
今回は株式会社ヨシハラシステムズ代表、吉原 保氏にお話を伺ってきました。
「社長の履歴書」だけの特別なインタビューです。
ぜひご覧ください!
| 会社名称 | 株式会社ヨシハラシステムズ |
| 代表者 | 吉原 保 |
| 設立 | 昭和56年5月26日 |
| 主な事業 | クリーニング業 |
| 社員数 | 200名(取材時) |
| 会社所在地 | 〒522-0026 滋賀県彦根市大堀町380-1 |
| 会社HP | コーポレートサイト:https://www.yoshihara-cl.co.jp/ せんたく便サービスサイト:https://www.sentakubin.co.jp/ |
事業紹介をお願いします
当社は1959年に滋賀県彦根市で創業し、以来60年以上にわたってクリーニング業を展開しています。
創業当初は、いわゆる「御用聞きスタイル」でお客様のご自宅を回りながら衣類をお預かりする、地域密着型のクリーニング店でした。
長年培ってきたクリーニングの技術そのものは今も変わらず私たちの強みですが、時代やお客様の生活スタイルが変わる中で、サービスのあり方は進化させていく必要があると感じていました。
2008年、私が代表に就任したタイミングは、ちょうどリーマンショック後の厳しい経営環境に直面していた時期でもありました。この状況を打開するため、従来のやり方を続けるのではなく、ITを活用した事業転換に踏み切りました。その一つが、2009年1月に立ち上げた宅配クリーニングサービス「せんたく便」です。
当時、クリーニング業界で本格的にネットを活用したサービスはほとんどなく、「ネットでクリーニングを完結させる」という取り組みは、業界の中でも先駆的な挑戦でした。その後、ヤマト運輸様との協業によって全国対応が可能となり、滋賀県発のサービスとして、日本全国のお客様にご利用いただけるようになりました。
そして、2024年に「せんたく便」はサービス開始から15周年を迎えました。現在では、革製品のメンテナンスサービスなど、新たな分野にも取り組みながら常にサービスのアップデートを続けています。ありがたいことに「せんたく便」は直近4年連続でお客様満足度No.1という評価もいただいていますが、これに慢心することなく、今後もお客様目線のサービスを追求していきたいと考えています。
「せんたく便」ならではの特徴についても教えてください
「せんたく便」は、ネットの利便性を徹底的に追求した宅配クリーニングサービスです。料金は「パック料金+オプション」というシンプルな設計なので、コートやダウン、スーツなど、一般的に持ち込みづらく、価格も高くなりがちな衣類でも安心してお任せいただけます。送料や手数料はもちろん、しみ抜きや再仕上げも基本料金内で対応していますので、追加費用を気にせずご利用いただける点も特徴です。お客様には、クリーニングの手間を減らし、その分の時間を有効に使っていただきたいと考えています。
また、私たちの強みは、クリーニングの専門知識とITを融合させている点にあります。自社開発の宅配クリーニングシステムによって、受注から出荷までの商品管理を一元化し、業務効率を大幅に高めてきました。このシステムは外販も行っており、業界全体のデジタル化にも貢献しています。
さらに、「海をまもる洗剤」を使ったクリーニング店舗やコインランドリーの展開、洗剤の量り売りサービスなど、環境に配慮した取り組みも進めています。Amazon Payの導入やモニターキャンペーンなど、お客様のニーズに応じたサービス改善も継続的に行っています。
これからも、高品質なクリーニングサービスを提供し続けながら、環境負荷の低減と利便性の向上を両立させる取り組みを進めていきたいです。
一般的なクリーニング体験と比べたとき、御社のサービスはどのような点が違うのでしょうか。
一般的なクリーニングでは、衣類を家の中から集めて、ポケットやボタンを確認し、店舗まで持ち込み、仕上がったらまた受け取りに行く必要があります。天候に左右されることもありますし、受け取った後にタグを外したり、管理をし直したりと、実はお客様側の手間が非常に多いサービスでもあります。
私たちは、こうした「便利ではあるけれど、少し億劫だと感じられている部分」に着目しました。宅配クリーニングでは、衣類をバッグに詰めて集荷に渡せば、あとは仕上がりを待つだけです。
さらに店頭型のクリーニングでは、シミ抜きやオプションについてその場で判断を求められ、最終的にいくらになるのか分かりにくいこともあります。一方で私たちは、衣類の種類に関わらず、預かった品物をこちらで確認し、必要だと判断したシミ抜きやボタンの取り付け、毛玉取りなどを追加料金なしで行っています。
お客様に細かな指示をしていただかなくても、「本当はやってほしかったこと」をこちら側で汲み取り、仕上げる。その一連の体験こそが、私たちが提供している価値であり、大きな感動につながっているのではないかと考えています。
先ほどはお客様視点での「感動体験」について伺いましたが、それ以外にも、吉原社長ご自身が「これは大きな価値になっている」と感じているポイントがあれば教えてください
私たちが特に重視しているのは、クリーニングの「品質」です。お客様から明確にご要望をいただく部分はもちろんですが、ご自身では気づきにくい細かな点についても、こちらで判断し、できる限り手を入れるようにしています。
もう一つ大切にしているのが、「約束を守ること」です。たとえば納期や集荷・配達の時間など、当たり前のことではありますが、これが守られないと、お客様にとっては非常に不快な体験になってしまいます。だからこそ、私たちは時間に関する約束を必ず守ることを徹底しています。
こうした品質や約束を安定して実現するためには、人の頑張りだけでは限界があります。そのため、受注から回収、仕上げ、配送までを一貫して管理できる仕組みを整え、システムとして支えており、これも私たちのサービスの大きな特徴だと思います。
もちろん、どれだけ注意していても、トラブルをゼロにすることはできません。そのため、万が一の際の保証やアフター対応については、他社と比べても手厚く行い、お客様にご納得いただけるところまできちんと対応するようにしています。
こうした積み重ねが、「安心して任せられる」という信頼につながっていると考えています。
オンラインサービスならではの不安要素については、どのようにフォローされているのでしょうか?
対面型のクリーニングであれば、受け取りの際にその場で仕上がりを確認し、気になる点があればすぐに相談できます。一方で、オンラインの場合は「もし問題があったらどうすればいいのか」という不安を感じる方も少なくないと思います。
そこで私たちは、仕上がり品をお届けする際に、保証書を必ず同封しています。万が一、仕上がりに気になる点があった場合には、その保証書を使ってご返送いただける仕組みです。
お客様が「言いにくい」「どう対応してもらえるのか分からない」と感じることがないよう、対応方法をあらかじめ明確にしておくことを大切にすることで、オンラインであっても、対面と同じ、もしくはそれ以上の安心感を持ってご利用いただけるよう心がけています。
そのほかにも、会社としてアピールしたい取り組みや特徴があれば教えてください
一つ挙げるとすれば、働き方や社内の雰囲気かもしれません。私たちの会社は、比較的離職率が低く、長く働いてくれているスタッフが多いのが特徴です。
仕事を「やらされているもの」ではなく、「楽しみながら取り組めるもの」にしていくことを大切にしており、その考え方が結果として定着率の高さにつながっているのではないかと感じています。
こうした人材の安定が、品質やサービスレベルの維持にも直結しています。お客様に安心してご利用いただくためには、現場で働く人たちが前向きに仕事に向き合えていることも欠かせない要素だと考えています。
どのような想いで事業経営をされているのでしょうか?
私たちが大切にしているのは、「感動を与える」というビジョンです。ただ、クリーニングは多くの方にとって身近で、すでに当たり前のサービスでもあるため、単に品質が良いだけでは感動にはつながりにくい分野だと感じています。
そこで私たちは、クリーニングの技術に加えて、WebやITを活用することで、より便利で快適な体験を提供することに力を入れてきました。実際にお客様からは、「注文から集荷、仕上がり品が手元に届くまでが非常にスムーズで、自動化されているように感じる」「とにかく使いやすい」という声を多くいただいています。
こうした“クリーニングそのもの”だけでなく、“利用する一連の体験”こそが、私たちの強みだと考えています。この便利さや快適さを、より多くの方に知っていただけるよう、今後も積極的に発信していきたいです。
当社のサービスについては、こちらをご参照ください。
ここからは、吉原社長ご自身について伺います。社会に出る前のご経験の中で、特に熱中したことや、今につながっていると感じるものはありますか?
学校や部活動にもそれなりに取り組んでいましたが、今振り返って一番熱中していたのは、パソコンですね。
小学生の頃に、NECの「PC-8801」が登場した時代で、当時はまだ家庭にパソコンがあるのが珍しい時代でした。もちろん自分で買えるわけもなかったので、パソコンショップに通って、実機を触らせてもらっていました。
特に面白かったのは、プログラミングです。BASICを使って簡単なプログラムを書き、自分が書いた通りにパソコンが動く。その体験がとても楽しくて、「自分が手を動かさなくても、仕組みを作れば自動で動く」という感覚に強く惹かれました。
このときに感じた“仕組みで物事を動かす面白さ”は、今の仕事にも確実につながっていると感じています。
吉原社長は、幼い頃から家業であるクリーニング業を身近に見てこられたと思います。小さい頃や学生時代には、家業に対してどのような印象を持っていましたか?
小学生くらいまでは、自宅とクリーニング工場が一体になっていて、2階が住居、1階が工場という環境で育ちました。父も母も夜遅くまで仕事をしている姿を日常的に見ていましたし、私も長期休みになると工場の手伝いをしており、クリーニング前の衣類のポケットを一つひとつ確認する作業を任されていました。ペンが入ったままだとインクが広がってしまいますし、ライターなどが入っていると、ドライクリーニングでは引火の危険もあります。地味ですがとても重要な仕事だったので、子どもながら責任感や仕事への姿勢を学びました。
ただ正直に言うと、お盆やお正月もほとんどなく、家族で旅行に行った記憶もあまりないので、小さいころはサラリーマン家庭に少し憧れを持っていました。しかし両親がどれほど真剣にこの仕事に向き合っていたのかは知っていたし間近で見ていたので、家業を嫌いになることはありませんでした。
ご家族やご親戚から、「将来は家業を継ぐ」という話をされることはあったのでしょうか?
長男ということもあり、はっきりと言葉にされたわけではありませんが、「いずれはそうなるのだろうな」という感覚は、若い頃から何となく持っていました。
実際、20代前半に一度家業に入っています。京セラへ就職した後、家業に戻る形でしたが、当時は父との距離感がうまく合わず、仕事の進め方や考え方の違いもあって、悩むことが多かったですね。
また、個人的にはどうしてもパソコンの仕事に強い興味がありました。プログラミングをしたり、ホームページを作ったりといった分野に挑戦したいという思いが強く、一度は自分の力でやってみようと考え、起業という道を選びました。
高校卒業後の進路として京セラに入社されていますが、当時はどのような理由で京セラを選ばれたのでしょうか?
正直に言うと、最初から「京セラに入りたい」と強く思っていたわけではありませんでした。高校時代はあまり素行が良いほうでもなく、勉強にもそれほど身が入っていなかったので、卒業後の進路についても深く考えていませんでした。
そして、その様子を見かねた進路指導の先生から、「ここを受けてこい」と勧められたのが京セラでした。言われるがまま面接を受けたのですが、実は最初は一度落ちています。
ところが後日、京セラの人事の方から「もう一度面接をしてあげる」という連絡があったそうで、再度面接に行くことになりました。何人か一緒に受けるのかと思っていたら、会場にいたのは自分一人だけで、ずらっと人事の方が並んでいる状況でした。
かなり緊張しましたが、話をしているうちにそのまま採用が決まりました。今振り返ると、自分の意思というよりも、周囲の大人に導いてもらった進路だったと思います。
京セラに入社されてからは、どのようなお仕事に携わっていたのでしょうか?
配属されたのは工場で、セラミック事業部の試作を担当する部署に配属され、試作品をひたすら作る仕事をしていました。
試作なので、「これが最終的に何に使われるのか」が分からないまま、とにかく言われたものを形にする日々でした。半導体関連の基板やスイッチ部品といった王道の製品もありましたし、自動販売機のお金を分別する部分の部品など、少し変わったものを作ることもありました。当時は「こんな部品が本当に重要なのか」と思いながら作っていましたが、今振り返ると、社会のさまざまな場面を支える仕事だったのだと思います。
製造は金型を使った成形作業で、粉末状のセラミック素材を押し固めて形にしていきます。自動で量産されていく工程ですが、少しでも条件がずれると不具合が起きることがありました。特に二重に圧力がかかってしまうと、金型が割れてしまうこともあります。
金型は一つ数十万円する高価なものなので、「絶対に壊すな」と言われていましたが、正直なところ、失敗もたくさん経験しました。そうした現場での試行錯誤を通じて、ものづくりの厳しさや、品質を安定させることの難しさを身をもって学んだと思います。
京セラを退職された理由は、家業に入られることが決まっていたからなのでしょうか?
はい、そうです。京セラに入社してから3年目に入るタイミングで、父から「そろそろ家業を手伝う気はあるのか」と声をかけられました。
もともと明確に話し合いがあったわけではありませんが、その一言をきっかけに、家業に入ることを決断しました。ちょうど節目の時期でもあり、「今なら挑戦できる」と思い、京セラを退職しました。
一度入社された後、独立を経て2008年に再び戻られていますが、最初にヨシハラに入社された当時は、どのような印象を持たれていましたか?
もともと子どもの頃から見てきた場所なので、職場の雰囲気自体に大きな違和感はありませんでした。工場の空気感も、働いている従業員も、昔から知っている顔ぶれが多く「戻ってきた」という感覚に近かったですね。
当時は、「自分が入ることで、いろいろなことができるのではないか」という思いもあり、少し意気込んで入社しました。ただ、実際に入ってみると、思っていたほど自由に動けるわけではなく、「何かを変えたい」と思っても、なかなか手を出せない状況でした。
結果として、「やりたいことはあるのに、何もできていない」というもどかしさを感じていたのを覚えています。
当時のヨシハラは、先代であるお父様を中心とした、いわゆるトップダウンの風土が強かったのでしょうか?
そうですね。当時は、基本的には父のやり方が軸にあって、まずは「言われたことをきちんとやる」という文化でした。自分から何か新しいことを提案したり、やり方を変えたりする余地はあまりなかったと思います。
もちろん、それは長年事業を続けてきたからこそのやり方でもありますが、当時の自分にとっては、「自分がやりたいことを形にするのは難しい環境だな」と感じていました。
その後、サイバープラスを起業されますが、社会人になってからも、パソコンやITの勉強はずっと続けてこられていたのでしょうか?
はい。パソコンに関しては、社会人になってからもずっと触り続けていました。仕事として関わっていない時期でも、個人的にプログラミングをしたり、システムを作ったりと、自分なりに学び続けていましたね。
「いつか仕事になるかどうか」というよりも、単純に好きだった、というのが一番大きいと思います。その積み重ねが、結果的に起業や、その後の事業づくりにつながっていったのだと思います。
実際に起業され、ご自身の会社として仕事をするようになってからは、どのような感覚でしたか?
率直に言うと、とにかく楽しかったですね。自分の判断で物事を決め、自分の責任で形にしていく。そのプロセス自体が、とても刺激的でした。
事業としても少しずつ成長し、会社を売却する直前には、グループ全体で150人ほどの規模になっていました。もちろん大変なこともありましたが、それ以上に、「自分がやりたいと思っていた仕事で、ここまで来られた」という実感が強かったと思います。
起業を通じて、仕事は「やらされるもの」ではなく、「自分でつくっていくもの」なのだと、改めて感じる経験でした。
起業された会社を売却されていますが、その理由について、差し支えない範囲で教えていただけますか?
実は起業は一度だけではなく、最初に個人で立ち上げた会社があり、その後にサイバープラスを設立しました。サイバープラスは、滋賀県でITに携わっていた仲間と3人で共同出資して立ち上げた会社で、代表は私が務めていました。
ボードメンバーが複数いる体制だったこともあり、事業の意思決定がしやすく、結果としてスピード感を持って事業を拡大できたと思います。受託開発ではなく、自分たちでサービスをつくり、ユーザーに直接使ってもらう「コンテンツプロバイダー型」のビジネスモデルに挑戦していました。
設立したのは1999年頃で、ちょうど2000年にNTTドコモの「iモード」が登場した時期です。携帯電話でインターネットコンテンツが見られるようになり、モバイル向けサービスが一気に広がっていきました。私たちもPC向けだけでなく、携帯向けコンテンツへと軸足を移し、時代の流れに合わせて事業を展開していました。
当時は毎年のように端末の性能が進化し、新しい機能が追加されていくので、こちらもそれに合わせて常に新しいコンテンツを企画し、改善し続けなければなりません。成長産業ではありましたが、その分スピードも速く、常に追われている感覚が強くなっていきました。
しかし、「このまま10年先も同じテンションで続けられるだろうか」と考えたとき、正直なところ難しさを感じました。またちょうどその頃iPhoneが登場し、次の大きな波が見え始めていましたが、そこでさらに走り続けるよりも、より大きな企業と一緒になった方が、サービスも人も活かせるのではないかと判断しました。
そうした背景から、事業の売却を決断しました。
逃げではなく、次のステージを見据えた前向きな選択だったと思っています。
サイバープラスの売却は、「ヨシハラに戻ること」を前提にした決断ではなく、あくまで事業単体の経営判断だった、という理解でよいでしょうか?
はい、そのとおりです。ヨシハラに戻ることを先に考えて売却したわけではありません。あくまで、サイバープラスという事業をどう成長させ、どう次につなげるかを考えた結果としての判断でした。
事業としてのフェーズや、自分自身がその先も同じ形で関わり続けられるのかを冷静に考えたうえで、最善の選択をした、という感覚です。
2006年にサイバープラスを売却し、2007年に代表取締役を退任、そして2008年にヨシハラの代表に就任されていますよね。先ほどのお話では、売却時点ではヨシハラに戻る前提はなかったとのことですが、ヨシハラに戻る話が出たのは、いつ頃だったのでしょうか?
実は、「戻ってきてほしい」と言われたことはありません。結果的に私が引き継ぐことになりましたが、誰かから要請されたというよりも、状況を見て自分で判断した、という形です。
サイバープラスを売却した後も、一定期間は代表として残り、事業や組織の整理を行っていました。2007年の秋頃にはその役割も一段落し、「そろそろ区切りをつけてもいいかな」と考えて、代表を退任しました。
しかし、その少し前から父の体調があまり良くなく、入院することもありました。お正月には一時的に外出許可が出て、自宅で一緒に食事をしたのですが、その数日後、急に容体が悪化し亡くなりました。
四十九日を終えた後、親戚も集まる中で「これから会社をどうしていくのか」を考えざるを得ない状況になりました。姉がいて、義兄は当時ヨシハラで働いていたため、最初は義兄が引き継ぐのだろうと思っていたのですが、相続や経営のことを整理していく中で、「それなら自分が株式を相続し、代表としてやったほうがいいのではないか」と判断しました。そして、2008年にヨシハラの代表に就任することになりました。
一度ヨシハラを離れて代表として戻ってこられた際、最初に受けた印象を教えてください。「変わっていない」と感じた点や、「これは変えなければならない」と感じた点はありましたか?
正直なところ、最初の印象は「ほとんど変わっていないな」というものでした。場所も同じですし、現場の雰囲気も昔見ていた頃と大きくは変わっていなかったと思います。
ただ、以前と大きく違ったのは、代表として会社の中身を見る立場になったことです。サイバープラスでの経験もあり、財務書類をきちんと確認するようになりました。そのときに感じたのは、「このままでは厳しいな」という危機感でした。
借り入れもあり、売上が大きく伸びる見込みも見えにくい。さらに、当時は正社員がほとんどおらず、現場を支えているのは日給月給の方やパートの方が中心でした。クリーニングの作業自体は長年の経験があり、問題なく回ってはいましたが、会社として次の一手を打てる状態ではなかったと思います。
父の体調が長く優れなかったこともあり、事業は「なんとか続けている」という状態でした。お金の流れや将来への投資という点では、どうしても手が止まってしまっていた。代表として戻ってきて、その現実を真正面から突きつけられた、という感覚でした。
当時の状況を打開するために考えた結果、宅配クリーニングサービスを立ち上げる発想に至った、という理解でよいでしょうか?
そうですね。まず前提として、当時は大きな投資ができるほどの資金がありませんでした。ですから、「お金をかけずに、どうやって売上をつくるか」という視点で考えざるを得なかったんです。
その点、ホームページやインターネットを使った集客や受注については、前職でずっと経験してきた分野だったので、個人的にはハードルは高くありませんでした。一方で、新たに店舗を出すとなると、立地選定や出店タイミング、保証金や内装費など、どうしても大きな初期費用がかかります。最低でも数百万円、場合によっては1,000万円近い投資が必要になります。
当時のヨシハラの状況を考えると、店舗展開による成長は現実的ではありませんでした。そこで、「インターネットを使って売上をつくる方法はないか」と改めて考えたのです。
2008年頃は、EC市場も拡大し、BtoCのビジネスが成立しやすくなってきた時期でした。そこで「クリーニングをネットで受注するサービスはどうだろう」と調べてみたところ、取り組んでいる企業はゼロではないものの、本格的に展開している例はほとんどありませんでした。
それなら、自分たちがやってみようと思い、これまでのITの経験と、家業であるクリーニングの強みを掛け合わせる形で、宅配クリーニングサービスの構想が生まれました。それが「せんたく便」のスタートです。
冒頭で「感動を与える」というビジョンを掲げていらっしゃいましたが、これは創業当時から受け継がれてきたものなのでしょうか。それとも、吉原社長が改めて定めたものなのでしょうか?
これは、私が代表に就任してから改めてつくったものです。理念やビジョンについては、一度すべて見直しました。
また、就任してすぐに、すべてを一気につくったわけではありません。最初に手を付けたのは、クリーニング店舗のロゴや社章といった、目に見える部分でした。新しいスタートであることを社内外に伝えるために、まずは雰囲気を変えたいと考えてのことです。
理念やビジョンについては、その後、時間をかけて言語化していきました。形として整ったのは、ここ4〜5年ほどのことだと思います。
代表に就任されてから、まずは財務体質の立て直しと、新たなスタートとしてのリブランディングに注力されてきたという印象があります。その流れの中で、VOC削減にも早い段階から取り組まれていますが、これはどのような背景があったのでしょうか?
私が代表に就任した頃、クリーニング業界では「溶剤回収乾燥機」という設備が少しずつ注目され始めていました。ドライクリーニングでは石油系溶剤を使いますが、洗浄後に乾燥をかけると、その溶剤が気化して大気中に放出されてしまいます。しかし回収乾燥機を使えば、その気化した溶剤を回収し、再利用することができます。環境負荷の低減という側面もありますが、当時、私が一番重視したのは経済的な効果でした。
溶剤は石油製品なので、使えば使うほど減っていきますし、毎日かなりの量を補充しなければなりません。回収ができれば、その分、新しく溶剤を購入する必要がなくなります。
設備投資は必要ですが、長期的に見ればコスト削減につながる。結果としてVOC削減にもなっている、というのが実態です。環境のためだけに事業を成り立たせるのは、当時の会社の状況では現実的ではありませんでした。
この考え方は、たとえば太陽光発電にも近いと思っています。自社で発電して使える分、外部から買う電力を減らせる。その結果、コストも下がり、環境負荷も抑えられる。私たちは、そうした「経済合理性の中で、結果的に環境にも良い取り組み」を大切にしてきました。
サイバープラスでは、仲間とともにゼロから事業を立ち上げる経験をされていますが、一方で、ヨシハラシステムズでは、長年続いてきた事業を引き継ぎ、より良くしていく立場になりました。経営者として、この二つの経験の中で「これはまったく違う難しさだ」と感じた点はありますか?
一番大きな違いは、「現場があるかどうか」だと思います。サイバープラスはITの会社でしたので、基本的には社員がパソコンの前に座り、ものづくりをする仕事でした。働き方も比較的似通っていて、全員が同じ方向を向きやすい組織だったと思います。
一方、クリーニング業は工場や店舗といった現場があり、そこで働く人たちの雇用形態や働き方もさまざまです。社員もいれば、パートやアルバイトの方もいる。IT企業のように、一律のマネジメントをするのは難しいと感じました。
経営の視点で見ると、人件費はコストです。特にパートやアルバイトの方の賃金は、仕事量に応じて調整しなければなりません。忙しい時期には人手が必要ですし、逆に余裕があるときには早く上がってもらう判断も必要になります。「みんなで頑張ろう」という気持ちと、経営としての現実との間で、葛藤を感じる場面も多かったですね。
また、店舗が点在しているため、全員を一箇所に集めて朝礼をするといったこともできません。遠隔でどう情報を共有し、どう同じ方向を向いてもらうか。この点は、今でも試行錯誤を続けている部分です。
ゼロから作る経営と、積み重ねられてきた現場を支える経営。その違いを強く実感したのが、ヨシハラシステムズでの経営でした。
また、ヨシハラシステムズでは、年齢層も本当に幅広く、パートの方の中には70代を超える方もいます。50代、60代、70代と、それぞれ人生のフェーズも価値観もまったく違います。
ですから、「こういう考え方で一緒に頑張ろう」と一言で伝えても、全員に同じように響くわけではありません。話し方も変えなければいけませんし、その人が仕事に何を求めているのかを理解した上で、向き合う必要があります。
会社として目指す方向は一つでも、そこに至るまでの関わり方や、会社が提供できる価値は、人によって違っていていい。そう考えるようになりました。多様な人たちが、それぞれの立場で無理なく関われる形をつくることが、現場産業の経営では特に重要だと感じています。
店舗や工場が分散していて、全員が一堂に会することができない中では、「同じことを伝えているつもりでも、受け取り方が人によって変わってしまう」という難しさがあると思います。品質やお客様への向き合い方についても、そのズレをどう埋めるかが課題だったのではないでしょうか?
まさにそのとおりでずっと向き合っている課題です。
正直に言うと、完全に解決できているわけではありません。ただ、少しでも共通認識を持てるように、いくつかの取り組みを重ねてきました。
一つは、簡単なチャットツールを使い、情報を一斉に、同じタイミングで伝えられるようにしたことです。口頭や店舗ごとの伝達だけに頼らず、同じ情報が同じ形で届くように意識しています。
また、最近ではコーポレートブックを制作し、理念や大切にしている考え方、方針を言語化しました。これを共通の拠り所として、判断や行動の基準をそろえていこうとしています。
さらに、昨年からは「サンクスカード」という取り組みも始めました。店舗や工場など、普段は顔が見えにくいメンバー同士が、感謝の気持ちを伝え合える仕組みです。
直接会えなくても、人となりや仕事ぶりが少しでも伝わるようにすることで、組織としての一体感を育てていきたいと考えています。
どれも一度やって終わりではなく、続けていくことが大切だと思っていますので、試行錯誤しながらですが、少しずつでも同じ視線で情報を共有できる組織に近づけていきたいです。
人材や組織づくりについてさまざまな取り組みをされてきた中で、改めて、ヨシハラシステムズとして今後どのような会社にしていきたいとお考えでしょうか。今後の展望を教えてください
もちろん、事業として成長していけば工場の拡張や設備投資、店舗の拡大といったことも必要になってきます。ただ、それ以上に大切にしたいのは、「会社が目指している方向に共感してくれる人たちと、一緒に仕事をしていくこと」です。
クリーニングの仕事自体はこれからも続いていきますが、どんな思いで、どんな姿勢で取り組むのかによって、会社のあり方は大きく変わります。その方針や考え方を、できるだけ多くの人に共有し、共感してもらえる組織にしていきたいと考えています。
一方で、年齢層や働き方が多様な分、同じ方向を向いているつもりでも、世代間のギャップや表現の違いから、微妙なズレが生まれることもあります。そこをどう埋めていくかは、今でも工夫を重ねているところです。
その一つとして、年に一度程度ですが、社員やスタッフが集まれる場を設けています。今後は、こうした機会を少しずつ増やし、直接顔を合わせて話ができる場を大切にしていきたいですね。
事業としての成長と、人としてのつながり。その両方をバランスよく育てながら、長く続く会社をつくっていきたいです。
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企業の「発信したい」と読者の「知りたい」を繋ぐ記事を、ビジネス書の編集者が作成しています。
企業出版のノウハウを活かした記事制作を行うことで、社長のブランディング、企業の信頼度向上に貢献してまいります。
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