今回は株式会社旭商会代表、浦部 大輔氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

会社名称株式会社旭商会
代表者浦部 大輔
設立創業 1967(昭和42)年4月1日 設立 1970(昭和45)年4月1日
主な事業産業廃棄物処分業・収集運搬業 清掃メンテナンス業務及び、設備解体業務
社員数55名 (令和6年5月現在)
会社所在地神奈川県相模原市中央区宮下本町3丁目28番14号
会社HPhttps://www.asahi-shoukai.co.jp/

事業紹介をお願いします

当社は、産業廃棄物の収集運搬および中間処理を主軸とし、それに付随する水処理施設や油水分離槽、下水道などの清掃メンテナンス業務、さらには旧設備の解体業務までを一貫して手がけています。製造業をはじめとした事業所では、廃棄物処理と設備管理、解体が切り離せない関係にありますが、これらを分離発注する必要がない点が当社の大きな特長です。廃棄物の収集運搬から処理、設備の清掃・解体までを一気通貫で対応することで、お客様の業務負担や煩雑さを軽減しています。

また、収集運搬においては豊富な車両を保有しており、少量多品種の廃棄物を混載することで、運送コストの削減にもつなげています。単に「運ぶ」「処理する」にとどまらず、全体最適の視点でサービスを設計している点も、当社ならではの強みだと考えています。

さらに近年は、サーキュラーエコノミーの考え方を踏まえ、廃プラスチックのリサイクル事業にも積極的に取り組んでいます。廃プラスチックを選別し、熱エネルギーとして活用するサーマルリサイクルや、再び原料として利用するマテリアルリサイクルを通じて、廃棄物を「資源」として循環させる仕組みづくりを進めています。現時点では中間処理を担う立場ではありますが、将来的にはリサイクルを一貫して請け負える体制を整え、ESG・SDGsに取り組む自治体や企業に対して、より高い付加価値を提供できる存在を目指しています。産業廃棄物処理業は、普段の生活の中で目立つ仕事ではありませんが、社会や経済活動を下支えする重要なインフラです。当社はこの「なくてはならない仕事」に誇りを持ち、環境と社会の持続可能性に貢献する企業として、事業の幅と質の両面を高め続けていきたいと考えています。

記事内でPRすることはありますか?

産業廃棄物処理業は、製造業や建設業、医療現場、小売・飲食業など、あらゆる事業活動を支える社会インフラのひとつです。普段の生活の中で目にする機会は多くありませんが、廃棄物を適切かつ安全に処理・再資源化することで、社会全体の持続可能性を静かに支えている、なくてはならない仕事だと考えています。

一方で、業界全体には「きつい・汚い・危険」といったイメージが根強く残っており、人材確保の難しさは大きな課題となっています。環境省の調査でも、人手不足を感じている企業が多い業界であり、当社も例外ではありません。ただし、私自身はそうしたイメージを無理に否定するのではなく、仕事の大変さも含めたうえで、この仕事が社会にとってどれほど重要な役割を担っているのかを正しく伝えていきたいと考えています。廃棄物を単なる「ゴミ」として扱うのではなく、再生可能な資源として循環させていく最前線に立つ仕事です。そして、いままさに“環境貢献産業”として新たな価値を生み出すフェーズに入っていると感じています。

当社では、廃棄物の収集運搬から処理、清掃、設備解体までを一気通貫で担う体制や、廃プラスチックのリサイクル事業への取り組みを通じて、社会課題の解決に実直に向き合ってきました。こうした取り組みを通じて、「誰かがやらなければならない仕事」ではなく、「誰かがやってくれているから、社会が安心して成り立っている仕事」であることを、記事を通じて多くの方に知っていただければと思っています。


ここからは浦部社長のことをお聞かせください。学生時代に打ち込んだことはありますか?

学生時代に最も打ち込んだのは、間違いなくラグビーです。高校生の頃からラグビー中心の生活を送っていました。勉強よりも体を動かすことに時間を費やし、正直なところ、将来について深く考えるタイプの学生ではなかったと思います。

高校進学時にはスポーツを続ける選択肢がいくつもある中で、唯一経験したことのなかったラグビーを選びましたが、結果としてその選択が自分の人生に大きな影響を与えることになったと感じています。

競技を通じて培われたのは、体力や精神力だけではありませんでした。ラグビーは、激しいぶつかり合いのあるスポーツである一方で、プレー一つひとつに判断と戦略が求められます。状況を見極め、何が最善かを考え、仲間と連携して行動する。その積み重ねの中で、「物事の本質を考える」「人の話を聞き、自分の考えを伝える」といった姿勢が自然と身についていったように思います。当時は意識していませんでしたが、こうした経験は社会人になってから、そして経営者となった現在においても思考や判断の土台になっています。学生時代にラグビーに真剣に向き合った時間は、結果として今の自分を形づくる大切な原点だったと感じています。

いつ頃経営者になりたいと考えたのでしょうか?

正直にお話しすると、学生時代から「将来は経営者になりたい」と考えていたわけではありません。学生の頃はラグビーに打ち込む日々で、将来像を具体的に描くことはほとんどなく、起業や社長という立場を意識したこともありませんでした。それは社会人になってからも同じで、与えられた環境の中でラグビーと仕事の両立に全力で向き合っていました。大手企業の一員として働き、組織の中で自分の役割を果たすことに集中していた時期が長かったと思います。

経営者という立場を現実的に意識し始めたのは、妻の家業である旭商会を引き継ぐ可能性が具体的に浮上してからです。結婚当初は家業を継ぐつもりはまったくありませんでしたが、家族との話し合いを重ねる中で、経営を担うという選択肢が少しずつ現実味を帯びてきました。その過程で、「経営者になること」は目的ではなく、「このタイミングでしか得られない挑戦の機会」なのだと捉えるようになりました。

結果として、清水建設で21年間働いた後、経営者の道に進む決断をしましたが、それは長年抱いてきた夢を叶えるというよりも、人生の中で訪れた大きな分岐点に対し、自ら挑戦する道を選んだという感覚に近いものです。振り返ると、経営者になりたいと考えた「明確な時期」があったというよりも、状況と向き合う中で、その選択に自然と行き着いたのだと思います。


社会人時代のご経歴とお仕事の内容について教えてください

1999年に法政大学を卒業後、清水建設株式会社に入社しました。

清水建設のラグビーチームは、競技に本気で取り組む一方で、同期社員と同じ土俵で仕事に取り組み、その中で切磋琢磨していく。そうした環境が用意されている会社だと感じていました。

実際に入社してみるとその印象は聞いていた通りで、ラグビーと仕事のどちらかが特別扱いされることはなく、社員として同じ条件で業務に向き合うことが求められました。だからこそ、私が選んだのは建設業界そのものではなく、「清水建設という会社」だったのだと思います。

私は約21年間にわたって主に調達部門に所属し、建設現場で使用される資材の購買業務に携わってきました。調達部門の役割は、社内の現場担当者と協力会社の間に立ち、価格や条件の調整を行いながら、現場が円滑に進むよう支えることです。いわば、組織と組織をつなぐ中立的な立場で仕事をしていました。

社会人時代に経験したお仕事のなかで「この経験があったからいまの自分がいる」または「この経験が今の事業に活きている」エピソードはお持ちでしょうか?

最も今の自分や事業に活きていると感じるのは、前段でも触れた「調達」の仕事です。清水建設は、自ら施工を行うというよりも、多くの協力会社と連携しながらプロジェクトを進める企業ですので、調達部門は社内の建設現場と協力会社の間に立ち、価格や条件の調整を行う役割を担っています。立場の異なる双方の意見を受け止めながら、最終的に全体として最適な着地点を見つけていく。その難しさと重要性を、日々の業務を通じて学びました。

大手企業であるがゆえに、価格交渉ではこちらが優位に立つ場面も少なくありませんでしたが、短期的にコストを下げることだけを優先すれば協力会社との信頼関係は長続きしません。適正な価格で、適正な人材や資源を確保し、長く付き合える関係を築くことこそが、結果として現場や会社全体を支える力になる。その考え方は、当時の仕事を通じて強く身についたものです。

また、現場でトラブルが起きた際には、関係者の間に入り、感情や立場の違いを調整する役割も担っていました。誰か一方の正解を押し付けるのではなく、「なぜそう考えるのか」「何が本当に問題なのか」を一度立ち止まって考える。この姿勢は、現在、旭商会で社員や協力業者と向き合う際にも、そのまま活きていると感じています。

旭商会も、自社だけで完結する事業ではありません。社員はもちろん、多くの協力会社や取引先との関係性の上に成り立っています。清水建設時代に培った、相手の立場を理解しながら信頼関係を築く力や、対話を重ねて合意を形成する姿勢は経営者として組織をまとめ、事業を前に進めていくうえで大きな支えになっています。

清水建設では2人の方と出会って浦部社長ご自身に大きな変化があったとのことですが、詳しく教えてください

その二人と出会ったのは、清水建設に入社して間もない頃でした。いずれもラグビー部の関係者で、当時のキャプテンとヘッドコーチです。入社後すぐに出会い、ラグビーを通じて多くの影響を受けました。

それまでの私は、正直に言えば、ラグビーも進学も就職も、どこか「流れ」で選んできた部分があったと思います。しかし、その二人と一緒にラグビーに向き合う中で、あらゆることに対して「考える」ことを徹底的に求められるようになりました。練習一つをとっても、「なぜこの練習をするのか」「何のために取り組むのか」を常に問い続けられました。

そうした環境の中で、物事を深く考える姿勢が身についたと感じています。以前のように「とりあえずこれでいい」と判断するのではなく、何かを始める前に一度立ち止まり、「どう進めるべきか」「その選択は何を目的としているのか」を考えるようになりました。振り返ると、この思考の変化こそが、その後の仕事や人生に大きな影響を与えていると感じています。

社長就任の経緯を教えてください

先述した通り、結婚当初は旭商会を引き継ぐつもりはまったくありませんでした。義父が早くに亡くなり、その後は義母が代表として会社を支えてきましたが、私自身は清水建設での仕事に専念しており、家業に関わる意識はほとんどなかったのが実情です。

ただ、年月が経つにつれて、義母の年齢のことや、会社の将来について家族で話す機会が少しずつ増えていきました。結婚した当初は明確な要請はなかったものの、家族との何気ない会話の中で、「この先、旭商会をどうしていくのか」というテーマが自然と浮かび上がってきたのです。そうした話し合いは一度きりではなく、7~8年ほどかけて、少しずつ重ねていきました。

清水建設を退社する決断は、決して簡単なものではありませんでした。21年間勤めた大手企業を離れることに対して、周囲からは引き止めの声も多くありましたし、安定した環境を手放すことへの迷いがなかったわけではありません。それでも、経営者という立場に挑戦できる機会は人生の中でそう何度もあるものではなく、「このチャンスを逃す方が後悔するのではないか」と感じるようになりました。

そして、最終的に決断の背中を押したのは、家族の存在と、自分自身の中にあった「新しい挑戦をしてみたい」という思いでした。これまでラグビーや仕事を通じて未知の環境に飛び込むことで視野が広がってきた経験もあり、旭商会に身を置くこともまた自分にとって大きな挑戦になると考えました。そうして2020年に旭商会へ入社し、現場や社内業務を一から経験したうえで、2024年6月に代表取締役に就任しました。

社長就任はゴールではなく、むしろスタートです。長年培われてきた会社の歴史を受け継ぎながらも、時代の変化に対応し、次の世代へとつなげていく。その責任と覚悟を持って、経営に向き合っています。


経営者として仕事をするなかで、どのような苦労がありましたか?

最も大きな苦労は、前職との環境の違いに直面したことでした。清水建設では、大きな組織の中で個々の役割が明確で、結果を出すためには自律的に考え、行動することが当たり前の環境に身を置いていました。一方、旭商会に入社して感じたのは、社員一人ひとりが自分たちの仕事を「社会を支える仕事」として捉えきれておらず、受け身の姿勢が長年にわたって根付いていたという現実です。

特に印象的だったのは、指示を待つ文化が強く、業務に疑問を持っても自ら動こうとしない空気があったことです。誰かが決めてくれるのを待ち、自分の担当範囲の外に目を向けない。その姿勢は個人の問題というよりも、長年続いてきた組織の在り方そのものだと感じました。このままでは変化の激しい時代に対応できず、会社として先細りしてしまうのではないかという危機感を強く持つようになりました。

また、経営者として数字と向き合うことの厳しさも大きな壁でした。入社後に会社の決算内容を把握する中で、利益率の低さや赤字と黒字を行き来する決して楽観できない経営状況を目の当たりにし、「思っていた以上に厳しい状況に身を置いている」と実感しました。前職では経験しなかった会社の存続そのものに責任を負う立場になったことで、精神的な重圧も一気に増しました。

さらに、人を変えることの難しさにも直面しました。考えることや判断することを求めても、すぐに意識が変わるわけではありません。自分にとっては当たり前のことが、社員にとっては当たり前ではない。そのギャップを理解せず、最初は上から目線で求めてしまった部分もあったと、今では反省しています。相手の背景や経験を理解しながら、少しずつ考えるきっかけを与えていくことの大切さを、経営者になって改めて学びました。

経営者としての苦労は答えのない問いに向き合い続けることだと感じています。組織、数字、人材、それぞれに簡単な正解はありません。だからこそ悩み続け、試行錯誤を重ねる日々ですが、その過程そのものが経営者としての成長につながっていると考えています。


それをどう乗り越えたのでしょうか?

正直に言えば、何か一つの施策で一気に乗り越えられた、という感覚はありません。経営者として直面した課題の多くは、時間をかけて向き合い続けるしかないものばかりでした。

その中で意識してきたのは、「人を変えようとする前に、自分の向き合い方を変えること」でした。入社当初は、自分にとって当たり前の基準をそのまま社員に求めてしまい、なぜできないのか、なぜ考えないのかと苛立つこともありました。しかし、社員一人ひとりの背景や経験、置かれてきた環境はそれぞれ異なります。

相模原という地域に根ざし、これまで培われてきた環境の中で仕事をしてきた人たちに対して、同じ物差しで考えること自体が無理だったのだと次第に気づくようになりました。そこからは「答えを与える」のではなく、「考えるきっかけをつくる」ことを意識するようになりました。日々の業務の中で、小さなことでも「なぜそうするのか」「本当にこれで良いのか」と問いかける機会を増やし、個人で考えるのか、チームで話し合うのかを含めて、自分たちで判断する経験を積んでもらうようにしています。すぐに大きな変化が出るわけではありませんが、少しずつ芽が出始めていると感じています。

また、経営者として会社を「理解し、好きになってもらう」ことも大切にしてきました。社員とのコミュニケーションの機会を意識的に増やし、月に一度は顔を合わせて本音を聞く場を設けるなど、対話を重ねることを心がけています。会社のスローガンを社員と一緒につくる取り組みも、その一環です。会社の方向性を共有し、自分たちの言葉で表現することで、少しずつ当事者意識が生まれてきたと感じています。経営は短距離走ではなく、長距離走だと思っています。一人でも意識が変われば、組織の歯車は少しずつ回り始めます。派手な成果を求めるのではなく、地道に向き合い続けること。その積み重ねこそが、これまでの苦労を乗り越える唯一の方法でした。


今後の展望について教えてください

経営をしていると、課題は常に山積みで、もしかすると一生向き合い続けていくものなのかもしれません。ただ、それら一つひとつを整理し着実に取り組んでいくことが前提であるとしても、私が今特に重要だと考えているのは、業界全体のイメージを高めていくことです。

これは同業者の多くが口にすることでもありますが、産業廃棄物処理業は、残念ながら社会的に敬遠されがちな側面を持つ業界です。だからこそ、業界に対するイメージを少しずつでも変えていき、社会の中での価値を正しく伝えていくことが必要だと感じています。

自分たちの仕事が、社会にとってどのような役割を果たしているのか。その価値を高め、理解してもらうための取り組みを、今後も続けていきたいと考えています。

最後に他の経営者におすすめの本のご紹介をお願いいたします

私が他の経営者の方におすすめしたい一冊は、中国古典の『貞観政要』です。
原典そのものは正直、なかなか読み切れるものではありませんが、私自身は新書版の現代語訳を手にしています。

この本は、清水建設を退職する際に、当時の先輩から贈られた一冊です。新書版ということもあり非常に読みやすく、肩肘張らずに読めるのですが、書かれている内容は非常に本質的で、今でも折に触れてページをめくっています。

経営をしていると、判断に迷ったり、つまずいたりする場面が必ずあります。そうしたときにこの本をパラパラと読み返すと、リーダーとしてどうあるべきか、人の上に立つ者が何を自覚すべきかといった点に、改めて立ち返ることができます。

『貞観政要』は、経営に限らず、仕事やスポーツなど、リーダーとなる立場の人すべてに通じる考え方が詰まった一冊だと思います。すぐに答えをくれる本ではありませんが、自分の軸を整えたいときに、何度でも手に取りたくなる本です。そういう意味で、経営者の方にはぜひおすすめしたい一冊です。

ぜひご一読ください。

投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
『社長の履歴書』編集部
企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。

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