今回はA&L Project株式会社代表、國府島 誠氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
| 会社名称 | A&L Project株式会社 |
| 代表者 | 國府島 誠 |
| 設立 | 2018年 |
| 主な事業 | セールスプロモーション(イベント制作 動画制作 配信番組制作 グラフィックデザイン) |
| 社員数 | 8名(取材時) |
| 会社所在地 | 〒103-0007 東京都中央区日本橋浜町2-33-6 中為ビル1F |
| 会社HP | https://alonzo.jp/ |
事業紹介をお願いします
A&L Project株式会社は、あらゆる想いをワンストップで形にする制作会社です。
多様化する働き方、変化する時代において、自分の長所を信じられるものにすることが「楽しく人生を過ごす可能性」だと信じています。
A&LのAはArtist、LはLove。どんなプロジェクトでも、アーティストが愛を持って仕事をすると自ずと良い結果が出ると信じています。アーティストと聞くと特殊な技能や才能を持った方とハードルを上げがちですが、私を含め、当社のスタッフ、パートナー会社の方々それぞれがアーティストだと思っています。「プロとして自分たちができる事をきちんと行う」という考えのもと、日々業務に取り組んでいます。
A&L Projectの強みを教えてください
当社の最大の強みは、企画から制作・運営までを一貫して手がける「ディレクション力」です。 AI技術が発展する現代だからこそ、AIにはできない、クライアントの意図を汲み取り、プロジェクトを成功に導く人間ならではの価値提供を事業の核に据えています。 特に、コロナ禍以前から配信事業を手がけていたことで、社会のリモートシフトにいち早く対応。多くの企業がイベント中止を余儀なくされる中、オンライン配信で顧客を拡大し、売上を右肩上がりに成長させました。 その結果、業績は2020年3月期の1.5億円から2024年3月期には3.3億円へと倍増しています。
事業の魅力について、現状うまく伝わっていないと感じる部分はありますか?
そうですね、どちらかというと「魅力が伝わっていない」というより、私たちの仕事に対して世の中の方が“夢を見すぎている”部分があると感じています。
広告・プロモーションの仕事は、CM制作や番組制作、イベント企画、タレント・アーティストとの仕事、デザインや仕掛けづくり、またITや官公庁案件など幅広い分野の最先端に触れられるそのイメージから、とても“キラキラした世界”に見られがちです。
しかし実態は、非常に地味で泥臭い作業の積み重ねです。
華やかな成果物の裏側には、細かい調整・地道な実務・膨大な準備があり、表に見えない部分こそが仕事の大半を占めています。
もちろん、やりがいはとても大きい仕事です。ただ一方で、「やりがいの搾取」になりかねない難しさもあり、やりがいと労働時間や負荷のバランスをどう保つかは、非常にセンシティブで難しいテーマだと感じています。
「やりがいは大きいけれど、決して楽な仕事ではない」という現実が十分伝わっていないところが、今の課題だと思っています。
ホームページで拝見した「遊戯王カード風の相関図」について、制作の経緯を教えてください
あの相関図は、もともと私が遊び心で作り始めたもので、1年半に一度ほど内容を更新しながら、私に関わる仲間たちをまとめているものです。
最初は完全に私の趣味で「相関図をカード風にしたら面白いのでは?」と試しに作っただけでした。しかし社内外から意外にも好評で、「自分も載りたい」と言ってくれる方が出てきたことから、自然とシリーズ化していきました。
最新バージョンは、カードのビジュアルをAI生成し、デザイナーがレイアウトや仕上げを行う完全オリジナル仕様です。
単なる遊びではありますが、関わる人々との関係性を可視化したり、ページを見た方に楽しんでもらえる仕掛けとして続けています。
そして背景にあるのは、この仕事が実際には泥臭く、キラキラして見えるのはほんの一部であるという実感です。だからこそ、日々の業務の中に自分自身で楽しみをつくっていくことが重要だと思っています。
この相関図も、そういった「自分で楽しみを生み出す」文化づくりの一環として続けているものです。
イベント制作以外に、なぜ社会課題の解決に注力されてますが、なぜここに目を向けるようになったのでしょうか?
最初から「社会課題を解決する」という壮大な目的を掲げていたわけではありません。原点はもっと個人的で、シンプルな感覚でした。
私は25歳までカナダで暮らし、日本へ戻ったときには学歴も職歴もなく、アルバイトからのスタートでした。そこで直面したのは、日本特有の年功序列や学歴社会の強い価値観です。アメリカ的な「実力でキャリアを切り開く」という環境とは違い、日本の労働環境には独特の息苦しさがあると強く感じました。
その後独立し、経済的にも精神的にもある程度自由になった段階で、改めて社会全体を見渡してみると、やはり日本には“生きづらさ”が多く存在することに気づきました。
特に象徴的だったのが 農業・酪農・漁業など一次産業の現実です。
海外に長く住んでいた経験から、私は日本の農産物の品質が世界的に見ても圧倒的に高いことを知っています。しかし、品質が高いのに儲からない。担い手もいない。産地は疲弊している。これは理不尽ですよね。
トヨタの車が世界品質だからこそ世界で売れ、企業として大きく成長しているのと同じはずなのに、農業だけはその構造が機能していない。「こんなに素晴らしいものを作る人たちが、なぜ報われないのか?」そう考えた時、行き着いたのは 行政の“目の向け方”が不十分なのではないかという視点でした。国や都道府県レベルではマクロな政策になりますが、実際に暮らす人々の課題に向き合うべきは、市区町村などの最も生活に近い行政です。しかし、そのミクロな部分が十分機能していないのではないかと感じたのです。
実際に日々の暮らしのなかで、住んでいる地域コミュニティや環境を見ても、「ここにも改善できることが山ほどある」と思わされました。
私が今やっているイベント制作や番組制作の仕事は、もちろん誇りを持って取り組んでいます。しかし、「この仕事をやりたくて飛び込んだ」というより、「経済的に自立するために選んだ手段」という側面が大きいのも事実です。
学歴も職歴もなかった私にとって、経営者になることは収入を上げるための必要な選択でもありました。だからこそ逆に、本当に自分がやりたいことは何だろう? と考えて浮かび上がったのが「自分が感じてきた “生きづらさ” を解消する側に回りたい」「困っている人が正当に報われる仕組みを作りたい」という思いでした。
そうやって自然と社会的な課題に意識が向き始め、今はその領域に挑戦する自分でありたいと考え、新しい取り組みに向き合っています。
婚活事業を始められた理由がとても気になっています。きっかけは何だったのでしょうか?
婚活というよりも、eスポーツを楽しむためのコミュニティ空間をつくりたいという思いが出発点です。
eスポーツはアジア大会などでも正式競技化が進み、今後さらに広がっていく領域です。シニアチームも活躍していて、「脳トレ効果」なども注目されています。一方で、ゲームはどうしても閉じた世界になりやすいものです。オンラインで完結するため、リアルな友人関係やコミュニティが育ちづらい面があります。
人が豊かに暮らすうえで、「誰かとつながっていること」 は欠かせません。独身のまま、自分のペースで楽しく暮らせる時代ではありますが、それでも“完全な一人”で人生を終えてしまう可能性もある。孤独死の問題も現実に起きています。
だからこそ、ゲームをきっかけにした 新しいコミュニティの場をつくりたいと考えました。
そこから自然と友人関係が生まれ、さらにカップルが生まれたらそれはもう、少子化対策にもつながるわけです。私自身、恋愛は人の脳にも良い影響を与えると考えています。アドレナリンも上がり、モチベーションが高まり、外見にも気を遣うようになる。その結果、美容室に行ったり、服を買ったりと、経済も回る。つまり、恋愛というのは社会的にも非常にポジティブな現象です。
また、恋愛や人間関係のベースにあるのは コミュニティ形成です。大学でも、ひとつのコミュニティの中で出会い、別れ、成長していくのが普通でした。しかしコロナ禍以降、人と人が出会う機会が大幅に減ったからこそ、もう一度コミュニティを取り戻す必要があります。
実際、成功している事業やブランドの多くは “コミュニティ産業” を強く意識しています。
たとえばクラフトビールの「よなよなエール」。大手ビールメーカーの牙城に切り込めたのは、ファンコミュニティを徹底的につくり、ロイヤルユーザーを大切にしたからです。毎日のようにイベントを開き、口コミでファンを増やし、強固な支持基盤をつくりました。
ハイブランドも同様で、店舗スタッフが決済裁量を持ち、ロイヤルユーザーを特別に扱います。
「大切にされている」体験がコミュニティを生み、ファンベースを強化する。私はこの考え方が、eスポーツの世界でも絶対に活きると思っています。ゲームの楽しさ × コミュニティ × 自然な出会い。これを掛け合わせることで、人の心を豊かにし、社会課題の解決にもつながる。そんな発想から、いま“婚活”に見えるような取り組みを進めています。ただ、実際にはコミュニティづくりが主目的であり、まだ課題も多く簡単ではありませんが、非常に可能性のある領域だと感じています。
どのあたりが課題になっているのでしょうか?
最大の課題は、男女の参加バランスが取れないことです。企画としては、「男女で一緒にゲームを楽しむ」ことで自然な交流を生みたいというものなのですが、現状は 男性だけが多く集まってしまい、女性の参加が極端に少ない状況です。これだとイベントがゲーム大会のようになってしまい、「出会いの創出」という目的が果たせません。
これは街コンでもよくある構造で、異性の参加割合が偏ると継続開催が難しくなります。
こうした状況を受け、現在は形式を大きく方向転換しています。男女混合チームをつくり、大宮 vs 町田 のように 街対抗戦”を行うプロジェクトに切り替えました。チームに所属することで自然に男女が混ざり、「出会い目的です」と構えなくてもコミュニティに参加できます。この“目的の擬態”が非常に大切で、出会いの心理的ハードルを下げます。さらに現在は、大宮区・町田市の市役所にも協力の声掛けをしており、行政と共に地域コミュニティとして育てる取り組みへ発展しつつあります。
つまり、女性参加の少なさという課題にぶつかったからこそ、単なる“婚活イベント”から、地域・行政×eスポーツ×コミュニティ形成という新しい社会プロジェクトに進化し、より持続可能で開かれたモデルへと改善できたのです。
農業やeスポーツの取り組み以外に、社会課題の解決につながるビジネスはされていますか?
直接社会課題の解決になっているわけではありませんが、ショートショートムービーの制作に力を入れています。
これは一見娯楽領域の取り組みですが、僕の中では“クリエイティブ教育”に対する強い問題意識が背景にあります。
TikTok、Instagramリール、CapCutなど、今はスマホ1台で誰でも動画をつくれます。
AIが自動で編集してくれる時代なので、それ自体は素晴らしい効率化だと思っています。僕自身もAIは使い倒しています。
ただ、その結果として 「考えずに作る=脳死クリエイティブ」 が広がりすぎていると感じています。考えない、工夫しない、試行錯誤しない。
これではクリエイティブがどんどん劣化します。結局、量をやり切った人間にしか“質”は語れません。
スポーツでも同じで、プロアスリートを経験した人にしか見えない景色がありますし、本も、文章を書き続けた人にしか書けるようにはなりません。僕は、AIを否定しているのではなく、考えることを放棄した瞬間に、人の成長もクリエイティブも止まってしまうという危機感を持っています。
だからこそ、今あえて手をかけた約5分間の縦型ショートフィルムを作っています。
スマホ世代の多くは5分さえ見るのが難しいと言われる中、あえて“考えて作られた作品”を投じることで、
- 企画力
- 構成力
- 表現力
- 想像力
といった「本来のクリエイティブ」に対して、ひとつのアンチテーゼを提示したいです。
即席で作れてしまう時代だからこそ、手間をかけて考える文化を残したい。これが僕がショートムービー制作に取り組む理由であり、
広い意味では「これからのクリエイター育成」という社会課題への問題提起になっていると思っています。
例えば、身内用の誕生日動画のように年に1回だけ作るものならAI生成でもよいと思いますが、仕事として続けるなら、やはり経験・判断軸・思考力が必要ですよね
本当にその通りだと思います。むしろ、そこが今のクリエイティブ業界における大きな課題だと感じています。
AIを使えば誰でもそれらしい映像は作れますし、1回限りの用途ならそれで十分です。
ただし、「仕事として継続的に成果を出す」ためには、土台となる思考力・経験・判断軸が不可欠です。
本来は、
- まず自分で考え、
- 何度も試行錯誤して、
- 自分なりの視点や判断軸をつくる
- そのうえでAIを活用する
という順番が理想です。
ところが今は、最初からAIに乗ってしまって、まるで“近道の乗り物”のように使われている。
これだと、本人に実力が蓄積されないどころか、いざAIでは対応できない判断が必要な場面で必ず行き詰まります。
さらに厄介なのは、40〜60代の多くがAIにアレルギーを持っていて、“AIをどう扱うべきか”を下の世代に教えられていないことです。
- 昔のように先輩が後輩を鍛えると「説教」と言われてしまう
- だから指導せず「自己責任でやってね」と突き放す
- 結果、若い世代は孤立し、組織の生産性も経済も伸びない
という負の循環が起きています。
極端な言い方ですが、今の日本経済が停滞した最大の理由は、20年間、決裁権を握ってきた60〜70代の政治家・経営層の怠慢にある
と僕は思っています。20代には会社も社会も変える力はありません。意思決定できる立場にいた人たちが責任を負うべきなんです。
だからこそ、僕ら30代後半〜40代、そして50代に差し掛かる世代が、そこから学び、次の時代の意思決定を変えていかなければいけない。自分たちが70代になったとき、「日本は前より良くなった」と言える状態を作る。それが僕ら世代のミッションだと思っています。
当社の事業や取り組みの詳細はこちらをご覧ください
ここからは國府島社長のことをお聞かせください。子ども時代、学生時代に熱中していたことはありますか?
僕の場合、スポーツに熱中していました。アイスホッケーは小学生の頃から続けていましたし、バスケットボールも本気で取り組みました。少しだけテニスもかじりましたが、とにかく運動神経が良かったので、いろんな競技で成功体験が積み重なっていきました。
幼稚園の頃から足が速く、小学校では常にリレーのアンカー。騎馬戦になれば必ず大将。何をやっても結果が出る体験が自然と自信につながっていきました。競技として取り組んだバスケットボールでは市内でトップレベル、アイスホッケーでは全国中学校大会、国体、インターハイにも出場しました。競技人口が少ないという事情はありますが、それでも相当打ち込んでいました。
とにかく、僕にとって「努力が成果につながる」という感覚は、すべてスポーツが教えてくれたと言っていいと思います。
一方で、僕は集中すると他のことを一切やりたくなくなるタイプでした。その結果、スポーツに熱中した反動で、勉強を完全に捨ててしまいました。特に中学生のとき、スポーツ推薦で高校進学が決まってしまったことで、「もう勉強しなくていいや」という油断が生まれ、テストも名前だけ書いて終わるような状態に。今振り返ると、かなり浅はかだったと思います。
決して将来まで保証されていたわけではないのに、「道が決まった」と勘違いしてしまいました。
スポーツへの集中自体は誇れるものですが、他を捨ててしまう集中は良い形ではなかったと今は思っています。
ただ、その経験も含めて、今の僕の考え方・働き方・価値観につながっているのは間違いありません。
いつ頃から「海外で活動したい」と思うようになったのでしょうか?また、音楽で食べていくと決めた時期や、当時描いていたキャリア像についても教えてください
僕は子どもの頃から、とにかく反抗心が強いタイプでした。社会に対しても、周囲に対しても「言われた通りに生きるのは嫌だ」という気質がずっとありました。
中学・高校まではスポーツ一筋でしたが、途中で音楽へと舵を切り、いわゆる芸能活動もできる学校へ転校しました。
これが、親からは猛烈に反対されまして……。「スポーツなら大学まで推薦で行けるかもしれないのに」「なんでわざわざ将来が保証されない芸事へ行くんだ」という空気で、ほぼ勘当に近い状態でした。しかし僕自身は反抗期ど真ん中。「言われた通りには進まない」という気持ちの方が勝っていました。
そんな時、兄や姉が海外に留学していたこともあり、親から「どうせ日本でくすぶるくらいなら、いっそ海外へ行けば? 向こうで勝負するのが怖いの?」と言われました。
完全に“挑発”ですよね。これが見事に刺さって、「じゃあ行ってやるよ」という気持ちになりました。
実際は英語なんて全然できませんでしたし、電子辞書をひとつ持って行くだけの状態でしたが、向こうに着いた翌日には現地のオーディション情報誌を片手に片っ端から電話してひたすらオーディションを受け続け、受かった案件から活動を始めていきました。
正直、明確なキャリア設計があったわけではありません。
- 親や社会に言われた通りに生きたくない
- 日本で“型にハマる”のは嫌だ
- 海外という未知の場所で勝負したい
そんな反骨心と勢いが、当時の僕を突き動かしていました。結果的には、その行動が今のキャリアにもつながっているので、振り返ると必要なターニングポイントだったと思います。
よくその流れで本当に海外へ行かれましたね
確かに、普通ならあの流れで本当に海外へ行く人は少ないと思います。でも当時の僕は、まさに“反抗期ど真ん中の男の子”でした。
親から強めに煽られたことで、スイッチが完全に入ってしまったんです。「そんなに言うなら、やってやるよ」という、半分ケンカ腰の勢いで決断しました。
また、うちの親は意外と放任主義なので、表向きは反対していたものの、心の底では「どうせ日本にいても大学に行くわけじゃないだろうし、インディーズでダラダラ続けるより、海外に行って価値観でも変わった方がいい。死なない程度に痛い目を見たら、それはそれで経験だろう」と考えていたと思います。結果として、そのひと言が僕の人生を大きく動かすことになりました。
海外でご活躍されていた中で、なぜ日本へ帰国する決断をされたのでしょうか
大きな理由はビザの更新でした。更新には、活動実績・著名な方の推薦状が必要で、活動実績は問題ありませんでしたが、肝心の推薦状を書いてくれていた人たちが、更新直前になって「書かない」と言い出したんです。
理由は、私が裏で始めていた小さな派遣ビジネスモデルにありました。
アメリカ・カナダには、生演奏を行うバーが多く、出演ミュージシャンはギャラを得られます。「ミュージシャンが足りないから誰か紹介してくれないか」という相談が多かったため、私はコミュニティを作り、即席のバンドメンバーを派遣する仕組みをつくりました。
ちょっとした紹介料をいただく程度の事業でしたが、想像以上にコミュニティが大きくなり、将来的に稼げる仕組みが出来上がっていました。すると推薦状を書く予定だった人達が、この事業を「自分たちが取りたい」と考えるようになったのです。
私は外国人なので、ビザが切れれば強制的に日本へ帰るしかありません。そのため、「こいつのビザさえ更新できなければ、このビジネスを丸ごと取れる」と思われてしまったわけです。結果、土壇場で推薦状を断られ、ビザの更新は厳しいことに。
また、北米の音楽業界は競争が激しく、外国人である私は標的になりやすい立場でもありました。
- 自国のアーティストに仕事を取られたくない
- 外国人が成功することを快く思わない
- ビジネスが軌道に乗ると嫉妬や利害が絡む
こうしたことが重なり、音楽を仕事にし続けることに強い疲弊を感じるようになりました。
本来はビザ更新後に法人化し、永住権の取得も視野に入れていましたが、心がすっかり折れてしまいました。
裏切りや競争にさらされ続けるうちに、「音楽を仕事にして生きるとは、こういうことなのか」と思うようになり、ついに音楽を辞める決断をしました。そして、カナダに留まる理由もなくなり、日本へ帰国したという流れです。
カナダから帰国後、広告代理店でアルバイトからキャリアを再スタートされていますよね。日本にはさまざまな職種がありますが、なぜ広告代理店を選ばれたのでしょうか?
理由はとてもシンプルで、「日本でどうキャリアを積めばいいのか」という知識もコネクションも、当時の私にはほとんどなかったからです。
海外にいた頃の感覚で、“努力次第で這い上がれる職業は何か”を考えたとき、パッと思い浮かんだのが広告代理店と、ストックマーケター(株式トレーダー)でした。
ただし、日本に戻ってみると──
- 証券会社は大卒以上などの学歴ハードルが高い
- 大手広告代理店(電通・博報堂等)は高卒・職歴なしでは門前払い
という現実がありました。
その中で「下克上の余地がありそうだ」と自分なりに感じられたのが広告業界でした。
完全に薄い知識による直感でしたが、選択肢が他にあるわけでもなく、まず飛び込んでみようと腹をくくりました。
ちょうどその時、大手広告代理店の子会社でテレアポ営業のアシスタントを募集しているという求人を見つけました。
「広告代理店で働けるなら、ここでいいじゃないか」そんな軽い気持ちで応募したのが、広告業界に入ったきっかけです。
今でもそうですが、私は「広告がどうしてもやりたかった」というタイプではありません。
あくまで仕事として、キャリアを築く手段として広告代理店に入っただけです。ただ、結果的にこの業界で経験を積んだことが、現在の事業にも大きく活きています。
広告代理店時代のお仕事で、今振り返って“やっておいて良かった”と感じる経験はありますか?
結論から言うと、当時の経験はすべて今につながっており、「どれもやっておいて良かった」と心から思っています。
広告代理店での最初の仕事はテレアポでした。顔も知らない相手に電話一本で提案を通す。アポイントを取る。企画書を出させてもらう。
単純な作業に見えて、実は非常に高度なコミュニケーション能力が問われる仕事です。
毎日何百件も架電する中で、自然とアポが取れるようになり、営業部に回すと「これだけ取れるなら自分で行ってこい」と言われ、私自身が営業の現場に出るようになりました。
そこからは、先輩の資料を見よう見まねでパワポを覚え、エクセルを覚え、提案書をつくり、案件が決まるように。
気づけば営業部でも一目置かれるようになり、その後、親会社へ異動。そこからは、セールスプロモーションの領域を担当することに。
そこで初めてAdobe(Illustrator/Photoshop)を使い始め、先輩のデザインデータを分解して構造を理解し、再構築するという手法を
用いて独学でスキルを磨きました。
さらに、デザイナー・プランナーと積極的にコミュニケーションを取り、細かい作業のコツを教えてもらいながら制作スキルを吸収した結果、セールスプロモーションチームとしてトップ売上をつくり、社長賞を受賞するまでになりました。
特に大きな経験だったのは、パシフィコ横浜を貸し切った大型ゲームイベントと1週間後に控えていた別クライアントの大型イベントの2つを、ほぼ寝ずに1人で回し切ったことです。ステージ進行、ライブ、声優のトークショー、ゲーム大会、運営などなど。あの規模を仕切った経験は今の事業の基盤になっており、ノウハウ・胆力・判断力が一気に養われました。
私は、与えられた仕事をただこなすのではなく、「これは自分に何を教えてくれているのか」を常に考えるタイプです。
- テレアポ → 説得力・言葉の選び方・コミュニケーション能力
- 営業 → 提案構成力・資料作成力・交渉力
- 制作 → デザイン基礎・構成力・現場ディレクション力
- 大型イベント → 進行管理・プロジェクトマネジメント・胆力
その積み重ねが、今の私の仕事の基礎になっています。
しかし、実力やノウハウは順調に上がったものの、給料はほとんど上がりませんでした。
残業も多く、案件を回しているのに経費権限もない(プロデューサー権限がないため)それなのに同い年のプロパーは自分の倍以上の給料をもらっており、「このままでは未来がない」と強く感じました。
そんな時、外資のクライアントから「独立するなら、年間契約で仕事を出す」と声をかけてもらいました。
将来への不安もあり、30歳の節目で独立を決断。ここがフリーランス、そして経営者としての第一歩でした。
経営者になる前に抱いていた「経営者像」は、どのようなものでしたか?
私の中で、フリーランスと経営者には明確な境界があると考えていました。
それは社員を雇い、その人たちの生活を背負いながら仕事をつくる存在こそが経営者であり、ひとりで働くフリーランスとは全く別の生き方だ、というものです。
法人化しようが、ひとりで仕事をする状態であれば、それは経営者というより個人事業の延長に過ぎません。
社員がいて、給与を払い、会社として仕事を生み続ける。その責任を負ってこそ初めて“経営”だと思っていました。
実際、私が従業員を雇い始めたのはこの5〜6年ほどで、そこからようやく経営者としての感覚が身についてきたと感じています。
起業後に経験された 予想外の苦労や大変だった出来事はありますか
フリーランスとして駆け出しの頃は、とにかく仕事を増やしたいという気持ちが強く、どんなに小さな案件でも必死に取りにいっていました。ところが、一度低い金額で受けてしまうと、そこから単価を上げることは非常に難しいものです。これが最初の大きな壁でした。
特に日本では、後から金額を引き上げることが非常に難しい側面があります。例えば、内容的には30万円ほどの仕事でも「10万円でお願い」と提示され、こちらが頑張れば頑張るほど「便利だからこの金額で頼める」という構図が固定化していきます。
「もうこの金額でやってよ。今までもそうだったでしょ?」という空気感が生まれてしまいますし、「断ったら次は来ないかもしれない」という不安にずっと縛られていました。
転機になったのは、新しいクライアントに出会ったことです。
同じ仕事でも、片方は「下請けだから当たり前」という態度、もう片方は「一緒に成長したいパートナー」として扱ってくれるという、この差があまりにも大きかったのです。
30万円の価値がある仕事なら30万円払います、と言ってくれる会社と組むほうが、こちらも誠実に向き合えるし、成果物の質も自然と上がる。すると、向こうも「次からはもっと高く請求してください」と値上げを提案してくれる。
こうして、“値段に見合う仕事をする → 評価される → 正当な価格で依頼される” という好循環が生まれました。
低単価案件を続けるためには、3倍の量をこなさなければ同じ売上になりません。つまり、本来30万円の価値がある仕事を10万円で請けて分散させてしまうと、仕事の質はもちろん、時間も体力も失われてしまいます。
パートナー企業へ集中できるようになってからは、
- 仕事の密度が上がる
- 成果に対する評価も高まる
- 単価が適正化される
- 無理のない働き方ができる
という働き方改革が、自分の中で自然と起きていきました。休めるようにもなり、「ちゃんと向き合うべき人に向き合う」働き方へと変わっていったのです。
組織づくりを進める中で、「大変だったこと」「苦労したこと」はありますか?
あります。とてもシンプルな話なのですが、当社の売上の9割以上を私1人でつくっているという構造が長く続いたことです。
この状況だと、社員が自分で仕事をつくるという発想を持ちにくく、どうしても「社長の仕事を待つ人材」になってしまいます。これは組織づくりの中で大きな課題でした。
最近は、自主的に仕事を生み出せるメンバーがようやく増えてきましたが、それまでのマインドセットの変化には非常に苦労しました。
そこで当社では、数字を完全に可視化した評価制度を導入しています。
- 個人成績
- 貢献度
- 支給されるボーナス額
これらを毎月、私からExcelで明確に示しています。
さらに、社会保険など会社が背負うコストも全て説明しています。「自分の給料とトントンの売上では会社は回らない」「少なくとも2倍以上の粗利を生み出す必要がある」という感覚を社員に持ってもらうためです。
小さな会社ほど、社員に主体的に仕事を作る発想が求められますが、一般的な求人媒体から応募してくる人材の多くは、「とりあえず働きたい」という温度感で入社することが多く、最初から“事業をつくる人材”であることはほぼありません。
ここをどう育てるかが、最も大きな課題です。
そしてこれを解決するためには、私自身が農業やeスポーツなど、社会課題に関わる新規事業に挑戦する姿を社員に見せ、「自分で未来をつくる」ことの大切さを伝えるしかないと思っています。加えて、評価・数字・会社の構造について、毎月しつこいほど説明するだけでなく半期に一度は面談を行い、
- 足りないスキル
- どう補うか
- どの分野を伸ばすべきか
を一緒に考え、必要であれば会社負担で学校に通わせることもします。
また、日本企業に多い「管理職不在の管理職」問題もあります。これは当社だけでなく、日本企業全体で大きい問題だと感じています。
管理職が「管理職のスキル」を持っていない、年功序列で上がり、部下を育てる方法を知らない状態では組織は育ちません。
だからこそ私自身も、まだまだ正しい管理職を学ぶ途中だと思っています。
今後のご展望をお聞かせください
A&L Projectは、常に挑戦し続けられる会社でありたいと考えています。「制作会社だからこの領域だけをやります」という線引きもしたくありません。社員が挑戦したいことがあるなら、どんな分野であっても挑戦できる会社でありたいと思っています。
ただし、その前提として強調したいのは、“挑戦はビジネスとして成立させてこそ意味がある”ということです。
日本では「お金を稼ぐ」という言葉にネガティブな印象を持つ人が多いですが、生活するには家賃も食費も必要で、国民には納税の義務もある。綺麗事ではなく、挑戦を継続するためには利益が不可欠です。
「やりたいです」と言うだけで、損得勘定も計画もない挑戦では、誰も幸せにできません。
だからこそ、A&L Projectは
- 挑戦=好きなことをやることではない
- 挑戦=ビジネスとして成り立つよう設計する
という文化を大切にしていきたいと思っています。
私自身、キックボクシングが趣味で、スポンサーもしています。だから社員にも、「趣味を持とう」「自分で楽しみをつくろう」と繰り返し伝えています。楽しさは誰かに与えられるものではなく、自分で見つけて育てるものだと思うからです。
私が大切にしたいのは、儲かるところに、人もアイデアも集まるというシンプルな原則です。
農業も同じで、儲かる仕組みがつくれれば人は集まり、新しい挑戦や地域の活性化にもつながります。
A&L Projectとしても、挑戦 × ビジネス × 楽しさをバランスよく掛け合わせた企業文化をつくり、人が自然と集まってくる会社に成長していきたいと考えています。
他の経営者の方におすすめする本がありましたら、タイトルとおすすめポイントを教えてください
私が昔から好きなのは、オグ・マンディーノという作家の作品です。
自己啓発に分類されることが多いのですが、ビジネス書というより物語形式で人生観や倫理観に触れられる小説です。
『この世で一番の奇跡』『十二番目の天使』など、どれも感動的で、読み返すたびに心が整うような作品ばかりです。
例えば『十二番目の天使』は、障害を持つ小さな野球少年と、その成長に関わる人々の姿を描いた物語なのですが、“努力する意味”“他者に向き合う姿勢”のような、人としての根源的なテーマが込められています。ビジネスのHow-toではないけれど、判断軸や倫理観を問い直したい時に立ち返れる本です。
それから、子どものころから大好きなのが『ソフィーの世界』という哲学小説です。
上下巻の分厚い本で、小学生には少し難しい内容なのですが、哲学の面白さを教えてくれた原点のような存在です。
私は、経営とは哲学であり、倫理の実践であると思っています。
倫理は、綺麗事では済まない領域です。
たとえば極端な話、「核爆弾の発射を止める唯一の方法を知っている人物がいる。その人物から情報を得るには、拷問という“悪”を行わざるを得ない」という究極の選択があるとしたら、何が正しいのでしょうか? 人を拷問するのは悪い。でも何千万人を救うためには必要かもしれません。これは極端な例ですが、ビジネスでも“誰も傷ついていないようで、実は誰かが傷つく”という構造は日常的にあります。何を選び、何を捨てるのか。経営とは常にトレードオフの中で判断する営みです。
私は自分が歩いてきた道を常に正しいとは思えないタイプです。
ただ前だけを見るのではなく、
- 今の判断は本当に正しいのか
- 過去の選択を、今の自分はどう評価するのか
- 誰かを傷つけていないか
そういった振り返りを定期的に行うために、哲学書や物語に触れて、自分の思考を一度リセットすることがよくあります。
その意味で、オグ・マンディーノの作品と『ソフィーの世界』は、私にとって経営の軸を整えてくれる存在です。
ぜひご一読ください。
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投稿者プロフィール

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企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
企業出版のノウハウを活かした記事制作を行うことで、社長のブランディング、企業の信頼度向上に貢献してまいります。
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