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株式会社アナザーウェイブ代表 佐野 明氏

今回は株式会社アナザーウェイブ代表、佐野 明氏にお話を伺ってきました。

「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。

ぜひご覧ください!

 

会社名称 株式会社アナザーウェイブ
代表者 佐野 明
設立 2013年4月
主な事業 携帯系イベント事業、コミュファ光、紹介予定派遣専門サービス、有料職業紹介
社員数 正社員2名、契約社員6名、フリーランス50名(総勢58名)(取材時)
会社所在地 〒460-0008 名古屋市中区栄3丁目2−3  名古屋日興證券ビル4階
会社HP https://anotherwave.net/

 

事業紹介をお願いします

株式会社アナザーウェイブは、「コミュファ光事業」「au携帯イベント事業」「日本特殊陶業様の販売代行事業( Niterra電力関連)」の3つに注力しています。

コミュファ光は当社の主力として継続的に成長しており、ここ1年で契約件数は約300件から500件へと拡大しました。今後2年ほどで1,000件規模まで伸ばせる見込みがあり、売上としても7億円程度を目指しています。

au携帯のイベント事業は、立ち上げからわずか1年で売上1億円を突破し、順調に成長しています。ベンチマークにしている企業の規模を参考にすると、こちらも将来的には5〜7億円ほどの売上を実現できる可能性があると考えています。

さらに、日本特殊陶業様の関連会社である Niterra電力様の販売代行事業にも注力しています。現在はまだ月商100万円程度と小規模ですが、構造的には大きく成長できる余地があり、今後の展開に期待しています。将来的には5億円規模の事業へと育てていく構想です。

そのほか、派遣や紹介予定派遣も継続的に行っていますが、重点を置いているのは上記の3事業です。これらを中心に中長期的な成長基盤を築いていきたいと考えています。

 

それぞれの事業はどのような経緯で始まったのでしょうか?

コミュファ光は、私が中心となって立ち上げ、現在も当社のメイン事業として展開しています。

また、当社では社内起業が盛んで、「au携帯イベント事業」と「日本特殊陶業様の販売代行事業」は社員が創り上げた事業です。

au携帯イベント事業は、立ち上げ部分のみ私が主導しましたが、現在は大学時代から当社で働いている社員が責任者として企画から現場までを一手に担っています。

イベントには、大型・中型・小型の3種類があり、大型はイオンなどの商業施設で行う数名規模の催事イベント、中型は3人ほどのチーム、小型はスーパーやドン・キホーテなどで実施する2人規模のイベントです。私は当初「大型イベントを中心に展開した方が良い」と提案していましたが、「まずは小型イベントから始めたい」と主張しました。最終的に実行責任者の意見を尊重し、彼の方針で進めることにした結果、自らの判断で事業を進める能動的な仕事になったこともあり、彼は強い責任感をもって取り組み、見事に成果を出しています。現在のauイベント事業の成長は、まさにその取り組みの賜物です。

また、日本特殊陶業様とは、関連会社であるNiterra電力様の新電力切り替え事業において、営業活動を代行しています。当初、同社では新しい事業アイデアは多く生まれる一方で、営業活動が苦手という課題がありました。そこで、当社のメンバーが1人で現場に入り、本来であれば複数人×3か月をかけて達成する目標件数を、わずか1か月で達成したことをきっかけに、正式に当社が営業を請け負うことになりました。

当社の事業については、こちらをご参照ください。

https://anotherwave.net/

 

社内起業が盛んなのはすばらしいですね

はい。しかしながら失敗も多く経験しており、今残っている事業は、その中でもうまくいったものの一部です。
当社では「社内起業」に関して明確なルールを設けています。売上の10%だけを会社が受け取り、残りの利益は担当者自身が自由に使ってよいという仕組みです。そのため、いきなり独立して会社を設立するよりも、まずは社内起業としてチャレンジし、うまく軌道に乗った段階で独立を検討するという流れが自然に生まれています。社員たちは自由な発想で次々とアイデアを出してくれますし、私自身、そうした発想力のあるメンバーが多いことを誇りに思っています。

 

ここからは佐野社長のことをお聞かせください。学生時代に打ち込んだことはありますか?

小学生の頃は少年野球をしていましたが、中高時代に最も熱中していたのは「お笑い」でした。
ただ、自我が明確に芽生えたのは大学時代だったと思います。実は親から中学校を卒業したら造船所に就職するよう言われており、当時はあえて勉強ができることを隠して生活していました。わざとテストで悪い点を取り、いわゆる真面目ではないタイプの友人たちと過ごしていたのです。しかし中学3年生の時、実力テストで初めて本気を出し、成績上位を取ることで「高校に進学させてほしい」と親に頼み込みました。結果的に、当時の同級生が県内で一番偏差値の低い学校に進む中、私は公立で最も偏差値の高い高校に進学しました。

しかし、高校では範囲が限られた定期テストにはあまり力を入れず、大学受験に直結するセンター試験を意識して学習していました。表向きは要領よく過ごしているように見せながら、裏では計画的に勉強を続けるタイプでしたね。
部活動は軟式テニス部に所属していましたが、どちらかというと友人たちと過ごす時間を大切にしていました。私の通っていた高校は県内各地から学生が集まっていて一人暮らしの同級生も多かったため、放課後はよく友人宅に集まって過ごしていました。

そして大学時代、入学当初こそのんびりしていましたが、ある出来事をきっかけに人生が大きく変わります。
バイク事故を起こしてしまい、1,000万円の賠償責任を負うことになったのです。この出来事が、社会に対する責任感や現実的な覚悟を持つ転機になりました。その後、大学卒業を前に「早く借金を返して自由になりたい」という一心で、いわゆる先物取引を扱う証券会社に入社しました。業務は非常に過酷で、朝7時半から夜11時半まで、昼食を含めた休憩時間はわずか45分。外出も許されず、シャッターが閉まったままの部屋で一日中テレアポを続けるような環境でした。上司が机を蹴飛ばしたり、受話器を壊したりするような、まさに“昭和的根性論”が色濃く残る職場です。40人ほどいた営業社員のうち、半数が1年以内に辞めていくほどの離職率でしたが、「借金を返して自由を取り戻す」という目標があったので、踏みとどまることができました。
その努力が実を結び、成績は常に上位10名以内を維持。5年間勤務し、副支店長まで昇進しました。

 

過酷な環境の中で仕事を続けられること、結果を残されているのが素晴らしいです

ありがとうございます。思い返すと、性格的にあまり人を怒るタイプではなかったので、怒らずに人を育てるマネジメントを自分なりに試行錯誤しながら実践していました。厳しい環境の中でも、部下の成長を促す方法を常に考えていた時期だったと思います。

その後、借金をすべて返済し、ようやく自由の身になったときに退職を決意しました。

貯金はゼロでしたが、年収は1,000万円を超えていましたし、このまま安定した高収入の会社員を続けるか、それともゼロからチャレンジして本当の意味で自由を手に入れるかの二択を迫られたとき、私は迷わず後者を選びました。

今振り返れば、もう少し貯金をしてから退職した方が賢明だったかもしれませんが、あの時の勢いと覚悟が、その後の人生を大きく切り開いてくれたと思っています。

 

その後なぜ外資系保険会社に転職されたのでしょうか?

営業職によくある考え方かもしれませんが、「この会社の商品を売れるなら、どんな業界でも通用する」という気持ちがあったからです。
それに加えて、何よりも「自由に働きたい」という思いが強くありました。外資系の保険会社の外交員は、勤務時間も比較的自由で、友人と交流しながら仕事をしているように見えたことから、そのスタイルに憧れて転職を決意しました。

しかし実際に働いてみると、最初はうまくいきませんでした。新人表彰のような賞を受けることもありましたが、どこか中途半端で、自分の中に迷いがあったと思います。特に、「自分の友人に保険を勧められない」という葛藤が大きかったです。どんなに良い商品でも、知人に対して営業をかけることに抵抗がありました。商工会議所の会員企業を中心に法人・個人へ保険を提案していくスタイルで、人脈ではなく営業力で勝負できる点に魅力を感じていたのですが、実際には他社と比べて報酬体系が低く、次第にモチベーションを保つのが難しくなっていきました。

そこで、ファイナンシャルプランナー(FP)の資格を取得し、当時ちょうど制度が解禁された「乗合代理店(複数の保険会社の商品を扱える仕組み)」の立ち上げに挑戦しました。妹ともう一人の仲間を加え、三人で代理店を始め、「本当に良い保険だけを厳選して提案すれば、きっとお客様に選ばれるはずだ」と考えていたのです。

しかし、結果は厳しいものでした。半年間、宣伝活動を続けてもほとんど契約が取れず、顧客数も10名に満たない状況でした。
今思えば、当時も自分の周りの人たちに正直に事業のことを伝えられておらず、限界を痛感した時期でした。

 

業界も商品も売り方も違いますし、余計大変でしたね

本当にそこからは失敗の連続でした。今振り返ると、自分の中でうまくいかない原因を他人や環境のせいにしていた時期だったと思います。「個人事業主だから信用されないのかもしれない」「もっと大きな会社じゃないとダメなのかもしれない」など、原因を外に求めていました。当時は、「これだけ営業力がある自分がうまくいかないなら、何か別の要因が悪いに違いない」と考えてしまっていて、まさに“他責思考”でしたね。自分に矢印を向けられなかったあの時期は、何をしてもうまくいかなかったと思います。

その後、再び営業職に戻ることを決め、大手不動産会社に入社しました。不動産営業の世界ならテレアポで勝負できる、自分の得意分野だと感じていたからです。

入社直後から常務に期待され、「これからは君の時代が来る」とまで言っていただきました。
そして実際に入社初月で投資用マンションを2件成約し、周囲からも評価されました。ところがその翌月、「姉歯建築士事件」に端を発する構造偽装問題が世間を騒がせました。耐震基準を満たしていない建物が発覚し、マンション業界全体への信頼が一気に揺らいだのです。その影響で、投資用マンションの市場は急速に冷え込み、営業現場でも契約がほとんど取れない時期が続きました。

当時の私は、「あの事件があったから売れなくなった」と、また外部要因のせいにしていました。しかし今思えば、状況のせいではなく、自分自身の在り方が原因だったのだと思います。30代前半のその頃は、まさに“人生の迷子”のような時期でした。

 

その後はどのようなお仕事をご経験されたのでしょうか?

その後はしばらく仕事に行き詰まりを感じてしまい、思い切って福井県の旅館でアルバイトを始めました。
「一度リセットして気分転換をしたい」という思いからでしたが、結果的に、ここでも貴重な経験をすることになります。

旅館では、主にお客様の車を駐車場に誘導する仕事を任されていました。ところが、非常に狭い駐車スペースで操作が難しく、わずか3日で3台も車をぶつけてしまい、当然ながら、その時はクビになりました。これが、人生で初めて「解雇」というものを経験した瞬間です。

その後は、名古屋に戻って日雇い派遣の仕事を始めました。当時は病院などの現場で働いていたのですが、昼休みにコンビニでお弁当を買おうとした時、ある出来事がきっかけで転機が訪れます。

コンビニが非常に混雑していたため、近くの公園でお弁当を売っているおじさんから500円のお弁当を買ったのですが、よく見ると、自宅近くで300円で販売されているお弁当と同じものでした。つまり、そのおじさんは仕入れたお弁当を自転車で運び、50円〜200円の上乗せで販売していたのです。その姿を見て、「このおじさんはこの短時間で1万円近く稼いでいるのでは」と思い、日雇いで1日7,000円前後しか稼げない自分とのギャップに衝撃を受けました。

そこから「このままではダメだ」と感じ、1週間後には空き店舗を借りて、自分でもお弁当屋を始めていました。

もちろん勢いだけで始めた事業だったので、準備不足は否めません。特にお酒を飲みながら思いついたアイデアをそのまま実行するのは良くないということは、この時の反省点として強く残っています。

料理が得意だったわけではありませんが、かつてホームパーティーなどで評判の良かった「ナーベーラー(へちま)のピーナッツ炒め」などを看板メニューに据え、沖縄料理の弁当店をオープンしました。
しかし、少量の時は美味しく作れていた料理も、大量調理になると味が落ちてしまい、翌日には思い切ってカレー専門店に切り替えました。カレーなら大量に仕込んでも味を安定させやすく、効率的に提供できると考えたからです。

 

方針転換が速いですね。お弁当屋さんは幸先よかったのでしょうか?

カレー屋に切り替えたことで、意外にもお客様が少しずつ増えていきました。
店舗はオフィス街の雑居ビルの地下1階にあり、周りにはスナックなども入っているような場所でした。人通りは決して多くなかったので、朝に自らチラシを配り、昼にお客様が来るのを待つという地道な営業スタイルでした。

最初は350円のカレーを「フタが閉まれば大盛りOK」というような感覚で提供していましたが、そうした気軽さもあって、徐々にリピーターが増えていきました。
ただ、ある日「毎日カレーだと飽きてしまう」という声をいただき、そこからお客様に教わりながら新しいメニュー開発を始めました。

ありがたいことに、常連のお客様からのアドバイスが多く、レシピや仕入れ先まで紹介してもらいました。また、近くにテレビ局(名古屋テレビ)があり、そこの女性スタッフの方々がよくランチに来てくれて、「こういうお弁当があったら嬉しい」と具体的に提案してくださったのも大きかったです。

そうした声に応えて、丼ものだけでなく、少量ずつ詰め合わせたお弁当も販売し始めました。

すると、ピーク時には1日50人ほどが列をつくるほどの人気店になりました。「隠れ家的なカレー屋が地下にある」と口コミで広がっていったのですが、順調に見えたのも束の間、常連のお客様の多くが、近隣企業の仕出し弁当契約に切り替わってしまい、来店頻度が半減。急に売上が落ち込み、在庫ロスも増えて、経営は一気に苦しくなりました。
その頃には本当に生活が厳しく、余ったお弁当をホームレスの方々に配りながら、「次は自分が配られる側かもしれない」と思うほど追い詰められていました。

そのため、土日も働くことにして、家電量販店で「auひかり」の販売を行う派遣社員の仕事を始めました。
「パソコンを買うときに、光回線を同時契約すれば割引になりますよ」という提案営業です。その派遣の仕事を続けるうちに、営業としての感覚が戻り、後半の2〜3年は副業的に自分の事業も立ち上げるようになっていきました。
そこから現在につながる「アナザーウェイブ」の原点が、少しずつ形になっていきました。

 

様々な困難のあったキャリアですが、転機になったのはいつだったのでしょうか?

本当の意味で運気が変わったと感じたのは、コミュファ光の仕事に出会ってからでした。
最初は、土日だけイベント販売の仕事をしていたのですが、完全成果報酬制で、1件成約すると2〜3万円の報酬がもらえる仕組みでした。もちろん、始めたばかりの頃はまったく成果が出ず、初回は1件も契約が取れずに終わりましたが、それでも「なぜ取れなかったのか」を考えるのが楽しくなっていた自分がいました。失敗してもゼロのままで、逆に取れればその分だけ確実に成果につながるというシンプルな構造が、心地よかったのだと思います。そして翌週には状況を立て直し、7件・8件と次々に契約を取れるようになりました。やがて土日だけで50件ほどの契約を獲得するようになり、同じチームの中でも突出した成績を上げることができました。
週に2日だけ働き、残りの5日を自由に使う、そんな理想的な生活が実現した時期です。

しかし、やがて気づいたのは、どれだけ自由を得ても「自分一人が満たされているだけでは意味がない」ということでした。

かつては「フリーランス」という言葉も一般的ではなく、「個人事業主」という呼び方が主流でしたし、30代・40代で個人事業主として働いていると、「安定しない」「ローンが組めない」といった世間の目もありました。また、サラリーマンの友人たちと話していても、私の生き方が羨望よりも“自慢”のように聞こえてしまい、どちらにとっても幸せではないと感じたのです。

そこで、「自分のように自由な働き方を選びながら、幸せに生きる人を増やしたい」と考えるようになり、これが後の「フリーランスが支え合う仕組み」を作る原点になりました。振り返ると、この時期に初めて「結果も失敗もすべて自分の責任」と素直に受け止められるようになったと思います。それまではうまくいかないことがあると「環境が悪い」「景気のせいだ」と他責にしていましたが、“成果が出ないのも、自分の力が足りないからだ”と認められた瞬間から、すべてが変わり始めました。もう少し早くこの考え方にたどり着けていれば、保険営業の時も、不動産営業の時も、もっと違う結果を出せていたかもしれません。
そう感じる一方で、その長い回り道があったからこそ、今の自分があると思っています。

 

フリーランスが支え合う組織として、どのような体制を築かれたのでしょうか?

当社は創業当初からトップダウンではなく、ティール組織として、フラットな環境づくりを意識してきました。

私が一方的に指示を出すのではなく、社員の意見を聞きながら、必要に応じて「こうした方が良いのでは」とアドバイスをするスタイルで、最終的な判断は本人に委ねます。自由に意見を言い合える環境を保つことが、社員にとっても、私自身にとっても、そしてフリーランスにとっても心地よい職場づくりにつながっていると感じています。

 

経営者として仕事をするなかで、どのような苦労がありましたか?

経営を始めてから最も予想外だったのは「ティール組織」を実践することの難しさでした。

Googleのような企業がそうしているという話を聞いて、見よう見まねで取り入れたのですが、実際にはなかなか機能せず、時には私自身がトップダウンになってしまったり、感情的になってしまうこともありました。しかし、きちんとティール組織の考え方を学び、書籍を通して体系的に理解した上で実践してみたところ、驚くほど組織が良くなりました。

必要だったのは、会社として明確なビジョンを掲げ、「存在目的」を明文化し、全員で共有すること。そして、情報をオープンにして誰でも意見を言える環境を整えることです。この2つを徹底した結果、社員一人ひとりが主体的に意見を出し、組織が自然と動くようになりました。また。たとえ自分とは違う意見でも、リスクやコストがなければ「じゃあやってみよう」と任せるようにしました。すると、自分の想定を超えてうまくいくことも多く、改めて多様性の力を実感しましたし、人が増えることの意味や、チームの強さを心から感じた瞬間でした。

加えて、社員が自分のスタイルで仕事を進められるようになったことで、全員が楽しそうに働くようになり、離職率が大幅に下がりました。そして私の仕事は社員と一緒に食事をしたり遊びに行ったりしながら、横のつながりを強めることが中心になりました。上下関係ではなく、フラットな関係を築くことで、コミュニティの一体感が生まれています。

さらに、トラブルが起きたときの対応も変わりました。以前は双方の意見を聞いて「中間案」で解決しようとしていましたが、それでは本質的な解決には至らないことが多いと実感したことから、今はまず当事者同士で1対1の対話を行ってもらい、互いに直接向き合ってもらうようにしています。すると、誤解や感情的な対立も自然と解けていくのです。

このように「自律」と「信頼」に基づいた組織づくりを続けてきた結果、アナザーウェイブは単なる会社ではなく、仲間が集まる“コミュニティ”のような場所に成長しました。経営者として苦労も多かったですが、今ではそれが自分の最大の学びと財産になっています。

 

アナザーウェイブで実施されている組織運営の取り組みについて教えてください

アナザーウェイブの特徴は、組織が硬直化しないように、常に柔軟な仕組みを設けている点です。
その代表例が「ボスチョイス制度」です。社員が自分の上司を自分で選べる制度で、人間関係の不和で辞めてしまうというケースをなくす目的で導入しました。誰と働くかを自分で選べることで、心理的にも安心して仕事に集中できる環境が生まれています。

また、管理職になることも完全に自由です。アナザーウェイブでは管理職もフルコミッション制で、明確な成果が報酬に反映される仕組みになっています。たとえば、個人で契約を獲得した場合は1件あたり3万円の報酬が支払われますが、自らリクルートした仲間を育てた場合、その部下が1件成約するごとにマネージャーには5,000円が支払われます。つまり、部下が20件の契約を取れば、それだけで10万円のマネジメント報酬が得られる仕組みです。さらに自分自身でも営業を続ければ、月収100万円以上も十分に実現可能です。

もちろん、「育てるか・育てないか」も自分で選択できます。現場を離れて育成専任に移る人もいれば、自分のチームを10人規模に育てる人もいます。店舗の異動も同様に自由で、目標件数を満たせなかった店舗が「ドラフト」として空いた際は、立候補制で希望者が手を挙げます。会社側から「君はこっちに行って」と指示することはなく、自ら見学して納得した上で決めてもらうので、後から「やっぱり違った」と後悔することもありません。

こうした自由な制度設計によって、社員一人ひとりが「自分の意思で働いている」という感覚を持てるようになりました。
ティール組織の思想に基づきながらも、アナザーウェイブ流にアレンジした“自律的でしなやかな組織運営”が実現しています。

 

休暇についても教えてください

当社では、半年間しっかり働いたら1カ月間の休暇を取得できる「エクスプローラー休暇」という制度を設けています。対象は管理職ですが、リモートでもマネジメント業務ができる体制を整えているため、海外からでも問題なく業務を行うことが可能です。休暇中は、日本側にサブマネージャーを任命するルールがありますが、それによって次世代のリーダーに成長の機会が生まれているので、組織としても非常に良い循環が生まれていると感じます。

また、学生スタッフ向けには「卒業ボーナス制度」もあります。大学生の多くは扶養の範囲内で働きたいという希望を持っていますが、当社では成果報酬であるため、扶養上限(年130万円前後)を超えそうな場合、超過分を会社で一時的にプールしておくことができます。
そして卒業時に、プールされた分を一括で支給する仕組みです。過去には、そのボーナスを使ってフランスへ卒業旅行に行った人もいました。

このように、社員や学生一人ひとりのライフスタイルに合わせて柔軟に働ける環境を整えています。
しっかり実力をつけ、責任を持って成果を出した人が正当に評価される。それがアナザーウェイブの魅力であり、組織づくりの根幹でもあります。

 

成果をしっかりと評価してもらえる会社であり、個々人の事情や夢、目標を応援してくれる会社なんですね

はい。社員に「搾取されている」と感じさせないことを非常に大切にしていることから、当社では報酬や経費構造をすべてオープンにしています。たとえば、コミュファ光の販売であれば、1件あたり4〜5万円の売上が発生しますが、そのうち、半分近くを販売スタッフの報酬として還元しています。どれだけ会社に利益が入り、どれだけが個人に支払われているのかをすべて社員が確認できるようにしています。

また、会社全体の固定経費も開示しています。
たとえば、年間経費を12カ月で割ると、毎月およそ550万円が固定費としてかかっている。そうした情報を共有することで、「会社がいくら抜いているのか」「どこにお金が使われているのか」が明確になります。数字をすべて見える化することで、社員は納得感を持って働くことができるのです。

透明性を高めることで、信頼関係が強まり、結果的に社員一人ひとりのモチベーションや自立性も高まっています。
「正しく頑張った人が、正しく報われる」──そんな当たり前の仕組みをきちんと形にすることこそが、組織としての最大の責任だと考えています。

 

書籍『ティール組織』に書いてあったことを実際に会社に取り入れているとのことですが、実際にどのようなことを反映されたのか教えてください

そうですね。管理職の変更や自由な働き方など、いくつかの制度はティール組織の考え方からヒントを得ています。
たとえば「エクスプローラー休暇」などは、ティール組織に近い発想で生まれました。社員一人ひとりが自分の意思で働き方を設計できるようにすることが、組織の活性化につながると考えています。

当社のビジョンは、「自由と多様性を最大限に活用して、働き方と成果において革命を起こす」というものです。
私自身もかつて、週末だけ働いて平日は遊ぶというスタイルを3年間ほど続けた経験があります。そうした柔軟な働き方を通じて、「働くとはこうでなければならない」という固定観念を外すことの大切さを学びました。社員にも、同じように自分なりの働き方を模索してほしいと思っています。

実際に、会社では「スイッチワーク制度」というものを導入しています。これは、フルタイムで働いていたスタッフが「しばらく週3勤務でリフレッシュしたい」「旅や趣味に時間を使いたい」と希望した場合、柔軟に働き方を切り替えられる制度です。
短期的に見れば売上は減少しますが、社員が無理なく働ける環境を維持することで結果的に定着率が上がるため、そうした長期的な視点を大切にしています。

また、書籍内に記されていた「経営者の役割は、ティール組織の維持とコミュニティの活性化、そして情報の透明化に尽きる」という言葉にも強く共感しています。私は経営者として、課題があっても自分で答えを出すのではなく、社員に考えてもらい、実行を任せるようにしています。現在では、私自身のタスクはほとんどなく、1日1〜2時間のミーティングと相談対応が中心です。
経営者にとっても時間と心の余裕を持てるこの仕組みは、会社全体にとっても非常に良い循環を生んでいると感じています。

 

今後の展望について教えてください

今後5年間で、売上を20億円規模まで拡大したいと考えています。
事業の内訳としては、コミュファ光で約7億円、携帯関連事業で7億円、日本特殊陶業様との事業で5億円を目標としています。加えて、派遣事業を本格的に活性化できれば、さらに成長が見込めると見ています。

この20億円という数字は、私がトップダウンで描いた目標ではありません。
社員一人ひとりが自ら考え、立案した戦略の結果として到達できる姿を理想としています。組織全体で共通のゴールを描き、メンバーが主体的に進めることで、その達成がより意義のあるものになると信じています。

また、売上20億円・利益2億円という水準は、上場基準にも匹敵する規模です。数字だけを追うつもりはありませんが、そうした客観的な指標を意識することで、組織の方向性を明確にしていきたいと考えています。

現在、アナザーウェイブには約60名のメンバーが在籍しています。
「ティール組織だからこそ小規模で成り立っているのでは」と言われることもありますが、実際にはGoogleなどの大企業でも同様の考え方が導入されています。ですから、組織の規模が拡大してもトップダウンを行わず、情報を透明に共有し、社員同士が自律的に動ける環境を維持できると確信しています。

これまで築いてきた「自由と多様性を軸とした組織運営」をさらに進化させ、ティール型経営を軸に“人が辞めない・成長し続ける会社”を実現していくことが、今後の大きな目標です。

 

他の経営者におすすめする書籍がありましたら、ぜひタイトルとおすすめのポイント教えていただきたいです

フレデリック・ラルー著の『ティール組織』をおすすめします。
経営者の方々の中には、離職率の高さに悩んでいる方も多いのではないでしょうか。そうした企業では、トップダウン型のマネジメントや、過度なマイクロマネジメントが行われているケースが少なくありません。社長自身が「こうやれ」と指示を出す一方で、「社員が自発的に動かない」と嘆いている──これは非常によくある構図です。

しかし、思い切って権限を委譲し、社員を信じて任せてみると、驚くほど良い結果が出ることがあります。
もちろん、ただ任せればいいというわけではなく、ティール組織の本に書かれている仕組みや考え方を正しく理解し、全体として取り入れることが重要です。部分的な導入ではうまく機能しませんが、理念から構造、情報共有の仕組みまで一貫して実践すれば、経営者自身も驚くほど楽になります。

特に、中小企業で社員数が10〜20人ほどに増え、組織をピラミッド型にすべきか悩むタイミングにある経営者には、ぜひ読んでほしい一冊です。ベンチャー企業は、最初こそ仲間意識の強いフラットな関係で始まりますが、規模が大きくなると中間管理職を外部から採用し、急に階層構造を作ろうとしてバランスを崩すことがあります。そうした時こそ、「ティール型」という選択肢があることを知ってほしいと思います。

私自身もこの本から多くの気づきを得て、経営のあり方を根本から見直すことができました。「社員が自主的に動く組織をつくりたい」「経営者としての負担を減らしたい」と考えている方には、きっと大きなヒントになると思いますので、ぜひご一読ください。

『ティール組織』フレデリック・ラルー (著), 嘉村賢州 (その他), 鈴木立哉 (翻訳)

https://www.amazon.co.jp/dp/4862762263

投稿者プロフィール

『社長の履歴書』編集部
『社長の履歴書』編集部
企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。

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