらに、変化の激しい現代社会では、大が小に勝つのではなく、早いが遅いに勝つ時代です。事業の選択肢「できること」は、大企業よりむしろ中小企業の方が多いものです。
むやみに規模の拡大を目指すのではなく、小さな総合商社の強みを活かして、これからも日本初、世界初となるユニークな事業を創っていきたいと思います。我が社の挑戦、それは「日本で一番、粋で格好良い‘小さな総合商社’になること」です。
経営者におすすめの本はありますか?
私の愛読書は、爽快感のある良い仕事を徹底した元国鉄総裁の石田禮助氏の生涯を綴った、城山三郎さん著書の『粗にして野だが卑ではない』です。
私が書いた『日本一元気な30人の総合商社』も、お恥ずかしながら商社マンを目指す方のバイブルだと言われることもありますね。実際に商社を目指す学生・社会人の皆様にご愛読いただいています!
ぜひご覧ください!
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投稿者プロフィール
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新入社員を含めたフレッシュなメンバーを中心に、出版サポートの傍らインタビューを行っております!
就活生に近い目線を持ちつつ様々な業種の方との交流を活かし、「社長に聞きたい」ポイントを深掘りしていきます。
代表者様のキャリアを通して、組織の魅力が伝わる記事を発信していけるよう、これからも一生懸命運営してまいります!
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